後悔と予感
「お、いたじゃねえか」
酒場で一人、酒を煽っていると――声をかけてくる奴がいた。
「……ザック!」
「ほう、まだザックと呼んでくれるんだな」
「アイザック、何をしに来た? 昼間の続きか?」
「はっ……、もう戦おうなんて思っちゃいねえよ」
そう言うとアイザックは隣に座りながら、店主に俺と同じ物を頼んだ。
「あれから……何年だ?」
一口、酒を喉に流し込んだアイザックが聞いた。
「もう、八年も前のことだ」
「八年か……」
そう呟いたまま、アイザックはしばらく黙った。
酒場のざわめきが、妙に遠く感じられる。
「この街に来てさ」
ぽつりと、独り言みたいに言う。
「ミリアの名前が聞こえた。……嫌でもな」
俺は黙って杯を傾けた。
「相変わらず派手にやってるらしいじゃねえか。最前線だ、最強だって」
「そうか」
「止めなかったのか?」
その問いに、すぐ答えは出なかった。
「止められると思うか?」
「……思わねえな」
短く返して、アイザックは苦笑した。
わかっている。俺も、アイツも。
「だから余計に腹が立つんだ」
低く、噛みつくような声。
「昔からそうだ。あいつは前に出る。お前は――後ろで全部受ける」
俺は杯を置いた。
「役割分担だろ」
「ふざけるな」
初めて、アイザックの感情が剥き出しになった。
「そんな分担、誰が決めた?」
息を吐くと声を落としてアイザックが続けた。
「忠告したはずだぜ? ミリアを守るなと」
「……そう、言ってたな」
「ああ、言ってたな」
フンッと鼻息を鳴らして、アイザックが酒を飲む。
「俺が守らなきゃどうなる?」
「さあな、そんな事は知らねえ」
「お前はそうやって離れたじゃないか」
アイザックが勢いよく俺の肩を掴んで引き寄せる、馬鹿力め。
「死んだら何もならねえ」
「俺は死なない」
目を見開いたアイザックが立ち上がった。
「またな」
店を出て行くアイザックを見送った後、俺は思った。……アイツ、金置いていかなかったな。
――マスターは、きっと自分では気づいていない。
でも、私には分かる。
あの人のそばにいると、
胸の奥が、ずっとざわついている。
森でも、ギルドでも。
信頼の代償がかかるたび、
空気が一瞬だけ、冷たくなる。
……怖いのは、敵じゃない。
夜。
宿の部屋で、一人布にくるまりながら、
昼間の光景を思い出していた。
盾。
火花。
あの男の拳。
そして――
マスターが、痛みに慣れきった顔で立っていたこと。
「守る」
そう言った時の目。
あれは、決意なんかじゃない。
もっと――深いところで、決まってしまっている目だった。
私は、治癒士だ。
傷を治すことはできる。
でも。
あの人が削っているものは、
たぶん、私の手の届かないところにある。
……それでも。
「守り切るつもりなんですか?」
そう聞いた自分の声は、震えていた。
答えは分かっていたのに。
もし、この先。
本当に“取り返しのつかない代償”があるのだとしたら――
その時、私は。
マスターを、止められるだろうか。
――酒場から帰ると食堂でミリアが待っていた。
「遅かったじゃない! お酒飲んでたのね!」
「ああ、少しだけな」
そう言いながら足をもたつかせてしまう。
「フラフラじゃない、何かあったの?」
「何もないよ?」
「ねえ、やっぱりあれって……」
ミリアが心配そうな顔を見せるから思わず、
「何もないよ」
無理矢理口角を上げて言葉を遮った。
まだこいつに心配させちゃいけない。
「あ、マスター。お戻りでしたか」
ヒナとルーナが階段から降りて来た。
「あの、マスター」
「悪い、眠いんだ」
そう言って階段を登り始めるとヒナの声がした。
「おやすみなさい」
階段を上りきるまで、振り返れなかった。




