二話 異世界人との出会い
流血描写あります。
なんだか眩しい。
いつの間にかうつ伏せで寝ていたみたいだ。つむっていた目を開くと、鮮やかな緑が視界に飛び込んできた。
……なんだ、夢だったのか。
そう考えて、ほっと安堵の息をついた。
なんだか変な夢だった。変な場所に迷い込んだり、変な人から変な言動をされたり。まさに変づくめだった。
まあ夢っていうのは一貫性がなくて突拍子もないものだから、そういうのがあってもおかしくないか。
そう私は心の中で結論付けて、起き上ろうとした。
……?
体の横に手をついて起き上ろうとしたのはいいが、何かぬるぬるとしたものに手を滑らせてしまった。何度か試しても上手くいかない。
そうこうしているうちに喉の奥から熱いものがせり上がってきて、私は咳き込んだ。痰が絡んだみたいになって、変な咳が出る。おかしい、止まらない。
とっさに口を覆った手を確かめてみると、べっとりと赤い血のようなものがついていた。
違う、これ血のようなものじゃなくて血だ。
気付いた途端、お腹がめちゃくちゃ痛くなった。それにすごく寒い。うつ伏せで見えないけれど、大量の血が出るくらい酷いけがをしているようだ。
痛い、痛いよ。
誰かに助けを求めようと口を開けても、出てくるのは咳か血だけだ。このままじゃ私、あの人の言うとおり死んでしまう。
あの男の人、アレフレートは私が死んだって言っていた。確か交通事故で、トラックにはねられて――トラックにはねられて?
それ変だよ。だってここ森の中だ。
私は目だけ動かして周りを確かめた。切り株がいくつかあって、普通の森より少しだけ拓けている。でもいくら拓けているといっても、森の中でトラックはそうそう走れないし、それに私は街中をあるいていたはずだ。
全部おかしいよ、意味分かんない。
こんな意味分かんない状態で私死ぬのかな?……いやだ死にたくない。したいことだってたくさんあるのに。
だれかたすけて。
声を絞り出して、そのまま私は気を失った。
――また目が覚めた。今度はベッドの上だった。
三度にわたる場面変更で、私はますます混乱した。
今まで全部夢だったんだろうか。でもお腹は少し痛い。
痛みを我慢して、その場に上体を起こす。腕も体も萎えていて時間がかかったけど、どうにか出来た。
私の寝ているベッドは小さな部屋の中にあった。ログハウスの一室のようで、壁も床も全部木製で柔らかに日光を反射している。ベッド以外の調度品は小さなタンスだけだった。タンスの上には水の入ったたらいと水差しが置いてある。
壁にかけてある服は飾りもなにもない簡素な古臭いデザインで、いかにも作業着というものだった。大きさからして男ものだ。この部屋の住人は男性らしい。
半分だけ開けられた木製の窓からは庭が見えて、そこでは男の人が薪割りをしていた。もしかしたら部屋の主かもしれない。
あれは斧かな? 斧なんて初めて見た。
薪割りを始めてから時間がたっているようで、彼の脇には小さな薪の山ができている。なんとなくその様子を眺めていると、顔を上げた男の人と目が合った。彼は一瞬びっくりしたように動きを止めて、こちらを凝視してきた。
その視線に居心地が悪くなって、私は軽く会釈した。その行動が引き金になったのか、彼は手にした斧を放り出して窓に駆け寄ってきた。
「目が覚めたんだ!?」
勢いよくかけられた言葉に、小さく頷く。
「ちょっと待ってね、すぐそこに行くから! 逃げちゃだめだよ!」
そう言って彼は首を引っ込ませると、急いでその場を去った。
逃げはしないけど……なんかちょっと怖い、その勢い。
数秒も経たないうちに、ドアが大きな音を立てて開け放たれた。びっくりして肩をちぢこませた私に、彼は笑ってごめんごめんと謝ってきた。
明るい金の髪と澄んだ空みたいな青い目。甘い相貌に人懐っこい笑みを浮かべる彼は、いかにも王子様然とした人だった。服が野良着だったのが唯一残念なところだけど、それはそれで話しかけやすそうな雰囲気を作っている。年は多分二十を超えているんじゃないかな。
身長はアレフレートより少し低そうだ。といっても、確実に180は超えている。
威圧感あふれるアレフレートとはまるで正反対の雰囲気を持っている男性だった。
「よかった、もしかしてこのまま目が覚めないんじゃないのかって思ってたんだよ。僕が見つけた時、血だらけで倒れていたからさ。あの時はびっくりしたよ。
具合はどう? まだ傷は痛むかな?」
どうやらこの人が私を助けれくれた人みたいだ。
首を傾げて訊いてくる彼に緩く首を振って、私は「少し痛むけど大丈夫です、ありがとうございます」と答えた。
――答えたつもりだったんだけど。
声の代わりに私の喉から出てきたのは、ひどい咳だった。喉がからからに渇いていて、上手く話すことができない。
男の人が背中をさすってくれたおかげで、どうにか咳が収まってきた。私が落ち着いたところで、男の人は安心したように笑った。
「無理しちゃだめだよ、一か月も寝てたんだからね。水を――ってコップがないや。待っててね、今持ってくるから。お腹もへってるかな? 何か食べものも持ってくるね」
じっとしているように念を押して、彼は部屋から急ぐように出て行った。
私といえばすることもないので、言われた通り大人しくして待っていた。ぼうっとして部屋の中を眺める。
あ、壁にランプがある。このログハウス、電気じゃなくてランプなんだ。本格的だなあ。
どうでもいいことを考えているうちに、再びドアが開かれてさっきの男の人が入ってきた。右手にはコップと深い皿の載ったお盆を、左手には椅子を抱えている。部屋と同様、全て木製なのが印象的だった。
どうやらドアは足で蹴って開けたらしい。
別々に持ってくればいいのに。なんだか慌ただしい人だ。
彼は椅子をベッドのすぐ横に置いて、その上にどっかりと座りこんだ。お盆を膝の上に載せて、タンスの上にあった水差しから水をコップに注ぐ。
「ゆっくり少しずつ飲んでね。急いで飲むとむせちゃうから」
ありがとうの意を込めて頭を下げながら、私はコップを受け取った。
指示通り、ゆっくりと少しずつ水を口にする私を、彼はきらきらした目で見つめてくる。
綺麗な年上の男の人からそうやって見つめられるのは初めてで、なんだか落ち着かなくなってくる。
まさか私に惚れたとか?……いや、ないか。この人だったらより取り見取りだよね。
コップの中が空になり、彼の勧めてくれたスープも飲み終えて人心地ついた頃。私と彼は互いに自己紹介した。
彼はロイと名乗った。木こりで生計を立てているらしい。何だかもったいない話だ。役者とかアイドルにでもなったら絶対成功しそうなのに。
でも彼が木こりをしていてくれたおかげで、私は助かった。人生というものは何が起こるか分からない。
私も瑞岡絵里と名乗ったけれどどうも外国人には発音が難しいようで、何回直してもムゾーカ・エリーになってしまった。
発音といえば、彼には普通に日本語が通じるので、ここは日本のどこかだと思って話をしていたんだけれど、どうやら違うらしい。というか日本を知らないみたいだ。私も彼に教えてもらった、ここの国名であるアゼルカには心当たりがなかった。
アゼルカってどこだろう。ロイの見た目からしてヨーロッパ辺りの国っぽい。でもそんな国あったかな。
その後二三会話を交わした後、とうとう彼は人好きのする笑顔でこう尋ねてきた。
「君はどうしてあんな怪我をして森の中で倒れてたの?」
当然の質問だった。だけど、私もいまいち自分の状況がよく分からなかった。命の恩人の問いに十分に答えられないことを申し訳なく思いながら、私は首を横に振った。
「ごめんなさい。私も良く分からないんです。
図書館へ行こうとしてただけなのに、気付いたら変な場所にいて変な人に追いかけられて。逃げられたと思ったら、いつの間にか怪我をしていて……なんでこういうことなったのか……」
自然と暗くなる雰囲気を、場違いなくらいに明るい声が破り捨てた。
「大丈夫、気にしすぎは怪我に良くないよ。とりあえずは怪我を治すことを最優先でいこう。
難しいことはそれから考えたって遅くはないさ」
元気づけようとしてくれている彼に、私は少し感動した。
こんな身元も分からない怪しい人間の面倒を一月も見てくれた上、嫌な顔一つしないで話を聞いてくれるなんて。普通だったら入院させて警察に届けてハイ終わり、だと思う。
この人、良い人だ。良すぎて、逆に彼の人生が心配になってきそうなくらい良い人だ。
「ありがとうございます、ロイさん。私早く元気になります」
そう礼をいうと、ロイは笑みを深めて頷いてくれた。
――そうだ、警察といえば。
「あの、電話貸してもらえますか? 連絡くらいしないと。一か月も留守にしてたら家族が心配してると思うんです。もしかしたら警察に届けてたりするかも」
あ、この場合国際電話になるのかな。それならこの家で電話するのはすごくお金がかかるかもしれない。コンビニに行けば国際電話カードが売ってあると聞いたことがある。そこなら公衆電話もあるだろうから、電話も可能だ。
お金は……申し訳ないけど、家に帰ってから返そう。
財布が入っている鞄は、あの星空のようなところでなくして以来、私の手元にはなかった。
だけどそう尋ねた私に返ってきたのは「いいよ」でも「だめ」でもない全く別の返事だった。
「でんわ? でんわって何? 手紙とはまた違うもの?」
……ちょっと待って。電話を知らないとか一体何の冗談ですか。そこで冗談言われても。
思わずまじまじと彼の顔を見つめ返しても、当の本人はのんきに首をかしげるだけだった。冗談を言っているような雰囲気ではない。
手紙が出てくる辺り、意味が通じてないとかいうわけでもなさそう。
――あ。
私は唐突に思い出して、壁に目を走らせた。やっぱりそこにあったランプに愕然とする。
このランプは雰囲気づくりのためではなくて、もしかしてランプしか使えないからとかそういう理由だからじゃないんだろうか。考えたくはないけど……ほらその、電気が存在しないからとか……壁にかかっているあの服も古臭いとかそういうんじゃなくて……
だんだん嫌なことに気付いてきた私は、頭を抱えそうになるのを必死に抑えながらロイの名前を呼んだ。
「何かな?」
彼の朗らかな笑顔がなぜか怖い。
「コンビニとか近くにありますか? そこで公衆電話を借りたいんですけど。
そうだ! そのコンビニまで車で何分かかりますか? あまり遠かったら私ちょっと体力的に難しいかも」
空々しいくらい明るい声になってしまった問いに芳しい返事はなく、いきなり訳の分からない外国語を聞いたかのように彼は目をしばたかせた。
「ごめん、君の言ってることが分からないよ。
くるまっていうのは馬車のことかな? 近くの町まで馬車を使ったことはないからいまいち判断しにくいけど、多分半日もかからず着くんじゃないかな。もしかしたらもっと早いかも」
馬車か……そうか、そうなんだ。
もしかしたら私は、ものすごく日本から離れた場所にきてしまったんじゃないんだろうか。認めたくないけど、距離どころか時代まで遠く離れていそう。
失意に肩を落とす私の背中を、あやすようにロイは何度か軽くたたいた。
「エリー、君は多分混乱しているんだ。大きな怪我を負った後だからね、仕方ないよ。
今はゆっくり眠るんだ。一回寝て起きたら、結構落ち着くもんさ」
気付いたら、私は再びベッドに寝かされていた。布団を肩までかけてくれるロイの手を、私はわらにでもすがる気持ちで掴んだ。
「そんな目で見なくても大丈夫さ。君が寝付くまで傍にいてあげる。
さ、眠るんだ」
疲れがどっときたのか眠気が一気に私を襲った。
眠りに落ちるその瞬間、ロイが「……やっと僕にも」と小さく呟いたのが聞こえたけど、そのときの私にはその意味は分からなかった。