第17回 小説化と漫画化と映画化の関係性について
小説は、絵のない漫画でしょうか。
漫画は、動かない映画でしょうか。
映画は、画の動く小説や漫画でしょうか。
こういう疑問を、明確に意識するようになったのは、秋本治さんの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』というギャグ漫画の中の、片隅に余興として記された、漫画の世界観を用いた小説を読んだ時です。(百巻を越える膨大な単行本の中の、比較的初期の巻で読めたと思います。)
作者ご本人が書いたものなのか、アシスタントさんが書いたものなのかは分かりませんが、これが、率直に言って、本編の漫画とは違って、面白くないのです。
笑わせようとしているのは伝わってくるのですが、その笑わせ方が類型的で単純なのと、「小説ってこんな感じですよね。」という、侮った気分が感じられるので、文芸を尊ぶ者としてつい厳しい目で読んでしまって、楽しむことができないのです。(ジョークで書いてあるのだから、質の高さを求める方が野暮なのかもしれませんけれど。)
でも、この内容を、もし漫画で表現したとしたら、わりと面白いと感じるものができるのではないか、とも思いました。
どうして小説として読むと面白くない内容が、漫画にすると面白くできると思うのか。
それは、漫画には絵があって、文章で面白くできない部分でも、絵で楽しませることができるからです。
ここが、漫画という表現の便利な点であり、また、ごまかしが利くという点で危ういところでもあります。
危ういというのは、内容の薄さが問われにくい事から来る質の低下を招きやすい、という意味です。
反対に、漫画を小説にする時には、絵によってごまかされていた本当の質が露わになるという点で、難しさがあると思います。
商業作品ではよく見られる、ノベライズというメディア展開の手法ですが、原作をよく知っている人が小説化された作品を読むと、漫画の特徴や持ち味が上手く活かされていないな、と感じる事も少なくないのではないでしょうか。これは、小説としての質を確保するために、漫画には描かれていない部分を、原作者以外の人が考えて補った事から来る違和感だろうと思います。
同じ理由から、小説の漫画化は、漫画の小説化よりも違和感を少なくできる、とも言えます。
絵を原作の世界観に沿わせれば、読者は内容の不足にある程度目をつぶって、絵の魅力の方に力点を置いて作品を楽しんでくれるからです。
では、映画ではどうでしょう。
ノベライズには、映画からの小説化、という意味も含まれています。読んだ冊数はそれほど多くないものの、私が今までに読んだ限りでは、映画のノベライズ作品には、シナリオを読んでいるような独特な味わいを感じるものが多いです。
映画自体、二時間程度に収まり、かつ、観客に飽きさせないようにテンポよく観られるように作られているので、その内容を小説に書き起こそうとすると、たとえ情報の不足した個所を補っても、全体的に見てシナリオ的な、切り詰めた感じが露わになるのだろうと思います。
小説からの映画化でもそれは同様で、二時間程度の枠に都合よく収まるように、大抵は切り詰めた感じになりますが(原作が短編の場合は、脚本家が量の不足を補う事になりますが、通常は中、長編の小説から原作が選ばれるようです。)、情報量が多い分、時間内で許される限り原作に忠実な内容にしようと思えば、できるというメリットもあります。
映画化が漫画化と違うのは、原作となる小説自体の質が、より鑑賞者から問われる、という点です。
小説の漫画化について論じた時には、絵の魅力によるごまかしが利く、と述べましたが、映像(画)で表わされるという点で、その条件と似ているように思える小説の映画化では、不思議な事に、小説の文章の質によって覆われていた作品の脚本的な優劣が、映像として見る事で露わになる、という現象が起こります。
つまり、小説を読んだ時に感じられた充実感が、作者の文章力によるものに偏っていた場合に、映像化することで、そのシナリオ面での内容の乏しさが浮き彫りになってしまう事がある、という事です。
絵で作品の質を補っていた漫画についても、実写で映画化されると、同じようにシナリオ面での粗が目立つことになります。それをカバーするために、脚本家や監督が原作になかった要素を加える事で、ますます内容が原作から遠ざかってしまう、という悪循環に陥てしまった作品も少なくありません。
一方、アニメ化については、小説を原作とした場合も、漫画を原作とした場合も、絵の魅力を確保した限りにおいて、成功する例が多いようです。
これは、小説の漫画化と同様、鑑賞者が内容の不足よりも、絵やアニメーションの魅力に鑑賞の力点を置くことから来る現象であろうと思われます。