私のお見合いに赤の他人のいつメンが来た
いつメン→いつものメンツの略語
私はジュジュリィ。
ジュジュリィ・ロースパイク、二十歳。
交易の盛んな都で、大きくはないけれど、安定した中堅商会を営む父とそれを手伝う母との間に生まれた、比較的裕福な一般庶民だ。
上には闊達で明るい姉がいて、家族四人の仲も良好。
ちなみに、姉は私の二歳年上で、すでに優秀な従業員であった好青年と恋愛結婚し、夫婦で跡を継ぐための修行に励んでいるところだ。
私自身は特にこれといった夢も目標もなく、ゆるく実家の商会を手伝っているくらいで定職にも就いていない。
両親も姉夫婦も、家族で唯一のんびりした気質の私をあるがまま受け入れて、必要以上に自由にさせてくれている。
私もそれに甘えて、特に将来に焦るといったこともなく、暇を見ては、中央区の国立図書保存館に趣味の読書をしに通うような日々を過ごしていた。
私の住む西地区にも都立の図書保存館があるけれど、やはり中央区のそれよりは規模が小さいし、物語小説よりも実用的な資料系統の本が多いので、あまり行くことはない。
なにより、中央区の図書保存館は国立だけあって、新しい物や他国の小説もたくさん入荷していて、いつでも新鮮な気持ちで利用できるのが良いのだ。
広い都をぐるりと一周する最新鋭の魔法汽車に乗って、今日も今日とて図書保存館に通う。
入館の際に銀貨を一枚預けることがネックなのか、もしくは、本自体に興味のない住民が多いのか、ここで混雑に見舞われた経験はない。
中庭の噴水が見える窓際の席が私の定位置で、読む本のジャンルはその日の気分次第。
王道の冒険ものや、恋愛、コメディ、ホラー、推理に戦記、旅行記、伝記に、エッセイ、まれには詩集だって楽しい。
この場にいながらにして、多くの体験が出来る物語たちが、私は本当に大好きだった。
また、そうやって、何年も小まめに顔を出していれば、他の常連の存在にも少しは気が付いてくる。
いや、ストーリーに夢中になっている間は誰も目に映らないけれど……それでも、周囲に意識を向ける瞬間はゼロではないので。
私と違って翻訳版じゃなく原語版で他国の小説を読んでいる上品なお婆さんだとか、きちんと勉強しつつもイチャイチャしている近所の国立学校に通う学生さんカップルだとか、いつも複数の資料を並べては必死に書き物をしている青年だとか、多種多様な図鑑をじっくり読み込んでいるおじさんだとか。
もちろん、年月の経過と共に多少の入れ替わりは起こるし、きっと全員は把握しきれていないと思う。
そも、そこまで熱烈な興味もないわけだし。
常連同士とはいえ、彼らと直接話したことだってない。
各々、目当ての本を読みに来ているのだから、交流なんてなくて当たり前というか、ここではそれが正解というか。
現在も未来も直接関わることのない赤の他人なのに、おそらく互いに顔を認識しているという状況は、なんとも奇妙だ。
仮に私が定職に就いていて、定時に出勤帰宅をしていたら、その道中でも同じように、いつも見かける知らないけど知っている人というものが出来るのだろう。
否、同じ空間を長く共有している分、我々の方が仲間意識が強いかもしれない。
図書保存館におけるルールをしっかり守るだけの常識があり、本を無下に扱わないという実績からの信頼もある。
……なんて、自分が独りで勝手に思っているだけで、実際に相手がこちらを認識しているのか、どう感じているかなど、知る由もないけれど。
実家の商会の手伝いと、国立図書保存館への往復だけの、私の穏やかな日常。
そんな中、別段に唐突という程でもない、ちょっとした変化が訪れた。
縁談である。
こういった話は初めてでもなく、今更、大きな驚きもない。
顧客の信頼厚い中堅商会の会長の次女で、特に素行に問題もないお嬢さん、かつ、現状お付き合いしている男性もいない、とくれば、まぁ、それなりに世話を焼きたがる人間だって出てくるものだろう。
私とて結婚に憧れがないわけでもない。
同時に、独り身でも構わないと思っていて、だから、自分で探そうという考えがなかったりする。
激しい恋愛のいざこざなんて、本の中だけで充分だ。
読むだけで疲れることを、生身で体験したいとはとても思えない。
いくつか縁談を貰いつつ未だ独身である事実に関しては、単に巡りあわせが悪かった、という一点に尽きる。
相手側の事情で断られることもあったし、私の方からお断りしたこともあった。
父も吟味してくれているので、会ってみたら酷い男性だった、なんて経験はない。
だから、今も昔も、私は毎度それなりに期待してお見合いに挑んでいる。
今回いただいた釣り書きでは、お相手は私より五つ年上の二十五歳で、監査官をやっているらしい。
監査官というのは、大まかに、様々な取引において適性の範囲内か不正がないか等を確認して、その結果を国に報告する人だ。
現状では下級の監査官だけれど、いずれは上級の資格を得たいと考えて、目下勉強中とのこと。
上級の資格はなぜか既婚でないと取得できないらしく、さりとて、己で探して関係を築いていくだけの余力がないので、職場の上司に紹介を頼んだのだとか。
しかし、監査される側とする側で結婚なんて、問題にならないのかしら。
ともすれば、癒着を疑われそうな。
実はうちの商会に黒い取引の疑いがあって、それを暴くために……なぁんて、そんなハードな展開だけはないわね。
単純に、手堅い仕事ぶりを信用されているのでしょう。
こちらも、あちらも。
中には、袖の下を受け取って内容を偽ったり、自分が法だというような横柄な態度であれこれ口を出す監査官もいると聞く。
両親が許容した以上、そんな不遜な輩でないことだけは確かなはず。
当日の付き添いは、父が外せない仕事があると言うので母のみだ。
あれこれと想像を巡らせながらも、ドレスコードのある少し高級なレストランの個室で実際の彼に会ってみれば……そこには、よく見かける知らない男性がいた。
図書保存館の最奥の席で資料片手に書き物をしている青年だ。
「あっ」
思わず声を上げれば、当の本人が不思議そうに私を見てくる。
彼は私に気が付いていないらしい。
「ん? なんだ、君たち知り合いかね?」
私の様子から既知であると勘違いしたお見合い相手の上役である壮年男性が、若い男女二人へ交互に視線をやった。
私が一方的に常連組と認識しているだけで、そもそも彼はまず私という存在を把握していない可能性がある。
「あ、いいえ、そういうわけではなくて……」
だいたい、顔を見たことがあるだけで会話をしたことすらない相手を知り合いとは呼ばない。
「失礼、どこかでお会いしましたか?」
返答に詰まってまごまごしていると、内に、見合い相手から当然の問いを投げかけられた。
彼に本気で心当たりがないのであれば、私のこの態度はやや不審に思われているかもしれない。
他人から一方的に知られているというのは、やはり怖いことだろう。
とはいえ、ここは正直に申告するべき場面か。
「その、不躾ですが、もしかして、中央区の図書保存館をよく利用されていらっしゃる?」
「え、はい。そうですが……」
青年の顔がほんの僅か訝し気に歪む。
いつも熱心に己のやるべきことに集中しているから、他の利用者など目に入っていないのだろう。
きっと誰もが第一印象にそう挙げるような、真面目一徹といった雰囲気の男性だ。
仮に今、そのせいで私の立場が微妙になっていたとしても、悪いことだとは思わない。
ただ、少しばかり苦笑いぎみになってしまうのだけは許して欲しい。
「あぁ、やっぱり。
私もよくそこに通っていて、噴水の見える窓際の席に座っているんです。
それで、あなたが最奥の席で書き物をしている姿を何度かお見掛けしていて」
「っあ。なるほど、あなたでしたか」
途端、青年から警戒の色が消えて、次いで、どこかばつが悪そうな表情で小さく頭を下げた。
「申し訳ない、普段と装いが異なるもので気が付きませんでした」
な、なんだ。きちんと捕捉されていたのね。
確かに、私はいつもと違って髪を結い上げているし、化粧もして、本を読むとき専用の眼鏡だって掛けていないし、ドレスアップもしていて、これでは特に親しくもない男性は正体を看破できなくたって仕方がないわ。
何はともあれ、不審者扱いは免れたようでホッとした。
「いえ、私たち言葉を交わしたこともありませんし、記憶に残っていただけ幸いと申しますか。
むしろ、一番ちょうどよい塩梅で安心いたしました」
「というと?」
「全く覚えられていないと、こちらが覚えていた手前いささか所在が……かといって、着飾った姿でもすぐに私だと分かるぐらい念入りに観察されていたのなら、少し怖いじゃあないですか」
「ははぁ」
私の説明に納得したのか、していないのか、妙な具合で男性が頷く。
「これっ、ジュジュ。
あなたと来たら、まともに挨拶もせぬ内からアレやコレやと。
だいたい、なんでも明け透けに語れば良いというものじゃあありませんよ。
もう少し慎みを持ちなさい」
と、ここで私の母からの叱責が飛んだ。
最初に引っかかる反応をしたのは私かもしれないけれど、こちらとしては相手に問われたことに答えただけなのに。
無視して挨拶から入る方が失礼にならないのかしら?
いえ、母の本題は、もっと淑やかに見せかけろ、という点なのでしょうけれど。
「あら、お母様。
これから結婚して家族になろうという相手に自分を偽ったって仕方がないでしょう?
この程度で引いてしまうのなら、今回は縁がなかったということですよ」
敢えて、相手にも聞こえる声量でそう告げて、母に笑いかける。
心底愛した男性がいて、その人を手に入れるために己を消して好みの女を演じる、というのなら理解できるけれど。
これはお見合いで、お互いの妥協点を探るのが本質だと思うのですが、どうですか、と。
「あぁ、もう。親しき中にも礼儀ありと言うでしょうに。
まして、相手は初対面なのですよ」
困った子だとでも言いたげに、母はため息を一つ零して頬に左手を添えた。
間違ってはいないが、終わった後ならまだしも、お見合いの真っ最中に取る態度ではないような……と、また怒られそうなことを考えて肩をすくめる。
すると、なんとここで意外なところから意外な援護が飛び込んで来た。
見合い相手の男性、その人だ。
「ロースパイク夫人、私なら構いません。
彼女の話は分かりやすいし、個人的にも納得のできるもので、不快には感じませんから」
「まぁ」
「あら」
母娘二人で似たような瞬きをして、青年を見やる。
この場面で私を庇うために割って入って来れるというのは、中々ポイントが高いかもしれない。
男性は、父もそうだけれど、こと女性同士の言い合いに対して、監査官上役の彼のようにただ黙って嵐が通り過ぎるのを待つタイプの人が多い印象だから。
それに、いかにも事実を並べただけといった冷静沈着な本音トーンで、嫌みがないのも良い。
母も彼の言葉で気を取り直したようだ。
縁談の流れが正常に戻るのを感じる。
そう、ここに至って、ようやく私たちは正式にお見合いのテーブルに着いたのである。
……物理的な意味で。
互いに向かい合う形で席に腰かけたら、まずは付添人同士が我々の基本情報を会話形式で垂れ流していく。
それが十分から十五分くらい続いて、終われば、ついに当事者二人のターンだ。
「改めまして、私、オースティン・バートンと申します。
本日はよろしくお願いいたします」
「あっ、はい。ジュジュリィ・ロースパイクです。
こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そして、ここからは自由問答。
相手の知りたいこと、気になることを尋ねていく。
「オースティン様は上級監査官を目指していらっしゃるとお聞きしましたけれど、図書保存館ではいつもそのお勉強を?」
いきなり具体的な結婚生活の話題を出すのも無粋なので、相手も答えやすそうな質問でお茶を濁した。
はい、か、いいえだけで返事が可能な聞き方をしたけれども、本当にそれだけしか言わない人間だと、少し今後が厳しいと思う。
「そうですね。あそこは幅広い情報が集まるので重宝しています。
我々の掲げる取引における適正な範囲というのは、様々な要因で上下するものですから、常に正しく仕事を成そうとすれば、学ぶべきことも調べるべきことも尽きません」
少々堅いが、かなり丁寧な対応だ。
現状、感触は悪くない。
「聞いているだけで大変そうですが、その分、やりがいもありそうですね」
「はい。
己が正しいことをしているのだと、そう信じられる仕事ぶりを常に目指しているところです」
図書保存館での姿だけでも納得だが、青年が口先だけじゃなくて、大層な努力家であるのだと窺える。
疲れそうな生き方だけれども、眩しい限りだ。
「素晴らしいわ。
私などは、生来の怠け者で、のんびり穏やかに生きて死ねればそれで良いという人間なので、意欲的、活動的に生きていらっしゃる方々には尊敬の念を覚えるのです」
上がった好感度に合わせて、少し己を開示していく。
私は良いと思っても、相手がどう感じるかは分からない。
人間、必ずしも双方向に同じ相性が見えているとは限らないのだ。
特に私は、他人より優れたものを持っているわけでもなく、それでいて働き者でもない微妙な女である。
あの父の娘、という点以外では、あまり価値のない存在なのだ。
「では、ジュジュリィ様が読書を好まれるのは、そうした活動的な人物像が物語には多いからでしょうか?」
「……単純に、お話が面白いからだと思っていたけれど、言われてみれば、その様な面もあるのかもしれませんね」
私、新たな発見や視点を与えてくれる人は好きですよ。
それに、今のは私自身を知るための質問に当たるから、ちょっと嬉しい。
興味関心を持ってくれているのだと感じる。
ただ、私は私の価値があまり分からないから、相手を良いと思うにつれて、徐々に不安にもなってきた。
「オースティン様は、私のように夢も目標もなくただ楽に生きているだけの人間を不快には思われませんか?」
「ジュジュっ」
母の小声の叱責が耳に届く。
黙っていればいいのに、こういうことを聞いてしまうから、私という女は面倒臭いのだ。
本当に、誰に敬遠されても仕方がない。
受け入れられたいのに、受け入れられるのが怖い、だなんて。
「いえ、特には。人の幸福はそれぞれですから」
「けれど、夫婦になればその様な怠惰な私の姿を毎日のように見ることになるのですよ」
「そうですね。悪くないと思います」
「えっ?」
一瞬、思考が停止した。
想定の範疇外すぎる返しが来て、意味を理解するのに時間がかかってしまった。
けれど、動揺したのは私だけではなかったようで、ここまで落ち着いていたはずの青年が一転、慌てた様子で弁明らしきセリフをたどたどしく紡ぎ始める。
「っあ。あぁ、いえ……例の図書保存館で……偶さか目に入るジュジュリィ様は、感情豊かと申しますか、本を前にとても、もちろん周囲に配慮した程度ではありますが、本当に、その物語の場に共に立っているかのごとく、多種多様な表情をされていらっしゃって……あなたのそんな姿が視界に入ってくると、数字や情報に埋もれているばかりでは忘れがちな、何か人として大切なことを思い出したような、そんな心持ちになるものですから」
「え、えぇ……?」
というか、私、公共の場でそんな百面相していたんですか?
っえ、本当に?
そして、あなたはそんな私を垣間見て、心の潤いを得ていたと?
えええっ?
は、恥ずかしすぎるんですがっ!?
少々とうが立ってはいても、私とて年頃の乙女なのですがっ!?
「とはいえ、だから、その女性とどうにかなろうなんて、これまで考えたこともなかったんですけど、ね」
「あ、その……えっと……」
「不覚にも、縁談の相手があなただと分かり、私はほんの少しばかり喜びを感じてしまったようで」
あぁ、未だに焦り倒す私と反対に、オースティン様は覚悟の決まったような面持ちをしていらっしゃる。
も、もしかして、もしかします?
ウソ、そんなことあるの?
まるで、何かの恋物語、みたいな。
この私を相手に?
「ひえ」
「っあ、気持ちが悪いですよね、こんな一方的な」
私が思わず小さな悲鳴を上げれば、彼はハッと夢から醒めたような顔をして、眉尻を下げた。
あああのあの、ち、違くてぇー。
「いいいえ、あの、は、恥ずかしくはあっても、けして嫌では⋯⋯」
「嫌ではない?」
「は⋯⋯⋯⋯はい」
容赦のない人。
しっかり言質を取ってくるのね。
あぁ、頬が熱い。
彼の、なにかを期待するような瞳を見ていられなくて、視線を横に逸らす。
すると、その片隅でボソボソとやり取りをしている付添人たちの姿が映った。
「ロースパイク夫人、ロースパイク夫人。これはもしや、俗に言う良い雰囲気というものなのでは」
「えぇ、はい。私にもそう見えます。
この場は若い二人に任せて、老兵は静かに退散いたしましょう」
「よし、それが良い」
「では、抜き足、差し足」
丸ごと全部聞こえているし、ちゃちな盗人のように背を丸めて移動する二人はいかにも喜劇じみていて滑稽だった。
おそらく、向かいのオースティン様も気付いていて、敢えて黙っているのだろう。
ここから先がどんな話の流れになるにせよ、保護者に同席されたいとは私も思わない。
彼らのおかげ、というには癪だが、少しだけ冷静になれた気がする。
数秒後、個室の扉が閉まるのが合図であったかのように、青年が獲物へ向かい顎を開いた。
「私が最初にジュジュリィ様を個人として認識したのは、あなたがノドロ戦記を読んでいた時です」
「あぁ、覚えています。確か、そう、一年半ほど前だったかしら」
私が彼を認識したのはその倍の三年前だから、やはり、基本的には目的に邁進していて、他人は蚊帳の外の存在と置いているのだろう。
「私はあれが好きなので横を通り過ぎる際に目に入った装丁だけで気が付いて……かなり本格的な戦争の様子が描かれていて専門用語も頻出していたのに、特に引っ掛かりもなく読み進めていたので、若い女性には珍しいと思った記憶があります」
本の内容と人間の容姿にギャップがあると印象に残りやすいのは分かる。
幼児が難しい法令集を読んでいたりだとか、いかにも深窓のご令嬢がえげつないエログロホラーを読んでいたりだとか。
「専門用語に関しては、話の流れから推測できることもありましたし、私もまぁ、それなりに多様な本を読んできておりますので、その経験が活きた形ですかね。
それを除いたとしても、あのお話は若い女性受けはしなさそうでしたが。
全面的に筋肉や血や汗や泥臭さが漂っていて、しかも、ケガの描写が妙に巧みで怖いし、古い話なので女性軽視の傾向も多々見受けられましたし……でも、それを補って余りある熱さがあると申しますか、読んでいるだけの私の血潮すら滾ってくるようで、ラストの朝焼けのシーンもとにかく感動的でしたし」
不快な場面も多々あったけれど、それを凌駕する面白さだった。
他人に勧めにくいながら、個人的にはお気に入りの本だ。
「えぇ。夢中で読まれていた様子で。
あの話を好きな自分としても、ささやかながら喜ばしかった」
「……私も私の好きな本を楽しそうに読んでいる人を見かけたら、それだけで嬉しくなってしまうし、多少なりと好感度は上がりますね。
場合によっては、一緒にその本のことを語りたくてソワソワしてしまうかも」
「さすがに若い女性相手に語り合いたいなど思いもしませんでしたが、もっと身近な同性であったなら私もそうなったかもしれませんね」
ふ、と彼の唇の端が僅かに上がる。
それだけで、彼のお堅い雰囲気が随分と柔らかく変わって見えた。
今そういうギャップを出して来るのはズルい。
「他に印象に残っているのは、中庭で笑い声を上げていらっしゃった時かな」
「えっ」
中庭で笑うと言えばアレですか!?
ちょっ、待っ、私的には黒歴史に近いんですけども!?
だって、公の場で、図書保存館で、あんなっ!
「本を読みながら急に体を小刻みに震わせ出して、かと思えば、俯きがちに口を手で覆いつつ立ち上がって急ぎ足で中庭へ向かったので、気分が悪くなったのやもと心配していたら、閉まった扉越しに大笑いしている声が響いてきて」
イヤぁーー、やっぱりぃぃぃ!
うっかり大爆笑事件だぁぁぁ!
ここに乙女としての尊厳が死亡したことを報告しますぅぅ!
「そ、それはだって、あの本があまりにもっ」
「えぇ、そうでしょうとも。
当人たるジュジュリィ様は存じ上げないでしょうが、あの後、あなたが読んでいた本が少し注目されていたのですよ。
そんなに笑えるほど面白い話だったのかと、他の方々も気になったようで」
「ひえぇ、恥ずかしいっ」
そもそも、迷惑にならないように中庭まで出たのに、そんなに広範囲に声が届いていたってことですかぁ!?
私だって、当人でなければ微笑ましい話で済んだかもしれませんけどぉっ!
あぁぁ、穴があったら入りたいぃっ。
「他にもいくつかありますが、大きくはその辺りで。
それで、感受性が豊かで人柄の良さそうな女性だ、という所感を得ておりまして」
そうなります?
本当に?
血生臭い戦記を嬉々として読んでいたり、公共の場で爆笑したりって、普通の淑女なら後ろ指をさされておかしくないと思うのですが。
実は単に面白い女枠だったりします?
「見合いの場に現れてくれたのがあなたで、私は安心したのです。
あぁ、この方ならば大丈夫だと」
私の微妙な人間性を、すごく良いように受け取ってくれているらしい。
それだけに不安だ。
見ているだけの存在が身近になることで、いつか、想像と違った、なんて幻滅させてしまうかもしれない。
「あ、あの、読書の姿勢を好んでいただいたことに悪い気はしませんが、私、けして妻として優秀な女ではありませんよ。
普段から家政婦任せなもので、一応、一通り教わっているとはいえ家事は苦手ですし」
出来ないとまで言わないけれど、不慣れすぎて時間もかかるし、全てを失敗なく完璧にこなせる自信もない。
「その辺りは事前に伺っています。
自分にも人を雇う程度の貯蓄はありますから、ご心配には及びません」
え。
事前に、家政は何も出来ない娘なので、そこのところよろしく、系の通達があったんですか。
で、オースティン様はそちらのマイナス点も許容済み、と。
い、いたたまれない……。
「ええと、父の手伝いをしていたとはいえ、姉ほど優秀ではなくて、接客も仕入れも帳簿管理も中途半端で」
「そうでしょうか。
目に見える数値でトップに立てずとも、顧客や取引先や従業員に最も頼りにされていて、よく相談を受けている様子だとお聞きしました。
そもそも、私は商人ではなく監査官なので、そうした能力を発揮できる場を与えて差し上げられず、心苦しいところですが。
なので、ジュジュリィ様が望まれるのであれば、結婚後もご実家で働いていただいたとして、私は一向に構いません」
「それは、ありがたい話ですが……結局、私、オースティン様と夫婦になったとして、何をすれば良いのか」
好感の持てる人物だからといって、実際、結婚となれば話は変わってくるはずで……この人は私のどこが自分の妻に相応しいと思っているのだろう。
甘やかされて育っただけの、まともな取り柄の一つもない娘なのに。
「ジュジュリィ様に、私のために何か特別な努力をしていただきたいとは考えていないのです。
あなたはあなたのままで素晴らしい女性なのですから」
「そんなこと」
彼にとっては掛け値なしの本音なのだろうけれど。
だからこそ、私がどうすべきか分からなくなる。
「ただ……強いてお願いするとすれば、本の世界のように、私の人生に寄り添っていただければ、と」
「え?」
よりそう?
「あなたが物語の主人公たちにそうしていたように、どうか、私にも共感を抱いて欲しい。
例えば、未来に私が上級監査官の資格試験に受かった場合、共に喜んで、逆に落ちたのなら共に悲しんでくれるような……。
もちろん、これは強制ではありません。
ジュジュリィ様が心からの感情でもって自発的に行うことでなければ、全ては意味がないのです」
あぁ、この人は、これが、こんなことが、私に求めているものなのか。
だとすれば……。
「とどのつまり、オースティン様は私に愛されたいとお考えなのでしょうか」
「っそ、そう、なりますでしょうか?」
私の無遠慮な物言いに動揺し、青年の目尻が薄っすらと朱に染まった。
五つも年上なのに、可愛らしい人だ。
「少なくとも私の耳にはそう聞こえました」
「も、申し訳ない、ほとんど初対面の女性にこんな」
己の感情を押し付けず、こうして気遣いを発揮できるところにも彼の人の好さが現れている。
真面目な性格で、努力家で、まともな倫理観を持っていて、頼りがいはもちろん、可愛げまであって、安泰な職業に就いていて……。
本来なら、自分にはもったいないと、身に余る話だと、遠慮してしまったかもしれない。
「……でも、それなら、不束者の私にも務まりそうです」
「えっ」
この男性に対する愛の種はもう芽吹きかけているし、折々に共感してあげるだけで良いのなら、それは確かに私の得意とするところだ。
だから…………だから、もう、笑って飛び込もう。
「この縁談、進めさせてくださる?」
「……よろしいのですか」
「あなたで良い、ではなく、あなたが良いと思いました」
私が静かに心情を告げると、オースティン様は泣きそうな顔で笑って、ゆっくりと深く頭を下げた。
「………………ありがとうございます」
あぁ、本当に……本当に彼は、心から私を望んでくれているんだなぁ。
たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい、なんて。
ここまで色んな恋物語を読んで、素敵なカップルたちにときめきを感じてきたりもしたけれど、私、今になって初めて、真の意味でヒロインに共感できるようになったのかもしれない。
「いやぁ。しかし、あの笑わぬ堅物と名高いオースティンに、意中の女性がいたとはねぇ」
「しかも、それが私どもの娘だなんて驚きましたわ。
ふふ。此方も元より彼の丁寧な仕事ぶりを買ってはいましたが、中々、人間らしい愛嬌もおありになったようで」
「はは、まったく。
良き縁を結べたようで、上司の立場としても安堵いたしましたよ」
「親の立場としても、同意いたしますわ」
こうして、私、ジュジュリィの特に変化のない実家での日常は終わりを告げた。
あの後、速やかに縁談がまとまって、二回ほどデートらしいことをしたかと思えば、数週間後には同棲を始めて、一年も待たずに結婚式を挙げ、新居に引っ越したのだ。
さすがに目まぐるしかった。
とはいえ、これまでと比べて暮らしぶりが大きく変わったわけではなくて、私は今も、定期的に実家の手伝いと図書保存館通いに勤しむといった、穏やかな日々を送っている。
ただ、そこに旦那様という存在が加わっただけなのに、色々と刺激的になってしまって。
お互いそんなに干渉するタイプでもなくて、同じ部屋にいながら全く別のことをやっているなんて珍しくもないのだけれど、似たようなタイミングで息をついて、そこで自然と視線が絡んでしまったら、なぜかちょっと色っぽい雰囲気に早変わりしちゃったりして……。
読んだ本の感想を話しても、嫌がらずに真剣に聞いて反応をくれるところなんかは好きだなぁと思う。
自分にはない経験からの新しい知見を得られることもあって、彼と一緒にいるとすごく楽しい。
二人で図書保存館に行って、並んで座ったりなんかした日には、常連組から驚きの目や生暖かい目を向けられたりもした。
……とはいえ、さすがに誰も何も言っては来なかったけれども。
私だって、生涯において、すれ違うだけの赤の他人でしかないと思っていた男性と、まさか結婚することになるだなんて夢にも思わなかった。
でも、そんな予想外の相手でも、こうして幸せになれたのだから、人生万事オールオッケーというものなのである。
「リィ、やったぞ。見てくれ、上級試験に通った」
「きゃあっ! すごいわ、オズ!」
おしまいっ。




