リゲル(巨人の左足)
翌日の日曜日。
私は髪をブローし、念入りに化粧をした。
アイメイクを勉強して、アイラインをひくと、我ながらいい感じだと思った。
足首までのブラウン系のエスニック風ワンピースを来て、私はふと思った。
マニキュア、買いにいこう!
私は設計士で、CADを操作しなきゃならないから、爪はあまり伸ばせないし、付け爪も仕事に支障が出る。
けど、マニキュアを塗るだけなら全然問題ない。
お腹も空いたし、出掛けよう。
時計を見れば午前九時を過ぎたところだった。
……今日こそ、アイツと出会わないようにしなきゃ。
私は神崎愛児との出来事を思い出しながら頭をぶんぶんと振った。
……忘れよう。
アイツは多分、女に見境がないんだ。
だから、ダサくても女子力低すぎても、狙える獲物はなんでも狙うんだ。
ハイエナ並みに意地汚い……いや、ハイエナがどんなだか、イマイチ分からんが。
とにかく、関わるのはよそう。
私は、あーゆー男じゃない男を探すんだ。
とにかく、女子力を上げる。
ダサくない女になろう。
……なら、外食しないで炊事?
ほら、彼氏に手作りご飯とか。
私はドアに鍵をかけながら、彼氏に手作りご飯をご馳走している未来を想像した。
『乃愛の手料理、凄く美味しいよ』
『俺のために料理を頑張ってくれるなんて。乃愛、愛してるよ』
とか、言われたりして!
いやーん、嬉しいかも、嬉しいかもっ!
「なに、ニヤニヤしてんだよ」
「うわあっ!」
しまった、自分の世界に入りすぎて、隣の気配を窺うの、すっかり忘れてたじゃん!
もおーっ、なんなのよ、全くっ!
私は眉を寄せた。
「こんないい男と鉢合わせして、舌打ちすんじゃねーよ、失礼な女だな」
私は愛児を一瞬だけ見ると、無言でその場を離れた。
「おい、無視かよ」
そう、無視。
エレベーターのドアの前で愛児が私に追い付いた。
「もしかして、今から飯?」
「だったらなに?」
「一緒に行こーぜ」
「やだ」
「なんで?」
「キスされるしベッドに誘われるし、ダサい女とか、女子力低すぎとか言われるのが嫌だから」
チラッと愛児を見ると、彼は私を見つめていた。
「……」
「……なに?」
愛児の瞳が揺れた気がした。
「なによ」
「……もうしないし、言わないから」
エレベーターの扉が開いた。
「なにしてんの、早く乗ってよ」
私がそう言うと、愛児は我に返ったように乗り込んできた。
「なあ、もうしないから飯食いに行こう」
私は愛児を見つめた。
「大体さ、あんた、イケメンだし、女に不自由してないでしょ。他の人と行けば?
私ね、今日はマニキュア買って、それから食材調達して自炊するの」
「自炊?」
「そ。料理を勉強するんだ。未来の彼のために」
エレベーターが一階につき、私は歩き始めた。
「いー事考えた。俺が教えてやるよ、料理」
私はピタリと足を止めた。
「俺、料理めちゃくちゃ得意なんだ。特別に無料で教えてやる」
……それはすっごく魅力的な話だ。
そして無料。
「しかも、男の俺なら、男に喜ばれる料理を教えてやれる」
うーっ、いい話だ。
でも……。
「私の事、虐めたりしない?」
愛児は、瞳に力を込めて私を見つめた。
「絶対、虐めない」
「本当に料理得意?本当に無料?」
「得意だし無料」
「週に何度?」
「何度でも」
私は迷った挙げ句に頷いた。
「じゃあ、教えてもらおうかな」
「……っ!」
愛児がギュッと眼を閉じて、小さく拳を握った。
んっ!?なに、今のガッツポーズは。
私が眉を寄せて見ていたら、ギクリとしたように愛児が口を開いた。
「大きな意味はないぞ!『何かにつけて女に断られない記録』を更新した喜びを表したまでだ」
「はー?何でもいーわ」
「ほら、行くぞ乃愛」
「年下のクセに」
「ばーか!俺は先生だぞ」
「…………」
★★★★
愛児が言う通りの食材を選び、私達はマンションに着いた。
「俺の部屋で作ろうぜ」
「それは悪いよ。光熱費上がるし。私の部屋でいいよ」
私が愛児を見ながらそう言うと、彼は軽く頷いた。
「分かった」
「先生、何を作るんですか?」
私がそう言うと、愛児は驚いた顔をして手を止めた。
「先生?」
「先生って呼ぶな」
「え?どうして?!」
「愛児って呼べ。じゃないと教えない」
……めんどくさ。
私は内心そう思ったけど、素直に愛児と呼んだ。
愛児は、ニコッと笑った。
その途端、私の心臓はバクバクと煩く響き始める。
なに?!
イケメンの笑顔って、心臓によくない、反則だよ、反則!
★★★★
愛児に、出汁の取り方を習い、私はお味噌汁の美味しさに感動した。
朝食を食べた後、唐揚げの仕込み方を習った。
「こうして、タレに漬け込んで数時間寝かしておく。で、食べる前に片栗粉、卵、水で作った液に付けて揚げる」
「はい」
仕込みを終えてキッチンを片付けると、愛児は私の部屋を見回した。
「……想像より綺麗にしてる」
「ありがと」
「お前、これからどーすんの?」
時計を見ると昼前だった。
「朝御飯遅かったから、お腹すいてないしなー」
あっ!
私は愛児を見つめて言った。
「……あのさ、タダで教えてもらうお返しに、何か私に出来る事、ない?掃除機かけるとか、窓拭きとか……」
愛児は、微かに眼を細めて眩しそうな顔で私を見た。
「じゃあさ」
「うん」
「今から俺の部屋、来て」
「変なことしないなら、いいけど」
「自意識過剰かよ」
「なによ、キスしたくせに」
「お前だって抱き付いてきたじゃねーか」
「だって……」
「だって、なに?」
愛児が甘く笑った。
「多分、酔ってて」
「……いーから、来いよ」
「うん」
胸がドキドキするんだけど。
いや、分かってる。
愛児は、私に何の感情もないって。
だって私はダサい女だから。
部屋から出たところで、私は思いがけない人に出会った。
「乃愛ちゃん」
「……山城さん!……どうして!?」
山城さんは、ニコッと笑った。
「親友がこのマンションに住んでるんだ。あ……と、こちらは?」
山城さんが、愛児に眼を向けて少し頭を下げた。
「お隣さんです。今日から料理を教えてもらう事になって、たった今、唐揚げの仕込みが終わったんです」
愛児は、唇を引き結んで山城さんを見つめた。
山城さんは、フワリと笑った。
「乃愛は、料理苦手なの?俺が教えてあげようか?これでも飲食店のオーナーだし」
「え、料理得意なんですか?」
「昔は自分で料理を出してたんだよ」
「へえ!凄いですね!」
私が驚くと、山城さんが私に近づいて手を伸ばした。
手の甲で優しく私の頬を撫でると、白い歯を見せて笑った。
「今度、俺の家に招待するよ。手料理を御馳走するから」
「はい!」
「じゃあね。近々電話する」
私は山城さんに手を振った。
……料理の出来る男って、いいな。
うん、いいわ。
「おい、行くぞ」
愛児の声が頭上で響き、私は我にかえって返事をした。
玄関を開けながら、愛児が私にムッとしたまま問いかけた。
「今の奴かよ。この間声かけられて一緒に飲んだ奴って」