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果たされない約束と思い出を残して

 霧が濃くなった。もう自分がどこにいるのかさえ分からない。


 体は、自分のアパートのベッドの上に座っていた。

 気持ちは、どこか彼方で彷徨っている様だった。


 クリストファーにもう逢えない。クリストファーが苦しい時に着いて居てあげたかった。僕を置いていってしまうなんて。婚約者って何だよ。僕と約束したんじゃないの? 何か訳があったの? あの、幸せな時間だけを僕にくれて、一人でどこへ行ったの? クリストファーと逢わなければよかった? 逢えて、幸せだった、それは本当。ずっと一緒にいたかった。何で? 何で? 何で?……逢いたいよ、クリストファー……。


 ただ息をしているだけの十日間を過ごして、実家の父からの使者に捕まった。もう、四月の終わりが近づいていた。


 ほんの少しの身の回り品と共に実家に連れ戻された。


 最後に見た坂の街は家々が夕陽に照らされて、輝いていた。乾いた海風の吹く、思い出の街を茜色と群青色の夕暮れが包んでいた。クリストファー、街が僕にお別れを言ってる。クリストファー……君にもお別れを。



 父が寄越した数人の男たちに連れられて、六年ぶりに実家へ帰った。


「息災であったか?」

 それは全く様子を気遣う言葉ではなく、挨拶としてかけられたものだった。その証拠に、父は一瞬たりともジュードの方を見なかった。

 そして、返事を待たず、次の言葉をかけられた。

「学費と寮費の詐欺にあったそうだな。様子を聞きに学校に問い合わせて分かったんだが」

 ジュードはカバンから小切手を出した。

「これを返されました」

 小切手を持ち自分の前に出されたジュードの手が、細く嫋やかなのに気がついて、父はやっとジュードを見た。


 十八歳の三男は、灰色の汚い子供から、銀髪銀眼のしなやかなΩに変わっていた。

 父ですら思わず息を飲んで、おそらくは小切手の受け取りの件で言うつもりの文句を飲み込んだ。


「来週、サファード家へ送って行く。それまで部屋に居るように」

「はい」


 それからはずっと部屋に籠っていた。食事も部屋で。

 子供の頃と違って、兄弟も日中は仕事で出かけ、夜も結婚したそれぞれの家族と過ごすらしく会うこともなかった。

 母には相変わらず無視されていた。

 一日中、窓から入る光が部屋の中のいろんな場所に反射するのを見ていた。

 夜には窓辺で月明かりを浴びながら、ニューイヤーのパーティで踊った曲を口ずさんだりした。

「クリストファー……」

 いつか君を想わなくなる日が来るだろうか?


 翌週の半ば、朝用意されていた馬鹿げたフリルの服を着て、両親とリムジンの後ろに乗った。生まれて初めて、のことだった。サファード家までの半日の移動時間をただ車窓を見て過ごした。


「一人暮らし、していたんですって?」

 道程の半分くらいを過ぎたところで、母がジュードに声をかけた。

「そうですね」

 余程、退屈したのかもしれないな、僕に話しかけるなんて。

「恋人とか出来たかしら?」


 どうせ何を言ったところで、僕に興味があるわけでもなく、退屈しのぎなんだろう。と、嫌味でもなく、全く忖度なしに答えた。

「短い間でしたが、僕を愛してくれる人に会いましたよ。初めて愛を貰いました」

「あら、その方は?」

「事故で亡くなりました。エイブリー公国の方でしたが、公国内の列車事故で」


「そう」

 残念でも可哀相でもなく、ただそう、とだけ言った母の頬に涙が一筋伝っていた。

 何の涙だろう?


「ジェームズ様が良い方だと良いわね」

 初めて聞いた相手の名前に、どうせ僕には運がないからと思ったが、そうですねと答えた。


 クリストファーじゃなければ、誰でも同じ気がする。


 住宅街でもない、高速道路の景色は、ただただ乾燥した大地が広がっていた。その中を、ひたすら真っ直ぐな道が続き、リムジンは埃を巻き上げて走り続けていた。

 


 

 


 

 


 

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