第10回 バッハの音楽の魅力
今回は、『音楽』について、語ってみようと思います。
古い時代の音楽は、当時の時代背景も踏まえて聴くと、よりいっそう楽しめます。
音楽史の初めの頃には、響きのよい楽器、正確な音階を安定して奏でられる楽器が、少なかったことでしょう。そこから次第に、楽器の性能が向上し、種類も豊富になってきて、現在に至っているわけですから、道具の面では、昔と比べて非常な進歩を遂げていると言えます。
私が好きな音楽家の中で、一番古い時代の人は、ヨハン・セバスチャン・バッハです。
彼が現役の作曲家だった頃(1700年代)の楽器は、弦楽器などですでに現代に近い形にまで改良がなされていた物もありましたが(ヴァイオリンの名器『ストラディバリウス』の製作者であるアントニオ・ストラディバリはこの時代の人です)、鍵盤楽器、木管楽器、金管楽器など、まだ発展途上の楽器も多々あり、それらを総じて、今では『古楽器』という名称で呼ぶようになっています。
つまり、バッハは、音量が小さく、音の線が細く、安定した演奏の難しい楽器も含む編成によって演奏されることを前提にして、音楽を作曲していた事になります。
そうなると、作曲する上でも、多くの制約があったのではないかと思うんですが、不思議な事に、バッハの音楽を現代楽器の演奏で聴いた場合にも、そういった制約を感じることは全くありません。
バッハが、将来的な楽器の性能の進歩を踏まえて作曲していたのかは、今では知るよしもありませんが、私は、彼が当時存在した性能の低い楽器だけに向けて作曲していたのではなく、『自分の頭の中で鳴っている美しい音楽を、楽器の性能の制約を踏まえずに譜面に書き起こそう』とする姿勢があったのではないか、と考えています。
なぜそう思うかというと、バッハの譜面には、演奏楽器を指定していないものが多く、それゆえ、今でも、多くの曲が、特定の楽器にとらわれずに様々な楽器で奏でられているからです。
バッハの曲を奏でるための最上の楽器は、バッハ自身の手で作れなかったでしょうし、バッハ亡き今では、彼が望んでいた音色を知るすべもありませんから、次善の方法は、演奏者それぞれが、自分の時代に存在するふさわしいと思われる楽器を用いて演奏する、という事になるのではないかと思います。
そしてそれは、ある程度成果を上げていると思います。
また、バッハの曲の中には、演奏楽器を指定しているものもあるのですが、面白い事に、『2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏(一般的には『ゴルトベルク変奏曲』という名前で知られています)』という表題のある作品を、グレン・グルードが現代ピアノで弾いた演奏(1955年録音)を聴くと、チェンバロよりも現代ピアノこそがこの曲の演奏にふさわしい音色なのではないか、という印象を受けます。
もし、作品に演奏楽器の指定があったとしても、それがバッハの理想の楽器ではなく、あくまでも当時存在した古楽器の範疇で選択されたものに過ぎない、暫定的な楽器指定だったとしたら、バッハの音楽は、総じて、より適すると思われる楽器が将来的に現れるかもしれない、『未完成性』を秘めているという事が言えると思います。
バッハの音楽がいつまでも古びずに、探求され、再演され、古楽器や現代楽器で様々に試演され続けているのも、そういった現在進行形の魅力があるからではないでしょうか。




