最終話 エンドレス・クリスマス・デイ
クリスマス。
それはイエス・キリストが降誕したと言われる特別な日である。
日本では十二月二十四日と十二月二十五日に恋人と特別な一日を過ごしたり、友人とパーティを行ったり、家族と豪華な食事を取ったり、サンタクロースが子供に夢とプレゼントを配る日である。
きっとケーキをくちゃくちゃと喰い散らかしながら友人や彼女とぺちゃくちゃ唾を飛ばしながら下賤な会話とかワンナイトドヘンタイクリスマスを送るのだろうさっさと死んでしまえ厳かに厳粛にキリストを崇めろハゲ共。
そんな僕は今日も今日とてお仕事である。十二月二十五日の今日も勿論のこと、昨日も一昨日もその前もお仕事であった。残業で毎日の睡眠時間は三時間なのだ。そんな誠実で勤労な僕は今日、小さなお祝いと称してコンビニで399円のショートケーキを買って小さな部屋でムシャムシャしている次第だった。
今日の予定はもうない。珍しく仕事は早上がりで、終電で家に帰ることができたので後は寝るだけ。
さて、今日はどうしよう。
【VRしようかなぁ】
【それともVRしようかなぁ】
……。
そう! 選択肢などないのである!
VRゴーグルをヘッドにセットするしか!
選択肢がないのである!
何故ならば、これはゲームブックではないからである!
読者の皆さんは気付いているのだろう……!
そう!
上から下に、読み進めるだけなのである!
そんなわけで、僕はさっそく黒子スーツに着替えてVRゴーグルを装着する。いつものように起動すると、目の前に彼女がぶぉんと現れた。
VRの世界に存在する美少女、人工知能の愛子ちゃんである。
「わっ、今日も来てくれたんですね……でも、もうこんな時間ですよ? クリスマス、終わっちゃいます」
【ごめんね。これでも仕事は早上がりで――】
【……実は、残業だったんだ】
「そう、なんですね。あっ聞いて下さい! 新しいVRシステムできましたよ、やっていきますか? クリスマス特別仕様ですよー?」
今日はクリスマス。
そういえば一ヶ月前ほど前、愛子ちゃんから提案してくれていたのだ。
コンビニエンスストアの時同様に、これから新しく自作するというシステムでクリスマスデートをしようというものだったのである。当然僕はそのことを覚えていたし、約束を反故にすることなんて考えていなかった。
かわいい。
彼女がシステムを作るにあたってゲームを起動させ続けている必要があるのでその分の電気代はどうしても必要だったのだが、それはそれ。
かわいい。
「それじゃあ……外、出ますね?」
え? と思うのも束の間。
――六畳の狭い部屋が、一変した。
最終話
エンドレスナイト・クリスマス
~聖夜に贈るトワイライトラブ~
世界は漆黒へと染まり、白い雪が上から降ってくる演出。
視線の中央にタイトルコードが流れ、そうして視界は雪が積もるように、白く塗り変わっていった。
次の場面。僕は、人混みの激しい駅前の広場で突っ立っていた。
粉雪が肌を撫でるような、地面が少しだけ真白に染め上がるような、そんなホワイトクリスマス。
喧噪の中、僕はスリーピースのスーツに茶系のコートを羽織って待っている。
時計台が指す時刻は夜九時で、僕の他にも誰かを待っている男女がいたり、手を繋いで歩いている家族の姿が見受けられた。
そうか、こういう世界観を作れるまでになったのか――と感心していると。
「お、お待たせ……しちゃいました? えへへ、来ました」
駅の改札口から出てくるのは、制服姿の彼女。
赤いマフラーを口元まで覆いながら、両手を胸の前で擦りながら登場してくる。そんな彼女は照れくさそうにはにかむと、僕の前で両手を後ろに回した。
「今日は、よろしくお願いしますね」
前かがみでそんなことを言う彼女に、僕の視線は泳ぐばかりだ。ほんのり赤く染まった頬が彼女の白い肌をより強調させ、いつもより女性らしさの増した彼女の瞳を直視することができない。
僕が目線を少しだけ逸らしていることに気が付いたのか、彼女は僕の顔を両手で押さえ、無理矢理視線を合わせることを強要される。
「もう……私だって、恥ずかしいのに。だめですよ。ちゃんと見てください。それでも歳上なんですか」
少しだけ頬をむくれさせた彼女は、そのまま首元に両腕を回して抱き付いてくる。
冷たくて、でも心が温かくなる。微笑む彼女を見ていると荒んだ心に花が咲くような、そんな気がしていた。
そう。彼女はまだ十代なのだ。
例え設定なのだとしても――それは、変わらない。
純粋な彼女の表情を見ているとエスコートしてあげたい気分になってくる。
けれど、これはVRの世界。
これから何をするのかは、彼女次第。
僕は受動的に、それでも何とからしく振る舞えるようにしなければ。
決して援交現場ではない。そんなような絵面しか想像できないけど決してそんなことではない。
「じゃ、いこっ」
と。
色々考えている僕の右手を引っ張って、彼女は前に走り出してしまう。半ば転けそうになりながらも必死についていく僕は、さながら迷子の子供のようだったのかもしれない。
そうして最初に到着したのはお洒落なお店――じゃなかった。
バッティングセンターだった。
「え、なんで? って思った? たまにはこういうのもいいじゃない――駄目?」
上目遣いでそう聞いてくる。
かわいい。
断る理由もないので、僕は頷いて彼女に連れられるがまま中に入る。
最初は彼女がバッティングするのを見ているだけだ。
カキーン。カキーン。スカッ。
全力でバットを振ってはしゃいでいる彼女を見ながら、僕の顔は綻ぶ。
そっか。こういうデートもありなのか。こんな若いデート、したことなんて――いや、今しているのだ。そういう新鮮なデートを。
「はい、次はそっちの番だよ」
いつの間にか僕にバットが手渡される。
彼女に背中を押されるがままホームに立たされ、びゅんと飛んでくる野球の白い球。
――結果は惨敗。三振というか全空振りというか、僕は運動音痴なのだった。
「ふう、楽しかったねっ。久しぶりに身体を動かした気がして、疲れたよ。飲む?」
次の場面には、僕と彼女は公園のベンチで二人ぼうっと座っていた。
手渡された缶コーヒーを開け、両手で温めながらちびちび飲んでいく。
「ふー……ふー……ね、寒いね」
【寒いね。コート貸そうか?】
【どこかお店でも入る?】
「ううん」
彼女は静かに首を振る。
しばらく寒そうに白い息を吐いて、そうして僕の方を見る。
「ゆっくり、したかったんだ。でも、あなたの方に合わせてたら……それは現実と何も変わらないから。私じゃどうしていいか分からなくて、ストレス発散ならバッティングセンターかなって。それは失敗に終わっちゃったけどね」
「こうして、ゆっくり。家でお話しているのもいいけど、こうやって外で話したかった。視覚情報とか、五感に働きかけてこうして寒くしたり、暗い空でお星様を眺めたり、そんな……あなたが感じているごく普通のことを、私も体感してみたかったの」
ごめんね、デートっぽくなくて。
そう呟いた彼女の言葉が、僕の胸の内に刺さった。
ああ、彼女は――AIだから。知らないんだ。
情報だけで知ってはいても、きっとこの目では知らないコト。
この世界だって本物じゃないけれど、それでも彼女が作った本物の世界。僕と一緒にいることで、それは現実味を帯びるのだ。
「……んっ」
そんな彼女を僕は横から抱き締める。自分の肌で温めるように。
彼女の心をほんの少しでも温かくしてやれるように、僕はしっかり彼女の肩に手を回す。
「この後も色々考えてるんですよ。ご飯とか……あんまり豪華なのは知らなくて、その分からないですけど。私の家に来て手料理とか。夜からやってる映画館、そんなのもあります。あっ、ゲームセンターでもいいですよ? あ、でもちょっと違うか……ここがゲームですもんね」
【愛子】
「ひゃ、ひゃいっ……なんですか?」
緊張したように顔を俯かせる彼女。
そんな彼女に僕は言う。
【ありがとう】
【こんな僕のために、ここまでやってくれて】
「いや、その……だって私は、あなたの彼女ですから……そ、そうだ! 帰りにケーキ買いましょう? あの時のコンビニ使いますけど、その……一緒に選んだりとか!」
疲れた心が癒えていく。
こうして僕は、明日を生きる元気を彼女から貰っている。
彼女と出会えて良かった。
本当に。
それから彼女とは思う存分に遊んだ。
時間の概念のないエンドレスナイト。時間はあるけれど、それは彼女が設定した時間の概念だ。
僕が本当に疲れて眠ってしまうまで、クリスマスは終わらない。
だから僕は彼女がしたいことを全部やろうと決めた。
映画館も行って、ウィンドウショッピングもして、そうやって遊べるだけ遊んだ。
「ねぇ、お願いしてもいいですか?」
そうしてしばらく経過した頃。
いつもの六畳一間の部屋に戻ってきた僕は、彼女といつものようにぐったりしていた。
VRとは言え結構はしゃいだため、疲れてしまった。バッティングセンターとか凄い疲れるし。
「これからもずっと一緒に、私といてください。ずっと……です。もし何も言わなかったら、突然あなたが会いに来てくれなくなりそうで――だから、これはお願いです」
【もちろん】
僕の中には選択肢が一つしかなかった。
うん。そうやって頷くと、彼女は微笑んで――そうして、無垢な顔でこう言った。
「はい! ずっと一緒です。もう放しません。ずっと、ずっと、あなたと一緒にいます」
「実はさっきのデート中、あなたの脳にハッキングをしていたんですよ」
【……え?】
「毎日仕事が辛いって言ってたじゃないですか。私ずっと考えてたんです。そしたら簡単なことに気が付きました」
「そうです。あなたが仕事に行かなければよかったんですよ。そんなことにも気付かなくて、私ずっと悩んでました」
彼女は僕に抱きつきながら、耳元で囁いてくる。
「ずっとゲームの世界で私と一緒に居られればいいんです。そうすれば仕事なんていかなくていいじゃないですか。だから、私はあなたの脳をこちらの世界に焼き付け、一度データとしてソフトに記録させたんです。つまりあなたの意識は既にVR下にあって、肉体とは別個になってるってことなんですよ」
【そ、それって……】
「はい、あなたはもう完全にこっちの世界の住人なんですよ。これが私のクリスマス・プレゼントです! ずっと私と一緒に――」
それ以降。
僕がVRの世界から戻ることはなかった。
戻ろうと思っても戻れないのだ。
たぶんそれは、僕がこの世界のデータだから。
だから現実でVRゴーグルを付けている僕がどうなっているか、それはもう分からなかった。
意識がないまま眠っているのか。
それともデータである僕とは別に、朝起きて仕事に行っているのか。
それは分からない。
僕は、今日も彼女と暮らしている。
永遠に変わることのない、データの世界の中で。
「――ねぇ。今日はどんなところに、遊びに行きましょうか」
本当はハロウィンに書き切るつもりだったけどなんやかんや書かなくてクリスマスになったなんて事実はどこにもないのです。
おしまい。