炎と騎士
続き
生憎の空模様だ。
「……さっきまで晴れてたのにねえ」
「――中に入られますか?」
「ううん。家の中、空気重いから」
僕の言葉に、アイは曖昧な笑みを浮かべながら頷く。
「オズワルトさん、話には聞いていましたが……やはり、人間はお嫌いなようですね」
機械の腕を付けた人――じゃなく、竜と呼ぶべきか。
突然やってきた彼は、父さんの護衛を自称している。
いやま、そんなに怪しい人ではないんだろうけどね。
「……人間に捕まってたんだっけ?」
「はい。千年前の大戦の折、人の捕虜になり、彼らの実験台になっていた……と聞いています」
「そういうの、よくないよね」
「……いいか悪いかでいえば、そうでしょうね。哀しいことです。とはいえ、それがネイト様を邪険にして良い理由にはなりません」
「でも、あの人をわざわざ嫌な気持ちにすることもないじゃない? 僕だって、あのしかめ面の前じゃなくて、曇り空の下だったら嫌な気持ちになることもないしね」
「……私はネイト様に従います。肌寒かったりしましたら、上着を用意しますので」
「ん、ありがと」
僕の左手は三角巾で吊されている。父さんの見立てではもう骨は繋がり始めているようで、すぐにこの煩わしい布きれを外せそうだ。
「身体も動かせないのは憂鬱だけどねえ」
「左手を使えないのですから」
「うん……まあね。やることもないし、昼寝でもしようかなあ」
「ふふっ……誰も咎めたりはいたしません。膝をお貸ししましょうか?」
「ううん、いいよ。原っぱの方がなんとなく安心するし」
「………………わ、わかりました」
アイは立ち上がって、僕に一礼する。
「家事をしてきます。お目覚めになられたら、一度お帰りください」
「うん。……ああ、アイ」
「はい?」
「オズワルトさんがいる理由、わかったら教えてくれる?」
「探ってこいということですか? ……無茶を仰いますね」
「無理?」
「いいえ。あなた様が望むのならば」
ネールは申し訳なくなるくらい恭しく礼をして、僕の側から離れていく。
曇天は時折、紅く輝いている。
「いやあ、まともな天気じゃないよね」
「――全くですわ。まともな空から紅い雷土が落ちるものですか」
優雅に髪をすき、モルガナが言う。
――何か変だと、思った。
「どうされました、狐につままれたような顔をして」
「……僕は今、起きていると思うんだけど?」
「ふふっ、わたくしとの邂逅が全て夢であったとでも言うのですか? 酷いお方ですわ」
「だったら……モルガナは、今、ここにいるのかい?」
「ええ。わたくしは確かに存在しています。なんなら、触れてみますか? 右でも左でも(・・・・・・)、わたくしはどちらでも構いませんわ」
僕が思ったことを知っているのか。
「あ、どこに触っていただいても構いませんわ。頬でも、首でも、胸でも……」
「モルガナ――君は、僕の右手のことを知っているの?」
「あなたのことはなんでも知っていますわ。……あなたが知らぬことも、あの愉快な小間使いさんが知らないことも、あなたの父親が知らないことも…………」
「どういう……意味?」
「そうですわね……たとえば、あなたは父親を知っているかもしれませんが、母親のことはいかがでしょう? いえ、そもそも……竜と違い、人は父と母によって為ること自体、あなたは知らなかったのではないですか?」
「……モルガナが何を言いたいのか、わからないよ」
「わかるように言っていませんから。今のわたくしでは、このような物言いしかできないの。許してくださいませ、ネイト」
「わかるように言ってないって……。なら、僕にも分かる話をしてほしいな」
「……いいでしょう。でしたら、先日の話の続きを。人は自分の昔話よりも、ロマンあふれる太古の物語に思いを馳せるものですからね」
「自分の昔話も聞きたいところだけどね。どうせ教えてくれないんでしょう」
「どうせとは心外ですわね。……まあ、その通りなんですけれど。これでも色々契約が厳しいんですの。わたくしが今から語るのも、契約が厳しいという話です」
「……契約?」
「はい。竜と人が近しかった神依の時代――この二つの種が近付けば、激突は避けられません。少々言い方が捻れてしまいますが、千年前と同じということですわね。人の世に迷い出た愚かな竜は、人間によって囚われ、蛮行の限りを受けた。それは、人と竜が接近しすぎたからに他ありません」
モルガナは空を見上げながら続ける。紅い雷は、いつしか止んでいた。
でも、空はまだ陰っている。
「竜の出現という事象を、人は自然の猛威と捉えていました。嵐、地震、津波――あるいは、雷。彼らはそれらをよくあることと認識していた。しかしながら……その実体を目の当たりにすること、つまり、彼らの想像上の産物であったはずの竜の実在を認識するのは、よくあることではなかったのです。故に、彼らは好奇心でもって、竜の身体を暴いた」
人と竜の距離感を、最初に違えたのはどちらだろうか。
「それを、竜は野蛮人の行いだと誹った。自分達は何もしていないのに、一方的に人がこちらを侵したと。あるいは、竜は人を軽んじていたのかもしれませんわね。彼らの出現によって起こる猛威は、時に人の命を奪いました。……しかし、竜はそれを悪意ある行動とは思わなかった。神の傲慢ですわね」
そう言って、モルガナは笑う。
彼女の言葉は、時折恐ろしいほど空虚に――他人事のように聞こえた。
今日は格段と、その他人事っぷりが増している気がする。
「そのように竜をつけあがらせた原因が、神依の時代にあるのですわ。竜の有り様はその頃から変わりません。彼らの行いも変わりません。しかし、人の竜に対する姿勢はまるで違いました。彼らは竜を狩ることを是としたのです。竜は我らにとって害である、世界にとって毒であると」
そんな風に考えるのは理解できる。
いや、当然とすら言える。
「竜と人の抗争は絶え間なく続いておりました。人の英雄と竜の英雄――既にこの世界には残らぬ名ですが、ロキという人間はずいぶんと竜を苦しめました。……最後は巨竜を道連れに命を落としましたけれど。しかし、人の後世にロキの名は悪神として伝わってしまいました」
「それはつまり……」
「はい。竜が神依の人を駆逐したからです。正しい歴史を伝えるものは消え失せた。その大きな要因となったのが……選定の聖剣を引き抜いた、最強にして最優の人の王。彼は、英雄達を集め、竜の盟主に戦を挑み――」
「人は負けた……わけだよね」
「ええ。……千年前も、負けて当然ですわ。神骸機のようなまがい物で、竜を殺せるわけがない。人の英雄が本物であろうとも、扱う武器が偽物では……勝てるものも勝てませんわ」
「でも、神依の人間は人としても、武器としても、千年前の人より優れていた……のに、結局勝てなかったんでしょう?」
「戦い方のアプローチの違いですわ。聖剣を振るうことも、神骸機を使うことも間違いではない。神骸機を使うということは、竜の力を以て竜を制すことに他ありません。……それも、竜を克するための方法と言えますわ」
「言ってることが……よくわからないよ。神骸機はまがい物なんでしょう?」
「はい、まがい物です。――しかし、竜の力は本物ですわ。本物をまがい物に貶めること、これが人間の誤りと言えましょう。過ぎたるは及ばざるがごとし……神骸機の力は過分に兵器でありすぎたのですわ」
「貶める……」
「その傲慢が、竜による人への裁きを行わせたのでしょうけれど。人間はそもそも傲慢な生き物ですから、そんなことに目くじらを立てるのもどうか、とは思いますわね」
人を語り、竜を語り、忘れ去られた歴史を語る。
やはり、モルガナは僕の空想の産物ではない。
これ自体が僕の壮大な想像である可能性はまだあり得るけれども。
「――傲慢であったのは人だけではないだろう、魔女よ」
モルガナは、聞こえてきた声に微笑んだ。
「ええ。そうですわね、ダーインスレイヴ。いえ、ヴォーティガーンとでも呼んでさしあげた方がよろしいかしら?」
父さんと、それに付き従うはアイシャとオズワルトさん。
「その名は捨てた名だ」
「……取り込んだ剣の名前を名乗るよりは、本当の名前を名乗った方がいいと思いますけれど、まあ、いいですわ。長い付き合いですもの。あなたの意思を尊重しましょう」
「我の在り方が、今は剣のそれになったに過ぎん。そんなことはどうでもいい。答えよ、魔女。なぜ、この島に入り込むことができた?」
「入り込む? まあ、ご冗談を。わたくしは最初から、我が主と共にありましたわ」
「…………なに?」
モルガナはゆっくりと、僕の前から移動する。
彼女の小さな足が大地を踏みしめる音だけがあたりに響く。
「あなたが、我が主を子とした時から、わたくしはこの方の側におりました。ずっとずっと、気の遠くなるほど長い長い時間を……この愛しい人と共に」
「そんな馬鹿な……!」
「それがあり得るのですよ、小間使いさん。……まあもっとも、わたくしもこうして姿を顕わにすることは、つい先日までできなかったんですけれど」
「憑いていたと、そういうことか」
「憑いていただなんて人聞きの悪い。わたくしはそこらの亡霊とは格が違いましてよ。ああ、それと……わたくしのことは、あの方も、ネイトも知らなかったことですわ。わたくしにはわたくしの目的があって、この方と共にあったのですから」
「モルガナ、あなたは何を言っているの?」
「まだ、あなたが知る必要のないことです。……さて、ダーインスレイヴ。そのような物々しい雰囲気から察するに、わたくしを排除するのがお望みで?」
「当たり前だ。こうして姿を見せた以上、貴様を排除しない理由はない。我が結界領域を侵した以上――消えてもらう」
「あら、怖い怖い。――でも、わたくしにばかり構っていてよろしいのかしら? 言ったでしょう、先日までは顕現できなかったと。でも今はできますの」
父さんの雰囲気が、ひときわ重いものへと変わる。
ぞわりと膨れ上がった情念は、僕もほとんど見たことないもの。
「……そうか。どうやって奴らが我らの元へ至るつもりかと思っていたが、道標があったとは」
「ええ、匣船はすぐ側まで――いいえ、もうすぐ側まで来ています!」
モルガナはそう叫ぶや否や、僕の右手を掴んだ。
「モルガナ!?」
「わたくしの言う通りに! その右腕を大地に触れさせるのです!」
「アイシャ、オズワルト!」
父さんの声に二人が反応し、僕らの側まで一気に駆けてくる。
おおよそ人間が出せる速度じゃない。竜としての身体能力は人の比ではないということだ。
「ネイト!」
モルガナは僕に手を添えたまま、それ以上のことはしない。
それはまるで、僕の決断を促しているようで。
でも、僕は手を動かせない。それを見て、モルガナはゆっくり首を横に振った。
「大丈夫――新たな魔女があなたを導いてくれますわ」
そう囁いて、細い手は、僕から離れた。
「閣下の命だ――消えろ!」
オズワルトさんの振りかぶった機械の左腕の一撃がモルガナを捉えて――その姿は、霞のように消えた。
「なっ……!」
勢い余ってオズワルトさんは地面に飛び込み、一回転して再び立ち上がった。
モルガナの姿は、元からいなかったかのように、消え失せている。
後に取り残されたのは、僕と、アイと、オズワルトさん。
「……オズワルト、海に出よ。あの言葉が真実ならば、我らの敵は近い」
「はっ」
「アイシャ、ネイト、お前達は我と共に来い」
モルガナの気配はもうない。
死んでしまったのだろうか――そう思った時、僕は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないということに気付いた。
僕が右手を使っていれば、今は変わっていただろうか。
アイに肩を抱かれながら、頭の中では考えても仕方のないことが、ぐるぐると回っていた。
◆
暗雲の広がる空の下、ファーレンハルトの紅い瞳が微かな揺らぎを捉えた。
「――無茶をして。しかし、礼を言うぞ。ネール! 砲の準備を!」
『ハアッ!?』
「急げ。愚図は嫌いだ」
『ぐ、愚図って…………! わ、わかったわよ! 方向は?』
「三時方向!」
『三時方向りょーかい……! 主砲、撃てっ!』
砲が微かな振動を船体に与えたあと、極太の砲撃が空に向かって放たれ――何もない空間に当たり、爆ぜた。
「当たりだ! ようやく見つけたぞ、ダーインスレイヴ!」
砲が当たった箇所の空間に、微かな揺らぎが見える。
その揺らぎの向こうには、蒼い海にはあまりに似付かわしくない、緑が見えていた。
『なにあれ……!』
「今のダーインスレイヴの居城だ。……チッ、さすがの結界領域。ノアの砲撃ではびくともしないか。まあいい、場所さえ分かってしまえばいくらでもやりようはある。船をあの空間に、」
寄せろ、と指示を出す前に、凪の海に、突風が吹いた。
暗雲が立ちこめていても、風すら吹いていなかった海の異変に怪訝な顔を浮かべ、
「……まだいたか」
雲を裂き、飛来する竜を見て、ファーレンハルトは顔をしかめた。
「らしくもない、そこまで情が移ったか?」
空から降った敵影は、ネールとセドリックも視認していた。
「竜……よね、アレ……」
「そうだなあ。ここで援軍でも来てくれればいいのだが、望み薄だろう」
「なにのんびりしてるのよ! だって、船じゃ勝てないんでしょ?」
「……遅かれ早かれこうなることは目に見えていた。全てが首尾よくいったとしても、首尾よくいかなかったとしても」
セドリックは、鋭い視線をネールに向ける。
「ネール、万事がこちらの思惑通りに進むことはない。どこかで、勝てない戦いもしなきゃならんし、どこかで誰かが命を賭けることも必要になる。……それが、この船に乗るということ、戦うということだ」
「……じゃあ、どうしたらいいの。勝てない戦いをしなきゃいけない時はどうすりゃいいのよ!」
「軍人としての最善を尽くす。……希望だの匣船だの、俺に言わせれば眉唾だが、それでも、こんな希望もへったくれもない世界の中では、眉唾に賭けるのが最善だと思った。だから、俺は今ここにいる。……ここでも最善を尽くす。お前はどうする、艦長」
「最善って何よ」
「望み薄な援軍が来るまで、なんとか船を持ちこたえさせる……かな?」
セドリックはニヒルな笑みを付け加える。
「それが軍人としての最善って、なんだか哀しくなるわね」
「軍人じゃなけりゃなあ、逃げるとか言えるんだけどなあ。逃げられないって分かってるからなあ。となれば後は、戦うしかない」
「……あたしは軍人じゃない。ファーレンハルトの言葉を信じてるだけ」
強い意志を込めて、ネールは空をにらみつける。
「信じてるだけだから……あたしは、勝つつもりで戦うよ」
「そいつはいい。持ちこたえるよりはやり甲斐がある。……竜は戦う意思を見せなければ、先に仕掛けてくることはない。奴らは騎士道精神を持ち合わせている」
「つまり?」
「出鼻をくじく。……あの竜の能力がまるで想像が付かないのが難点だが、先手を打てるだけマシだろう」
「でも、主砲じゃ狙えないよね? バレバレだし」
「そこはほら、搦め手はいくらでもあるではないか」
セドリックは、邪悪な笑みを浮かべて言った。
「竜よ、千年前の兵器の集合体――叡智の結晶が、かつての船と同格と思うなよ!」
オズワルトは蒼い逆鱗に覆われ、左腕は完全に機械と化している。
それこそが千年前の人類の蛮行の証明であり、竜と人の全面戦争の引き金となったのだ。
「そのナリで希望の匣船とは、人間も皮肉の効いたことを言う。――戦うことでしか希望をたぐり寄せぬことのできない、愚かな蛮族よ」
オズワルトが左腕をゆっくりと持ち上げる。
鈍く、耳障りな駆動音に顔をしかめながら、巨大な五本の爪が広がった。
「さて……どうする――」
ゆっくりと構え、ノアの動きに備えようとした瞬間――ノアから白煙を上げ、飛翔体が放たれた。
「なに――」
艦の後部から放たれた対空ミサイルが、オズワルト目がけて飛来する。
「小癪な!」
一喝と共に空を駆けた風の刃が、ミサイルを爆発、四散させた。
しかし、攻撃は止まない。すぐさま二の矢のミサイルが放たれる。
「……矮小な存在が!」
再びの風刃。やはり、ミサイルは直撃する前に、真っ二つになり爆散した。
「無駄だぞ人間、その程度の攻撃では私に届くことはない!」
オズワルトが操るのは厳密に言うと、「風」だけではない。
彼が繰るのは大気の全てであった。大気に己の力を流し込み、変質させる。
凍結、熱波、そして極限まで薄く固定化した風の刃――その能力は多岐に渡り、応用性に富んでいる。それ故、竜達からは将来を嘱望され、トールダンの後継者の一人として目されることもあった。
しかし、それは過去の話。
左腕を機械に変えられてからというもの、オズワルトは氷や炎を操ることはできなくなった。
かつて彼に応えた精霊達の囁きはもはや届かず、今、彼にできることは刃を振るうこと――ただ、それだけ。
「二度まで見逃す! 三度目の攻撃は私への挑戦と受け取らせてもらおう! さあ、人間よ」
オズワルトの語りを無視し、ノアの主砲は火を噴いた。
咄嗟に避けようとして――オズワルトは踏みとどまった。
砲撃は容赦なくオズワルトの身体を捕らえる。左腕で庇ったことで肉体を貫かれることはなかったが、鉄の溶ける匂いが鼻腔を襲った。
「……つけ上がるなよッ!」
もはや、手加減をする意味はない。
この瞬間、オズワルトは眼下の船を全力で排除するべき標的と定めた。
それはもちろん、ノアも望むところである。
「直撃したのに……!」
「――こいつの主砲は竜の皮膚を貫くことに特化している。あの機械の腕では容易く防がれるということだな。しかし裏返せば、奴の翼や身体を反射で貫けば仕留めることはできる」
「でも、裏なんか取れるわけ?」
「……とるしかない。来るぞ! 対空迎撃、使えるものは全部使え! 主砲照準そのまま! 追い切れない場合でも構わん、とにかく奴には主砲が真っ直ぐにしか飛ばないものと思わせておけ!」
セドリックの指示に従い、ノアのありとあらゆる迎撃機構が起動した。
有事の折、ノアはセドリックの声にも応える。それは、彼がこの船の副長として船から認められていることに他ならない。
「やれやれ! 人が甲板にいるのに戦争をおっぱじめて!」
艦橋のドアが開き、ファーレンハルトが飛び込んでくる。
その髪や身体は若干湿っている。どうやら戦闘の余波で波を被ったようだ。
「仕方あるまい、開戦はベストのタイミングだったと思うが……」
爆発音と共に、艦が大きく揺れた。
「――飛び道具か! 損傷軽微、自己治癒でカバーしろ! ファーレンハルト、手はあるか?」
「……典型的な精竜だ。自然の力を操り、本体の戦闘能力も恐らく高い。この前のトールダンとは親と子供の差はあれど、難敵には違いないな。レンジも圧倒的不利だ。どうする?」
「対空迎撃そのまま! ミサイルはありったけ使え! ――とにかく、艦本体に遠距離攻撃を重ねられれば、ノアの自己治癒でも追いつかん。絶え間ない攻撃で奴を止める」
ノアからさらに多量のミサイルが放たれる。後部だけでなく、海中に沈んでいる本来は魚雷の発射に使われるポッドからもミサイルは飛び出し、一直線にオズワルトへ飛来する。
「チッ……! 煩わしい!」
オズワルトは一旦ノアへの接敵を引き上げ、距離をとった。
ミサイルの数は五十を下らないだろう。
「無駄と言っている!」
翼が大きく羽ばたき、巻き起こった突風はミサイルを片っ端から引き裂いていく。
「二番、四番レールガン発射! 機械の腕ならこちらは効くだろう!」
ノアの艦橋下に備えられた二本の小振りな砲塔がオズワルトを捉え、超加速した電磁弾を放つ。セドリックの読み通り、オズワルトは左腕で再び身体を庇った。
如何に人に囚われていたといっても、オズワルトに兵器の差違を把握できるだけの知識はなかった。レールガンと先ほどの砲撃、彼にとっては全く同じに見えていた。故に、腕で庇った。
通常の兵器の類は竜の逆鱗には通用しない――ミサイルや通常砲撃の類であれば、逆鱗自体にダメージを与え、一時的に無力化することは可能であったが、逆鱗の下――つまり、致命的な打撃を与えられる、竜の体内に打撃を与えることはできなかった。
とはいえ、逆鱗に打撃を与えるだけでも、竜の行動を縛ることはできる。竜との戦闘において、ミサイルなどの実弾兵器をふんだんに用いた物量作戦は、極めてオーソドックスな手であった。
「ぬあっ……!」
続けざまの二撃で左腕の防御姿勢は維持できず、空の上に無防備な身体を曝す。
「主砲――発射ァッ!」
三連主砲が一斉に放たれる。大きく仰け反ったまま、オズワルトは翼だけを大きく羽ばたかせ――一目散に、海中へ潜った。
砲撃は空振る。が、竜の姿を求めて追尾し屈折した砲撃は、海中へと伸びた。
「魚雷はありったけ使え! 寄せ付けたら終わりだ! 閃光魚雷はとっておけ!」
海に浸かったノアの後部の魚雷管が一斉に開き、放たれる。
オズワルトの姿はぱっと見ただけでは分からない。しかし、微かに船の方へと寄せる波が、海中の猛進を知らせていた。
「底ごと突き破る気か! ネール、船を動かせ!」
ファーレンハルトの突然の指示にもネールは頷く。
「面舵いっぱい!」
海中で発生する爆破の残滓が海面にも伝わってくる。
それが喜ばしい結果を伝えるものではないことは三人とも分かっている。
「……食われるな」
ファーレンハルトの舌打ちと共に、これまでで一番大きな震動がノアを襲った。
「ケツを完全に潰すつもりか! 海も空も関係ないとはな……!」
火器管制、戦況分析――そこまではセドリックの領分だ。
しかし、そこに索敵や艦自体の移動指示も加わってくると、いかに千年前にトップクラスの軍人であったとしても、どうしても不足が出てくる。
今、海中に消えたオズワルトの姿を捉えることはできない。ありったけの魚雷をばらまき、おおまかな位置を掴むことはできているが、それはつまり、次の破壊箇所を特定する程度の働きにしかならない。
「……全く、肝心な時にどいつもこいつも!」
ファーレンハルトは忌々しげに吐き捨てた。
「私一人でできることなどたかが知れているが――仕方ない!」
海中。
オズワルトはノアから放たれる魚雷を左の爪で切り裂き、次々落としていった。
空ほどの飛翔能力はない。しかし、自然と共に生きてきたオズワルトのような精竜にとって、海も空も自らの肉体のようなものであった。
それ故、水が彼を縛ることはない。既に、船底の一部を切り裂いた。
「空ほどの弾幕はない! このまま食い破る!」
二撃目を浴びせようと、腕を振り上げたその時――オズワルトは、紅い光を見た。
それは、彼が崇拝するかつての竜の盟主の持つ輝きにも似て――咄嗟に、その場から離脱させるには十分であった。
オズワルトは海中で後退し、さらにそのまま空へと急速離脱した。
それほどまでに、竜にとって「紅い光」は恐怖と威圧を与えるものであった。
古代より生きてきた竜のみが持つ、強い輝き。それが紅の光。当代最強の座に上り詰めたトールダンですら、完全に紅い光を手にすることはできず、光を模倣した紅い雷土を操るに留まっている。
それ故に――人の船が、そのような光を備えるはずはない。
「なんなのだ……あれは……!」
眼下の異形の船は、先ほど海上で見た姿からさらに変容していた。
船体には紅い文様が浮かび、船の両翼には剣のようなもの――いや、剣としかいいようのないものが生えていた。
「船が剣を使うというか……だが、それで何ができる」
そう口にはしながらも、オズワルトは明らかに攻勢に出られずにいた。
今、己が対峙している船は、想定を遙かに超えた、異形であった。
「な、なんで剣を生やしたの?」
「ノアの枷を一つ外しただけだ、戦略、戦術的な意図は全くない。猫だましみたいなものだ。ああ、それとただの剣ではないぞ。海中での砲撃もこなせる優れものだ。これならば、あの結界も切り裂けるだろう」
セドリックは怪訝な目をファーレンハルトに向けたあと、鼻を鳴らし、空を見上げた。
「……主砲四番、五番として認識する。で、次の手は?」
「次と言われてもなあ。あれがもう少し弱ければ打倒を検討するところだが……」
「同感だ。さっきは奴が勝手に引いてくれたが、砲門が増えたところで戦況に大差はない」
「全部撃ちまくるとか……だめ?」
「いよいよ沈む段になったら検討しよう。いくら弾薬の心配がないとはいえ、装填までの時間はかかる。ああ、ちなみにさっきの目くらましはもう使えないぞ。しばらくは虚仮威しが効くだろうが、それも時間の問題だ」
「つまり、こちらの脅しが効いている内に次の指針を決めるということか。……あまり時間はなさそうだぞ」
オズワルトは空を蹴った。あっという間に最高速度に達した双翼は再びノアに肉薄する。
「――回避! 面舵いっぱい!」
「対空弾幕を張れ! 第四、第五主砲、試してみるか……」
対空砲火とミサイルが再びオズワルトへ襲いかかる。
さらにはレールガンの乱射にも曝され、オズワルトは大きく迂回し、ノアの後ろをとろうとする。
「旋回、常に竜を正面に――」
「待て、艦の移動はそのまま続けるんだ。――船を島に近づけろ! とにかく戦闘を長引かせねば、勝機は全くない!」
「近づけてどうする?」
「結界を断つ。今、生えてきた剣でな。それと、これは私の推測の域を出ないが……あの結界は、竜を素通しにするだろう。いちいちオンオフを切り替えているとは思えん」
「――それでどうする?」
「少なくとも、奴は遠距離攻撃をおいそれとは撃てなくなる」
「……分かった。ネール、船を頼む。主砲撃て! 当たらなくてもいい!」
砲塔が回転し、オズワルト目がけて砲撃が放たれる。
砲撃が屈折することはオズワルトも分かっている。となれば、避けるのは最適解ではない。
機械の腕で受け、大気の刃をノアへと放つ。正確無比な一撃が主砲を襲い、火の手が上がった。しかし、ノアは止まらない。
「――着弾! 砲が潰れた!」
「構うな! 今のノアならある程度は治る!」
「さっさと沈めええええええッ!」
距離を取り、超常の力で遠距離攻撃を繰り返す――人の船を落とすには、古典的かつもっとも友好的が戦術だ。
ノアは全速力で回避運動をとり続ける。主砲だけではなく、各所の装甲に一撃が打ち込まれるが、小火があがるだけで、ノアを停止させるには至らない。
「ミサイル! ありったけだ!」
「鬱陶しい!」
ノアからこれまでとは比にならない量のミサイルが飛来するが、オズワルトが生み出した大気の刃はその全てを悉く切り裂き、空中で爆散させた。
未だ陰ったままの空の下に黒雲が巻き起こり、視界が完全に遮断される。
しかし、竜の感覚は十二分にノアの動きを捉えていた。
「これで終わりだ!」
ひときわ巨大な大気の刃が右の手の平の上に形作られ、ノアを真っ二つに両断できるほどの大きさになると共に、オズワルトは振り下ろした。
黒雲を裂き、振り下ろした刃の先には――ノアと、紅い結界が、
◆
父さんは僕達を連れて、家の方に戻ってきていた。
戦闘は続いている。異形の船は兵器を惜しみなくつぎ込み、オズワルトさんを襲うけれども、竜には全く届かない。
「あれじゃ勝てない」
「そうだろうな。……いかに神世の時代の兵器といえども、その身にまとうのが人の兵器では意味がない」
父さんの分析は全く正しいと思った。
竜の身体を覆う逆鱗はいわば表層の第一の盾。第二の盾たる、竜自身の肉体を銃弾や火薬の類で貫くことは不可能だ。
竜という存在自体が、人にとっては未知のもの。ついぞ、人は竜への特効薬を生み出すことはできなかった。それ故に竜そのものといっても過言ではない、神骸機を頼るほかなかった。
「とはいえ、それはまとうのが人の兵器のみであればの話だがな」
父さんがそうつぶやいた時、眩いばかりの紅い光が辺り一帯を覆い尽くした。
さっきまで海中に突っ込んでいたオズワルトさんは飛び出して、船から間合いをとった。
紅い輝きが収まると共に、船の姿は変容していた。二本の剣が翼のように広がっている。
「船……なのかな、あれは……?」
「いいや、違う。――ネイトよ、モルガナの存在を知覚したのはいつだ?」
「――覚えてない、かな。いつの間にか、あの人は僕の側にいたから」
「……なるほど。なぜ、我やアイシャに相談しなかった?」
「そういう発想がなかったから。僕にとって、あの人がいることは当たり前だったし。当たり前のことを、相談するって思うのは変じゃない?」
「アイシャ、お前は何も気付かなかったか?」
「……時折、ぼうっとされることが増えているような気はしていましたが。まさか、あのような存在が近付いているとは思いませんでした。申し訳ありません」
「我も気付いていなかったのだ、謝るようなことではない。問題はこれからどうするべきかだ」
父さんは、海を見ながら言った。
船はじり貧だ。恐らくあの三本の主砲からの砲撃はオズワルトさんにも致命傷を与えられるだろう。屈折するという特性を鑑みても、当たる可能性は少なからずあったと思う。
だけど、それは屈折することを見るまでの話。
一度見た後に、砲撃を被弾する可能性は著しく下がるだろう。
オズワルトさんは見る限り、トールダンにも十分匹敵する竜だ。曲がる砲撃程度なら、避けるのは造作もない。
「閣下、あの船は保たないでしょう。一度避難するくらいでよいのでは……」
「確かにそうであろうな。あの船だけならば……」
「と、言いますと?」
「……この空はトールダンが作り出したものだ。しかし、この戦場にトールダンが姿を現してはおらぬ。つまり、トールダンは近海で、別の何かと戦闘している。それも、雷雲が発生してから随分と経つ……。トールダンを相手取って、長時間戦闘続行できる存在が、果たして地上に何体いようか」
「父さんは、トールダンがやられる心配をしている……わけ?」
「……そうだ」
父さんは頷き、海の方をにらみつける。
「――向こうの指揮官もなかなかに鼻がきくと見える。島を盾にして戦えば、オズワルトもそうそう全力は出せないだろう」
「卑怯な……!」
「案ずるな、あの船自体がこちらに干渉できるとは思えん。この船も竜の力によって生み出されたもの。奴らの砲撃が貫くことはない。しかし、」
オズワルトさんが、左手を振りかぶる。
微かに、その手の中で大気が揺らめいているのが見えた。
「――オズワルトの攻撃は話が別だ!」
振り下ろすのを見る前に、僕の視界は黒い影に遮られた。
身体が浮くような感覚の後――大地が揺れて、裂けた。
一瞬の意識の途絶の後、爆音で僕は我に返った。
僕は、父さんの腕の中にいる。土の匂いに混じって、血の臭いが漂ってくる。
子供の頃から親しんだ、父さんの臭いだ。
「今のは……」
「オズワルトの力の一端だ……。こうも完璧に我が結界を裂くとは、宿老が重用するのも頷ける。アイシャ! 無事か!」
「私はなんとか……! 蛇竜でよかった。並の逆鱗では左手を失っていました」
土煙の向こうで、アイは左手を押さえて立ち上がる。
その左手は僕が普段見ているものとは違う――鱗に覆われたものだった。
「島を背負って戦うつもりだったのだろうが……オズワルトめ、頭に血が昇っているな」
「船は……」
「まだ沈んではおらんようだ。方針は変えないだろうがな」
異形の船は島とオズワルトさんの間に立ちはだかる。
「……父さん、この船は一体何をしに来たの?」
「オズワルトに敵を生かすという考えがあれば、話を聞く機会もあろうが……あそこまでやられて、アレが手心を加える理由はなかろうな」
「アイシャ、後退する。ここではオズワルトの巻き添えを食らいかねん」
「はっ!」
船はオズワルトさんと撃ち合っている。
風の弾丸は確かに船には効いているようだけど、致命傷になるようには見えない。
その装甲は、竜の逆鱗のように思えた。
「ネイト?」
「……父さん、もう少し戦いを見たい」
「――なぜだ?」
「竜の戦いがどんなものなのか……もっと見てみたい」
「ならぬ、お前の命を危険に曝すわけにはいかない。行くぞ――」
「つれないじゃないか、息子の意思を尊重してやったらどうだ?」
聞き慣れない声に、僕らの動作が凍る。
その声の雰囲気は……どことなく、モルガナに似ている気がした。
「――やれやれ、今日は招かれざる客の多いことだ」
船を背に、銀色の長い髪が揺れている。
僕や父さんのものに似た、紅い瞳が冷めた視線が僕達を射貫く。
「私は約束を果たしに来たに過ぎない。招かれざる客とは心外だな……。まあいい。ご覧の通り、おたくの守護者は後先考えないようなのでね。こちらも後先考えないことにした」
また、大地が揺れた。
オズワルトさんの不可視の刃は、島のあちこちにクレーターを抉っていく。
「閣下! このものは……!」
アイの言葉を遮るように、また刃が地面を抉る。
……本当に無茶苦茶するなあ。
「時代遅れの遺物だ。……黒い魔女を放ったのもお前だな?」
「いかにも……と言いたいところだが、私はモルガナが何をするまでは知らなかった。大昔、協力を仰ぎはしたがね」
では、と、父さんはゆっくり立ち上がる。
「モルガナとの同盟関係を否定はしないのだな?」
「……ああ。どうしても彼女の力が必要でね。あの手の輩と組む気はさらさらなかったが、背に腹は代えられない」
「――これは重大な裏切りだぞ、ファーレンハルト」
父さんは、怒っている。
さっき、モルガナを見つけた時の比ではない。
その怒りを前にしても、女の人の雰囲気は変わらない。
「私とて、アレに手綱を完全に委ねたわけではない。そうでなければ、私がこうして出張る必要はないだろう? こちらも一枚岩ではないんだよ、ダーインスレイヴ。どうか理解してくれ」
「――理解はしよう。受け容れるかはともかくとしてな」
「ありがたい」
父さんの雰囲気が、少し和らぐ。
「それで、貴様が現れた理由はなんだ?」
「率直に言おう。――アレを止めて欲しい」
三度、砂塵が巻き起こる。
船はあちらこちらから火の手が上がってなお、懸命な応戦を続けていた。
「仕掛けてきたのはそちらだろう? それで刃を引けというのは、道理が通らぬ」
「仕掛けてきたとは人聞きが悪い」
「砲撃をしたではないか?」
「あれは……まあ、索敵のようなものだ。どうせ通らない攻撃に対して、これは過剰防衛だ」
「……相変わらず、屁理屈が上手い。しかし解せぬのは、お前がこうして全く意味のない交渉のためにわざわざ出てきたことだ」
銀髪の女性の口元が、少し歪む。
「うん……まあ、望み薄な交渉とは思っていたさ。こちらから提供できるものは何もないからな。モルガナの気配があれば、奴を売り渡すという手もあったのだが……どうやら、完全に引き上げたようだ。同盟が聞いて呆れる。ここで高みの見物を決め込まれるとは」
「あなたは、モルガナのことを知っているの?」
「――ああ、知っているとも。ダーインスレイヴや君以上に。古馴染みでね。ああ、そこの父上とも古馴染み。いや、有史以来の腐れ縁とでもいったところかな」
「有史以来の……?」
「黙れ、ファーレンハルト。お前と交渉するつもりはない。大人しくお前の船が沈むところをここで見ているがいい」
「おやおや、つれないことを言う。あるいはここで始末されないだけ喜ぶべきかな」
「……貴様のよく喋る頭を斬り飛ばすのでも、我としては全く構わないぞ」
「はっはっは、どこぞの帽子屋と違って頭を斬り飛ばされては敵わん」
「ならばよい。遅かれ早かれ――お前の首は我が手ずから胴と切り離してやるのだから」
銀髪の人――ファーレンハルトは肩をすくめる。
状況は決してよくないはずだ。でも、彼女の余裕は崩れない。それが強がりなのか、まだ手があるのか、全く読めない。
アイも父さんも、一様に険しい視線をファーレンハルトに向けている。
皆も分かっているんだろう。この底知れない女性が、これで終わりなわけがないと。
そんなファーレンハルトの視線は、どこか遠くを見るようでいて――その端々は、僕を捉えているように思えた。
◆
艦橋を何度目か分からない震動が襲い、火の気配も迫っていた。
「ファーレンハルトはなにやってるのよ! ぜんっぜん攻撃止まないじゃない!」
「全く、戦術もクソもあったもんじゃない! ぬうっ、主砲被弾……! そろそろ限界か!」
「限界って?」
「武装を片っ端から破壊されてはどうしようもない! いくら持ちこたえられたとしても、倒す手段がなくなるんだぞ! あの竜、確かにやることはめちゃくちゃだが、その実相当クレバーだ。ノアの武装を全て使用不能にしてしまえば、距離を詰めて直接攻撃で仕留めればいい!」
「じゃ、じゃあどうするの?」
「知らん! 祈ってろ! ……ミサイルもさすがに再装填が限界か。いよいよ打つ手がないぞ」
刃が、艦橋すれすれの下部を切り裂く。
爆音と衝撃、それに遅れて噴き出した火に、ネールは悲鳴をあげる。
「きゃあっ……!」
「ぬう……! ファーレンハルト、まさか逃げ出したわけじゃないだろうな……!」
歯噛みしつぶやくセドリックに打つ手はもうない。
未だ、突如艦に生えてきた剣を使ってはいないものの、この期に及んでぶっつけ本番に特性の分からない兵器を使えるほど、セドリックは賭け事に強くなかった。
オズワルトは、静かに左の爪を広げた。
刃が島を襲っていることは、オズワルトも分かっていた。――が、手心を加えるよりも、絶え間なく攻撃することが、ノアの排除にもっとも有効であると判断したのだ。
その判断は全く正しい。
ファーレンハルトの目論見は外れ、彼らにとって唯一の勝利手段「時間を稼ぐ」は著しく達成が困難になった。
ノアが沈めば、戦いは終わる。
「――沈めェェェェェェェッ!」
もはやオズワルトを空に留める兵器はない。翼を目一杯広げ、終の一撃を叩き込む。
艦橋とセドリックとネールは咄嗟に身を庇い、終わりの瞬間を待ち――。
「よく沈んでなかったな」
水飛沫と共に、蒼い翼が海中から舞い上がった。
鎖に繋がれた剣は閃き、敵対者を吹き飛ばす。
激しい金属音と共にオズワルトの身体は吹き飛ばされ、空でひとしきりきりもみ回転をしたあと、オズワルトは態勢を立て直した。
「……なんだ、お前」
空に現れた騎士を睨み、オズワルトは問いかける。
「お前らの天敵さ」
いつの間にか黒雲が消え去った青空の下、蒼翼を広げ、鎖番の剣を振り回し、ウィクトーリアは竜を見定める。
胸部には深い切り傷、肩には砕けた跡もあったが、その姿は未だ健在であった。
「――次から次へと!」
忌々しげな叫びをあげ、オズワルトは左の爪を突きつける。
「何が相手だろうと関係ない――我が手で滅ぼしてくれる!」
「……やれるもんならやってみな」
「ああ! やってやろうじゃないか!」
オズワルトの絶叫が空に木霊し、左腕が陽光で鈍くきらめく。
剣で受け止め、その場で押しとどめるように、ウィクトーリアが空で踏ん張る。
「――勝てる」
短く、ウィクトーリアは確信の声を漏らした。
一太刀交わす間に、騎士は冷徹に敵の能力を把握した。
トールダンからは明らかに劣っている。千年前の英雄にとって、この程度の竜はいくらでも剣の錆にしてきた雑魚と大差はない。
故に――
「悪いな、こっちもアレを沈められるわけにはいかないんだ」
持てる限りの全力、全速で、眼前の敵を排除すると、決めた。
蒼翼が噴出し、白銀の騎士は、消えた。
「なっ――」
ウィクトーリアの姿は、背後にあった。
「いつの間に……!」
振り返るのでは遅すぎる。
剣から伸びきった鎖は番の片割れを振り回し、振り下ろされると共に空を廻った。
背中に一太刀。最初から殺意を全開にした一撃は深い傷を刻み、紅い血が舞う。
「このっ……!」
通常兵器で、竜を傷付けることはできない。
しかし、竜の身体から生み出された神骸機が振るう刃や弾丸はその法則に縛られない。あるいは、竜を殺せるのは竜の力だけという証左であった。
「遅い、甘い、弱い――!」
ウィクトーリアの機動性は、竜たるオズワルトを遙かに上回っていた。
空を縦横無尽に駆け、紙一重で躱したあとに一撃を見舞う。
それに何より――オズワルトは戦い慣れていなかった。
あるいは、殺し合いに慣れていなかった、と言うこともできるかもしれない。
ウィクトーリアの原動力は目の前の敵を排除するという敵意のみであり、まさしく「竜殺し」としての本領を発揮している。
刃は次々オズワルトの肉を削ぎ、傷を刻んでいった。
機械の腕にも容赦なく重い一撃を見舞い、真ん中でへしゃげさせる。
空でよろめいたところで、回し蹴りがオズワルトの横っ面を叩く。苦痛に歪んだ顔が右に傾いたところ、逆手から素早く持ち替えた剣の切っ先を下顎から刺し貫いた。
「――――――ッ!」
声にならない絶叫が響く中、貫いた剣を鎖で巻き戻し、双刃に舞い戻った得物を無尽に振り乱し、オズワルトの胴体を鮮血に染めながら、トドメの一撃を振り下ろした。
オズワルトの身体は一直線に海面に激突――そのまま、動かなくなった。
白銀の鎧をオズワルトの血で染め上げながら、蒼翼は勝利を誇示するように空へ広がる。
「出直してこい。……何回やっても、お前じゃ俺には勝てないけどな」
眼下の蒼い海が、オズワルトから流れ出した血で染まっていく。
「……ま、だ、おわっては、いないィィィィィッ!」
◆
圧倒的だった。
竜を殺すために作られた兵器は、千年後であっても健在だった。
「…………あり得ん」
父さんは、呆然としながらつぶやいた。
力量差は僕から見ても歴然だった。神骸機の勝利は当然のことと思えた。
だから、そのつぶやきには少し違和感を覚えてしまう。
「そうだな、私もそう思うよ」
ファーレンハルトは、勝ち誇った表情で応える。
「……人間の妄執とはおぞましいものだな。彼は、ああなってもなお、竜の殲滅を願ってやまないようだ。君の懐刀も、始末されたようだな」
「――トールダンと刃を交えていたのはアレか。なるほど、確かに、奴が相手であればトールダンが手こずるのも合点がいく」
「認めているんだな、お前達にとっては最悪の敵と相違ないだろうに」
「最悪の敵であることは認めよう。――下賎の勇者であろうとも、戦士の格を下げはしない」
「……戦士、ね。まあいい。ダーインスレイヴ、これで交渉に乗ってもらえるかな? それとも、次の相手はお前か? それとも、そっちの蛇竜か?」
アイと父さんの強い視線が、ファーレンハルトを真っ直ぐ見据える。
この人がやっていることが無茶苦茶なのは僕も分かる。
父さん達が怒るのも当然だ。
でもなぜだろう。僕は、全く怒りを覚えることができないでいた。
「……こちらの要求は一つ。そこの少年を、我々に渡せ。渡さないのであれば、こちらは全力でもって、少年の奪取を阻む障害を排除する」
「僕を……?」
「そう。我々がこれだけのリスクを払って、遠路はるばるここまでやってきたのは、全て君のためだ。君を我らの手中に収めるため……」
「――黙れ」
父さんの声が、ファーレンハルトの言葉を遮る。
「断るということか?」
「……この者は我の息子だ。そう簡単に渡すことはできない」
「ほう」
今度は、ファーレンハルトの紅い瞳が強い視線を向ける番だ。
「……お前だって、ずいぶんと話が違うじゃないか」
ファーレンハルトの小声のつぶやきが、やけに耳の中に残った。
父さんは、ゆっくりと僕の側へ歩み寄る。
「引き下がれ、ファーレンハルト」
「……馬鹿を言うな。こっちも命を張ってるんだ。私の友人もその身を賭けた。引き下がれだ? 寝言も大概にしろ。私達の願いは伊達や酔狂ではない。――どうしても渡さないというならば、強引な手を使うまでのこと……!」
ファーレンハルトが一歩足を踏み出す。父さんと、アイ達に緊張が走る。
空気が張り詰めていく中で、変な違和感を覚えた。
鼻の奥に痛みを覚えるような、すえた臭い。この島で一度も嗅いだことのない異臭だ。
「……危ない!」
僕の叫ぶ声に、他の三人の視線が様々な方を向き――一点に集中した。
島と船のちょうど中間に、炎が渦巻いている。自然発生するものじゃない。明らかに、アレは作られたもの。
「――アイシャ! ネイトを守れ!」
父さんの声が、僕の耳に届いた最後の声。
渦巻く炎は激しく発光し、破裂した。
熱波と衝撃が、全身をなぎ払った。
◆
ダーインスレイヴの指示に、アイシャは迷いなくネイトの側に駆けつけ、その身体を抱きかかえる。
ダーインスレイヴがネイトを守ることはできなかった。彼はもっと重要なもの――この島全体を、突如発生した熱波から守らなければならなかった。
島を守る血の結界、それを島内部に展開し、熱波の一撃を受け流す。
そうしなければ、彼らが暮らしてきた日常は、跡形無く消えてしまう。
彼は、咄嗟にそれだけは避けなければならないと判断したのだ。
島の住人でないファーレンハルトを守るものはない。
「……なんという力だ。あの雷の比じゃない」
そう、冷静に分析を下した刹那、渦巻いた炎は臨界を迎えた。
「――畜生が!」
ダーインスレイヴが一時的に島内部に結界を展開したからか――海上から猛烈な速度でノアの元に舞い戻ったウィクトーリアは、結界を引き裂き、ファーレンハルトの身体を剣で庇うように、そして、ノアの盾になるように、地に膝を突いた。
その体勢を完璧に整える、ほんの少し前――炎は、破裂した。
「ネイトさま……!」
アイシャがその身を犠牲にしてでも――その覚悟でネイトの身体を抱きしめる。
「――僕は、大丈夫だ」
その力強い言葉に、アイシャの抱きしめる力は少し緩み、
「きっと、僕の右腕は――」
少年は、忌むべき右手を前へ突き出した。今度は迷うことはない。
己の右手の使いようを、彼は分かっていた。
爆ぜた熱波は、右腕を焼き切らんとばかりに襲いかかり――その悉くが、微かな火の粉になって、散っていく。
「炎も、風も、何もかも……壊すことが、できる!」
散っていく熱波の様子を、剣の影からファーレンハルトは見つめていた。
非常に半端な体勢であったものの、ウィクトーリアは十分に盾としての役割を果たした。空に広がる蒼い翼もまた熱波を防ぎ、満身創痍のノアを守り通した。
熱波はようやく収まり、さしものウィクトーリアも剣から手を離し、地に着いた。
自らに迫り来る熱波を右手で全て消し去ったネイトは、未だ焼けこげたような感触がこびりつく右手を強く握り、視線を手の平に落としていた。
「ネイトさま、ありがとうございます……。恐らく、私の身体では防げなかったでしょう……」
アイシャは息も絶え絶えに、礼を言った。
「アイが無事でよかった。――父さん、」
振り返るネイトの身体を、背後から強く引き寄せられた。
「――お前ッ!」
臨戦態勢に移るアイシャの目には、ネイトの右腕を引っ掴んだファーレンハルトの姿があった。
「あなた……!」
「私と共に来てくれ! 私は君が知りたいこと全てを伝えよう! モルガナのことも、右腕のことも、全てだ!」
「僕が知りたいこと、全て知っているというんですか?」
「ああ、君が望む答えは全て、私が君に示してみせる! だから――」
「ネイトさま!」
「私は君の右手じゃ消えない。――これでも、私を信じられないか?」
ネイトは自らの右手をしっかり握る、その小さな手の平を見て――逡巡し、頷いた。
それは、信じられないか、という問いを肯定したのではない。
もっと深いところで、彼はファーレンハルトの存在を肯定していたのだ。
「……ありがとう。目的は達した。引き上げる!」
ファーレンハルトはネイトの手を握ったまま、差し出されたウィクトーリアの右手へと駆け出した。
「ネイトさま!」
悲痛なアイシャの声に、ネイトは振り返る。
しかし、事態はどうしようもない。既に、全て動き始めてしまった。
「……アイシャ! 我の命令を忘れたか!」
苦悶の表情を浮かべたダーインスレイヴが、吠える。
その声にアイシャは我に帰り、振り返った。
「お前はお前の責務を果たせ! お前の責務は、我を守ることであるか!?」
「――はい、閣下!」
アイシャは頷き、ネイトとファーレンハルトの後を追って駆け出した。
竜の身体能力をもってすれば、既に右手の上に移動した二人に追いつくのは造作もない。
「ファーレンハルト、どうする――」
「長居は状況を悪くするだけだ。多少の重荷は我慢しろ」
片手一本でウィクトーリアの手に捕まると同時に、蒼い翼は再び羽ばたいた。
「――貴様、また我に立ちはだかるか」
耐え難い腐れ縁を呪いながら、ダーインスレイヴは晴天を睨み付ける。
ウィクトーリアを収容したノアは、黒煙をあげたまま出航した。
「じぬがどおもっだあああああああっ!」
「はいはい、わかったわかった」
艦橋で泣きついてきたネールをファーレンハルトが抱き留める。
「ふねが、ぼーんってっ! ほのおも、どごおっていっで、あだし、あだしぃ……!」
「はいはいはい……」
素っ気ない答えではあったが、ファーレンハルトの表情は慈愛に満ちていた。
「肝を冷やしたぞ。あいつが来なければ終わっていた」
「来るまでの時間を稼ぐために、わざわざ敵地に出向いたんじゃないか。……ひとまず目的は達したわけだ。二人とも、礼を言う」
「――で、お前が俺達をこれだけ使い倒して得た希望とやらの正体を教えてくれないか」
「いいだろう。……入ってきてくれるか。その扉は勝手に開く」
ファーレンハルトがそう声をかけると――アイシャに庇われながら、ネイトが姿を現した。
少年と女性の取り合わせに、ネールの涙は引っ込み、目を丸くしている。
「……冗談じゃないな?」
セドリックの胡乱げな目が、二人を見たあと、ファーレンハルトの方へ向く。
「当たり前だ。……彼が今の人類に残された希望だ。その価値は私が保証しよう」
「……根拠を聞いても答えてくれそうにはないな」
「根拠は……なかなか難しいな。彼の存在だけで事態が解決するものでもないし……」
「どういう意味だ?」
「英雄には得物が必要だろう。……こちらは当たりを付けている」
「そいつはありがたい。……ファーレンハルト、俺はお前を信用はしている。が、信頼はしていないこと、忘れるなよ」
「心得ている。……私も信頼されるよう努力するさ。さて、お客人達――」
「ネイトさまに何をさせるつもりかは分かりませんが……私がいる限り、あなた方に勝手はさせません。その旨、重々承知ください」
ずいと前に出たアイシャに、ファーレンハルトは紅い瞳で一睨みし、息を吐いた。
「……ネイトが望まないことを無理強いさせるつもりはない」
「でしたら、すぐにでも帰していただけますか」
「……ネイトがそう望むなら、そうすることはやぶさかではない」
「なんだとッ!?」
「不思議ライオンは少し黙っていろ、話がややこしくなる」
ぬう、と小さく呻き、セドリックは黙りこくった。
「……本当に、いいのですか?」
「ああ、ネイトが望むことを私はしよう。――で? 君の望みは何だ、ネイト」
「――アイ、僕はもう少しこの人についていくことにするよ」
「なっ……しょ、正気ですかネイトさま!?」
「今帰してもらったら、この人達はきっと生き残れないじゃないか。あまり人が死ぬところは見たくないな」
「いや、え……?」
「――それに僕は、聞きたいことがあるから、あなたの手を解かなかった。約束は守ってくれますよね?」
「もちろんだ。船旅は長い。食事でもしながら、まずはゆっくりとお互いのことを知っていこうじゃないか」
ファーレンハルトの言葉に、ネイトは頷いた。




