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第33回 常識を疑ってみる


1543年、ポーランドのカトリック司祭で、天文学者でもあるコペルニクスは、長年かけて執筆してきた一冊の本を、満を持して出版します。

『天体の回転について』というタイトルの天文学書です。

この本が出版される直前に、コペルニクスは70歳でこの世を去ったので、自著が世間にどのように評価されるのか、彼が知ることはできませんでした。


『天体の回転について』は、天文学史上、非常に重要な意味を持った書物です。

それまで、学者や一般人は、地球が宇宙の中心に静止しており、ほかの天体は地球の周りを公転しているという、〝天動説〟を信じる人がほとんどだったのですが、この本では、太陽を中心に、地球を含むほかの天体が回っているという、〝地動説〟が、唱えられていたのです。


今でこそ、地球が太陽の周りをまわっている事は、周知の事実ですが、当時は、天文観測の知識や技術が未発達であったため、それを証明する事ができず、古くから信じられて来た天動説が、常識として広く信じられている状態でした。


そこで登場した『天体の回転について』が、世の中の誤った常識を一気にくつがえした、となると、話としては面白いのですが、そうやすやすと事が展開したわけではありません。

コペルニクスの地動説も、当時の常識だった、「惑星は円形の軌道を描く」という説を基に書かれていたため(実際は、惑星は楕円の軌道を描きます)、観測データとの間に整合性が無く、天動説から地動説に乗り換える人が続出するような事にはならないどころか、依然として天動説優位の時代が、1609年のヨハネス・ケプラーによる楕円軌道説の発表まで、実に60年あまりも続く事になります。


天動説、地動説に限らず、私たち人類は、現代から考えれば滑稽に思えるほど奇抜な事を、長年にわたって常識だと信じて過ごして来た歴史があります。


・1492年、「地球は丸い。」と信じていたクリストファー・コロンブスが、スペインから船で大西洋を横断してアメリカ海域の島に到達した時、それまで信じられていた、「世界は平らで、船で海の端まで航行すると滝に落ちる。」という常識が覆され、「地球は丸い。」という、新たな常識が世界に普及するきっかけとなりました。


・1859年にチャールズ・ダーウィンが、自著『種の起源』の中で、全ての生物が共通の祖先から長い時間をかけて進化し、淘汰を繰り返すことで、より環境に適した種が残ったという進化論を提唱します。

全ての生物は神が作ったと主張するキリスト教の宗教家たちや、信仰を道徳観の規範にしていた多くの学者たちから反発を受けるも、その実地研究に根差した理論の立証性や、細部まで丹念に考察し抜いた説得力によって、徐々に支持者を増やして行き、今ではダーウィンの進化論は、生物学の基盤として世界に普及するまでになっています。


コロンブスが「地球は平ら」という常識を覆したのは526年前。

ダーウィンが進化論によって、「生物は神の手によって、大昔に、今と同じ形で作られた。」という西洋のキリスト教的常識を覆したのは、今からほんの159年前の事です。


こういう、過去の常識の転換点を振り返った時、よく思うのは、「私がもしその時代に生きていたら、彼らの考えに賛成できるだろうか。」という事です。


権威ある学者のみならず、世の中の大半の人々が、従来の常識を否定する彼らの説を批判し、嘲笑さえしている中で、その時の常識に反してでも、彼らに賛同するのは、想像よりずっと難しい事ではないでしょうか。


そして、そういう状況でも、彼らの新説を支持し、支援した人々がいるのです。そのおかげで、今の時代の私たちは、彼らが唱えた説を、新しい常識として受容し、当然のことのように信じる事ができているのです。

現在の私たちの常識の数々は、圧倒的多数の支持を集める誤った常識に対して、少数の勇気ある人々が疑問を投げかけ、研究と検証によって、新しい説こそ信ぴょう性が高いと証明した結果、もたらされたものが多いのです。


こういった過去の常識の大転換は、遠い世界の出来事ではなく、現在でも、常日頃から、私たちの生活の中の、あらゆる分野で起きている事でもあります。


例えば、7年前の東日本大震災までは、「原子力発電所では安全対策が何重にも施されているので、過酷事故(放射性物質を大量に撒き散らすような事故)は絶対に起こらない。」という、いわゆる『安全神話』が、当たり前のように信じられていました。


一部の人が、大津波が来た場合の電源の確保に懸念がある事を指摘して、電源装置を高台に移すよう政府や東京電力に意見していましたが、政府や東京電力は、過酷事故を起こすほどの大津波が来る可能性は低いとして、長年にわたって対策をとろうとしませんでした。


一般市民の多くも、懸念を抱いて対策を要望する人々に対して、「安全対策は十分。数百年に一度の大津波を前提にして莫大な費用の掛かる安全対策を施す必要はない。原発に反対する左翼が難癖をつけているだけ。」という、政府や東電に都合のいいレッテル張りをして、危険性の認識が広く共有されるのをはばもうとしたのでした。


東北の太平洋岸の地域の地層の調査から、何十メートルもの大津波が、過去に何度も東北地方を襲っていることが判明しており、そのクラスの津波が再来した場合、電源装置が水没する事は疑いようのない事実だったにもかかわらず、大多数の人々は懸念を抱く少数の人々を蔑むことで、基本的な安全対策さえとろうとしない政府や電力会社の味方をして、原発の危険性を軽視し、考えないようにしていたのです。


当時、皆さんは、どちらの『常識』を信じていたでしょうか?

私は、「数十メートル級の大津波が来る。」という事と、「原発の安全性は完璧ではない。」という主張を、彼らの示したデータや資料の確かさから信じていたし、対策をとろうとしない政府や東京電力の不誠実さのみならず、懸念する人々を馬鹿にすることで、危険性を認識する事をかたくなにこばもうとする一般市民が多い事にもいら立ちを感じていました。


そして、7年前の2011年3月11日、東北に大地震が起き、それに起因する大津波が襲来して、東京電力の福島第一原発の電源装置は水没して機能を停止し、電源を失った原発は、原子炉の爆発を避けるために、放射性物質を膨大に放出するという過酷事故を起こしました。


ですから、私は、当時『安全神話』を信じて、それを否定する人をあざけっていた人々を、今でも恨んでいますし、そういう人々が何の責任も負わず、相変わらず政府や権力に楯突く人々を誹謗中傷しているのを見るたびに、苦々しい気持ちになるのです。


間違った常識を信じるという事は、時として罪深い事に加担する行為にもなり得ます。

特に、権力を持った側の主張は、たとえおかしな点があっても、常識として押し通され、まかり通り、多くの人々によって盲信されがちな傾向がありますから、私たちは、そういう社会の性質や、少数者の意見の方が正しい場合もあるという平明な視点を、常に意識して世の中の常識と向き合う必要があるのです。



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