追手
――その日、リディアは夢を見た。
幼い頃の、王宮で開催された読書会。少女だったリディアは領地の民の苦しみを描いた短編を手に、緊張しながら王太子レオンに差し出した。
「民が苦しんでいるのに、何故、貴族は宴ばかりするのでしょうか……?」
レオンは、先ほど読書会で読まれた本「銀の月と嘆きの民」の表紙を視線でなぞった。
これは、王国に古くから伝わる寓話のひとつ。
銀の月が照らす国で、重税と飢えに苦しんでいた民。しかし、王や貴族は夜な夜な豪華な宮殿で宴ばかりを開き、民の嘆きに耳を貸さなかった。ある日、この惨状を気の毒に思った旅芸人が、民の嘆きと王や貴族の腐敗を歌にして宴の席に届ける。王はその声に胸を打たれるも、無関心を装い続けていた。やがて、歌は王国全土に伝わり、多くの民にその歌が心の中に刻まれ、諦めていた民たちは奮い立つ。その歌をきっかけに、やがて小さな希望と変化が生まれる、という話だ。
物語から目を逸らし続けても、伝え続ければどんなものにも必ず心に届く。そんな思いが込められた物語だと読み聞かせをしてくれた、王宮図書館の司書が解説をしてくれた。
けれど、リディアは、この物語の意図が、それだけとしか思えなかった。
――国は民を守らなければいけないのに、どうして王は役割を果たさず贅を尽くしたのか。現状を知ってなお、目を逸らし続けていたのか。
それが、とても理解できなかった。
だから、婚約者であり、レオン様に質問をしてみたのだ。
レオンは王族。この作品の王の気持ちを、答えてくれそうだと思ったからだ。
レオンは表紙をしばらく眺めたあと、ふっと笑った。
「面白い質問だな、リディア」
余裕と自信が溢れたいつもの声音。はきはきとした口調で続けた。
「貴族、王族という立場はいついかなる時も、民の見本であらなければならない。苦しい時も、貧しい時も、堂々たる姿を見せなければいけない。贅を凝らすことで、国はまだ栄えているのだと、周囲に見せつけることも、時には重要なんだ」
「それは、民の声から目を逸らすほど、重要なことなのですか」
「そうだ」
レオンは断言した。
そうして、本を受け取り、パラパラとページをめくる。
「それに、王も万能ではない。全てを救うことも、叶えることもできない。民の声に耳を傾けたとて、どうすることもできないんだ」
興味なさげに、感情のこもらない表情で強く本を閉じる。
「苦しくとも、国を支えることも民の務め。不平、不満にこたえ続けていればキリがないだろう」
リディアは納得がいかなかった。
国が国として在り続けるのは、民のおかげで、贅沢をできるのは、民が重税にも耐えて納税の義務を果たしているからだ。
国が、民を守るのは当たり前なのに、民が苦しんでいるのを見て見ぬ振りをし、湯水の如く国庫を費やす貴族を、リディアは私欲のためであり、欲を満たすためならば、民がどうなろうと知ったことではないのではないか。
わかっている。
こうして意見がぶつかるのも、レオンとリディアでは視点が違うからだ。
レオンは王族としてすべきことの視点。リディアは苦しむ民の視点。
感じる視点によって、捉え方も思いも変わってくる。
「だから、王は、民を見捨てたのですか……?」
レオンは一瞬だけ考える素振りを見せて、あっさりと答えた。
「そうだ」
――違う。
思わず息を呑む。
「なら、何故、王は歌に心を動かされたの……?」
民の危機に目を逸らすという決断を下したというのなら、どうしてあの歌に魅了されたのだろうか。
声に、という描写をそのままとらえるのなら、本当に美しい歌声だけに魅了されたのだろう。
しかし、その歌詞の内容は、王国の現状を憂い、批判も交じった内容だった。
捉え方によっては、王を侮辱する言葉に他ならない。
それでも、民に、旅芸人に、その歌は罪だと糾弾することがないのなら――。
「……なんで、王様は目を逸らし続けたの?」
独り言に近い静かな問いに、レオンは薄く笑った。
「前提として、間違っている。王は国を守る為に存在する。国を運営する為に、民を守る。民を第一に考えるのではなく、国を守ることを考えるのが、王だろう?」
その一言が深く心に突き刺さる。
レオンは国を守る為に、民を守ると言った。
だが、その民なくして、国は立ち行かない。
民が苦しみに喘ぐ理由は――。
「――なら、余計、王や貴族の振る舞い方は、間違っています」
リディアは声を搾り出す。
レオンは、物分かりの悪い子供に説明するような面倒くささからのため息を吐いた。
「歌声に心を奪われたのは、単にいい声だったから。宴くらい、王族じゃなくても開くものだし、民にはわからない貴族の付き合い方もある。お前は、深く考えすぎなんだ。ただの物語なのだから、もっと楽しく聞いて、感じればいいのにな」
レオンは肩を竦める。
「物語と現実は別物だ」
これ以上は聞く価値がないと、本を押し付けて、背を向け、読み聞かせの子供たちの輪の中に戻っていく。
リディアの胸が冷たく沈む。
「――それでは、この物語が、可哀そうです」
掠れた声がひとりでに消えていく。
――届いていない。
物語の意味も、民の苦しみも。
レオンが、ただの物語と一蹴したことがリディアは悲しかったのだ。
★
「ん……」
灰梟劇団は王都を離れた後、最初の宿営地についた。
慣れない旅、特にリディアは長時間歩くというのが初体験だったため、宿営地についた時点で疲労困憊だった。
少しだけ、休むつもりが、長く眠りについていたようで、団員たちもそれぞれが仮眠をとる為に休息の姿勢を取っていた。
リディアは荷馬車の荷台の上に寝かされており、怠い身体を起こすと最初に入ってきたのは、焚火に照らされ、背を丸めて目を瞑っていたカイルだった。
火の番をしていたようで、リディアに気づいたカイルが視線を起こす。
「よく、眠れたか」
「ごめんなさい。少しだけ、休むつもりだったのに」
「気にするな。旅なんて慣れないだろう」
「慣れるように頑張るわ。だって、私はもう、貴族でもなんでもないもの」
カイルは何も言わず、焚火に薪をくべる。
ぱち、とした音が夜に溶ける。
「……私ね、夢を見たの。昔、レオン様と一緒に参加した、王宮の読書会。本の内容は、「銀の月と、嘆きの民」」
「子供には難しい内容だろう。騎士物語のように派手でなければ、恋物語のように空想的でもない。……夢見がちな子供には、現実的過ぎる話だ」
リディアは頷く。
「でも、貴族だった私には未知の世界を知った感覚だったわ。領民が貴族に抱く気持ち。苦しい人たちがいるのに、どうして変えようとしないのか。そして、どんな話であっても、物語が人の心に伝わる凄さ。感じる視点で、物語の見方が変わる奥深さ……、伝えにくいことでも、物語にすれば、多くの人に伝えられるの」
「愚王の花嫁も、そう思ったから、書いたのか?」
カイルは知っていた。
愚王の花嫁の主人公のひとり、愚王アルベルトの配役が決まり、脚本を渡された時。
リディアの私生活を根掘り葉掘り聞くことはないとしても、彼女の婚約者が王太子レオンだったということや、聖女との関係が周知の事実であったことからも、この話のモチーフはリディア自身だと、気づいていた。
それでも、あえて聞かないのは、これがリディアが書いた物語だからだ。
リディアの物語には、悪意がない。
ただ、伝えたいことを物語として起こしているに過ぎない。
リディアの物語には、リディアが現実で伝えられないことが、込められている。
だから、多くの人の心に突き刺さる。
「私、昔から言いたいことを言ってしまう性格だから、よくレオン王子に怒られていたの。家族からも……。――思っていても、伝えたいと思っても聞いてもらえない。だから、幼い頃、銀の月と、嘆きの民を読んでもらった時、思ったの。自分の伝えたいことを、言葉にできなくても。物語なら、多くの人に届けられるんだって」
カイルの眉が僅かに動く。
「見ようとしない人、聞く気がない人、都合が悪いから。面倒だから。自分には関係ないって、切り捨てている人。そんな人に、届けられる物語があるなら届けたい。……愚王の花嫁だって、そう」
リディアは膝を抱えて、小さく息を吐く。
「貴族同士の結婚は、ただの恋愛で終わるほど、甘くはない。レオン様の軽率な行動で、恋愛で終わる話が思わぬ方向へ進むことだってある。愚かな権力者は、支える構造によって、変化するものだと。最後に知っておいて欲しくて、伝えたかったのだけど……。伝わらなかったわ」
力なく肩を落とすリディアに。
「そうか」
カイルは静かに眉間に皺を寄せて、ぱちりと鳴る焚火に薪をもうひとつ放り込む。
しばらくの沈黙が続いた後。
「人それぞれの解釈、人それぞれの想いが違うというだけだ。作者の本当の意図を理解できるのは、作者本人だけだ。……気にすることはない」
「うん。そう――」
リディアの肩の力が抜けた時だった。
カイルの視線が鋭くなる。
「どうしたの?」
「……誰かいる」
低い声だった。
周りを囲んでいる木々の向こうから、気配が揺れた気がする。
仮眠を取っている団員は気づいていない。
人数を数えれば、王都からついてきた団員は全員この場にいる。
その数、35人の大所帯。
気のせいではないかと目配せをしても、カイルは首を振って否定する。
その瞬間だった。
木々の闇から三つの影が飛び出してきた。
狙いは一斉に私の方向だった。
「――ッ!」
カイルは地面を蹴って、護身用に持っていた剣を片手に、とびかかる影を薙いだ。
「敵襲だッ!」
舞台で磨かれた肺活量を駆使して眠っていた団員を起こす。
事態を把握した団員たちの、誰かの悲鳴と同時に混乱が広がる。
「大丈夫だ! 敵は三人!俺一人で捌ける!」
現れた男たちの狙いは、私一人だった。
団員たちに目もくれないおかげで、周囲は冷静さを取り戻していく。
――盗賊ではない。
三十人以上の大所帯で、たった三人で奇襲をできると判断した自信。
統率と目的が取れた動き。
誰が、何のために。把握するまで、それほど時間はかからなかった。
「座長!下がれッ!」
剣戟の音がやけに鮮明に聞こえた。
打った刃から火花が飛び、一太刀がどれほど重いのか素人の私でもよく分かった。
カイルの邪魔にならないように、荷馬車の後ろに隠れる。
それを阻止しようと、敵の手が伸びるけど――。
「ぐぁッ!」
カイルが振り下ろした刃がそれを阻止した。
そして、油断した間にもう一人。
最後に残った一人が、今度は人質を取ろうと、団員の一人に手を伸ばす。
「させるものか!」
距離があったカイルが、持っていた短剣を投擲した。
それが伸ばされた腕に刺さり、痛みで敵が怯む。
追撃を――。
方向を変えたカイルだが、それよりも早く、敵は闇の中に飛び込み、溶けるように消え失せた。
「リディア、無事か」
カイルが声を掛ける。
リディアは堪えられなかった。
代わりに、自分の命が狙われたという恐怖で震える指先を見つめる。
「レオン、様……」
敵は明らかにリディアばかりを狙っていた。
その意図、目的、そして、自分の今、置かれている状況。
照らし合わせれば、心当たりはひとつしかない。
それほどまでに、カイルはリディアに憎しみを抱いていたのか。
リディアは、頭を抱える。
一人の団員が呟いた。
「今のは……」
「貴族に雇われた連中だ」
隠しても仕方がないと答えた言葉に、空気が凍り付く。
「どうして……!」
女性団員が絞り出した声で問う。
リディアの代わりに、カイルがあっさりと答えた。
「灰色の梟の……、愚王の花嫁がそれほど、レオン王子にとって都合が悪いのだろう」
リディアの心臓が大きく波打つ。
「そんなことで」
思わず零れたリディアの言葉に、カイルは否定しない。
「言葉は届かなくても、物語は届く。だから、潰す。……あれが、レオン王子にとって、都合が悪いことなのだと、本人が「知ってしまった」のだから」
ぱちぱち、と焚火が弾ける。
リディアは、何も言えなかった。
胸の奥で、何かがはっきりと形を持つ。
怖い。
けれど、それ以上に。
「……本当に、届いているのね」
小さく、呟く。
カイルがわずかに目を細めた。
リディアは顔を上げる。
その瞳に、先ほどとは違う熱が宿っていた。
「物語は、ただの物語じゃない」
震えは、もうなかった。
「人を動かして、世界に触れる力がある」
焚火の光の中で。
その言葉は、はっきりと響いた。
「……なら」
唇を結ぶ。
「私は、やめない」
それがどれほど危険でも。
届いているのなら。
――なおさら、止める理由はない。
カイルも、怯えていた団員たちも、リディアに賛同するように、深く頷いた。




