第9話「経済封鎖と、干し芋の逆襲」
バルカス侯爵の騎士たちが、剣を構えてじりじりと距離を詰めてくる。
対する俺たちは、ガルガンを先頭に、農具を手にした村人たちが固唾を飲んで構えている。シルフィは冷静に状況を分析し、リリアナは何かを考え込んでいる様子だ。
「やれ!皆殺しにしろ!」
侯爵の非情な号令と共に、騎士たちが雄叫びを上げて突撃してきた。
まさにその時。
「お待ちください!」
凛とした声が響き渡り、騎士たちの動きが止まった。
声の主は、リリアナだった。
彼女は、少しも臆することなく侯爵の前に進み出ると、一枚の羊皮紙を突きつけた。
「バルカス侯爵閣下。こちらは、我がメープル商会と、この『恵みの谷』の領主アレン・クローバー様との間で交わされた、独占取引契約書です。契約によれば、この谷で生産されるすべての作物は、我が商会が買い取る権利を有します。もし、閣下がこの谷を不当に占拠なされば、それは王国経済を支えるメープル商会に対する、明確な敵対行為と見なしますが、よろしいですかな?」
リリアナの言葉には、商人の娘とは思えないほどの威圧感がこもっていた。
メープル商会。それは、王国でも五指に入る大商会だ。その影響力は、並の貴族を遥かに凌ぐ。
バルカス侯爵も、その名前を知らないはずはなかった。
「メープル商会、だと……?貴様、あの強欲爺いの……」
侯爵の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
大貴族といえど、王国経済を牛耳る大商会を敵に回すのは、あまりにもリスクが高い。
「ご理解いただけたようで、何よりです。さあ、騎士の方々、剣を収めてください。これ以上の狼藉は、メープル商会が許しませんよ」
リリアナが冷たく言い放つと、騎士たちは顔を見合わせ、おずおずと剣を鞘に収めた。
バルカス侯爵は、悔しさに顔を歪め、ギリリと歯ぎしりしている。
「……覚えておれよ、小僧ども。このまま、引き下がると思うな」
捨て台詞を残し、侯爵は忌々しげに馬車に乗り込むと、砂埃を上げて去っていった。
嵐が去った後のような静けさの中、俺たちは安堵のため息をついた。
「助かったよ、リリアナ。まさか、あんな契約書を用意していたなんて」
「商売の基本よ。価値のある取引相手は、あらゆるリスクから守る。それが私のやり方」
リリアナは、悪戯っぽく片目をつぶった。頼りになりすぎる、俺のパートナーだ。
しかし、これで一件落着とはいかなかった。
***
数日後、バルカス侯爵の陰湿な報復が始まった。
彼はその権力を使い、俺たちの領地に対して、完全な『経済封鎖』を行ったのだ。
『恵みの谷』に通じるすべての街道は、侯爵の私兵によって封鎖され、人や物の出入りが一切できなくなった。リリアナの商隊も、谷に入ることができない。
「やられたわ……!これでは、せっかくの作物を王都に運べない。塩や鉄、油といった、谷で生産できない物資も、手に入らなくなる」
リリアナが悔しそうに唇を噛む。
侯爵の狙いは明らかだ。俺たちを兵糧攻めにし、自滅させようというのだ。
領民たちの間にも、不安が広がり始めた。
「このままでは、干上がってしまう……」
「侯爵様に、逆らったのが間違いだったんじゃ……」
そんな弱気な声も聞こえ始める。
俺は、そんな領民たちを集めて、宣言した。
「心配するな!俺に考えがある!」
俺は、彼らを連れて、巨大な倉庫へと向かった。
そこには、収穫したまま出番を失った、山のような黄金ポテトが積まれている。
「いいか、皆!俺たちは、食料の力で、この封鎖を打ち破る!」
俺が打ち出した秘策。それは、『保存食』の開発と、それを利用した独自の経済圏の確立だった。
俺は領民たちに指示を出し、黄金ポテトを使った、二種類の加工品の生産を始めた。
一つは、『干し芋』だ。
蒸したジャガイモを薄く切り、天日でカラカラになるまで干す。
シンプルだが、栄養価は高く、そして何より、驚くほど長持ちする。軽くて持ち運びも便利だ。
もう一つは、『ポテトスターチ』、つまり片栗粉だ。
ジャガイモをすり潰し、水にさらしてデンプンを抽出、乾燥させる。
これは、料理のとろみ付けや、パンや菓子の材料にもなる、万能の粉だ。
俺のスキルで育った黄金ポテトは、加工してもその栄養価や回復効果を失わない。
俺たちは、来る日も来る日も、干し芋と片栗粉を作り続けた。
谷の中は、甘い芋の匂いと、活気のある掛け声で満ち溢れた。不安な顔をしていた領民たちも、共同作業に打ち込むうちに、次第に笑顔を取り戻していった。
そして、一ヶ月後。
俺たちの倉庫は、膨大な量の干し芋と片栗粉で埋め尽くされていた。
「よし、反撃開始だ」
俺はシルフィに頼み、森のエルフの隠れ道を使わせてもらった。
それは、バルカス侯爵の兵士たちが監視する街道を迂回し、隣の領地へと抜ける、獣道のようなルートだ。
俺とリリアナ、そして数人の屈強な村人たちは、干し芋と片栗粉を背負えるだけ背負い、その隠し通路を通って、封鎖網を突破した。
俺たちが向かったのは、侯爵の息のかかっていない、中立的な貴族が治める領地の街だった。
***
その頃、王国全土の食糧事情は、もはや壊滅的と言ってよかった。
人々は飢え、栄養失調で倒れる者が後を絶たない。そんな彼らの前に、俺たちは現れた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!恵みの谷の特産品、『命の干し芋』だよ!一枚かじれば、三日は戦える!安くしとくよ!」
リリアナの威勢のいい声が、活気のない市場に響き渡る。
最初は訝しんでいた人々も、干し芋を試食し、その驚くべき効果と美味しさを知ると、我先にと群がってきた。
軽くて栄養価の高い干し芋は、飢えた人々にとって、まさに救世主のような食べ物だったのだ。
俺たちの干し芋は、口コミで瞬く間に広まっていった。
食料を求める人々が、侯爵の封鎖をかいくぐり、俺たちの元へと集まり始める。
俺たちは、彼らに食料を売るだけでなく、物々交換も積極的に行った。
干し芋と引き換えに、塩や鉄、布といった、俺たちの谷に必要な物資を手に入れる。
それは、バルカス侯爵の支配を受けない、俺たち独自の、新しい経済圏が生まれた瞬間だった。
「どう、アレン。私の言った通りでしょ?需要があるところに、供給が生まれる。経済の基本よ」
リリアナは、得意げに胸を張る。
俺は、たくましすぎる彼女の商魂に、改めて感心するしかなかった。
バルカス侯爵の経済封鎖は、皮肉にも、俺たちの結束を強め、新たなビジネスモデルを生み出すきっかけとなった。
だが、俺たちの本当の目的は、こんな小さな商いで満足することではない。
この国の、根本的な食糧危機を救うことだ。
そのためには、王都へ、そして国王の元へと、この『恵みの谷』の存在を知らしめる必要がある。
干し芋の成功は、そのための、まだほんの序章に過ぎなかった。
俺は、飢えに苦しむ王都の民衆の姿を思い浮かべながら、次なる一手へと、静かに思考を巡らせるのだった。




