三話 命の恩人の正体
――朝起きたらそれは全部夢でした。めでたしめでたし。
そんなオチを期待していたけれど、現実は全くの無慈悲なもので、私はロイの家のベッドで目を覚ました。
ベッド傍の窓は少しだけ開かれていて、そこからは青い空が見えた。のんきな鳥のさえずりも聞こえてくる。どうやらあれから私は丸一日くらい寝ていたみたいだ。
ロイの言うとおり、一度寝て起きたら少し頭の中が整理されたみたいで、とりあえず落ち着いている自分がいた。
これからどうしよう。電話も車もない、もしかしたら時代さえ違うかもしれない外国から日本の自分の家に帰れるんだろうか。
すごく絶望的な気がする。
一番の手がかりになりそうなのは、星空みたいなところで会ったあのアレフレートだけど、連絡先どころか名前しか知らない状況では再会するのはかなり難しそうだ。
……難しいっていうより正直会いたくない。輪廻転生とか神様とか世界とか、やばいこと言う人とまともな会話できそうにないもん。
なんか泣きたくなってきた。
ずっと横になっているから考えも悪い方向に行くんだ。そうだそうに決まってる。そう考えた私はベッドの中でもぞもぞと体を動かしてみた。スープを胃に入れたおかげか、少しだけ動くのが楽になっている。この調子なら起き上れそうだ。
あまりお腹に力を入れないようにゆっくりと上体を起こした後、お尻を軸にするようにしてベッドに対して垂直になるように体の向きを変えた。つま先が冷たい床に触れる。
このまま立ち上りたいところだけど、ちょっと無理そうだ。足にあまり力が入らない。
ベッドの端に座った状態でぼんやりするしかなくなった私の耳に、ドアをノックする音が響いた。ドアを開け顔をのぞかせたノックの主は、私の命の恩人であるロイだった。
「おはようエリー。その様子だととりあえずは落ち着いたみたいだね、良かったよかった」
なんてことを言いながら、彼は部屋に入ると放置してあった椅子に腰かけた。寝起きなのか金の髪が少しはねている。
「おはようございます。
……昨日はすみませんでした、なんか色々混乱してたみたいです」
「ううん、いいんだよ気にしないで」
昨日と同じようにきらきらした目でこちらを見つめてくる。昨日は気付かなかったけど、まるで私に何か期待しているような雰囲気にも見えた。
あ、お礼金とかいうやつかな。でもそんなお金を期待しているような目にはみえないし。それに私無一文だ。
困惑する私に、彼はますます笑みを深めて「うん、いいね」と口にした。
全く良くないです。……って「いいね」ってなんの話?
首を傾げて、私は言葉を続ける彼を見返した。
「ムゾーカ・エリー。家名があって外国人で、謎の人物に追いかけられている一人の少女。それを助ける一人の男。かなりいいね。『金の髪のお姫様』の導入部にそっくりだ。
これで君の服がおしとやかなものだったらもっと良かったんだけど」
ええええちょっと待って。なんだこれ。爽やかハニーフェイスでなんかおかしなことを言いはじめたんですけどこの人。
「あの服ずいぶん変わってるよね。君の国ではああいう肌を見せる服が流行ってるの? そりゃ男にとって確かに目の保養になるけど、小さな子ならともかく年頃の子があんな恰好をするのはあまりよろしくないと思うんだ」
突然の展開に首を傾げたまま固まった私には構わず、彼はなおも話し続けた。
「そうか、まさか君は……そうだったんだね。辛かっただろうね。
大丈夫、僕が助けてあげる。僕も男だけど、君の周りにいたような奴らみたいに無体な真似はしないよ、約束する」
なんか一人で納得して一人で約束してる……!
まさか私、この人の中で「諸事情で体を売らなきゃいけなくなったかわいそうな少女」になってる? 違います私一般人で、服はただのチュニックとホットパンツで別にそういう事情も抱えてないです!
だめだこの人も十分変な人だ。アレフレートといい勝負だ!
「追手を気にしてるのかい? そんなに怯える必要はないよ。僕だってこの日のために体を鍛えてきたんだ。ごろつきの一人や二人、遅れをとることはない」
だから安心して。そう言ってロイは私の手を取ると大きな両手でしっかり包み込んだ。
この人怖いです。話が飛躍しすぎて何言っているか分かりません、誰か助けて。
「あ、あのロイさん」
「なんだいエリー」
勇気を振り絞って私はロイに話しかけた。
「なんかものすごく勘違いしてると思うんです。確かに私追いかけられて怪我しましたけど、別にそういう無体なことされたわけじゃないんです」
そう言いながら、私は自分に自信がなくなってきた。
一歩間違えれば死ぬほどの怪我を負わされるのは無体なことじゃないんだろうか。別に誰かに恨みを買うようなことをした覚えもない。変な人に追いかけられ殺されかけ……あれ? だんだん分からなくなってきた。
混乱して黙り込んでしまった私の手を、ロイはますます力を込めて握り込んできた。それに比例して目の輝きも増してくる。
「この村の人達も良い人ばかりだ、嫌なことは忘れてゆっくり静養するといいよ。先のことを考えるのは怪我が治ってからでも遅くはない。なに遠慮することなんてないさ」
……私、やっかいな人に助けてもらったかもしれない。
果てしなく憂鬱な気持ちを抱えて、私は「お世話になります」とロイに頭をさげることしができなかった。
それからまたひと月ほど、私はロイの家で怪我の治療に専念することになった。ロイの献身的な看護と、二三日に一度たずねてくれる村医者のお爺さんのおかげで、予定していたよりも回復が早かった。
ロイは本当に良い人だ。感謝してもしきれない。
だけどそれを持ってしても余りあるほどに、あぶない人だった。
彼の言葉の端々を拾っていくうちに分かったことだけど、どうやら彼はおとぎ話が大変好きらしい。子供の頃、寝物語に語ってもらった数々のおとぎ話で活躍する王子や騎士に憧れて、いつか僕も誰かを助ける騎士みたいな人になるんだと決意して――……そのまま大きくなったみたいだ。
決意するところまではよくある話だと思う。小さい子がそう言うのって微笑ましい。
でもそれから先が問題だ。ボランティア精神あふれる男性に育ったと言えば聞こえはいいけれど、それに思い込みの激しさがプラスされたらちょっとやっかいすぎると思う。
本人が言うには、数年前までは家族にも説得されて諦めかけていたらしいけど、王都で平民上がりの騎士がその功績を称えられてお姫様を娶ったという話を聞き、より決意を固めたらしい。
……少しだけその騎士様を恨みたくなったのは、ここだけの話だ。
かといって朝から晩までひたすら変な人かと思えば、どうやらその妄想に近い癖もオンオフするスイッチがあるらしく、そこに触れなければ彼は普通に会話できるいたって好青年な人でいてくれる。
ただし「怪我をした追われる謎の少女」の私というスイッチを刺激しまくる存在がいれば――その後は推して知るべし。
付き合いが長いであろう村の人も、皆ロイを微妙に腫れもの扱いしているのが見て分かる。いや、腫れもの扱いといったら誤解されるな。スイッチを押さないように気をつけてるっていった方が正しい。
一昨日、村のお爺さんから怪我はもう大丈夫だろうと太鼓判を押されたときも、喜ぶ私になぜかスイッチが入ったらしく、ロイは自分の想像も交えてとうとうと語りはじめてしまった。お爺さんは、そんな彼をいつものこととでもいうふうに慣れた様子で私を置いて帰ってしまった。私といえばロイの家にいるしかない上、彼は私に話しかけてるので、逃げることも出来ずに話を聞く羽目になった。お爺さんめ後で覚えてろ。
なんか「これから物語が展開する」とかよく分からないこと言っていたけど、あまり覚えてない。そんなの真面目に聞いてたら身が持たなくなる。
昨日だって警吏に――こっちの国では警察のことを警吏というらしい――私のことを届けた方がいいんじゃないかという私の提案を、追手の手が警吏にも回っていたら「こと」だという訳の分からない理由で却下された。
回ってないと思うよ! そんな大層なことにはなってないと思うんだ!
普通に警吏に届けようよ! ああもう最初に感動した私が馬鹿だった……!
というわけで、最近の私は密かに彼の手から離れるための計画を立てていた。
だけど、この国の情勢どころか地理も常識も分かってない私が一人で村を出るのは無謀に近い。私も頭悪いけどそこまで馬鹿じゃないので、それとなくロイから色々聞いたり説得してみたり村の人に近づいてみたりして情報を集めていたのだ。
……そのおかげで、実はこの国には魔法があることが判明して、計画どころか家に帰るというそもそもの目的もだめになりかけているんですけどね。
まさかここって異世界? そういうオチ?
そういえば『回廊』って世界と世界を結ぶ廊下だって言ってたよね。えええアレフレートの言ってたことって正しかったの? まじでほんとに神様?
ああもう逃げなきゃよかった。でもあの状況で「君は死んだ」とか言われたら普通引くよね。逃げたくもなる。
……あれ? でも私生きてるよね? ここ天国ってわけもなさそうだし。
「なにが正しいのかよく分からなくなってきた……」
そう言ってリビングのソファに突っ伏して頭を抱えた私の肩を、ぽんと優しく大きな手が叩いた。
顔を見なくても分かる。ロイだ。
どうやら朝の仕事を終えて戻ってきたみたいだった。
「何をそんな考え込んでいるのかい。もしかして追手のこと?
さあ顔を上げてエリー」
このちょっと芝居がかった言動も、多分おとぎ話の影響だよね。
反抗する気も起きなかったので、言われたとおり顔を上げてすぐそばにひざまずいているロイの顔を見た。
彼はいつもの野良着姿で私の顔をのぞき込んでいた。
「そうだよね、君が気にするのも分かる。僕たちはここでただじっとしているわけにはいかないかもしれない。
怪我も治ったことだし……エリー、君は家に帰りたい?」
なんか良い方向に話が転がっているみたいだ。このチャンスを逃す手はない!
「はい、帰りたいです」
私は万感の思いを込めて頷いた。
そんな私の心が通じたのか、彼は分かったと頷き返してくれた。
「じゃあ少し遠いけど、クイエンに行こうか。あそこなら大きい街だから、君の家のあるにほんの場所も分かるかもしれない」
「クイエンに?」
クイエンというのはこの村やその周辺一帯を治めている領主の住む大きな街だ。その街には領主がいるだけでなく、魔法を管理する魔法・魔道協会とかいうまさに異世界っぽいものの支部もあるらしい。
――そうだ、漫画とか小説では魔法って火を出したり空飛んだりするだけじゃなくって、モンスター召喚したりとかもあるよね。それを逆に使えば私、日本に帰れるんじゃないんだろうか。
いいこと気付いた! そうだよ諦めちゃいけないよね!
「クイエン行きたいです! 私クイエンに行きたい!」
勢いこんで言う私に、ロイがちょっと気圧される。でもその様子はすぐになくなって、彼はそれこそ嬉しそうに笑った。
「君がそこまで言うなら。怪我が治ったばかりで、クイエンまでの道のりは大変だと思う。もしかしたら追手もくるかもしれない。けれど、僕がちゃんと守ってあげる」
「ありがとうございます!」
大きな手をぎゅっと握り返して、私はロイに満面の笑顔でお礼を言った。
これでやっと家に帰れるんだ!