裏第15回 美猫の猫子さんと四大精霊 (作:古寺猫子)
皆様、次第に秋めいて参りましたが、お元気にお過ごしでしょうか。
美猫の古寺猫子です。(←私のプロフィールについては、毎回説明するのが億劫になったので、第7回、第11回、のコラムをご参照下さいませ。)
あのね、私、実を言うと、第7回と、第11回のコラムに登場したので、次は第15回のコラムに登場しようと、心に決めていたんですよ。ほら、そうすれば、「四回に一回の登場ペースを守っているね。」っていう事になるでしょう?そうすると、「コラムのレギュラーらしいね。」って、いう事になるでしょう?「偉いね。頑張ったね。」って、皆さんに、言ってもらえるでしょう?
だけどね、一生けんめい登場の準備をしている間に、なんと、Kobitoさんが第15回のコラムを、投稿しちゃったんですよ。しかも、それが、前篇、後篇と、二回に分けたコラムだったんですよ。つまり、私が次に登場する機会が、相当先になっちゃったわけなんです。私の気持ち、皆さんなら、察して下さいますよね。
ええ、だからね、今日は、Kobitoさんに内緒でね、第15回のコラムに、『裏』っていう舞台を作らせて頂いてね、そこに、こっそり、登場させて頂くことにしたんです。
どうして、そこまでして、早く登場したかったか、って言うとね、実は私、初めて自分で、文芸作品を、書いてみたんですよ。
初めて書いたにしては、超大作なんですけどね、どうして急にそんな大それたことをしたかと言うとね、皆さんが、物語を書く事を楽しんでおられるのを見ていて、私も無性に、仲間入りがしたくなった、というわけなんですよ。それで、一週間くらい前から、Kobitoさん家の屋根裏部屋にこもって、寝る間も惜しんで、一心不乱に書き続けたわけなんです。(文章は、不器用な私でも使える、キーの大きなタイプライターで打ちました。先週、宮崎の父から、クロネコヤマトの着払い(Kobitoさん宛て)で、送ってもらっていたんです。)
するとね、おかげさまで、誰がどう見ても傑作、と言える戯曲が書けたんですよ。
だから、どうしても、早く皆さんに、読んで頂きたかったんです。
ちなみに、戯曲というのは、舞台で演じられることを想定して書かれた文芸作品の事だそうです。
戯曲と台本の違いですか?私には分からないので、Kobitoさんに聞いて下さい。
この作品、実は、実話なんですよ。
Kobitoさんが、私の思い出話を信用してくれないので、証拠を探していた所から、物語は始まります。
ゴソゴソ
ガサゴソ……
猫子「あった、あった。やっぱりここだったわ。」
猫子、押し入れからかわいいお尻を突き出して出て来る。
一冊の分厚いアルバムを手にしている。
ほこりを払って、表紙に記された文字を読む。
猫子「1832年3月22日、ザルツブルク、聖セバスチャン教会にて……。もう百八十年も前の事になるのねぇ。」
アルバムをちゃぶ台の上で優雅に広げる。
猫子「よかった。所々かすれてしまっているけれど、まだ何が写ってるか分かるわ。」
ページを繰り、一枚の写真を指さしながら、懐かしそうに、
猫子「そうそう、この時、グノームさんは、『あと何年じっとしてなきゃいかんのだ。』って言ったのよ。それでみんな笑ってしまって、こんなブレブレの写真になってしまったのよ。ウフフ。みんなどうしているかしら……。」
猫子は頬杖をついて、在りし日の情景に思いをはせる。夢見るような潤んだ瞳。窓から差す夕日を浴びた横顔は、どこまでも愁いを帯びて美しい……。
1832年3月22日 ザルツブルク、聖セバスチャン教会の主聖堂。大きな高窓から差し込んだ飴色の夕日が、長椅子が並ぶ室内の壁を斜めに照らしている。
四人の精霊が、長椅子の背に座ったり、肘掛けに頬杖をついたりして、めいめいにくつろいだ様子で過ごしている。
燃えるように紅い透き通った衣を着たサラマンデル。
冷ややかな水色の透き通った衣を着たウンディーネ。
清らかな白色の透き通った衣を来たシルフ。
野暮ったい茶色の麻衣を着たグノーム
世間話の最中らしく、身振り手振りを交えながら、時折立ち上がる者もいるなど、にぎやかに話し込んでいる。
グノーム「だからさ、わしは言ってやったのよ。『お前さんは精霊の事に掛けちゃ第一人者かも知れないが、わしはその精霊本人なんだから、わしの言っている事の方が正しいに決まっているんだ。』とね。」
ウンディーネ「そしたら、パラケルススは何て?」
グノーム「『お前さんが標準的な精霊じゃなかったら、お前さんの言い分もグノーム全体を代表する内容にはなり得ないだろう。そしてわしには、お前さんがとても奇妙なグノームに見える!』だと!」
一同「あははは!」「そりゃいいや。」「一理あるね。」
グノーム「専門家ってのはどうしてああ、ワインボトルのコルクよろしく、自分の考えにすっぽりはまり込んじまうだろう。あれがなきゃ、あの人も精霊学者としてひとかどの成功を収められただろうに。」
サラマンデル「精霊学だけじゃない。医学だって、錬金術だって、あの人にはかまどの火みたいに熱い情熱や、鍋で煮立ったグーラッシュみたいに、ふんだんな知識があったんだから、邪魔する者さえいなければ、大成する見込みがあったのさ。こうと信じた一本道を、どこまでも突き進んで行く、偏屈というやっかい者さえいなければね。そんなドクニンジンを、わざわざ自分で加えちまったせいで、せっかくの美味しい料理も台無しになっちまったってわけ。」
一同は「その通り!なんて下手くそな料理人!」と叫び、好き勝手に笑いざわめき跳びはねる。
猫子、主聖堂の入り口の扉を開けて室内をのぞき込む。
一同騒ぎを止めて、猫子に注目する。
猫子「こんばんは。」
一同「グーテン・アーベント。」
猫子「あの、ここは聖セバスチャン教会でしょうか?」
グノーム「さよう。」
猫子「聖セバスチャン墓地のある?」
シルフ「聖セバスチャン墓地のない聖セバスチャン教会なんて、グロースグロックナー山のないオーストリアみたいなもんだ。」
「ごもっとも!」「やんや!やんや!」一同はやし立てながら笑い跳びはねる。
騒ぎが収まってから、
ウンディーネ「モーツァルトのご実家のお墓参りですか。」
猫子「あら、ここにはモーツァルトさんのお墓もあるんですね。」
ウンディーネ「いいえ。あるのはご実家のお墓だけです。」
猫子「じゃあ、そちらへのお参りは今日は止しときましょう。」
ウンディーネ「どなたのお墓参りですの。」
猫子「パラケルススさんの。」
一同「パラケルスス!」
サラマンデル「あたし達、今ちょうどそのパラケルススの話をしてたとこさ。」
シルフ「恐るべき偶然!」
猫子「まあ、どうりで、皆さん妖精さんのような派手な恰好をしていらっしゃる。」
「こっちへおいで。」「チッ、チッ、チッ。」、一同、猫なで声で手招きしたり、衣のひだをひらひらさせて、猫子を誘い込む。
猫子、じゃらされながら機嫌よく長椅子の肘掛けに腰かける。
サラマンデル「しかし、三百年も前に死んだパラケルススの墓参りとは、奇特な猫もいたもんだ。」
猫子「ええ。神秘学の一大権威ですからね。欧州に来たら、日本のお化け代表として、一度はお参りしたいと思っていたのです。」
シルフ「君、日本から来たの。」
猫子「ええ。長崎の出島に居られたシーボルトさんというお医者様のつてをたどって、オランダの貿易船に紛れ込んで密航したのです。」
グノーム「日本の猫は、みんなお前さんのように、二本足で歩いたり、人間の言葉をしゃべったりするのかい。」
猫子「いえいえ。私、標準的な猫とは違うんですよ。まあ一言で言うとパラケルススさんのご本にある精霊さんのような神秘的な存在です。」
ウンディーネ「じゃあ、私たちの仲間ですね。」
猫子「えっ。じゃあ、皆さんは、本物の四大精霊さんなんですか?私、てっきり妖精愛好家の仮装パーティーだと思っていたんですが……。」
シルフが空を飛んでみせて、「妖精愛好家にこんな真似ができるかい。」
猫子「じゃあ、あなたは風の精霊のシルフさん?」
「そうさ。」とシルフが笑ってうなずく。
ウンディーネが両手をかかげて「雨よ降れ。」と唱える。猫子の上だけに雨粒が落ちてくる。
ウンディーネ「おほほほ。」
猫子「冷たい!」長椅子の下に逃げ込んで、「じゃあ、あなたは水の精霊のウンディーネさん?」
ウンディーネ「そうですわ。」
サラマンデルが両手に火の玉を持って猫子の尻尾をあぶりながら、「ほーらお次は火の玉だ。」
猫子、「あっちっち!」長椅子の下から飛び出して、フーフー尻尾に息を吹きかけながら、「あなたは火の精霊のサラマンデルさん!?」
サラマンデル「ご名答!」
猫子、期待の眼差しでグノームの方を見つめる。
グノーム「わしは別に何にもないよ。」
猫子「あ、そうなんですか。じゃあ、残りの地の精霊グノームさんですね。」
グノーム「うむ。」
猫子「いやあ。まさか本物の精霊さん達に会えるなんて、これも偉大なパラケルススさんのお導きですね。私、パラケルススさんの『妖精の書』を読んで以来、皆さんの大ファンなんですよ。」
シルフ「そいつは嬉しいね。」
サラマンデル「ワインボトルのコルクだの、ドクニンジンだの、さんざん悪口を言った後だから気まずいやな。」
ウンディーネ「実を言いますと、私たちも、今日はパラケルススさんの没後、だいたい三百年という事で、彼の思い出話を語り合おうって事で、集まったんですよ。偏屈なところはあったけれど、私たちの存在を世に知らしめてくれた恩のあるお方ですからね。それで、ええと……。」
ウンディーネが猫子を手のひらで示す。
猫子「私、猫子です。よろしくお願いします。」
ウンディーネ「よろしくね、猫子ちゃん。それで、こういう会を催したところが、猫子ちゃんが現れたものだから、私たちもひどく感動しているの。この嬉しさといったら、ねえ、分かって頂けるかしら。」
猫子「ええ、ええ。分かりますとも!まさに神秘です!」
グノーム「まあ、わしらも暇だから、しょっちゅう集まってパラケルススの話はしてたんだがね。」
猫子「あらら、そうなんですか。じゃあ神秘でも何でもないですね。」
ウンディーネ「ところがどっこい、この聖セバスチャン教会に私たちが集うのは、じつに十五年ぶりなんですからね。そこにパラケルススさんのお墓参りに来た猫子ちゃんが現れたというのは、本当に驚くべき事なんですよ。」
猫子「じゃあやっぱり神秘じゃないですか!」
グノーム「まあな。」
グノームが猫子の持っている大きな木箱を指さす。
グノーム「その木箱は何だね。」
猫子「ああ、これですか。これはダゲレオタイプってもんです。この穴から光を入れると、目の前の景色をそっくりそのまま金属板に写し取ることができるんです。まだ試作品なんですが、フランスで私がお世話になった発明家のダゲールさんから、こっそり頂戴したものです。」
グノーム「原理は?」
猫子、ポシェットから取扱説明書を取り出す。
猫子「ちょっと待って下さいね。マニュアルを読みますから。……ええと、〝銀メッキ銅版をヨウ素蒸気にさらす。その板を露光させると、光が当たった所だけに像が記録される。それを水銀蒸気にさらすことで像が浮かび上がる〟、という仕組みだそうです。」
グノーム「面白いな。しかし、それだと露光時間がかかり過ぎやせんかね。」
猫子「そうなんです。写される人は二十分くらいじいっとしてなきゃいけません。かなり苦痛です。」
グノーム「それなら、銀メッキ銅版をガラス板にして、それにヨウ化物のコロジオンと硝酸銀溶液を塗ってやったらどうかね。上手く行けば、数秒の露光で像が写せるようになるかもしれんぞ。」
一同「ほう。」
猫子「そうなんですか。じゃあ、もっと良いのを、グノームさんが作ってみて、ダゲールさんに作り方を教えてあげて下さいよ。パリの住所を教えますから。これ取扱いが難しいし、画像を定着するのもむやみに手間がかかるんです。」
グノーム「ああ、家に帰ったらさっそく試作品を作ってみよう。」
シルフ「そんな面白い機械なら、僕らも記念に写してもらおうよ。」
ウンディーネ「あら、良いですわね。」
サラマンデル「あたしも写りたい。」
グノーム「わしも。」
猫子「まあ、良いんですか。じゃあ、私も混ぜて頂いて、みんなで集合写真を撮りましょう。今日ここに来て本当によかった!」
猫子、部屋のすみからろうそく立てを三本持って来る。
「これを三脚代わりに使わせてもらいましょう。」
ろうそく立てを長椅子の上に置き、その上にダゲレオタイプを固定する。
猫子「いいですか、このレンズの正面に集まって下さい。」
全員がダゲレオタイプのすぐ目の前にひしめくようにして立つ。
猫子「そこまで近づかなくても大丈夫です。あの長椅子のあたりがちょうど良いでしょう。そうそう。サラマンデルさん、もう少し左に寄って下さい。ウンディーネさん、とっても良い表情。シルフさん、粋なポーズですね。グノームさん、取扱説明書は後で読んで下さい。では、行きますよ。露光を始めて、二十分間、動いてはだめですよ。せーのー、はい!」
ダゲレオタイプのレンズのふたを外して、猫子も急いでみんなの所へ走って行って、空いた所に腰を下ろす。
一分経過
シルフ「そろそろ五分くらい経ったかな?」
サラマンデル「まだ一分くらいだろ。」
シルフ「二十分って、意外と長いもんだね。」
十分経過
シルフ「なまじ凝ったポーズをとったものだから、腰が痛くなってきた。」
サラマンデル「馬鹿だな。格好つけるからだよ。」
シルフ「世界で初めて、精霊の姿が記録されるんだぞ。風の精霊の代表として、格好良く決めたいっていう心意気じゃないか。」
サラマンデル「じゃあ我慢しろ。」
グノーム「おい猫子ちゃんや、シルフはあと何年じっとしてなきゃいかんのだ。このままじゃ、世界初の腰痛持ちの精霊になっちまうぞ。」
一同笑って、身体を動かしてしまう。
猫子「ああ!皆さんまだ動いちゃだめですよ。急いで元の姿勢に戻って下さい。」
シルフ「どんなポーズだったっけ?こうかな?」
シルフ、さっきとは少し違うポーズをとる。
二十分経過
猫子「そろそろいいでしょう。皆さんお疲れ様でした!」
猫子がダゲレオタイプのレンズのふたを閉める。
一同「うーん。」「やれやれ。」「やっと終わった。」などとつぶやきながら、伸びをしたりあくびをしたりする。
シルフは腰をさすっている。
シルフ「僕以外はきっとあまり疲れていないな。」
ウンディーネ「そうでもないですよ。じっとしているってこんなに疲れるものなんだと初めて知りました。」
サラマンデル「あたしも疲れたぞ。」
グノーム「おい猫子ちゃんや、写した画像はいつ見られるんだね。」
猫子「宿に現像道具一式を置いてありますから、そうですね、三日後にもう一度ここに集まって頂ければ、現像して定着した写真をお見せできますわ。」
グノーム「楽しみだな。やはり、最新鋭の機械というものは、真っ先に体験してみるもんだわい。」
サラマンデル「グノームはつくづく機械マニアだな。」
ウンディーネ「私も、先日壊れて使えなくなった万華鏡を、グノームさんに修理して頂いたんですのよ。」
シルフ「万華鏡って機械かな。あ、じゃあ、僕のお気に入りの椅子も、ぐらぐらするから直してもらおう。」
グノーム「なんじゃなんじゃ。わしゃ便利屋じゃないぞ。」
一同笑いに包まれる。
猫子の回想が淡く遠のき、現在の夕暮れの部屋で、猫子が微笑を湛えながら、静かにアルバムと向き合っている。
「出会いってね、神秘なんですよ。」
猫子が誰にともなくつぶやく。
猫子が見ている写真には、ぼやけてはいるものの、あの教会の主聖堂の、夕暮れ時に出会った精霊たちが、猫子と並んで写っている。
ウンディーネはおだやかに、サラマンデルは勝気そうに、グノームは興味深そうに、こちらをじっと見つめている。
シルフも像が二つにぶれてしまっているものの、甘く端正な顔立ちは見てとれる。
猫子はそっと写真を裏返す。
そこには、1832年3月22日の日付とともに、精霊たちのサインとメッセージが記されている。
サラマンデル
〝写真ありがとな。〟
ウンディーネ
〝可愛い日本の猫ちゃんとの出会いに感謝。〟
シルフ
〝僕だけ写りが悪かったので、いつか撮り直しに来て下さい。〟
グノーム
〝現像は硫酸第一鉄溶液を用い、定着はシアン化カリウム溶液を用いる。プリント方法は現在思案中。〟
猫子はまた丁寧に写真をアルバムに戻し、ページを閉じる。
鏡の前で髪を梳き身支度を整える。
「さて、現代の精霊君にもお見せしますかな。」
アルバムを小脇に抱えた猫子は、ほがらかにそう独り言を言うと、西日の差し込む玄関を開けて、軽い足取りで飴色の通りに歩み出す。
完