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職員室の四銃士  作者: 花曇り


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7/22

番外編 〜三十五歳の憂鬱と、雪解けのサプライズ〜

 十二月半ば。星ヶ丘中高一貫校の校庭には、冷たい木枯らしが吹き荒れていた。期末考査が終わり、もうすぐ冬休み。生徒たちは浮き足立っているが、教師たちにとっては成績処理という名の「数字との格闘技」が始まる季節である。しかし、国語科の空木の心は、別の理由で寒風に晒されていた。

(……誰も、何も言ってこない)

 空木は職員室の自席で、赤ペンを握りしめたまま凍りついていた。今日は十二月十二日。そう、空木の三十五回目の誕生日である。三十五歳。四捨五入すれば四十歳アラフォー。人生の折り返し地点。そんな記念すべき日だというのに、朝から誰一人として「おめでとう」の一言がないのだ。

「おはようございます、空木先生。……あ、そのネクタイ、昨日もしてましたよね。加齢臭、大丈夫ですか?」  

出勤してきた社会科の海田が放った第一声は、祝辞ではなく衛生面への指摘だった。

「……おはよう、海田。今日も爽やかに毒を吐くな」

「事実を述べたまでです。それより、成績一覧表の提出、今日中ですよ。遅れたら教頭先生の雷が落ちますからね」  

海田は冷たく言い放ち、自分のパソコンに向き直った。

(海田……。お前、去年の俺の誕生日は『空木先生、半世紀へのカウントダウン開始ですね』って笑ってくれたじゃないか。今年はそれすら無いのか……)

 続いて現れたのは、数学科の川島だ。

「ういーッス。腹減ったー。……あ、ボス。今日、学食の限定メニュー『冬将軍カツ丼』の日っすよ! 一緒に行きましょうよ!俺、二杯食うんで!」

「……川島。俺、今日ちょっと胃が……」

「えっ、元気ないっすね。じゃあ俺、ボスの分も食っときます!ラッキー!」  

川島は満面の笑みで去っていった。

(川島……。お前、俺の誕生日よりもカツ丼か。まあ、お前らしいけどさ……)

 最後に、国語科の羽上が鏡を見ながら登場した。

「おはよーございまーす。あー、今日の僕もイケてる。……あれ、空木さん?なんか顔色悪くないですか?目の下のクマがすごいですよ。老けました?」

「……羽上。お前、今日が何の日か知ってるか?」

「え? 今日は……『漢字の日』でしたっけ?今年の漢字、何になるんですかねー。『美』かな。僕のことかな」

(羽上……。お前の頭の中は自分しかないのか)

 空木は深く溜め息をついた。 これが、三十五歳の現実か。いつもの「四銃士」としての結束はどこへ行ったのか。俺は、ただの「口うるさい年上の上司」になり下がってしまったのだろうか。空木は孤独を噛み締めながら、黙々と採点作業に戻った。

        

 午後六時。日が落ち、職員室の人口密度も減ってきた頃。空木は、不穏な空気を察知した。海田、川島、羽上の三人が、給湯室の奥で何やらヒソヒソと話しているのだ。

「……おい、バレてないだろうな」

と海田の声。

「大丈夫っすよ。ボス、今日ずっと落ち込んでて周り見てないっすから」

と川島。

「準備は万端ですよ。ブツは家庭科室に隠してあります」

と羽上。

(ブツ……? 隠してある……?)

空木の心臓がドクンと跳ねた。まさか。彼らは何か、とんでもないトラブルを起こして、それを隠蔽しようとしているのではないか?先週、教頭先生が大事にしていた盆栽の枝が折れていた事件。あれの犯人が彼らなのか? あるいは、期末テストの問題用紙を紛失したとか?

(俺に隠し事をするなんて……。俺はそんなに頼りない先輩か?)

空木の中で、寂しさが疑念へと変わり、そして責任感へと変わった。もし彼らが過ちを犯したのなら、それを正し、一緒に頭を下げるのがリーダー(年長者)の役目だ。

「よし……」

空木は決意した。彼らの悪事を暴き、そして守る。それが三十五歳の最初の仕事だ。

        

 三人は、こそこそと職員室を抜け出し、北校舎の方へ向かった。空木は一定の距離を保ちながら、刑事のような足取りで尾行を開始した。廊下は暗く、冷え切っている。彼らが吸い込まれていったのは、予想通り「家庭科調理室」だった。

(調理室……? まさか、証拠隠滅のために何かを燃やす気か!?)

空木はドアに耳を当てた。

「おい川島!つまみ食いするな!形が崩れるだろ!」

「だって美味そうなんすもん!クリームが俺を呼んでるんすよ!」

「羽上、火加減はどうだ?」

「バッチリですよ。僕の情熱と同じくらい燃えてます」

(クリーム……? 火加減……?)

会話の内容が奇妙だ。空木が首をかしげたその時、廊下の向こうから、コツコツという足音が近づいてきた。鋭く、重い足音で現れたのは、教頭先生だった。規律に厳しく、最近「職員の無断残業と光熱費の無駄遣い」に目を光らせている、あのおっかない教頭だ。

「……む? 空木先生?こんなところで何をしているんですか?」  

懐中電灯の光が空木の顔を照らす。

「あ、いえ、その……見回りです!消灯の確認を!」  

空木は慌てて直立不動になった。

「ほう。……しかし、調理室から物音がしますが?」  

教頭の視線がドアに向けられる。 中からは、

「あちゃー!倒れた!」

「隠せ!」「匂いが漏れる!」

という慌ただしい声が聞こえてくる。

「こ、これは……」  

空木は冷や汗を流した。もし教頭に見つかれば、彼らは確実に怒られる。無許可での調理室使用、火気の使用、そして何より「怪しい行動」。始末書は免れない。

教頭がドアノブに手をかけた。  

ガチャリ。

「おい、中に誰かいるのか!」

その瞬間。空木は動いた。教頭の前に立ちはだかり、ドアを背中でブロックしたのだ。

「ど、動かないでください教頭!」

「な、なんだ空木先生!退きなさい!」

「退きません!ここは……今、非常にデリケートな空間になっているんです!」

「デリケート? 何を言っているんだ!」

空木の脳味噌がフル回転する。嘘だ。彼らを守るための、最高の嘘をつかなくては。

「じ、実は!あの中で……ネズミの捕獲作戦が行われているんです!」

「ネ、ネズミだと!?」

「はい! 最近出没するという巨大ネズミを、海田先生たちが命がけで追い詰めているんです!今開けたら、ネズミが逃げ出して校内にパニックが起きます!」

「そ、そうなのか?しかし、甘い匂いがするが……」

「それは……ネズミをおびき寄せるための餌です!高級チーズの香りです!」

「ショートケーキの匂いだが!?」

「教頭先生!」  

空木は大声を出した。

「彼らは、学校の衛生環境を守るために、残業代も出ない中で戦っているんです!どうか、彼らの勇姿を、今はそっとしておいてやってください!もし何かあったら、全ての責任は年長者である私が取ります!始末書でも辞表でも書きますから!」

空木の必死の形相。普段は頼りない空木が見せた、鬼気迫る「覚悟」。教頭は一瞬たじろぎ、そして溜め息をついた。

「……わかった。そこまで言うなら、君に免じて今回は見なかったことにしよう。……ただし、火の始末だけは徹底させなさい」

「は、はい!ありがとうございます!」

教頭は狐につままれたような顔で去っていった。空木はその場にへたり込んだ。膝が笑っている。

(よかった……。なんとか守れた……)

その時。背後のドアが、ゆっくりと開いた。

「……ボス」

そこには、海田、川島、羽上の三人が立っていた。 全員、エプロン姿で、小麦粉まみれになっていた。

「……お前ら、全部聞いてたのか」  

空木がバツが悪そうに顔を背ける。

「聞いてましたよ。……『全ての責任は私が取る』ですか。かっこよすぎて震えましたよ」  

海田が眼鏡を外して、目頭を押さえた。

「ボスぅぅぅぅ! 一生ついていくっすぅぅぅ!」  

川島が泣きながら抱きついてきた。重い。小麦粉が空木のスーツにつく。

「空木さん、やっぱりあなたは最高のリーダーです」  

羽上もニッコリと笑っている。

「……で、お前ら。一体何をしてたんだ?本当にネズミ退治か?」

三人は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

「どうぞ、中へ」

        

 調理室の中央にあるテーブル。そこには、歪な形をした、しかし巨大なホールケーキが置かれていた。クリームの塗り方は雑で、イチゴの配置もバラバラ。チョコプレートには、海田の達筆すぎる字と、川島の丸文字と、羽上の飾り文字が混在してこう書かれていた。

『空木先生 35歳 お誕生日おめでとう(笑)』

「……え?」

空木が固まる。

「今日は一日、わざと無視してごめんなさい。サプライズにしたかったんです」  

海田が申し訳なさそうに、でも楽しそうに言った。

「放課後、こっそりスポンジから焼いてたんですよ。だから時間がかかって」

「俺、つまみ食い我慢してイチゴ乗せたっすよ!偉いでしょ!」  

川島が胸を張る。

「僕はこの、マジパンで作った空木先生人形を担当しました。どうです、実物よりイケメンでしょ?」  

羽上がケーキの上にある、変な顔の人形を指差す。

「お前ら……」

空木の視界が歪んだ。 寂しさも、疑念も、全て吹き飛んだ。こみ上げてきたのは、熱い何かだ。

「……バカヤロウ。……心配させやがって……」

空木は袖で涙を拭った。三十五歳の大人が、部下の前で泣くなんて。でも、止まらなかった。

「さあさあ、ボス!ロウソク消してください!三十五本立てようとしたらケーキが穴だらけになりそうだったんで、太いヤツ三本と細いヤツ五本にしました!」

部屋の電気が消され、ロウソクの火が揺れる。  

「ハッピーバースデートゥーユー♪」

野太い男四人の合唱。音程はバラバラだが、空木にとっては世界で一番美しいハーモニーだった。空木は大きく息を吸い込み、吹き消した。

「おめでとうございまーす!!」

クラッカーが鳴り響く。

        

「さあ、実食です!」

切り分けられたケーキは、見た目は悪かったが、味は最高だった。甘さ控えめのクリームと、ふわふわのスポンジ。隠し味に入れたというコーヒーシロップが、大人の味を醸し出している。

「うまい……。店で売れるぞこれ」

「でしょう?僕がデータ分析して、黄金比率のレシピで作りましたから」  

海田が得意げだ。

「さて、次はプレゼントタイムっす!」

川島が巨大な包みを取り出した。

「俺からはこれっす!」

開けてみると、出てきたのは一升瓶サイズの「特製プロテインドリンク」と、ダンベルだった。

「ボス、もう三十五なんで、筋肉量が落ちる時期っす。これでいつまでも動ける身体を作ってください!」

「……重いよ。物理的にも気持ち的にも。でも、ありがとうな。これで川島みたいな体を目指すよ」

「それはやめた方がいいです」

と海田が即答した。

次は羽上だ。

「僕からはこれです。センスの塊ですよ」

綺麗なラッピングの中から出てきたのは、真っ赤なジャケットだった。しかも背中に龍の刺繍が入っている。

「これ、僕とお揃いです。『還暦にはまだ早いけど、情熱の赤』ってことで。これを着て、一緒に街を歩きましょう」

「歩けるか! チンピラだろこれ!……でも、まあ、部屋着にするよ」

「えー、着てきてくださいよー」

最後に、海田が小さな箱を差し出した。

「僕からは、実用的なものを」

それは、重厚な革張りの箱に入った、万年筆だった。 黒檀の軸に、金色の装飾。見るからに高価なものだ。よく見ると、クリップの部分に小さく『Utsugi』と刻印されている。

「……海田、これ、高いだろ?」

「安くはありません。でも、先生には必要でしょう」  

海田が真面目な顔で言った。

「先生は、僕たちの始末書を書いたり、生徒への手紙を書いたり、文字を書く機会が多いですから。……それに、先生の書く文章、僕、嫌いじゃないんで。もっといい道具で書いてほしくて」

それは、海田なりの最大の敬意の表れだった。普段は毒舌で、空木をイジり倒す海田が選んだ、「書く人」としての空木へのプレゼント。

「……ありがとう。一生、大事にする」

空木は万年筆を胸ポケットに差した。心臓の近くで、その重みが心地よかった。

        

 宴もたけなわ。四人は甘いケーキとコーヒーで、すっかりくつろいでいた。

「ねえ、空木さん」  

羽上が頬杖をつきながら言った。

「なんで空木さんは、さっき教頭先生に『責任を取る』なんて言ったんですか?僕たちが本当に悪さしてたらどうするつもりだったんです?」

空木は苦笑いしながら、コーヒーを啜った。

「そりゃあ……お前らが俺の自慢の『仲間』だからだよ」

三人が顔を見合わせる。

「俺は、抜けてるし、機械音痴だし、すぐパニックになるダメな先輩だ。お前らに助けられてばっかりだ。海田には事務処理を押し付け、川島には力仕事を頼み、羽上には……まあ、場の空気を和ませてもらってる」

「扱いが雑ですね」

と羽上。

「でもな、お前らがいるから、俺は教師を続けられてるんだ。だから、お前らが何かやらかした時は、俺が泥をかぶる。それが、俺にできる唯一の恩返しだ」

空木は照れ臭そうに言った。沈黙が流れる。調理室の冷蔵庫の音だけがブーンと響く。

「……ズルいっすよ、ボス」  

川島が鼻をすすった。

「そんなこと言われたら、また好きになっちゃうじゃないっすか」

「勘違いしないでくださいよ、空木先生」  

海田がそっぽを向きながら言った。耳が少し赤い。

「僕たちが先生を助けるのは、先生が放っておけないからじゃありません。……先生が、誰よりも生徒のことを見ていて、誰よりも教師という仕事を愛しているのを知っているからです。尊敬できない上司なら、とっくに見捨ててますよ」

「海田……」

「僕もですよ」

と羽上。

「空木さんみたいに、かっこ悪くても必死になれる大人、なかなかいないですからね。僕の次にイケてますよ」

「一言多いな」

四人は笑い合った。 窓の外では、雪がちらつき始めていた。 ホワイト・バースデーだ。

「よし!片付けるぞ!教頭先生との約束だ、証拠隠滅だ!」

「了解っす!」

四人は手際よく片付けを始めた。皿を洗い、テーブルを拭き、ゴミをまとめる。その連携は見事なものだった。

 帰り道。雪が積もり始めた校門を出て、四人は駅へと向かった。寒さは厳しいが、今は誰も寒さを感じていなかった。

「あ、そうだ空木先生」  

海田が思い出したように言った。

「さっきの万年筆、インク入れるの忘れてました」

「えっ、書けないじゃん」

「入れ方、教えますよ。……ただし、一回千円の手数料で」

「金取るのかよ!」

「ボス、俺、腹減りました。ラーメン食べて帰りましょうよ!」

「さっきケーキ食べただろ!」

「甘いものは別腹、ラーメンは本腹っす!」

「意味わからん!」

「空木さん、その赤いジャケット着てくださいよ。雪に映えますよ」

「絶対嫌だ!職質される!」

いつもの騒がしい会話が、夜の街に溶けていく。三十五歳。何者にもなれていないような焦燥感があった。でも、この三人が隣にいてくれるなら、三十五歳も悪くない。いや、むしろ最高だ。空木は夜空を見上げた。街灯に照らされた雪が、ダイヤモンドダストのように輝いていた。

「……ありがとうな、みんな」

小さな声で呟いた言葉は、風にかき消されたけれど、 三人の耳には、しっかりと届いていたようだった。

 職員室の四銃士。彼らの絆は、どんな寒波でも凍ることはない。明日の朝もまた、騒がしい一日が始まるのだろう。


(エピソード7・完)

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