第1回 物語における『涙』と『死』の効用と弊害について
まず初めに、多くの物語の主要な目的である『感動』について論じてみます。
私が物語を書く上で、意識して極力用いるのを避けようとしているものがあります。
それは『涙』と『死』です。
この二つは、読み手を最も簡単に感動させることができるという点で、たいへん便利なツール(道具・方法)です。
たとえばこうです。
長年女に仕えた男が死期を迎える。
男から女への惜別の言葉。
男の死。
死別によってはじめて男を愛していたことを悟る女。
涙にくれる女。
この箇条書きを読んだだけで、感動してしまう人もいるかもしれません。
そこが、書き手としては、たいへん便利な所なのです。
極端な話、この二つのツールを、物語に組み込んでおけば、たとえ手を抜いて書いた作品でも、少なからぬ読み手を感動させる事ができるからです。
そして、この『涙』と『死』というツールは、バリエーションが豊富なので、比較的簡単に、全く異なる複数の作品に仕立て直す事もできます。
バリエーションには、
失恋
不遇
貧しさ
敗北
喪失
寿命
病気
事故
災害
などがあります。
他にも、
幸運
愛
友情
勝利
成功
願望の成就
など、良い事柄でのバリエーションも考えられます。
たとえば、『涙』を友情、『死』を敗北のバリエーションで、物語を構成した場合、
ライバルとの勝負に敗北した男が瀕死の状態になる。
男からライバルへの感謝の言葉。
男の死。
ライバルは男の死によってはじめて男がかけがえのない親友であったことを悟る。
涙にくれるライバル。
という筋書きになります。
でも、基本が『涙』と『死』という場面に重点を置いた感動の喚起である以上、どういう条件の組み合わせを用いようとも、物語の本質としては大きな違いはないという事になります。
(上の二つの例文を比べると、違いはあくまでも設定上や出来事の内容上のもので、展開の構造上はほとんど同じだ、という事が見てとれると思います。)
同じツールを用いても、書き手の技量によって、作品の深みは全く異なって来るので、この二つのツールを用いたからと言って、全ての作品が、単純な感動させる機能を持った作品と断ずる事ができるわけではありません。
ただ、この二つのツールの、読み手を容易に感動させることができる便利さが、書き手に一種の満足感を与え、それ以上の深みを追求する姿勢を失わせる恐れがある、ということは、心に留めておく必要があると思います。
私が『涙』と『死』を、できるだけ回避する作品作りに取り組んでいるのも、マンネリ化や類型化から逃れて、新鮮な、個性のある作品を作って行きたい、という創作上の理念が根っこにあるからです。