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八話 それぞれの思惑

「おやすみなさい」

 そう言って間もなく、エリーは寝息を立てはじめた。

 ロイはナイフをいじる手を止め、彼女の顔を見つめた。随分と無邪気な寝顔である。

 ――男扱いされてないなあ。

 警戒心のひとかけらもないその様子に、思わず彼は苦笑した。

 彼女の容姿から推し量れば、年のころはおそらく十代前半から半ばだろう。それくらいの年齢であれば異性を意識して当然だが、ロイに対する彼女の態度に過度なものは見られない。むしろ薄いくらいかもしれない。

 年相応のかわいらしい反応はあるが、それだけだ。

 まあそれはそれで悪くない。おそらく出会うまでたくさん怖い思いをしたはずだ。警戒しなくてもいい相手が出来ただけ良いことだろう。


 彼女を見つけた時は本当に驚いた。

 さて昨日の続きに取り掛かろうと仕事場に着いたら、そこで腹から血を流しながら倒れた彼女がいたのだ。

 非常に目のやり場に困るような服を着ていた上、傷だらけの裸足だったため、ロイは当初彼女のことを近くの娼館から逃げてきた少女かと思っていた。

 このアウトナの街にも似たような施設がいくつかある。そういった場所から命からがら逃げてきたのであれば彼女の状態にも頷ける。

 おそらくエリーはどこかの貴族の姫なのだ。

 跡目争いか、はたまた別の何か抗争に巻き込まれ、やっとのことで逃げてきたこの異国の地でならずものに捕まり、娼館に売られ――

 実際彼女は礼儀正しく、物腰も穏やかで丁寧だ。

 小さな子でも使えて当たり前のランプや暖炉の使い方も知らず、斧や剣など珍しくもないものにも一々興味を示す。魔法のことも、こんな田舎の一村人が簡単に使えるはずもないのに、興味深げにロイに使えるのか訊ねてきた。この物知らずぶり、身の回りのことは全て使用人たちがしてくれていた深窓の令嬢に違いない。

 なんでも、彼女の生まれた国に魔法はないらしい。その代わりに「かがく」とやらが発達しているらしい。「かがく」は魔法のように修行しなくても、誰でも扱えるものらしいのだ。

 いまいち魔法と「かがく」の違いが分からなかったため、ロイは魔法と同じようなものなのだろうと考えることにした。

 それはともかく、その「かがく」とやらで動く、馬車よりも便利らしい「じどうしゃ」なるものやランプより明るい「でんき」を当たり前のものとして享受していたらしい彼女が、平民出身とはやはり思えない。


 当のエリーが聞けば脱力してしまいそうなほどあさって方向に飛んでいる理論を展開させながら、ロイは懐に忍ばせていた木片を手に取った。手慰みにその木片を細工用のナイフで削っていく。

 夜目は利く。ランプ程度の明かりがあれば、彼にとってこの程度の作業は苦にならない。

 こんな夜は初めてではなかった。

 エリーが怪我のため一ヶ月ほど意識を取り戻さなかった間も、ロイはたびたび彼女の横でこうして作業していた。

 コップ、皿、匙――後々必要になるであろう道具を削り出しながら、目覚めたとき彼女はどんな反応をするのか、どういった声で話しどんな性格なのか色々思いを馳せながら過ごす夜は、それなりに楽しかった。

 その後彼女が目覚め、一緒に過ごす日々は想像していた以上に楽しかった。誰かと一緒にとる食事は何年ぶりだったろうか。

 だからこそ、ロイは彼女の願いを叶えたいと思っている。


 ん、とエリーのむずがるような声に、ロイは作業する手を止めて顔を上げた。

 眉をどこかつらそうに寄せながらこちら向きに寝返りをうつエリー。その拍子に布団がめくれて彼女の華奢な足が姿を現した。

 暗い部屋の中、際立つように浮かび上がるその白い色に、ロイは一瞬動揺した。つい先ほどまでこの手で触れていたものだ。

 今更ながらにその小ささや体の柔らかさを思い出して、居たたまれないような気持ちになってくる。

 彼女から視線を外して顔を両手で覆ったロイは、ふと村で聞いた噂を思い出した。

 エリーにはドラエモーという婚約者がいるらしい。

 それを聞いたとき、なんとも言えないもやもやした気持ちになった。もちろん本来なら抱えるべきではない気持ちだということは自覚している。

 エリーとの出会いにそっくりな冒頭の『金の髪のお姫さま』だって、結局結ばれたのは彼女を見つけた一村人の男ではなく城の王子だ。それに、下手に情を持ってしまえば後々くる別れがつらくなってくる。

 ――婚約者ドラエモーの噂は、エリーにちょっかいをかける村の男に牽制するための「親族思い」なマルタの仕業だったのだが、当のロイには知る由もないことである。

 ちらりとエリーの様子を伺い見る。彼女の脚は変わらず布団から覗いたままだ。

「……よし」

 気持ちを取り直したロイは両手を顔から外すと、布団に手をかけた。彼女に触れないようにゆっくりと慎重に足を隠す。

 ようやっと足がすっぽりと布団に隠れてくれた頃、再びエリーが小さく声を漏らした。

 ――お母さん。

 その一言に、ロイのどこか浮ついた気持ちが一瞬にして消え去った。

 ああ、そうか。

 彼女はまだ親の庇護が必要な年なのだ。

 顔にかかった髪をそっと払う――今度はごく自然に手が動いた――と、彼女の表情が少しだけ和らいだような気がした。

 人の寝顔は起きているときよりも幼く見える。エリーもその例に漏れない。

 こんないたいけな少女の命を狙うとは、あのアレフレートという男は血も涙もない奴らしい。

 瞬間移動という英雄譚にしか出てこないような高度な魔法が使えるくせに、鎌という原始的な物を使ってくるあたり、奴の嗜虐性が伺える。

 それなのに堂々と「保護」という言葉を使ってきて、もはや支離滅裂だ。

 彼女があの男に鎌を突き付けられているのを見た時、一瞬にして逆上した己がいた。普段は周りからも平和主義者だと言われていたが、こんな凶暴な面が自分にあったとは思いもしなかった。形見のナイフまで投げてしまう始末だ。

 壁に刺さったナイフに気付いたエリーの目には、怯えの色があった。

 彼女を守ると言っておきながら、怖がらせてしまっては元も子もない。

 はは、と力ない笑いがロイの喉からもれた。

「怖がらせてごめんね、エリー」

 壊れものを扱うような仕草で、ロイはエリーの頭を一度だけ撫でた。 




   #   #   #




 ――帰ってきてからというもの、アレフレートは非常に不機嫌であった。

 だが表情筋の動きが乏しい顔のお陰で、周囲の者にはそのことを知られることはなかった。あえて言うならそのせいで普段から不機嫌そうに見られているため、いつものことだと思われていた。

 アレフレートが一歩踏み出す度、革靴が床を叩く硬質な音が響く。

 正方形の白いタイルが敷き詰められた床に、天井を支える飾りけも何もない同色の高い円柱。壁はなく、廊下の両側には美しい花々が咲き誇る庭園が広がっている。

 花の匂いはしなかった。

 回廊を思わせるその廊下を、アレフレートは絵里に出会ったときと同じスーツ姿で足早に歩いていた。その背には例の大鎌はない。

 数分も歩かないうちに彼は廊下の先に見知った顔を見つけ、歩を止めた。

「おかえりー、絵里ちゃんどうだったよ」

 馴れ馴れしい口調で声をかけてきた男は、からかうように口の端を持ち上げる。

 アレフレートより小柄なその男は、彼と同じような意匠のジャケットを小脇に抱え、シャツにネクタイという幾分かラフな姿で円柱に背中を預けていた。

 彫りの浅い東洋人の顔は年齢が予想しづらい。学生だと思っていたら、とっくの昔に成人済みだったというのはよくある話だ。

 この男、キョウは二十前半くらいだろうとアレフレートは思っているが――答え合わせはしていない。これからもする気はない。

 そもそも、魂の導き手と呼ばれる彼らの年齢を外見で推し量ることほど無意味なものはない。

 ただ若く見えるかそうでないか、その違いだけである。

 キョウは身を起こすと、歩を止めたアレフレートに向かってゆっくりと歩きはじめた。

「その様子じゃ芳しくなかった感じ?」

「見て分かるだろう」

「だな、手ぶらだし」

 ひょいと肩をすくめてみせた彼はそのまま横を通り過ぎる。数歩もいかないうちに立ち止った彼は肩越しに振り返って、押し黙るアレフレートを軽く笑い飛ばした。

「まあ、そんな不機嫌になるなって。お前の恐い顔じゃ女子高生なんて捕まえられるわけないじゃん」

 そう言ってキョウは無造作に廊下から庭園に降り――そのまま文字通り姿を消した。庭園に降りたはずなのに、足跡は一つも見当たらない。草花も踏み荒らされた様子はなく、静かに可憐に咲き誇っていた。

 アレフレートはそれを慣れた風に一瞥したあと、キョウの後に続く。

 ――廊下を降りたその先には、花々が咲き誇る美しい庭園はなく、その代わり全く別の空間が広がっていた。

 小さな雑居ビルのワンフロア程度の広さをもったその空間には、向かい合わせに据えられた数台のデスクがあった。デスクの上には各一台ずつデスクトップ型のパソコンが置かれていた。壁は大半を本棚で埋め尽くされており、少々圧迫感を覚える空間だ。

 向かって左奥にはすりガラスの仕切りで囲まれたスペースがあり、こちら側からはぼんやりとした影でしか判別できないが、長椅子とテーブルが置かれている。

 他の者は皆出払っているのか、部屋にはアレフレートとキョウの二人しかいない。

 どこぞの事務所を彷彿とさせる部屋だったが、一つだけ違うところがあった。

 生活感がないのだ。

 生活感、というと語弊がある。より相応しい言葉を選ぶなら、生の気配がないと表現する方が正しい。

 デスクの上にはパソコンの他に申し訳程度に冊子が載っているが、それが使われた気配はほとんどなく、ペンもメモ帳もない。壁際にいくつか飾られた青々と茂る観葉植物からは、植物特有の青臭い匂いも土の匂いもしてこない。

 まるで安っぽい映画のセットのようだった。

 キョウは手近な事務椅子に腰かけると、デスクの上のファイルから無造作に数枚の紙を抜き取ってアレフレートに手渡した。

「絵里ちゃんの資料、アカシックレコードからプリントアウトしておいたから」

 渡された資料を確認してみれば――やはり彼女の死で、記述は終わっていた。

 図書館へ行く途中、道を訊ねる老人の相手をしている際に、よそ見運転をしていたトラックにひかれその老人共々死亡。

 このトラック運転手、数年前にも同じような事故を起こしている。全く同情の余地がない。

 ふつふつと湧いてきた怒りを奥底に沈めながら、アレフレートは資料をさかのぼった。彼女の経歴はいたって一般的で、特筆すべきことはない。

 読み進める彼に「アル」と呼ぶ声がかかる。資料から目を離さずに「何だ」と問えば、キョウから質問が返ってきた。

「絵里ちゃんって死んだんだろ? でも生きてたって言ってたよな。転生とはまた違うんだろ?」

 確かにそうではあるが、他人に改めて言われると酷い内容だと言わざるを得ない。他の者が聞けば、頭がいかれたとしか思われない。

 アカシックレコードには事実が刻まれる。未来のことはいくらでも書き変わるが、過去に関する記述は全て事実だ。瑞岡絵里が死んだと書かれているなら、それは紛れもなく真実なのだ。


 ――アカシックレコード。

 本来、人々の間で認識されている「アカシックレコード」とアレフレート達の言うアカシックレコードとは少し意味が異なっている。

 アレフレート達がアカシックレコードと呼ぶものは、遙か昔、アカシックレコードが出来たその時から、今現在までの全ての事柄に関しての事実と未来の予測が刻まれている記録の奔流のことだ。

 そのため、単に「データベース」と呼ぶ者もいる。

 ただ困ったことに、このアカシックレコードはこの世界のもののため、他の世界に関しての記述は一切ない。絵里のその後は、あちらの世界――マギのアカシックレコードを参照するしかないのだ。


「絵里には死んだ記憶がないらしい。気が付いたら回廊にいたようだ」

「んでその回廊で『保護』しようとしたら逃げられた、と」

 事務椅子の背もたれに危なげなく身を預けながら、キョウがこちらを振り返ってからかうような笑みを浮かべている。

「お前のことだから説明不足だったんじゃないの? 女の子には親切にしなきゃ駄目だろ、俺だったら逃げられるようなヘマはしないね」

 確かにキョウは絵里と同じ東洋人で、女受けしやすい容姿をしている。いやがうえにも相手に威圧感を与えてしまうアレフレートよりは、よほどスマートに事を運べられた可能性はあった。

「俺が代わりに行こうか? マギに一度行ってみたかったんだよね、それに絵里ちゃんが復活した理由も知りたいし」

 その一言に、キョウに「保護」される絵里の姿がアレフレートの脳裏をよぎった。

 ただでさえ不穏であった彼の心中が、輪をかけてひどいものとなる。

 温度の下がった彼の周囲の空気に、キョウが小さく息をのんだ。

「いや、なんでそこで俺を睨むんだよ。お前、前から人には向き不向きがあるって言ってたろ」

「彼女は俺が『保護』する。誰にも手出しはさせん」

 そもそもこの男が「絵里ちゃん」と慣れ慣れしく名を呼ぶのも気に食わない。あの男が砂糖菓子のような甘ったるい「エリー」なんていう呼び名を使うのも非常に気にいらない。

「……アル、お前もしかして結構その子のこと気にいってる?」

 訝しげにキョウが訊ねてきたが、アレフレートは無言で資料に目を戻した。その様子を彼は是ととったらしい。

「……惚れる要素、あったか?」

 確かに彼女との逢瀬はごくわずかだった。ただその短い時間の中で、彼女の存在は非常に鮮明に映ったのだ。滴り落ちるようなあの瑞々しい色、清水のようなあの透明感――

「あの魂の色は非常に良かった」

 半ば恍惚とした声音で話すアレフレートに、キョウが椅子の上でわずかに身を引いた。

「まあ、俺たちからみれば死を迎えたばっかの魂って色んな色をしてるわけだけどさ」

 えマジ? お前そういうフェチだったわけ?

 驚きを隠せないキョウが色々言ってきたが、アレフレートの耳を右から左に通過していくだけだった。

 あの魂の色が損なわれる前に「保護」しなければならない。異世界の者の手に渡るなどもってのほかだ。

 それにこの世界で生まれた者はこの世界に還る。それがあるべき状態だ。

 出来ることならすぐさまマギに戻って彼女を連れ帰りたかった。しかし、今帰ってきたばかりでそれは難しい話だ。

 異世界に行くためには色々と面倒な手続きが必要である。

 そもそもどの世界もそうであるが、他の世界の「神」が干渉してくるのを好まない。己の庭を荒らす存在に誰もが厳しいのは当たり前だ。アレフレートやキョウのような存在は、様々な制限を課せられてやっと足を踏み入れる許可をもらえる。

 逆に人や獣、その他の「生ある存在」が入ってくるのには非常に甘い。その世界で暮らす魂の数が多ければ多いほど「格」が高くなりやすいためだ。

 そのため召喚魔法などというふざけた代物があるような世界は、他の世界から良い印象がないわけだが――それはまた別の話だ。

 異世界に渡るための煩雑な手続き。その間、絵里とあの男は――

 これからのことに思いを馳せたアレフレートの口からは、陰鬱なため息しかでてこなかった。




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