ベテルギウス(わきの下)
重い気分のまま夕飯を食べに出掛けた。
………居酒屋に行きたかったのになあ。
まだ、開いてない。
仕方なく私は、噴水の前のベンチに腰を下ろした。
ちょっとした憩いの場のようなそこは、カップルが何組かいて、楽しそうにはなしをしていた。
いーなあ。
私今、二十九歳だよ?
来年、三十歳だよ。
大体さ、二、三年付き合ってから結婚するとして、新婚生活を二人だけで一年味わったとする。
その後すぐに妊娠できたとしても初産が三十四歳か、三十五歳くらいになる。
そう思った時、私は背筋が凍る思いがした。
ヤバイ、居酒屋で飲んでる場合じゃない。
私は回れ右をして、全速力でマンションへと帰った。
着くなりpcから、お見合いサイトへ登録。
待ってられないわ、三ヶ月後の菜穂の結婚式の二次会!
登録完了し、ホッとひと息着くと、グーッとお腹が鳴った。
時計を見ると五時半。
居酒屋、開いたな!
私は意気揚々と玄関を出た。
今出来ることをしたら安心して、私は居酒屋で独りだけの宴を開いた。
個室だったし、誰の目にも触れなかったけど、最後の最後で店のオーナーだという男性に声をかけられた。
彼は照れながらこう言った。
「あの、もしよかったら、僕と少しだけ話をしてもらえませんか?」
私は驚いて彼に尋ねた。
「あの、私でいいんですか?」
彼は私の眼を真っ直ぐに見た。
「あなたがいいんです」
胸が軋んだ。
頷いて彼を見ると、彼は大きな口を目一杯開けて笑った。
「やったあ!」
私はマジマジと彼を見つめた。
一見、怖い感じ。
男らしく整えられた眉に、奥二重の眼。
色黒で、野性的な大きな口。
逞しい体つき。
嫌いではない。
「少しだけ待っててもらえますか?」
「はい、わかりました」
こんなの、初めてだ。
やっぱ、外見って、大事なんだな。
私は、身なりを綺麗にした今日を嬉しく思った。
会計を済ませて店の外で待っていると、彼が小走りでやってきた。
「時間を作ってくれてありがとう。僕、山城優馬です」
「神崎乃愛です」
「のあ?!可愛い名前」
私は恥ずかしくて俯いた。
「乃愛ちゃん、俺と少しだけ、飲まない?」
「……はい、喜んで……」
私達は近くのショットバーに入った。
見つめ合う度に気恥ずかしくて互いに照れ笑いをした。
★★★★★★
山城さんとは、電話番号を交換してビールを二杯飲んで別れた。
素直に楽しかったんだけど、自分の部屋の前に着いたと同時に息が止まりそうになった。
……私の玄関ドアの前に、愛児が立っていたから。
カツンと靴音を響かせた私に眼をやると、愛児は私を凝視した。
私は愛児を見て口を開いた。
「なに?まだ虐め足りないの?」
愛児はきつく眉を寄せた。
「……そうじゃない」
私はドアに立ち塞がる愛児の体を左手で押した。
「……どいて」
瞬間、愛児は私の腕を掴んだ。
「男物の、制汗スプレーの匂いがする」
きっと、山城さんがつけていたやつだ。
私は愛児を見ずに答えた。
「あんたに関係ないでしょ」
「誰といたんだよ」
何よ、お前は私のお父さんか!
私はウンザリしながら答えた。
「居酒屋のオーナーさんが仕事上がりに誘ってくれたから、二人でショットバーに行ったの」
私は愛児を一瞥すると、玄関ドアを開けた。
「そいつと付き合うのかよ」
「どーでもいーでしょ。じゃあね」
じゃあね、じゃなかった。
私が開けたドアから、続けて愛児も入ってきたから。
「なっ、ちょっとっ!」
愛児は後ろ手に素早く鍵をかけると、自分とドアの間に私を囲った。
驚いて息を飲む私を、愛児は至近距離から冷たく見下ろす。
「そいつの事、気に入ったのかよ」
「気に入らなきゃ行かないわよ」
愛児がチッと舌打ちした。
「マジ苛つく」
言うなり愛児は私の後頭部を片手で掴み、グイッと引き寄せた。
「……っん」
ぎゃああ、なにすんのーっ!!
噛みつくように唇を寄せてキスをしてきたから、私はポカポカと愛児の固い腕を殴った。
少しだけ唇を離すと、愛児は殆んど息だけの声で囁いた。
「暴れんな」
「……っ!」
愛児は、私の二の腕を片腕で封じた。
彼はキスを止めない。
噛みつくようなキスは甘いキスに変わった。
やがて誘うような舌の動きに、私は眼を閉じた。
だって、もう、何も考えられなくなってしまったから。
まるで意味が分からない。
隣のイケメンに、こんな風にキスをされるわけも。
全身が熱いわけも、痺れるわけも。
愛児は少しだけ顔を離して、私の眼を見つめた。
視線が絡んだ後、私は愛児の体に身を預けた。
こんなに意地悪な男なのに、どうして?
どうして私はこの意地悪な男に抱きつきたくなったのか。
ほんと、意味が分からない。
固い胸に頬を寄せて大きく息を吸い込むと、愛児の香りがして、無意識に彼の背中に手を回した。
「なあ」
「……ん?」
「俺の部屋、来いよ」
それって。
愛児の顔を見たかったのに、身をよじった私を、彼はギュッと抱きしめた。
「凄く、優しくするから」
心臓がドクンと跳ねた。
私は愛児に抱きついたままで答えた。
「ダメ」
愛児の体が僅かに動いた。
「そっか」
それからゆっくり私から離れると、愛児は鍵を開けた。
「じゃあな、乃愛」
愛児は顔を背けるようにして出ていってしまったから、私は彼の気持ちが更に分からなかった。
ただ、愛児のキスも、抱き締めてきた身体も、じゃあなと言った柔らかで優しい声も、素敵だった。
……酔ってるからだ、多分。
アイツも多分、酔ってる。
それか、仕事のストレスとかで、ダサい女を虐めたかったのか。
とにかく私達二人とも、まともじゃなかったんだ。