愚王の花嫁
――今晩の王都リュミエールは、いつにも増してざわめいていた。
そのざわめきの中心にある王立文化大劇場は、貴族はもちろん、商人、平民が集まり、VIPルームには王族の名で予約も入っていた。
ひとつの施設に、さまざまな人種がひしめき合っている室内の熱量は、全面に下がっている赤い幕が開くのを、今か今かと待ち望んでいた。
今夜、この劇場で上映されるのは、新作の歌劇――「愚王の花嫁」という演目だった。
脚本を書いたのは、匿名の劇作家。
女性であることしか明かされていない。
筆名は「灰色の梟」。
近年、王都で密かに人気を集めている劇作家で、人間の脆さ、鋭い風刺を書く物語は多くの観客を惹きつけた。
――今宵はどんな魅力的な物語で、私たちを楽しませてくれるのだろう。
観客の期待を乗せていると、舞台幕の前に一人の男性が現れる。
最初にチェロとバイオリンの寂しさがこみ上げる二重奏が鳴り響き、低めの声が観客の耳に落ちる。
「王国、アルデリアは豊かな国だ。作物は育ち、民の暮らしも安定し、騎士が治安を守る。――だが」
もみあげを巻いた貴族風の老齢の男性が登場する。
神妙な面持ちで、悲し気に舞台の天井を仰ぐ。
「どれほど、強い国であろうとも、豊かな国でも、勝てないものがある。飢饉?戦争?――いいや」
台詞が途切れ、舞台の照明が一度落ちた。
男性と入れ替わるように、舞台の幕が上がる。
上演の前の静けさに、煌びやかな舞台に静かな照明が一点に降り注いだ。
「愚かな、王だ」
王宮を模した舞台の中央には、愚直で単純な王、アルベルトが登場し、会場の空気に甘い言葉を乗せた。
「難しい話は退屈だ!こんなうっとおしい日には宴に限るッ!」
――こうして、期待の演目の舞台の幕が上がった。
アルベルトは愚直な性格で、政治を大臣にまかせっきりにしていた。
対して、王妃エレシアは聡明で責任感もあり、国政を支えようと努力をして、一幕が終わる。
続いて二幕。
神殿の聖女リリアが王都で奇跡を起こし、人気を集める。美しく可憐な容姿に、アルベルトは心を奪われ、彼女の言葉に夢中になる。
対して、エレシアは軽率な行動をとるアルベルトに忠告をする。
「――アルベルト様!国が危機に向かっているのです!どうか、どうかッ……!」
政治をしない王族に、貴族や大臣は好き放題に政治をし始めた。
政治が傾いているのにも関わらず、まったく政務に興味を示さず、聞く耳を持たないアルベルト。
そんな彼に、リリアは優しく導いていく。
やがて、物語は佳境を迎えた三幕。
エレシアの忠告も空しく、アルベルトはリリアとの時間を過ごすことにだけ浪費する。
大臣たちは、そんなアルベルトを持て囃し、アルベルトの態度は有頂天になる。
その裏は、アルベルトを傀儡にしようとする勢力が。
それでも、忠告し続けたエレノアは――。
「嫉妬に狂う女など、王妃にふさわしくない!国外追放だ!」
エレノアの必死の説得も空しく、響く薄っぺらく感情的なセリフ。
意味を理解した観客のドっとした笑い声が劇場を包んだ。いかに愚かしい行動なのか、理解したからだ。
観客は感情を抑えきれなく、腹を抱えている。
その感情をさらに包むように、エレノアは静かに歌い上げる。
「王は、雲だ
民の遥か上に立ち、届かない存在
しかし、遥か高みにいるせいで、声すら届かない
知らず、夕暮れの空が夜の色に変わるように、心はうつろいゆく
誓いを、あの日の言葉を、声高らかに歌ってみても
知らぬ間に形は変化していく
それでも、誰かが、
国を想わなければいけない」
歌い残し、エレノアは舞台袖に降りていく。
一度も振り返らず、軽蔑な眼差しでアルベルトは見送った。
エレノアがその後に姿を見せることがなかった。
第三幕が終わり、物語が進むことに国が衰退していく様を描いた四幕、終幕が終わると、静かに幕が下りて行った。
赤い幕が下りて、一瞬の沈黙が落ちる。
静かに、観客が舞台が終わったのだと認識していくと、一斉に立ち上がり、劇場は大きな拍手に包まれた。
「素晴らしいッ!」
「なんて劇だ! 展開の派手さはないが、面白かった!」
「今年一の劇よ!」
興奮した声音で舞台を賞賛した。
しかし、その興奮の中で、ひとつだけ違う色を放つ者がいた。
二階席のVIPルームで、強く、拳を握って震わせているものだった。
「――ふざけるな」
怒りの声が、隣に座る女の鼓膜を震わせた。
怯えた視線で隣に座る男を見据え、心配そうに囁いた。
「殿下、どうかなさいましたか?」
男――王子レオンは舞台を睨んだまま答える。
「まるで、私を嘲笑っているようではないか」
「気のせいではないですか……?」
聖女ミレイアは小さく息を呑む。
言われてみれば、登場人物は自分たちに通ずるものはあったが偶然ではないか。
疑念を込めて、もう一度聞いた。
それでも、レオンは首を横に振った。
愚かな王。聖女の存在。忠告する婚約者。
――あまりにも似すぎている。
今、傍にいない婚約者の存在が、レオンの脳裏によぎる。
「脚本は誰だ」
VIPルームの出入り口の背後で身動きを取る側近たちに問う。
そして、立ち上がり、声に押し殺した怒りを滲ませて命令を下した。
「灰色の梟の正体を突き止めろ!」
拍手は未だ会場の外まで鳴り響き、カーテンコールに出るために役者たちが舞台に並んでお辞儀をしている。
それを、レオンは冷ややかな視線で見下ろした。
★
翌日。
高い天井に、長く伸びる赤い絨毯の行き止まりにある王宮の謁見の間にいて、一人の女性が立っていた。
名は、リディア・クラウゼル。
アルヴェリオ王国の侯爵家がひとつ。
クラウゼル侯爵の末娘。
玉座には本来座るべき国王はいない。
代わりに次に権力がある、王太子、レオンが座り、その脇には聖女として名高いミレイアが侍っていた。
王宮で職務に従事している貴族たちが、絨毯の脇道を囲い、心配そうな声をあげてざわめいていた。
「証言が出ました!」
一人の側近が調査資料を手にして読み上げる。
「歌劇「愚王の花嫁」を書いたのは――」
一瞬の沈黙の後、言い澱んだ素振りをして、側近はその言葉をリディアに浴びせる。
「灰色の梟――リディア・クラウゼル嬢です」
リディアは灰色の視線を静かに上げ、玉座に座るレオンを見つめた。
断頭台に立つ、覚悟を決めた犯罪者のように静かで、かと言って罪におびえる罪人の態度ではなかった。
ただ、事態を理性的に把握し、評価する観察者のようだった。
レオンは歪だと思った。
レオンは愚王の花嫁を書いた灰色の梟を糾弾するつもりでいた。
その作者がリディアで、そのリディアはレオンが疎ましく思っている婚約者だった。
疎ましく思う理由。
――それは、聖女、ミレイアと自分が結ばれるための障害であり、存在自体も気に食わない、可愛げのない女だから。
それが、さらに愚王の花嫁の作者とのもなれば、レオンが隣に置く理由はない。
それくらい、指摘をされなくとも、状況を理解できる程度の知性はリディアにあると思っている。
なのに――。
レオンは首を振る。
今は、余計なことを考えず、決めたことを決めたようにやればいい。
思考を切り替える。
まっすぐリディアを見つめると、灰色の瞳と交差した。
「否定するか?」
リディアは落ち着いた声で答えた。
「……いいえ」
貴族たちがどよめく。
灰色の梟が、王太子の婚約者であるリディアだったこと。
天才作家が、小娘だったこと。
人々の心を揺るがす歌劇の作者が、こんなにも小さな身体をしていたこと。
しかし、レオンにとっては貴族の感情はどうでもいいことだった。
視線がさらに鋭くなる。
「つまり、王族を侮辱する内容の劇を書いたと、認めるのだな?」
「侮辱するつもりはありませんでした」
感情の乗らない声で淡々と事実と本音を告げた。
「ただ、物語を書いただけです。そこに、特定の誰かを侮辱するつもりはありませんでした」
それでも、レオンの後ろからすすり泣く声がした。
振り向くと、ミレイアが声を押し殺し、修道服の袖で涙をぬぐっていた。
「殿下、私、怖いです……」
レオンからすれば、ミレイアも愚王の花嫁の演目で侮辱された被害者であり、リディアは加害者だ。
灰色の梟という大衆に知れ渡っている著名で歌劇を公演し、侮辱的な話を周囲に広められた可哀そうなミレイアを見て、レオンの怒りが一気に燃え上がる。
「十分だ」
答えは決まっている。
「リディア・クラウゼル」
立ち上がり、冷徹にリディアを見下ろした。
「貴様との婚約をここで破棄する。――さらに」
――それは、愚王の花嫁にある台詞とよく似ていた。
「王族侮辱罪により、国外追放とする」
誰もが息を呑んだ。
いくら、リディアが灰色の梟で、脚本に意図があったと仮定しても、それは重すぎる裁定ではないかと。
貴族の国外追放は、貴族会議を踏まえ、綿密な話し合いの末、決めなければならない重刑。
それを、今、この場で決めてしまってはよいものなのだろうか。
しかし、レオンの裁定に異議を唱えるものはいない。
――皆、レオンが怖いのだ。
しかし、リディアは。
リディアだけは、静かに微笑んだ。
「そうですか」
その裁定に不満がないと、穏やかに返した。
取り乱すことを想定していたレオンは言葉を失った。
泣き崩れることも、許しを請うこともしない。
ただ、裁定を甘んじて受け入れたのだ。
呆然としていると、リディアは静かに礼の姿勢を崩した。
そうして、軽く会釈をして。
「お世話になりました」
背を向け、一度も振り向くことなく謁見の間を後にした。
その背中を追いかけることも、止めることもなかった。
――まるで、愚王の花嫁、エレノアのようなワンシーンだと、あの演目を見ていた側近の一人が息を呑んだ。




