ただ、いてくれるだけで
クリストファーの感情のコントロールが不安定になった。ちょっとした事がきっかけで、激昂するようになってしまった。ただ、相変わらずジュードには優しいので、そうなった時はジュードが宥めている。カレイド国にジュードを迎えにきて、母やジェームズの家に挨拶に行ったり、航空機や色んな手配が出来ていたのに、二ヶ月後の今は何かの計画を立てることが全く出来なくなっていた。
会社の方は火急の問題なので、クリストファーの父は他人に渡すよりはと甥を連れて来て仕事を教え始めた。
家屋敷が如何に大きかろうと、顔を合わせるのが気まずいので、クリストファーとジュードは郊外に住み替えた。
小さな家だったが、クリストファーの介護の為もあって、メイドも二人雇われていた。家事を全部ジュードがしていると、クリストファーから離れることが多くなってしまうので。小さな庭でハーブも育てた。
ジュードは一目でこの家のある街が好きになった。
狭い石畳の通りを挟んで蜂蜜色の古いレンガの小さな家々が並んでいる。家々の庭には薔薇や藤、ラベンダーや季節ごとの花々がそっと咲いている。レストランも宿屋も雑貨屋もこの小さな街に揃っている。一番奥に数百年前に建てられたような古い教会がある。教会の隣に教会経営の孤児院、その隣にクリストファーとジュードの家がある。教会の裏に流れる小川は、キラキラしながら大通りの先まで続いている。同じような小さな単位の街が大通りの両脇に点在していて、全体では大学もある大きな街なのだが、普段の暮らしには静かなこじんまりとしたおもちゃの様な街だ。
引っ越して来た頃にはクリストファーと、二人で一緒に近くを散歩した。花を見て、鳥を見て、リスやウサギを見つけて。
だんだん動けなくなってしまって、五年が経つくらいには車椅子での散歩も難しくなった。
庭仕事をする時に、庭に車椅子を出して、クリストファーはそこでジュードを見守るようになった。庭のスグリや小さなリンゴ、川沿いの道の木苺でジャムを作りパイを焼く。ラベンダーやローズマリーやカモミールでハーブティや香り袋を作る。薬効のあるハーブや体に良い野菜、そんな勉強もして、少しでもクリストファーに楽に過ごしてもらいたい。
隣の孤児院の子供達が庭を覗いて、賑やかな声をかけてくれる。
「何してるの?」
「今日は何のパイ?それともクッキー?」
残念ながら、家の中に招くことは出来ない。クリストファーがたとえ子供でもやきもちを焼くから。
「じゃあ、これをみんなでおあがり」
小さな孤児院では今、七人ほどの子供が生活している。
「ありがとう」
「わーい」
ジュードの背中に夕陽が当たった。ジュードからクッキーを受け取った小さな子が言った。
「ジュードって、天使様なの?」
「なんで? クッキーくれるから?」
「ううん。すごい綺麗だから」
透明に近い長い銀髪が夕陽を浴びてジュードの背中で燃えるようだった。
「牧師様がヒトがあんなに透明になるのは、ものすごく他の人を助けたからだって言ってた」
「天使の羽みたい……」
そよ風に背中の髪が夕陽を反射したまま踊っていた。
「いなくならないでね」
「お菓子がもらえなくなるからだろ?」
大きい子に揶揄われて、クッキーを持った小さい子は顔を真っ赤にして怒った。
「違うよ。大好きだからだよ」
大好きなんて久しぶりに聞いたな。ジュードは胸の中に火が灯るような気持ちがした。
それからまた、数年。いなくならないでと言った子の方が、養父母に引き取られていなくなってしまった。
ジュードは相変わらずの日々を過ごしていた。クリストファーは残念なことにどんどん衰弱していった。
クリストファーの両親は半年に一回ほど顔を見せた。最近は言葉さえ良く話せないクリストファーは両親の前で、
「僕がいなくなっても、ジュードを頼む……」
と、絞り出すように言った。
ジュードの母はこの間に亡くなってしまったが、クリストファーがいるので遠くカレイド国の葬儀には出られなかった。もしも一人になってしまっても、もう帰る場所はない。
「大丈夫よ。ジュードさんさえ良かったら、ずっとうちで面倒を見るわ。貴方にこんなに良くしてくれるんですもの」
クリストファーは少し笑った。
ねぇ、クリストファー、僕は本当に君が迎えに来てくれて、嬉しかったんだよ。
数年後、とうとうクリストファーは天国に行ってしまった。




