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第二章 ≪IDOL or DIE≫

「社長、人を無事送り届けてまいりました」


 ホバーカーの中、凌空りくを降ろしたばかりの黒江マネージャーが、端末越しに報告を入れた。


『……ああ』


 通話口から返ってきたのは、大河内社長の低く重たい声。


 抑え込まれた苛立ちが、言葉の隙間から滲み出ていた。


『ジャスパーのあの狂犬、本気で噛みつく気だ。投資陣の連中なんざ目先の数字しか見てない。こっちも“何か”見せなきゃならん。たとえ出来損ないでも、門前にでも立たせておきゃ、奴らの口も少しは塞がる』


「まったくその通りで。どうせ今年の応募門はスカスカですし、あいつを放り込むくらいタダみたいなもんですよ。さっきだって、降りる時に自分でつまずいてましたからね。あれがオーディションに受かるなんてヘヴンズ・カーテンがシャットダウンしても無理でしょう」


 黒江は乾いた笑いを零し、続けた。


「三ヶ月ですよ、三ヶ月。基礎ステップすら覚束なくて、歌も……まあ聞けなくはないが、人に売れるほどじゃない。顔だけは妙に整ってるってだけ……神様の気まぐれってやつです」


『……オーディションの結果は?』


「早ければ今日の午後。遅くても明日の朝には。絶対に引き延ばしはありません」


 一瞬、沈黙。


 続いて、社長の声が冷たく鋭く変わる。


『損切り要員でも――使えるなら最後まで使え。


 ちょうど最近、新規のC級ステージが開いたろう。データ班が確認したが、景観は派手で画面映えする。ただ、コアのルールが読めん。死亡率もまだ未定だ』


 黒江の表情が変わり、にやにやとした顔になる。


「了解です。オーディションで落ちたと発表され次第、臨時IDを発行してフリーランス探索班に放り込みます。今日の深夜零時までに、必ず」


 黒江の声は冷ややかに、不気味な確信に満ちていた。


「現場側にももう話は通してます。怪物に喰われる瞬間でも、しっかりあの顔が映るように、一番“絵になる”カメラを用意するそうです」


『よし』


 大河内の声は冷たい。


『死んで輝度グロウが少しでも跳ねるなら御の字だ。跳ねなくても……新人を入れる枠が一つ空く。後処理班には遺物回収の手順を開始させろ。尻尾は残すな』


「ご安心下さい、社長。


 跡形も——灰すら残しませんよ」




 ◆ ◆ ◆




 虹彩認証と登録を済ませた凌空は、案内ドローンに導かれ、一枚の自動扉の前に立つ。


 彼が端末に身をかがめ、情報をスキャンすると、扉は音もなく横へと開いた。


 その瞬間、視界が開けた。


 そこは、まるで近未来の神殿だった。


 頭上に広がる天井は、巨大な湾曲スクリーンで覆われ、白と青の清浄な空を映し出している。


 だが凌空は漫画で知っていた。


 この「空」の裏側には、無数のカメラと、審査員、そして番組スタッフの眼差しが潜んでいることを。


 天井を支えるのは深い朱色の巨大柱。


 複雑な金箔文様が絡み合う柱身そのものがスクリーンになっており、応募者IDやスポンサーのロゴが巡回表示されていた。


 ここが、《IDOL or DIE》オーディション会場——


 スターライトホール。


 会場にはすでに数百人が集まっている。




 光沢や色が変化する演出服をまとい、派手な装飾や鮮やかな髪色で武装した人々。


 香水とヘアスプレーの匂い。そして興奮と緊張でざわめく呼吸。


「今日のゲスト審査、星澄ほしずみセイラらしいぞ。あの人、普段番組出ないのに……」


「見ろよあれ、星屑スターダストだ! 前回ほぼ全員デビュー寸前まで行ったチーム! 今回も本気だな」


「……あれ、霧川きりかわハルじゃね?E級ステージ〈廃病院〉を単独攻略した自由人だろ?まさか、この番組に?」


「マジかよ……今回、猛者が多すぎない? 俺ら絶対踏み台じゃん……」


「いや……オーディションは“自分を見せる”場所だぞ。カメラを掴めたら、可能性は——」


 浮き立つ野心、沈む不安。


 そんな色の渦の中、黒いトレーニングウェア1枚の凌空は、絵の中に沈んだ墨のように、存在感が薄かった。


 柱の影に身を寄せ、慎重に周囲を観察する。


 漫画で見た顔がちらほらいるが、2Dと3Dの違いが大きく、本人かどうか確信は持てない。


 違和感と懐かしさが入り混じる奇妙な感覚が胸を撫でた。


 ——まるで夢の中だな。過労とストレスが生んだ幻覚みたいで、やっぱりどうも現実味がわかない。


 しかし肌に触れる空調の風、耳を震わせるざわめき、視界に焼き付くヘヴンズ・カーテンのインターフェイス。


 それらの全てが、これは確かな現実だと告げている。


「っと、ごめん、踏むとこだった!」


 その時ふと、凌空の耳元に軽やかな声が響いた。数人のグループが彼の横を通り過ぎていく。


 ひとりが手を上げて謝意を示すが、仲間に急かされ、そのまま遠ざかっていった。


 ——皆、仲間がいる。


 ここに“ひとり”でいるのは、自分だけだ。


 凌空がその背を見送った、その時。




 ——暗転。




 スターライトホールの照明が一斉に落ちる。


 天井の青空が消え、代わりに深宇宙が広がった。


 無数の星々が流れ、冷たく神秘的な光を放つ。


 ざわつきがぴたりと止まり、全員が息を呑む。


 中央の高台へ、光が束ねられたような光柱が静かに降りる。


 そして、その中に、ひとりの女性の姿が形作られた。




 黒色の質素なドレスを纏う、浮遊するホログラム。


 髪は天へと伸びるように結い上げられ、


 額には菱形の朱が淡く明滅している。


 完璧すぎる顔立ち、プログラムされた微笑み。


 名前が浮かび上がる。


 星澄ほしずみセイラ。


「輝きを夢見る——未来のスターのみなさん。」


 セイラの声は、星の粒子が降るように透明で、ホールの隅々まで染み渡った。


「《IDOL or DIE》へようこそ。


 運命の頂へ至るか——


 それとも深淵へ落ちるか。」


 最後の一節だけ、音が少し低くなる。


 それでも彼女の笑顔は変わらない。


「“好感度”がすべてを決め、“輝度(グロウ)”が未来を照らすこの時代——


 凡庸は最大の罪。軟弱は、地獄への片道切符。」


 彼女は微笑み、語調を落とす。


「でも、あなたたちはここに立っている。


 期待と、不安と、未知の舞台への渇望を抱いて。」


「それでは——あなたたちの第一の試練を発表しましょう」


 ホール西側の壁面に、音もなく無数の扉が開いた。


「ルールは、極めてシンプル。」


 セイラの微笑は、残酷なほど優美だった。


「——ひとり五分。」


「その部屋から“立って”出て来られた者だけが、第一次選考を通過」


「技術も、演技も、評価しません。


 あるのはただひとつ——


 生存か、脱落か」




「それでは、呼ばれた番号の方から、近い扉へお入りください」


 セイラはゆるやかに頭を下げる。


「ご安心を。部屋で倒れた参加者は速やかに処理されるので、次の方の演出に影響が出ることはありません」


 星が瞬き、その一瞬、ホール全体に静寂が訪れる。

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