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一話 「神様」との出会い

 ――暑い。暑すぎる。

 ぱたぱたと下敷きをうちわ代わりに仰ぎながら、私、瑞岡絵里はうんざりして呟いた。

 夏真っ盛りとはいえ、午前中から汗がふき出るほど暑いってなんだ。おかげで宿題が全く進まない。

 窓を全開にしても、入り込んでくるのはぬるくて湿った空気だけ。風ですらない。

 家で唯一冷房が効いているリビングは、母が掃除機かけたり洗濯物たたんだり、テレビを見たりして勉強できるような雰囲気じゃない。

 愛すべき高校生の娘のために、せめて扇風機くらい買ってほしいとねだったけれど「それなら期末試験で一番になってみなさい」と言われてしまった。もちろん頑張ってはみたけど、正直東大目指しているクラストップの男子に勝てるはずがなかった。

 ていうか、私の頭ではクラスで一ケタの順位に入ることすら無理だったんですが。

「こうなったら仕方ない!」

 私は自室での勉強はとっとと諦めることにした。広げていた英語の課題をまとめて鞄に突っ込む。身支度を手早く終えて部屋を――出る前に、少しだけ姿見で身だしなみのチェック。

 肩より少し長めのストレートの黒髪には寝ぐせなし。ふんわりしたシフォンタイプの薄手のチュニックとホットパンツ――どうせ図書館で勉強するだけだし、そこまで気合入れなくていいか。

 よし。

 私は一つ頷いて自室を後にした。

「おかーさーん! ちょっと図書館行ってくるー!」

 リビングの横を通り過ぎながらそう言うと、いってらっしゃいの声がテレビの音声に交じって聞こえてきた。

 いいよなあ。冷房効いた部屋でテレビとか。いいよ私だって冷房効いた図書館行くから。

 心の中でふてくされて、私は玄関を飛び出した。

「いってきまーす!」

 それが母との最後の会話だった。




 ふと気付けば、私は両手をついて地面にへたり込んでいた。


「あ、あれ?」

 私さっきまで道を歩いてたよね?

 驚いて周りをきょろきょろと見渡してみても、さきほどまで歩いていたはずのいつもの通学路の景色はなく、そのかわりに満天の星空のような空間が広がっていた。

 星空、というのはもしかしたら間違っているのかもしれない。

 空といわず地面までも星みたいな光があって、きらきらと輝いている。一瞬空に浮かんでいるのかと思ったけれど、四つん這いにみたいになっている手足には床のようなしっかりとした感触がある。

 まるでどこかの遊園地にあるようなちょっとしたアトラクションの中にいるみたいだ。

 でも私が行きたいのは図書館で、遊園地じゃない。なんでいつのまにかこんなところにいるんだろう。

 私は鞄を肩にかけなおして立ち上ろうと――あれ? ない?

「なんでなんで? あれ? 嘘、ちょっと待って」

 肩にかけていたはずの鞄がない。英語の課題と電子辞書と私の大事な財布が入った鞄がない!

 大慌てで探したが、鞄どころかそこには塵一つなかった。あるのは私の体だけだ。

 どこでなくしたんだろう。しっかりと肩にかけてたはずなのに。

 そもそもここってどこ? 家の近くになかったよね、こんなところ。

 鞄もなくして訳のわからない場所に放り出された私は、四つん這いのままで泣きそうになった。


「――また妙なところに迷い込んだな」


 途方に暮れた私の耳に、だれかの声が飛び込んできた。低い、男の人の声だ。

 良かった、誰かいるんだ!

 出てきそうになった涙が引っ込んで、私はその声がした方向に振り返った。

 その声の持ち主は背の高い人だった。暗めの茶髪を後ろに流し、同じ色をした目でこちらを無感動に見下ろしている。

 すごくかっこいい人だ。しかも西洋系外国人。

 黒いスーツの上からでも分かるくらい大きく引き締まった体と、精悍な顔立ちからスポーツ選手みたいな印象を受ける。

 でもスポーツ選手イコール爽やかというイメージがあるのに、何故かこの人はそんな感じがしない。どちらかというと肉食動物みたいな獰猛な雰囲気があって、少し怖かった。

 彼はじっとこちらを無表情に見つめている。その茶色の目に気圧されて、私は視線を地面に落した。

 この人は一体誰だろう。「妙なところに迷い込んだ」ってさっき言っていたから、変なところにきた私を探しに来てくれたんだろうか。

 考え込む私の目の前に、すっと手が差し出された。顔を上げて確認すれば、その手の先にはあの男の人の顔があった。

 誘われるように私が手をその大きな手のひらにのせると、彼は手を握って立ち上らせてくれた。

「あ、ありがとうございますっ」

 温度のない視線に、思わず背筋がしゃきっと伸びる。

 そんな私の身長は彼の胸くらいまでしかなかった。この人すごく背が高い。190超えているんじゃないだろうか。

「あの、ここはどこなんですか? あなたは一体誰で――ああっすみませんごめんなさい! 私は瑞岡絵里です!」

 人の名前を聞くときは自分から名乗れっていうよね。危なかった、忘れるところだった。

 高い身長で無表情に見下ろしてくるから、なんか怒られそうっていうか怖くて仕方ない。

 手を離してくれた隙に、私はそれとなく分からないように自然と距離をとった。

「瑞岡絵里」

「は、はい!」

 突然名前を呼ばれて、私は勢いよく返事をした。

 そんな私に彼は目を細めるだけだ。

 目を細めるって反応はなんだろう。笑われてるのか怒ってるのか判断が非常に難しい。

 彼は私をしばらく見つめたあと、徐に口を開いた。

「君は死んでいる」



 …………えっと、ごめんなさい。意味が分からないです。

 この人何がしたいんだろう。いきなり人に死んでるって。

 知らない人にはついていかない、夜には一人で出歩かない。

 親から教えてもらったことはたくさんあるけど、初めて会った人にあぶない台詞を言われたときにはどうしていいか流石に教えてはもらえなかった。

 ――変な人には関わらない。よしこれだ、これに違いない。

「あの、ごめんなさい。私、図書館で宿題しなきゃいけないので、もう行きますね。そうだ、ちょっと道が分からないので教えていただいてもいいですか? 市立図書館なんですけど」

 小さくため息をついた彼に、私は思わず口をつぐんだ。

「八月十九日午前十時十二分、君はトラックにはねられて死んだ。

 俺は君の魂を回収、輪廻の輪に誘導するためにここへ来た。まさか『回廊』に迷い込んでいるとは思わず少々手間取ったが、すぐ会えたのは僥倖だった。

 俺の名はアレフレート。君のような死者の魂を導く者だ」

 ……どうしよう。この人すごくあぶない人だ。

 まるで自分は神様だというように尊大な口調で語りかけてくる男の人の顔は、至って真面目だ。真面目だから余計に怖い。

 立ちすくんで見つめる私に、彼は噛んで含めるように話してくる。

「事故死した者は、君のように死んだ自覚がないことも多い。実感が湧かないだろうが、君は確かに死んだんだ。

 俺も詳しく説明することはやぶさかではない。

 見晴らしのいい交差点、相手のトラック運転手は携帯電話をいじっていてのよそ見運転だった。横断歩道を渡っている君に気付かず彼は」

「やめて!」

 知らず大声で遮っていた。

 私が突然大声を出したにも関わらず、彼はどこ吹く風で表情が動かない。その様子になんだか腹が立ってきた。

「いきなり人を死んだ人扱いしないでください。だって私生きてます。こうやってあなたと話してます。

 もし私が死んでて幽霊だとして、あなたはなんですか? 幽霊? それとも神様なんですか」

 冷たい両の目に、心が萎えそうになる。足を踏ん張ってこらえながら、私は彼を睨みつけた。

「俺は神のつもりはいたってないが……君たちからしたらそう見えるのかもしれない。

 とにかく、俺についてこい。ここはあまり良くない場所だ。早く離れた方が良い」

 この人についていく方がよっぽど良くないと思う。変な場所に連れて行かれそうだ。

「嫌です。私図書館に――いえ、家に帰ります。

 もういいです、私一人で帰りますから。ごめんなさい」

 さようなら!

 そう言って私はきびすを返して走りはじめた。

「待て! 動くんじゃない!」とか色々言う声が聞こえたけど、それはもう無視した。

 よく考えてみれば、あの人の方が何人も人を殺しているんじゃないだろうか。私がどんな反応しようとも表情は全く動かないし、人を殺してそうなオーラ出しているし。



 それにしても、ここは本当にどこだろう。

 あれからずっと走っているけど、いつまでたっても星空のような空間が続くばかりで、終わりが見えてくる様子は一向にない。

 それに今気付いたことだけど、ここは音が聞こえないんだ。

 自分の声や息遣いは聞こえてくるのに、足音が一切しない。そういえばあの男の人も足音がしなかった。試しにわざと足音を立てるように走ってみたけど、やっぱり音は聞こえなかった。

 そんな場所、現実にあるんだろうか。

 あの人は「回廊に迷い込んでいた」って言っていた。多分回廊はここのことだろう。回廊っていうくらいだからどこかに繋がっているんだろうけど、どこに繋がっているんだろう。家の近くじゃないことは確かだ。

 そう考えて、背筋が寒くなる。

 ……違うよね? そういうことじゃないよね?


「――追いついた」


 唐突に聞こえてきた低い声。想像以上に近い場所で聞こえたその声に、ひっと悲鳴がもれた。

 慌ててうしろを振り返ると、さっきの男の人――アレフレートがすぐそこにいた。

 思わず足が止まる。

「来ないで! 来ないでください!」

 足が止まってしまえばもうだめだった。足ががくがく震えて、その場に立っているのもやっとだった。

 私が立ち止ったのを見て、アレフレートも足を止めた。

「も、もし私が死んでいたとして、おかしいじゃないですか。

 だって、こうやって息してるし、走ったら疲れるし、普通死んでたらそういうこと出来ないんじゃないんですか? ここもおかしいですよ、ここ音しないです。なんで? なんで足音しないの?」

 ぎゅっと自分を抱きしめてそう叫ぶと、彼はなだめるように手を差し伸べてきた。

「ここは『回廊』だ。世界と世界を結ぶ廊下。

 本来なら簡単に立ち入ることが出来ないが、君はなぜかここに迷い込んで――」

 世界! 事故死、神様の次はそうきたか!

 なんだそれ、馬鹿にしているのか。人をからかうのもいい加減にしてほしい。

 私なんにもしてないのに、なんでここまでされなきゃいけないんだろう。

「おいで。あまりうろうろしていると、どこかに落ちてしまう」

 この人の言っていることはおかしい。私が死んでるなら『落ちる』なんてことはないはず。言葉を交わせば交わすほど、この人の言っていることが分からなくなる。

「お願い、こないで。怖いです。私、あなたの言ってることが――」

 そう言いながら一歩下がる、が。

 あるはずの地面がそこにはなくて、私は一気にバランスを崩した。

「絵里!」

 今までまったく表情を変えていなかったアレフレートが、焦った様子で駆け寄ってくるのが見える。私の手を掴もうと手を伸ばしてくるが、それも間に合わない。

 その景色を最後に、私は明るい夜空を落ちていった。




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