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四話 旅立ちの前に

 クイエンに行くことが決まったその翌日。私たちはまだ村を出ていなかった。

 ロイの仕事もあるし、準備だってある。そうそうすぐには旅立てない。

 旅立ちは明々後日。ロイが言うにはその日が良いらしい。日本と同じようにこちらにも大安とか吉日があるんだろうか。

 私はその準備のために、村の小さな雑貨屋さんに来ていた。雑貨屋、と言ったら少し語弊があるかもしれない。田舎の小さな個人商店みたいな感じで、生活雑貨だけでなく食料品や何やら色々置いてあるお店屋さんだ。

 この店を切り盛りしているロイさんの親戚夫婦には、よくお世話になっていた。特に奥さんのマルタは、私が怪我で意識がない間の看護をしてくれていたらしく、本当に頭が上がらない。今私が来ているワンピースも、彼女の娘さんのお下がりをいただいたものだ。


「あんたがこの村に来た時、あたしはね、あの男とうとう妄想がいきすぎてよそから娘さんさらってきたのかと思ったんだよ」

 ロイに頼まれたものを買って会計を終えた後、なにやらしみじみとしながらマルタはそう話を切り出した。

「あたしだけじゃないさ、他の村の奴らだってそう思ったんだよ。とうとう悪事に手をそめちゃったんだってさ」

 そんなことを言われ、私はあははと思わず引きつり笑いをしてしまった。その気持ち、ちょっと分かってしまうのがなんとも言えない。

「でもマルタさん。良い人ですよ、ロイさん」

「まあ良い子だっていうのはあたしもそう思うよ。……あの性質がなかったらの話だけどね」

 そう言って恰幅のいい体を揺らし、マルタは深く長いため息をついた。

 付き合いが長い分、色々とあったのかもしれない。

「あんたが誰かに追われてるっていう話も、一体どこまでが本当なんだか。どうせあれだろ? 物盗りか獣にでも襲われたんじゃないのかい?」

「うーん。まあそんな感じです」

 私は曖昧に頷いて、その後「でもよく覚えていなくて」と付け足した。説明するにもできない話だったからだ。そんな私の言葉をどう捉えたのか、マルタはまるで捨てられた子犬を見るような目でこちらを見てきた。

「あんたよっぽど怖い思いをしたんだね。そんなことがありゃ、家に帰ると言い出しても仕方ないね。

 ロイもずいぶんあんたのことを気にいってるみたいだし、あんたもあんたで懐いてるみたいだから良い夫婦になりそうだと思ったんだけど」

「あははは……はい?」

 私は引きつった笑いを返して――そのまま固まった。

「……あの、マルタさん」

 さっき何て言いました?


「ねえおばちゃん、この間頼んだの出来てる?」


 ばんとドアを開け放つ音と共に一人の男性が姿を現した。粗雑な足音を立てながら店に入ってきたその男性は、カウンターに肘をつくとその奥にいるマルタの顔を見上げてにやりと笑った。

 騒々しい登場の仕方をした彼を、マルタはいかにも困った息子を見るような顔でため息を漏らす。

「少しは静かにすることを学んだらどうだい、エリーがびっくりしているじゃないか」

「あ? エリーちゃん?」

 そこで初めて彼は私がいることに気付いたのか、目をぱちぱちさせながらこちらの方を振り向いた。

 短く刈られた茶色の髪と、そのすぐ下にある額の傷が印象的なこの青年は、ロイ達と同じこの村の住人だ。

 どこかの家の次男坊で少し遊んでいる人らしい。ロイとは年が近いせいか、彼と話をしている姿を時々みかける。名前は……なんだっけ。一度教えてもらったけど忘れてしまった。

 なんだか少し罪悪感が出てきて、私はいつもより笑顔で会釈した。

「こんにちは」

「よっすエリーちゃん、怪我はもう大丈夫?」

「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「そりゃよかった。それなら快気祝いにさ」

 そこで言葉を切ると、彼はこちらに身を大きくのりだした。どこか軽薄そうな顔が近付いてきて、私は思わず背を逸らす。

「今度二人で一緒に出かけようよ。アウトナの町でちょっと良い店見つけたんだよね、かわいい感じのさ。

 あ、それとも綺麗な花がたくさん咲いてるとことか、そういうのが好きかな? 良い場所知ってるよ、風が吹くと花びらがばーっと散ってさ」

「あ、いえ、その」

 この村は山のふもとに広がる森の一部を拓いて作られている。人の出入りが少ない村といったらよそ者嫌いの閉鎖的なところを想像してしまうが、この村は少し違うらしく、よそものの私に色々と構ってくる人は多い。

 この男性もその一人だ。西欧系の容姿をした村人の中で、日本人然とした顔立ちの私は相当目を引くようで、顔を合わせた当初から色々と構ってくる。

 その度に一緒にいたロイに睨まれて追い返されているのだけど、今は困ったことにロイはいない。彼は今仕事で山に出ている。

 そのことを良いことに、彼はここぞとばかりに話しかけてくる。

 言葉は気さくでも、いかんせん見た目が不良っぽいというか道端で座り込んでガンつけてくる関わり合いたくない感じの人なので、一度着いていったが最後、口では言えないことを色々されそうな気がしてたまらない。

 返事に困っていると、助け船はすぐそばからきた。

「ほらほら、あんたは他にいるだろ。なんでもかんでも手を出してたら、また殴られちまうよ。エリーは諦めな」

「いでっ」

 藁を編んで作られた大きめの袋を男性の頭に遠慮なくのせるマルタ。何が入っているのやら重さはそこそこあるようで、男性の首が変な風に曲がる。

 慌ててそれを奪い取った彼は大きな声で口をとがらせた。

「おばちゃん! いきなり頭にのせるなよ、さっきぐきっていったぞ、ぐきって!」

「あーはいはい、なら一緒にねんざの薬でも買ってくかい」

「いらねーよ!」

「なら大丈夫だね。ほらさっさと行った行った。お金は今度でいいから」

 ひらひらと追い払うように手を振るマルタに彼は小さく唸っていたが、効果が全くないことを知ると小さなため息を一ついて、店を去った。

 私にじゃあねと手を振ることは忘れなかったのは、流石というかなんというか。この人絶対女好きと言われるタイプだ。

 彼が去って、ドアがばたんと閉まり切るのを見送った後。マルタはやれやれと首を振った。

「あんな男に一々笑顔を振りまいちゃいけないよ。すぐ調子に乗っちまう。だけどなぜかああいう男がもてるんだから、困ったもんだよ。

 ……困ったことと言えば、この村でいい歳して浮いた話の一つもなかったのはロイだけなんだよねえ。エリーが来てくれたから本当助かったよ。

 うちのアミナも最近までは独り身だったんだけど、最近ちょっと気になる人がいるみたいで――」

 それから近所の話好きのおばちゃんのごとく怒涛の勢いで話し始めるマルタ。何かナチュラルに気になる一言を織り交ぜてきた気がするけれど、ここはスルーしておくべきだと私の第六感が告げている。

 

「それでね、隣の家のアビ爺さんがね――」

「はあすごいですね……」

「ほんと大変だったわけよ――」

「それは大変でしたね……」

「まあアミナもまんざらじゃないみたいで――」

「はあよかったですね……」


 淀みなく話し続けるマルタに、私はただ相槌をうち続けた。ここで下手に「それでどうなったんですか?」なんて聞こうものなら、水を得た魚のごとくマルタの話が盛り上がってしまうのは経験で分かっている。それでこの前丸一日潰した。

 ……これがなきゃ本当に良い人なんだけどな。

 こういうのを見ると、やっぱりこの人はロイの親戚なんだとつくづく思う。

「――それでどうなんだい、エリー。あんたもロイのこと良いひとだと思うだろ?」

「ええまあ良い人だと思ってます、はい」

 私は半ば自動的にそう頷いていた。話半分にすら聞いてなかった。

 ――あれ、と思った時にはもう遅かった。

「ああやっぱり! じゃあさ、クイエンに行くのはやめてここで生活していくってのはどうだい? あんた真面目そうだし、細いわりにはちゃんと安産型だし、うまくやっていけそうな気がするんだよ、あたし」

 ちょっと待って落ち着いてマルタさん。どこから突っ込んでいいか私分からないんですが!

 しかもクイエンに行くってなんで知ってるの。昨日の今日だよ、私だれにも言ってないのに。

 ロイか! ていうかあの人しかいない。あの人言うの早いな!

「あのでも私、まだここに来てから少ししか経ってないですし、その、ロイさんのことはあんまりそういう目で見てないっていうか。それにロイさんには私よりもっと相応しい人がいると思うんです」

 慌ててそうは言ったが、マルタはそんなことなど気にしない様子で私に畳みかけてきた。

「少しっていったって、もう二カ月経ったんだよ。年頃の男女がそれだけ暮らして何もなかったっていうのかい」

 何もないよ! あったら困るよ!

 ていうか、はじめの一か月は寝込んでいて、残り半分はロイの言動に振り回される日々で何かあるはずがない。

 この人、親戚の中で結婚が遅れてるロイの前に都合よく現れた私を、ていよく結婚させようと思っているな。なんつう人だ。

 どうしよう、この手の人は初めてだからどうしたらいいのか分からない。

 あ、そうだ!

「私、故郷に好きな人がいるんです!」

「あら、そうなのかい」

 私のとっさの一言に、マルタが大きな目をぱちくりとさせた。

「はい。私、その人と私結婚しようと約束してて。彼、心配してるかも」

「それだったら仕方ないねえ」

 さすがに結婚の約束をした男のいる娘に無理やり縁談をもってくることは考えないらしく、至極残念という風にマルタは肩を落とした。よし上手くいきそうだ。

「その人の名前はなんて言うんだい?」

 …………………………え。

 しまった。それは考えてなかった。

 考えてみれば当然の流れに、私は内心だらだらと脂汗をかいた。やばいどうする私。

「えっと、名前は……」

「名前は?」

「その……ドラえも……」

 待て私。それはないだろ。いくらとっさに浮かんだのがそれだからって。

「ドラエモーか。なんかきざっぽい名前だねえ」

「……え、ええ! 本人もちょっと気にしてて!」

「そうかい。

 しかし残念だね。あんたなら良さそうだったのに。ドラエモーにはよろしく言っといておくれよ」

「はい、伝えておきますね」

 適当すぎるにもほどがある嘘に、私はだんだん恥ずかしくなってきた。どこか穴掘ってかくれたい。ごめんなさいマルタさん。

 どうやら彼女の話も一段落終えたようで、これ以上いらないことを言う前に私は退散することにした。

「村を出るときには顔を見せてっておくれよ」

「はいもちろんです。ありがとうございます」

 丁寧に礼を言って、私はそそくさと店を後にした。

 その後、村中に私にドラエモーという恋人がいるという噂が広まったのはいうまでもない。




 そして、出発の前日。

「えっと……こうですか?」

「うーん、まだまだかな。もう少し固く巻いた方がいいよ」

 そう言ってリュックに荷物を詰めていくロイの手際は鮮やかだ。慣れてるなあ。

 私はというと、言われた通りに外套代わりのマントー―ギャバジンという布で出来ているらしい――を巻こうとしたけれど、厚手なため固くて上手く巻けなかった。悪戦苦闘する私を見かねて、ロイがひょいと取り上げて簡単に巻いてしまった。

 ……なんか私、彼の邪魔してるような気がしてきた。


 私とロイはリビングの床に座り込んで、明日の出発に備えて荷物をまとめていた。

 クイエンに着くまでには徒歩で何日もかかる。けれどその道中には二つ三つほど町があるらしく、ロイの話によるとその町で補充しつついくのでそこまで重装備じゃなくても大丈夫だとのことだった。

 それでも一日二日は野宿する日もあるんだとか。

 野宿なんて生まれてこのかた、私したことない。キャンプとは違うよね。テントは持っていけないだろうから、多分地面に直接寝るんだろう。

「ごめんね、本当は君に野宿させるべきではないんだろうけど」

 そう言って恥じるように微笑むロイに、私はかぶりを振った。

「大丈夫ですよ、私これでも結構丈夫ですから」

 友達と同じもの食べていて、友達だけがお腹壊して私だけ大丈夫だったことだってある。内臓系にはちょっと自信があるんだ。

 胸を張る私に、しかし彼は嘆くようなため息をもらした。

「本当に君はけなげだね。性格だって悪くないのに、なんで命を狙われたんだろう。

 いや、男達は時に理由もなく、ただ女性の悲痛に歪む姿を見たいがためにひどいことをすることもある。君の場合もそうなのかもしれないね」

 ……ロイさん、あなたもその男だって分かってて言ってます?

「アレフレート、といったかな。君に無体を働いた男は。

 普通の男じゃないといったけど、どうなんだろうね。やっぱり『そういうこと』を生業にしているような男なのかな」

 アレフレートのことについては、彼にもある程度の話はしていた。異世界や『回廊』のことについては言っていない。いくらおとぎ話が好きなロイだからって、さすがに信じてもらえそうにないからだ。

 でもこの世界には魔法があるからな、もしかしたら聞いてくれるかも。一応考えておこう。

「さあ……でも、そういう風には見えませんでしたよ。自分は神様みたいなものだとか変なことは言ってましたけど」

「それは危ない奴だね。自分のことをそう言える人間なんて相当ろくでもない奴だ」

 そう言うとロイは立ち上って、リビングの壁に立てかけてあった剣を手に取ると、鞘に入ったままのそれを真面目な顔でじっと見いった。

「ロイさん?」

 彼が握っているのは少し古びた剣だった。一度見せてもらったけど、毎日のようにロイが手入れをしているみたいで、刃こぼれはあっても錆はひとつもなかった。

 子供の頃、以前剣を習っていたという知り合いに剣を譲り受け、基本の型を教えてもらってから、毎日一度も欠かすことなくその剣で練習していたらしい。実際、私もその姿を見たことがあった。

 口だけじゃなくて、ちゃんと実行に移している。その点は素直にすごいと思う。

 今まで騎士になりたくてもずっとこの村で木こりをしていたのは、きっかけがなかったんだろう。

 こうやって私が来たことは、彼の中で大きな転機になったのかもしれない。そう考えたら浮かれてしまうのも分かるような気がする。

 床に座り込んだ状態で見上げる私を、ロイはごく自然な手つきで立ち上らせてくれた。そして剣を鞘から抜き、右手で高々と掲げると、その反対の手で私の肩を抱き寄せる。

「エリー、僕は誓うよ。

 君をこの剣で守り抜き、君の人生を縛る悪しき鎖を断ち切ってみせる。僕は君の騎士に相応しい人間になる」

 掲げた剣を見つめるその横顔は、とても凛々しくまるで本当の騎士か王子様に見える。

 ……これで本当に実態が伴ってればなあ……!

 心の底からそう思って無言で見上げる私を、彼はどう解釈したのかなぜか慌てて謝ってきた。

「ごめんね、やっぱりひざまずいて誓った方が良かったかな。でも僕としてはまだそうできるほどの器じゃないと思うんだ。ああでも君が望むならエリー!」

 いやそこでテンション高くなられても。

 今からでもひざまずくどころか、それを通り越して土下座しそうな勢いの彼を慌てて私は押しとどめた。

「大丈夫です。ロイさんの意気込みは十分伝わってきましたから! 頑張りましょうロイさん!」

「ああエリー君は本当に良い子だ! そんな君の命を奪おうとする奴らはなんてひどいんだろう!」

 うわあああスイッチが入っちゃった! 抱きつくのはいい、いいから剣を収めてお願い! 

「ロイさん危ない! 危ないから! ちょっと落ち着いて!」

 その後しばらくロイのテンションが下がるまで、私は剣を片手に抱きついてくる彼の手から必死に逃げた。




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