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第34回 結び文の研究 【前編】

久しぶりの文芸コラムの更新です。


今回は、文芸作品の『結び文』について、研究してみたいと思います。

結び文とは、作品を締めくくる、最後の一文の事です。


文筆を趣味にしていると、作品のどういう箇所で自分が行き詰まりやすいかという、執筆上の傾向が、だんだん分かって来ます。

私の場合、必ずと言っていいほど行き詰まるのは、物語が完結を迎える、最後の1~2文、つまり、結び文の個所にいたった時です。


物語の結び文って、どうしてあんなに書くのが難しいんでしょう。

何でもいいから、とりあえずそれらしいことを書くだけでいいなら容易たやすいんですが、それだと、どうも物語の結びらしくない、中途半端な文章になってしまいます。


結び文がふさわしく書けるかどうかで、極端な話、作品全体の出来栄えさえ、左右されかねないので、できるだけかっこいい文章を書こうと、努力はしてみるんですが、何度書き直しても、いまいちしっくりした文章になりません。


そもそも、物語の結びらしい結び文って、どんなものなんでしょう。

こういう文章が、伝統的な結び文というような、規則や型のようなものがあるんでしょうか。


規則や型があるのなら、それを応用するだけでかなり楽に書けるようになるでしょうから、今回は、有名作品の結び文を例に、研究してみることにしましょう。


ちなみに、有名作品の『書き出し』部分については、学校の国語の授業で、よく、生徒に暗記させたり、どの書き出しがどの作者や作品のものなのか、選択形式で問うテストをしたりする先生がいますよね。

以下のように、有名どころの作品の書き出しと作者名、作品名を、黒板に書いたり、印刷したプリントを配ったりして。



・吾輩は猫である。名前はまだ無い。

【夏目漱石「吾輩は猫である」】


・ある日の暮方の事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っていた。

【芥川龍之介「羅生門」】


・メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。

【太宰治「走れメロス」】



(例文に用いた作品は、全て著作権切れの古いタイトルです。)

書き出しの一文だけでなく、その次の二文目までを例示しました。作者と作品の特徴をよりしっかりととらえるためです。

どれも非常に印象深く、自然と読者を作品に引き込んで行く、流れるような名文です。


でも、これらの作品の『結び文』を、学校で習ったり、作品を読んで覚えているという人は、そう多くはないのではないでしょうか。

学校で有名作品の結び文を教えない理由の一つは、作品を読破して結びにたどり着くという読書の楽しみを奪わないように、という、配慮もあるのかも知れません。

だとすると、このコラムでも、結び文を例示してしまうのは、野暮やぼというものかもしれません。

ただ、有名作品の結び文を例示しないと、結び文の常套的じょうとうてきな規則や型について、研究しようがないので、ネタバレになっても構わない、という方のみ、先へ読み進めて下さい。













南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

【夏目漱石「吾輩は猫である」】


・外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。

 下人の行方ゆくえは、誰も知らない。

【芥川龍之介「羅生門」】


・勇者は、ひどく赤面した。 (古伝説と、シルレルの詩から。)

【太宰治「走れメロス」】



結び文も、書き出しの例文と同様、最後の一文だけでなく、その一つ前の文までを例示しています。


一見すると、書き出しと、結び文には、機能的な違いが無いように思われますが、二つは全く異なる性質を持った文です。それを確認する事ができる、非常に簡単な方法があります。


試しに、各例文の書き出しを、その作品の結び文だと思って、あるいは、その逆に、各作品の結び文を、その作品の書き出しだと想像して、読んでみて下さい。


読書や文筆を趣味にしている人なら、その違和感を、感覚的に理解できるのではないかと思います。


なぜ、書き出しと結び文を入れ替えると、違和感を生じるのでしょう。


それは、読者が『書き出し』に接する時と、『結び文』に至った時とで、作品に関する知識の量が、全く異なるから、というのが、一つの理由だろうと思います。

その本を初めて開いて、『書き出し』を読む読者は、物語の登場人物や舞台設定を、全く知らない、と想定するのが、作者として自然な態度です。

作品を何度も繰り返し読んでくれている読者ならいざ知らず、生まれてはじめてその物語を読む読者には、冒頭でできるだけ分かりやすく作品世界の概要を伝えた方が、物語に入り込みやすくなって助かるというものですし、作者にとっても、読者に冒頭で投げ出されずに、しまいまで読み進めてもらえる可能性が高まって安心できる、というものです。


そして、結び文の手前まで読んでくれた読者は、作品に関する知識をすでに十分に持っている状態なので、作品の冒頭ほど丁寧な説明が必要ではない分、より自由な言葉で作品を締めくくることが可能になっている、というのが、書き出しと結び文の性質に上記で指摘したような差異が生じる大きな理由だと私は考えています。


つまり、結び文らしい文章の一つの条件としては、「登場人物の紹介や、作品の世界観を示す舞台設定の提示などではない文章」が望ましい、という事になります。


【後編に続く】



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