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ずるい女と愚かな私

ルーベンスと話して、だいぶ遅くはあるが私は自分の過ちに気付いた。

全てを正しく理解できてはいないのだろうが、何一つ知らず、自分の見たいものだけを見て信じたいものだけを信じてきた数日前と比べれば、今の方がずっとマシだろう。


とにもかくにも、まずはコレッティアと話し合い、別れを告げなければならない。

そのため、いつも逢瀬に使っていた学院の東屋に彼女を呼び出していた。



私は彼女の唯一ではなかったのだと、彼女の言葉は真実ではなかったのだと知ってしまった。

とはいえ、彼女への気持ちが消えてなくなりはしなかったし、何より心地良い言葉にだけ耳を傾け甘い言葉と優しげな行動に疑問一つ持つこともなかった私に彼女を責める資格などありはしない。


彼女は少しズルかった。

私はとことん愚かだった。

そういうことで、いいのだろう。


今となっては誠意を持って別れを告げることだけが、私に示せる彼女への最大の愛情表現だと、きっと分かってくれるだろう。



東屋の近くまでやってきたコレッティアは、私の姿を認めると黒く艶やかな髪を靡かせて駆け寄ってくる。

マリアンヌを始め、貴族の令嬢たちが目撃したならば、はしたないと眉を寄せるだろう。だが、柔らかな陽光の下で目を輝かせてまっすぐに駆けてくる姿はとても可愛らしい。


婚約破棄を告げた日以来の逢瀬だと、一瞬の躊躇いもなく飛び込んでくるコレッティアをしっかり抱き留めると、赤らんだ顔を隠すように胸元に顔を埋めてきて、愛おしさが募る。


ふわりと甘い香りが漂っていた。

いつもの、コレッティアの香り。


このまま華奢でありながら柔らかい身体を抱き締め、存分にその甘さを堪能し、愛を語らいたい。

そんな衝動が胸を焦がす。


しかし、私はコレッティアとの逢瀬を楽しみにきたわけではない。

これから大切な話をしようとしているのだから、いつまでも抱き合っているわけにはいかないだろう。


距離を取ろうと肩に手を置くと、私の冷たい掌に熱を移すかのような温もりが、その華奢な肩から手が離すことを躊躇わせる。


彼女と触れ合うのは、きっとこれが最後だ。ならば、もう少しくらい一緒に過ごしても構わないのではないか。

そんな甘い誘惑に囚われた一瞬の間に顔を上げたコレッティアの、潤んだ瞳に射抜かれた。


「コレッティア・・・」


気付けば頭に浮かぶのはコレッティアへの愛おしさばかりで、彼女が静かに瞳を閉じるのを見て反射的に、その唇に自分のそれを重ねていた。

何度となく唇を合わせ、衝動のままに口付けを深めていく。

こんなことをしている場合ではないと、頭が命じているのに体がまったく聞く耳を持たない。

続く言葉がなんであったのか、自分ですら最早分からない。


思うままにその甘さを味わっている最中、急に背筋にぞくりと震えが走った。

視線を感じてようやく体が頭で発する指令の通りに動きだす。


ゆっくりと振り返ると、そこには口元だけは穏やかな笑みを形作っているマリアンヌが立っていた。


これまで十数年生きてきて初めて、ぞっとするほど冷たい視線を向けられていた。

その視線は決して強いとは言えない。

だが、思慕の情も動揺も困惑も少なからず宿していた瞳に今はなんの感情も見出せず、それが酷く恐ろしい。

身の内から恐れとも怖れともつかぬ感情が湧き上がってくるのを自覚して、自分が怯えていることに気付いた。


マリアンヌが私に害を成すことなどありえないのに、なぜこんなにも私は怯えているのだろうか。

自分でも分からない。



「・・・殿下にコレッティア様。御機嫌よう」

「マリアンヌ様、見ての通り私達、数日振りの逢瀬を楽しんでいるところなんです。邪魔しないでいただけますか?」


コレッティアは私の後ろに身を隠し、怯えたように私の腕を掴みながらもハッキリとマリアンヌに言い放った。

その声が驚くほど冷たくて、愛しい人であるはずのコレッティアをまるで別人のように感じる。


「あら、お邪魔するつもりはありませんのよ。けれど、殿下にお会いして、ご挨拶しないわけにも参りませんもの。それでは、私はこれで失礼いたします」


そう言って一例するマリアンヌの瞳は相変わらず色のないままで、完全に誤解されていると思うと途端に私の心に焦りが生まれる。

咄嗟にマリアンヌの元へ行こうとして、コレッティアに腕を掴まれたままであったことを思い出した。


いっそ痛いくらいに腕を握られては無視することも出来ず向き合うと、彼女は瞳を潤ませて上目づかいに見つめてきた。

またも意思とは関係なく腕が勝手に彼女を抱き締めようと動きそうになるのを必死で堪える。一瞬でも気を緩めれば、すぐにでもコレッティアを抱き締めて不安にさせてすまないと詫びてしまいそうだった。


今まではこの衝動こそが愛なのだと、私の意思なのだと思っていたが、これではまるで何かに操られているようではないか。


彼女を振り払うこともできず、さりとて衝動に従うこともできず、木偶のように固まる私の耳に深い溜息のような音が聞こえてきて、背筋にぞくりと震えが走った。


私もコレッティアも、見つめ合う形で向き合ったまま声ひとつ漏らさず、身動き一つ取らずにいる。

間違いなく、溜息の主はマリアンヌだった。



「・・・殿下。ご自身の置かれた状況を、今なら正しく分かりになっているでしょう?」


答えられずにいる私に、マリアンヌは急かすでもなくゆっくりと、極々静かに動き出し、コレッティアの隣に並び立つ。


コレッティアが驚くほど恐ろしい形相でマリアンヌを睨めつけるが、少しも気に止めた様子を見せることなく、ただ冷たく色のない瞳を何度か瞬かせるだけだった。

ようやく色を持ち始めた瞳に込められた感情が何であるのか私には分からないが、まっすぐ私に向けられた視線に背筋に纏わり付いていた冷たいものが消えていく。


常と変わらず、背筋を伸ばして凛と立つマリアンヌは、とても美しかった。


「私は殿下が正しく真実を見ることの出来る方であると、私の愛した殿下は幼少より変わらずご立派な方であると、そう信じております」


未だに私の腕を握り締めたままのコレッティアの手に、マリアンヌが左手を添えた。

その薬指にキラリと輝く銀色の光が見えて、ハッとする。


唯一自由な右手で胸元を探り見つけた硬い物を引き出すと、細い鎖に通された銀色に輝く指輪があった。

毎日身につけていた、ただのアクセサリーとしてしか認識していなかったそれは、マリアンヌとの婚約が正式に発表された記念に作られた揃いの指輪。



ソレに、気付いてしまえばもう迷うことなどなかった。

ほんの一瞬でも時間が惜しくて、指輪を持った右手を強く引いて鎖を引きちぎり、コレッティアの腕を振り払い自由になった左手の薬指に、震える手でそれを嵌めた。


その瞬間。

ずっと漂っていた甘い香りが消え去り、代わりに酷く苦いような泥臭いような匂いが立ち込める。

私を惹きつけて止まなかった甘いコレッティアの香りがただただ不快なばかりの匂いに変わったことに驚きを隠せない。



そんな私の姿を、マリアンヌは優しい微笑みを浮かべて眺めていた。





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