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婚約破棄された悪役令嬢ですが、敵国の暴君が私のファンだったようです  作者: 赤羽夕夜


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劇と現実

国を統治する王と貴族の腐敗、騎士の忠誠の物語を書いた「裏切りの騎士」は帝国に大きな衝撃を与えた。


――国の上層部の腐敗、責任の押し付け、忠誠ある者が切り捨てられる構図。


多くの権力者の下で働く者の心に深く残る物語だった。


労働者の中ではよくある口では言えない不満と、汚名を着た騎士が最後まで主を想い、沈黙を貫き、騎士としての誇りと矜持を守り通す高潔な話は、多くの人の心に刻まれた。


――帝国内の権力構造をそのままなぞる内容に、多くの者が共感した時、それは熱狂に変わった。


舞台の上で語られた言葉が、客席の外へと滲み出していく。


「……まるで、俺たちの話だ」


誰かが、そう呟いた。


それは決して大きな声ではなかった。

だが、その一言は確かに周囲に伝播し、同じ思いを抱えていた者たちの胸に、静かに落ちていく。


言葉にできなかった感情。

飲み込んできた理不尽。

見て見ぬふりをしてきた現実。


それらすべてに、名前が与えられた瞬間だった。


「裏切りの騎士」は、物語ではなく、現実を映す鏡となった。



そして、それは起こるべくして起きた。


数日後の帝都ノクティアの一角。とある貴族の館で、密やかな動きがあった。


「――計画は予定通りだ」


低く交わされる声。


「証拠はすべて、あの男に」


「……また、切り捨てるのか」


一瞬の沈黙――だが、その迷いはすぐに押し潰された。


「仕方あるまい。体制を守るためだ」


どこかで聞いたような言葉。

舞台の上で、観客が息を呑んだ台詞と、寸分違わぬ響き。


――違うのは、それが現実であることだけ。


その夜のことだった。


ひとりの騎士が、反逆の罪で拘束された。


罪状は、皇室への不敬と反乱の企て。


だが――その告発の場にいた誰もが、気づいていた。


(違う)


(まただ)


(あれは……裏切りの騎士と同じ構図だ)


噂は、一夜で広がった。


誰かが意図したわけではないが、誰もが繋げてしまった。


――劇と現実を。


細かい違いはあるものの、あまりにも、裏切りの騎士の内容と酷似していたのだから。



「……面白いな」


宮殿の一室。


とある貴族による告発書とそれに関する報告書に目を通しながら、アレスは小さく呟いた。


「偶然、とは思えんな」


側近は慎重に言葉を選ぶ。


「劇が影響を与えた可能性も……」


「違う」


即座に否定する。


アレスは書類を投げ捨てるように机の上に置いた。


「あの、劇にそれほどの力はない」


皇室への不敬と反乱の企てをした騎士の名と、その概要が記された書類が一番上にあった。


その文字の羅列を視線でなぞり、疑念に満ちた側近に言った。


「灰色の梟――リディア・クラウゼルの脚本は卓越した観察力と性格分析。登場人物の構成力。そして、元々いた人間を題材にして成り立っている。例えば、愚王の花嫁のモデルは元婚約者のレオン。裏切りの騎士には副座長のカイル。元は王国騎士で、仕えていた主の不祥事に巻き込まれる形で騎士の座を追われた者だ」


側近は頷いた。


――彼はアレスが灰色の梟の著作物を集めていたことを知る数少ない人物だった。


先代皇帝から仕える高位の文官で、本を購入したり、探していたのは彼で、アレスが灰色の梟とその一団をお抱えの歌劇団に任命することにも口にしなかった。


世界的に見ても、統治者が芸術家を抱えるのはなんら不思議ではないし、芸術の国とも言われるのなら、もっと支援する芸術家を増やしてもよいとすら思っていたからだ。


さすがに、他国の――しかも国外追放をされた問題児をお抱えにするというのは心配だったが、それでもなにか思惑があるのだろうと、忠言はするがそれ以上に口を出すことはなかった。


だが――。


側近は、あえて言葉を続けた。


「それでも、ここまで一致するとなると……偶然で片付けるには、あまりに出来過ぎております」


静かに、しかし踏み込む。


側近の仕事は、ただ皇帝の意を汲むことではない。


時には真っ向から立ち向かい、間違った道に進みそうなときは命を賭しても元の道に戻すという役割もある。


乾いた唇を舌で湿らせ、言葉を続ける。


「まるで、あの劇が――」


「予言したようだ、と?」


アレスが言葉を引き取った。


側近は、わずかに目を伏せる。


否定も、肯定もしない沈黙。


その沈黙こそが、答えだった。


「……愚かな話だ」


アレスは短く吐き捨てる。


だが、その声には嘲笑だけではなく、興味が混じっていた。


そして、灰色の梟――リディアは、アレスが意図した期待に応えてくれたのだと、側近はこの後、知ることになる。


「未来を見通す力など、人にはない」


指先で机を軽く叩く。


規則的な音が、静かな室内に響いた。


「あるのは――“積み重ね”だ」


書類のページを指で弾く。


「腐敗も、歪みも、すべては突然生まれるものではない。小さな綻びが積み重なり、やがて形になる」


その視線が、遠くを見る。


「奴は、それを見ているだけだ」


リディアの姿が、脳裏に浮かぶ。


舞台の上で言葉を紡ぐ女ではない。


静かに観察し、切り取り、構築する書き手としての姿。


「……だからこそ、厄介だ」


ぽつりと、零す。


「見えている者間でしか理解されないことを、あの女は“誰にでも分かる形”にしてしまう」


側近は息を呑んだ。


それは、賛辞であると同時に――警戒でもあった。


「今回の件も、同じだ」


アレスは続ける。


「元々あった構図に、名前が与えられた」


「……裏切りの騎士、という名が」


「ああ」


短く頷く。


「だから、人は気づいてしまった」


“これは物語ではない”と。


沈黙が落ちる。


アレスは、書類を閉じる。


その動作は静かだが、確かな重みを持っていた。


「――なるべくしてなった。ただ、それだけだ」


そして、ふと視線を上げる。


「……だが」


わずかに、口元が歪む。


「見えるようになった以上、もう元には戻らん」


「では――どうなさいますか」


側近の問い。


慎重に、だが避けては通れない問いだった。


「このままでは、民の不満が……」


「広がるだろうな」


驚くほどあっさりとアレスは認める。


国を統治する者にとって民の不満――特に冷酷で有名なアレスの統治にとってはノイズだ。


気にする素振りを普段見せなくとも、不満の爆発の種になる者をみすみす見過ごすのかと側近は首を傾げる。


「……よろしいのですか」


「問題は、不満があることではない」


アレスは、椅子に深く身を預ける。


「見えないことだ」


その言葉は、重かった。


「見えない不満は腐る。だが、見える不満は――制御できる」


側近の表情がわずかに引き締まる。


不満を抑制するのではなく、あえて見える形にして制御しようとしているのだ。


それを難なく、平然と言ってのける皇帝に、恐ろしさと頼もしさを同時に感じた側近は、肯定の意を示すため、礼を取った。


「今回の件は、むしろ都合がいい」


アレスの口元が、わずかに歪む。


「膿が浮き上がってきた」


「……では、あの騎士は」


「処分は保留だ」


即答だった。


「徹底的に調べろ。裏にいる者も含めてな」


その声には、一切の迷いがない。


「もし、本当に“裏切り者”なら切り捨てる――だが」


一拍置く。


「今回は、違うと断言できる」


言うまでもなかった。


リディアの物語を信じたのか、騎士の無実を元から知っていたのかは、側近にはわからなかった。


ただ、アレスが違うと断言したのなら、それまでの過程があるはずだ。


アレスの才能と能力を信じている側近は深く頷いたのだった。


「……それと」


「は」


「リディア・クラウゼルを呼べ」


側近の眉が、わずかに動いた。


「歌劇団の座長を、ですか」


「ああ」


迷いはない。


「舞台の上だけでは足りん。自分の書いた物語が、現実とどう繋がるのか――」


その瞳に、鋭い光が宿る。


「本人の口から、聞いてみたい」



同じ頃。


歌劇団の楽屋では、重たい空気が流れていた。


「……聞いたか」


トビアスの声は低い。


「例の騎士の件だろ」


カイルが短く返す。


リディアは何も言わない。


ただ、静かに手元の台本を見つめていた。


「……私のせい、でしょうか」


ぽつりと、零れる。


その言葉に、全員が息を止めた。


「違う」


即座に否定したのは、カイルだった。


迷いのない声。


「元からあったものだ。書こうが書くまいが、起きていた」


一歩、リディアに近づく。


「ただ――」


わずかに、言葉を区切る。


「いつものことだ。物語を書いた先が、見えただけだ」


リディアの瞳が揺れる。


「……見えてしまったら、無視はできないわ」


小さく、けれど確かな声。


その瞬間。


彼女の中で、“覚悟”が形になった。


物語は、人の心を動かす。


ならば、その先にある現実から、目を逸らしてはいけない。



「――呼べ」


宮殿にて。


アレスは、短く命じた。


「リディア・クラウゼルを」


その声は、いつも通り冷静だが、その瞳には、明確な興味が宿っていた。


「今度は、舞台の外で話をする」


――劇と現実が交差する時。


物語は、次の段階へ進む。

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