社会人の基本は金と退屈
私、境千紘はそれなりの大学を卒業して、それなりの商社に入社して、それなりに安定した生活をしてきた。学生の頃から恋人が出来ては別れを繰り返し、気づけばすでに二十九歳。会社ではプチお局と呼ばれ、世間では立派にアラサーと呼ばれる年齢になっていた。
この頃になると友達の殆どは結婚していて、それでも新しく恋愛するには大変な根気と気力が必要。安定を求めて結婚はしたいけど、その為には恋愛をしなきゃならない。その恋愛に、正直私は疲れていた。歳を取ってから始まる恋愛関係には十代の頃のような初々しさも新鮮味もなくて、彼氏の部屋に行っても家政婦代わりに掃除をしたり料理を作ったり。遠出するのも旅行に行くのも、ついつい次の日の仕事を考えて控えめになってしまう。そうして最初から最後まで乗り気になれず、連絡を取るのも次第に億劫になって相手が離れていく。こんなことの繰り返し。
恋愛も刺激も無い日々は退屈だけれど安定していた。だから特別不満はなかった。目新しさを求めるよりも平坦な毎日の方が好ましくて、「まるでバーサンじゃない」と口の悪い友達に言われても笑って返せるほどの心の余裕があった。
そんなある日、本当に突然、私の平坦で安定した日々がぶっとんでしまった。気づけばお祭り騒ぎのど真ん中。呆気に取られてドンチャン騒ぎをしている人々を見渡せば、その殆どが緑色の髪をしていて更に度肝を抜かれた。いやいや、今の若者はこんな不自然な色に染めるか、と思ってよく見れば若者だけではなくて子供もお年寄りもみんな緑。しばらくポカーンとしていたが、少しずつ頭が働くようになって緑以外にも様々な髪の色をしている人がいるのだと気づいた。多くは緑だけれど赤や青、銀。そして黒い髪の人を見つけた。あぁ、やっぱり黒よね、と落ち着いた所で周囲の人々の会話に耳を傾け現状を把握すれば、私は翠の国の城下街に居るのだと分かった。そしてここからは私の推測だけれど、今居る場所はどうやら地球じゃないみたい。むしろ此処が地球だと言われた方がびっくりよね。だって緑色や青色の地毛なんて有り得ないもの。
兎にも角にも衣食住を確保しなければいけない私は、様々な店舗を回って頭を下げた。仕事を与えて欲しいと。まぁ、どこの世界のどこの国に居ようが先立つものが無いと何も出来ない。疑問は沢山あるけれど、それを考えるのはやることをやってから。生活力って大事よね。
そうして私はミスグレイのオーナーのご好意であのお店で一週間働かせてもらえることになった。食事も賄いをいただいたのでお給料の殆どを旅支度に使うことが出来た。本当にオーナーさまさまである。
当面の生活費を手に入れ、目指すは黒の国。何故黒の国かと言えば、純日本人の私が紛れても不自然ではないから。親も友達も居ない、身分を証明することが出来ない私がしばらく生活をするならば、そういうトラブルの少なそうな土地へ行った方が良いだろうという判断だ。また新たな土地で仕事を探して、しばらくはお金を貯めつつ情報を集め。最終目標は当然日本に戻る事。行く事が出来て戻る事が出来ないなんて事は無いでしょう。そう私は信じている。