反発
灰梟劇団は、名を改め、ヴァルディア歌劇団へと改名することになった。
座長はリディア、副座長はカイル、組の名前はそのまま引き継ぐことになり、ヴァルディア帝国を拠点として、リディアが書く物語を公演することになった。
資金、人材、舞台まで、全てが皇室で準備されることになり、一流の環境が約束された――のだが。
ヴァルディア歌劇団としての初日公演のことだった。
与えられた劇場は、ノクティア大劇場の副舞台――本来なら名誉ある舞台のはずだった。
「……露骨ね」
リディアは舞台裏を見渡し、小さく呟いた。
照明は半分が使えない。
背景幕は破れ、楽器のいくつかは弦が切られている。
「事故、ですって」
セレナが呆れたように肩をすくめる。
「大方、皇帝陛下の意思が気に食わない者たちの嫌がらせだろう」
カイルの声は低い。
「そうね。冷徹無慈悲、結果主義の皇帝陛下の庇護にあるということは、失敗は死を意味する。私たちを気に食わない人たちにとっても、皇帝陛下をよく思っていない人たちにとっても、私たちの失敗はさぞ嬉しいでしょうね」
トビアスが楽器を確認しながら楽器の弦に触れて舌打ちする。
「時間が足りない……全部は直せないぞ」
沈黙。
普通なら――中止、あるいは、規模を縮小するしかない状況だけれど。
「……いいえ」
リディアは、首を横に振った。
「むしろ好都合よ」
団員たちが一斉に彼女を見る。
「光も、装飾も、音も足りない?」
ゆっくりと舞台中央へ歩く。
「なら――削ぎ落としましょう」
その目は、すでに決まっていた。
「今回の演目、構成を変更するわ」
「は?」
「歌と台詞、人だけで見せる」
静かに、言い切る。
「装飾に頼らない。本質だけで勝負する舞台にする」
一瞬の沈黙。
そして――カイルが、口の端を上げた。
「……いいな、それ」
「燃えるじゃない」
セレナが笑う。トビアスも肩をすくめた。
「仕方ねえな。即興で編曲してやるよ」
不安は、消えた。
むしろ――高揚に変わる。
「時間がないわ。全員、変更内容を頭に叩き込んで」
リディアの声が、鋭く響く。
「――“魅せる”わよ」
★
――閉演。
舞台は一言でいえば成功、それに尽きる。
最初は嘲笑交じりの声だった。
楽器の音色は最小限。
照明は満足につかず、舞台装飾もシンプルなものだった。
貧相、それが観客たちの第一印象だったが、舞台が始まるとそのような侮りは一瞬にして消え失せた。
貧相ではなく、歌劇の余韻と劇に集中させるためにあえて清貧にしたのだと、気づく頃にはこの舞台、劇団に対しての評価が変わっていた。
――これが帝国お抱えの歌劇団。
なのだと、その実力に納得し、立ち上がって全員が大きな拍手で演者を称えた。
★
終演後、楽屋に戻った直後だった。
「――失礼」
低く整った声が響く。
振り返ると、数名の貴族が立っていた。
整えられた髪、無駄のない所作。
その場にいるだけで空気を変える、貴族特有の圧。
団員たちの表情が、わずかに引き締まる。
リディアは一歩前に出て、静かに一礼した。
「本日はご観劇、ありがとうございました」
「……ええ」
先頭の男が、ゆっくりと頷く。その口元には、笑みが浮かんでいる。
だが――目は笑っていない。
「見事なものでした。まさか、あのような状態から立て直すとは」
褒めている。だが、どこか試験の結果を告げるような響きだった。
「ですが」
その一言で、空気が変わる。
「これは、あくまで見世物」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「帝国歌劇とは、本来――帝国の威信そのもの」
言葉を重ねるごとに、圧が増す。
「小国出身の旅芸人上がりの劇団が担うには、いささか荷が重いのでは?」
セレナの眉がぴくりと動いた。
トビアスも何か言いかける。
だが、リディアは、動かなかった。
「次の公演」
男は一歩、距離を詰める。
「本物を、お見せいただけることを期待しております」
期待、ではない。――警告だ。
「――失敗は、許されませんから」
そして、彼らはそれ以上何も言わず、踵を返した。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
「……ムカつくわね」
セレナが、はっきりと吐き捨てた。
「言い方ってもんがあるだろ」
トビアスも苛立ちを隠さない。
カイルは腕を組んだまま、リディアを見る。
「どうする?」
短い問いだが、すべてを含んでいる。
リディアは、しばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐く。
「いいじゃない」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
「分かりやすくて」
団員たちが一斉に彼女を見る。
「敵が、どこにいるのか」
ゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、負けたくないという意思が灯っていた。
「舞台で、黙らせるだけよ」
静かに、言い切る。
その言葉に、楽屋の空気が変わった。
★
★
その夜、宮殿の一室。
高い窓の向こうに、帝都の灯りが広がっている。
「――初公演は成功したようです」
側近の報告の声。その前に座るのは皇帝アレスだった。
今日処理をしなければいけない書類を片手に、短く答える。
「そうか」
相槌を打った後、沈黙が続く。
次の言葉を待っている。
側近は言葉を選んで、続きを話す。
「妨害も確認されています」
「……だろうな」
興味なさげに返す。
しかし、その指先はわずかに動いていた。
考えている。
「排除しますか」
側近の問いにアレスは、ゆっくりと首を横に振った。
「必要ない」
その声は、冷静だった。
「どうするか、見たい」
視線が、遠くを捉える。
「潰されるか、それとも、踏み越えるか。ここで潰れれば、ここまでの人間たちだったということだ」
わずかに、口元が歪む。
「――リディア・クラウゼル。冬の王子の作者にして、アルヴェリオ王国一の脚本家。どうか、俺を失望させないでくれ」




