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職員室の四銃士  作者: 花曇り


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22/22

職員室の四銃士(最終話) 〜入試ウォーズの奇跡と、桜舞う未来へのプロローグ〜

 二月一日。この日は、日本全国の中学受験界において「決戦の日」と呼ばれる。星ヶ丘中高一貫校にとっても、それは一年で最も重要で、最も胃が痛くなる一日だ。未来の生徒を選抜する、厳正かつ神聖なる儀式『入学試験』の朝である。午前五時。まだ夜明け前の深い闇に包まれた職員室。暖房が効き始めたばかりの冷たい空気の中、いつもの四人が集結していた。空木、海田、川島、そして羽上。通称『職員室の四銃士』。彼らは今日、それぞれの持ち場で学校の命運を背負うことになる。

「……いよいよだな」

空木が、湯気の立つマグカップを両手で包み込みながら言った。彼の手元には、分厚い『入試実施マニュアル』がある。表紙は手垢で汚れ、無数の付箋が貼られている。彼は今日、入試における最重要ポジションの一つ『試験会場・巡回責任者』を任されていた。

「ええ。準備は万端です」  

海田がパソコンのキーボードを叩きながら答える。眼鏡がブルーライトで冷たく光る。彼は『本部データ管理・集計担当』。受験生の個人情報と点数を管理する、入試の心臓部だ。デスクには栄養ドリンクの空き瓶がすでに二本転がっていた。

「うっす……。緊張で腹が減らないっす……」  

川島が、小さくなったように背中を丸めている。彼は『正門警備・誘導責任者』。受験生を最初に出迎える「学校の顔」である。今日はいつものジャージではなく、特注サイズ(5L)のダークスーツを着込んでいるが、それが余計に彼の巨大さを強調し、警備員というより「要人警護のSP」か「闇の組織の用心棒」に見える。

「僕の肌も、緊張と乾燥で悲鳴を上げていますよ」  

羽上が加湿器の蒸気を顔に浴びながら嘆く。彼は『受付・保護者対応係』。その人当たりの良さとビジュアルを買われての抜擢だが、本人は「保護者のお母様方の視線が痛い」と怯えている。そこへ、入試実施委員長である教頭先生が入ってきた。彼もまた、勝負服のモーニングコートに身を包み、手には白手袋をはめている。その表情は、かつてないほど厳しい。

「……全員、揃っていますね」  

教頭の声が低く響く。

「いいですか。今日という一日は、たった一度のミスも許されません。放送のタイミング、問題用紙の配布、室温管理、不審者の排除……全てにおいて完璧を求めます」

教頭が四人をねめ回した。

「特に、君たち四銃士。……普段のようなドタバタは厳禁です。もし試験中に騒ぎを起こして受験生の集中力を削ぐようなことがあれば……」  

教頭が指で首を切るジェスチャーをした。

「君たちの来年度の席は、アラスカ分校(存在しない)の『アザラシ飼育係』になります」

「「「イエス・サー!!」」」

四人は直立不動で敬礼した。こうして、星ヶ丘史上、最も静かで、最も熱い一日が幕を開けた。

        

 【フェーズ1:正門の攻防 〜巨大な関門と大福の悲劇〜】

 午前七時三十分。開門。冷え込みの厳しい朝。吐く息が白い。厚手のコートに身を包んだ小学生たちと、その保護者が続々と坂道を登ってくる。その表情は硬く、親子の会話も少ない。まるで戦場に向かう兵士のようだ。正門に立つのは、川島だ。彼は「笑顔で出迎え、緊張をほぐす」というミッションを遂行しようとしていた。

「おはようございます!寒さに負けず頑張るっすよ!」

ニカッ。  

川島が満面の笑みを浮かべる。しかし、極度の緊張と寒さで顔面筋肉が硬直し、その笑顔は「獲物を前に舌なめずりするヒグマ」のように歪んでいた。

「ひいっ……!」  

一人の男子受験生が、川島を見て後ずさりした。

「ママ、怖い……。あの人、この学校のボスキャラ?倒さないと入れないの?」

「しっ!見ちゃいけません!あれは『門番』よ!目を合わせずに通り過ぎなさい!」  

母親が子供の背中を押す。

「ち、違うっす!俺は味方っす!ホッカイロあるっすよ!」  

川島が名誉挽回しようと、懐からホッカイロを取り出そうとした。その時、勢い余ってポケットに入れていた「お守り代わりの大福(特大)」が飛び出した。

ポスッ。  

コロコロコロ……。

白い粉を吹いた大福が、アスファルトの上を転がっていく。まるでスローモーションのように。

「……あ」  

川島が手を伸ばす。

「俺の……朝飯……」

転がった大福は、一人の女子受験生の足元でピタリと止まった。少女は驚いて大福を見つめ、次に川島を見上げた。

川島は顔を真っ赤にして、小走りで近づき、大福を拾い上げた。そして、パパンと砂を払い、大事そうに懐に戻した。

「……3秒ルールっす。セーフっす」

その必死な姿を見て、緊張していた少女がプッと吹き出した。

「あはは!あのおじさん、大福落とした!」

「食いしん坊だ!」

周りの受験生たちにも笑いが広がる。張り詰めていた氷のような空気が、一瞬で緩んだ。

「お、おい川島!何やってるんだ!」  

巡回中の空木が飛んできた。腕章がズレている。

「威厳を見せろと言っただろ!大福を見せてどうする!ここはコント会場じゃないぞ!」

「すんませんボス!でも、みんな笑ってくれたっす!緊張、ほぐれたみたいっすよ!」

「……まあ、結果オーライか」  

空木は苦笑いしながら、受験生たちの背中を見送った。強張っていた肩の力が抜け、少しリラックスして校舎に入っていく子供たち。空木はトランシーバーのスイッチを入れた。

『こちら正門。受験生通過中。トラブルなし。……ただし、川島が大福をロスト&リカバリー』

『本部了解。……川島先生、あとで始末書です。タイトルは「大福と私」で原稿用紙三枚』  

海田の冷徹な声がインカムから返ってきた。

        ◇

 【フェーズ2:受付の誘惑 〜魔性の案内人〜】

 校舎内エントランス。暖房が効いたホールでは、羽上が優雅に受験票の確認を行っていた。彼の周りだけ、なぜか照明が明るい気がする。

「はい、おはようございます。受験票を見せてね」  

羽上の笑顔は完璧だった。角度、光の当たり方、声のトーン、全て計算し尽くされている。

「は、はい……」  

女子受験生が頬を赤らめる。

「わあ、お兄さんイケメン……」

「ふふっ。ありがとう。でも、今日一番輝くのは君だよ。その瞳、合格サクラサクの色をしてるね」  

ウインク。

バチーン。

「きゃー!頑張ります!」  

女子生徒がやる気満々で会場へ向かう。効果は抜群だ。しかし、問題は保護者(特にお母様方)だった。

「あらあ、素敵な先生ねえ」

「先生、独身?」

「うちの子が入学したら、保護者会でお会いできるのかしら?」

羽上の周りにマダムたちの人だかりができ始めた。握手会のような状態になり、動線が詰まり始めている。

「ええ、ええ。皆様の愛、しかと受け止めました。ですが、今は息子さん娘さんの応援に集中してください。僕への愛は入学後に……」

『羽上、何をしている。そこはホストクラブではない』  

インカムから海田の声が響く。

『保護者の動線が滞留しています。渋滞の原因は君のフェロモンです。直ちにフェロモンを抑制し、誘導に専念してください。さもなくば、君の宣材写真を「寝起きドッキリ(すっぴん)」に差し替えますよ』

「ひいい!分かりました!奥様方、あちらへどうぞ!控室には温かいお茶もございます!」  

羽上は慌てて交通整理を始めた。

        

 【フェーズ3:試験開始 〜静寂との戦いと、空からの侵入者〜】

 午前九時。チャイムとともに、第一時限「国語」の試験が始まった。数百人の受験生が一斉に問題用紙を開く音。  

カサカサッ……。  

そして、鉛筆が走る音。  

カリカリカリカリ……。

それ以外の音は一切ない。咳払い一つ響き渡るほどの静寂。この音こそが、受験生たちのこれまでの努力の音だ。空木は、体育館(特設大会場)の最後部で、仁王立ちして全体を監視していた。彼の任務は、不正行為の監視、体調不良者の早期発見、そして試験環境の維持だ。

(……静かだ。胃が痛くなるほど静かだ)

空木は息を潜めた。自分が動く衣擦れの音さえ気になってしまう。靴音を立てないように、忍者のようなすり足で巡回する。

その時。  

グゥ〜〜〜〜〜〜ッ。

腹の虫が鳴った。しかも、結構な大音量で。

ビクッ!  

近くの受験生が肩を震わせた。

(し、しまったぁぁぁ!俺の腹か!緊張すると腹が減る体質がここで出たか!川島のことを笑えない!)

空木は赤面し、腹に力を入れて音を抑え込んだ。  

(耐えろ……。耐えるんだ俺の胃袋……。お前は教師だ……)

なんとか空腹の波をやり過ごした、その時。 今度は、もっと深刻な、そして物理的な事態が発生した。

バササッ……!

高い位置にある窓から、何かが飛び込んできた。換気のために少しだけ開けていた隙間から。ハトだ。灰色のドバトが一羽、体育館の中に侵入してきたのだ。

(なっ……!?)

空木が目を見開く。 ハトは、高い天井近くの鉄骨のはりに止まった。そして、会場を見下ろすように首を傾げた。

「クルックー。……クルックー」

鳴いた。静寂な試験会場に、平和の象徴の鳴き声が、場違いなほどのんびりと響き渡る。カリカリ……という鉛筆の音が、まばらになった。受験生たちが、チラチラと天井を見上げ始める。集中力が途切れている。マズイ。非常にマズイ。さらに最悪なことに、ハトが飛び立ち、会場内を旋回し始めた。  

バサバサバサッ!  

羽音がうるさい。そして、もし「落としフン」を答案用紙の上に落としたら……それはもはやテロだ。一生のトラウマになる。

『緊急事態発生!こちら体育館!バード・ストライクだ!』  

空木が小声でトランシーバーに叫ぶ。

『は?バード?鳥ですか?焼き鳥ですか?』  

本部(職員室)にいる海田の声。冗談を言っている場合ではない。

『ハトだ!一羽侵入!生徒の集中力が乱れている!至急応援を頼む!至急だ!』

『了解。……隠密裏に捕獲してください。決して騒ぎにしてはいけません。網とか棒とか振り回したらアウトです』

数分後。体育館の袖扉から、川島と羽上がそっと入ってきた。手には、理科室から借りてきた長い虫取り網を持っている。

「ボス……。マジでハトっすか……。美味そうっすね……」  

川島が小声で囁く。

「食うな!あそこだ。照明の上にいる」

「どうします?網で捕まえますか?僕、蝶々捕まえるの得意ですよ」  

羽上が網を構える。

「バカ!網を振り回したら生徒が気にするだろ!『静かに』『目立たず』『確実に』排除するんだ!」

ここから、四銃士(マイナス海田)による『サイレント・ピジョン・キャプチャー作戦』が始まった。まず、羽上が囮になる。彼は舞台袖の暗がりに立ち、優雅に手招きをした。

「おいで〜、ポッポちゃ〜ん。こっちに美味しいエサ(エア)があるよ〜。僕の愛をあげるよ〜」  

パントマイムで豆を撒くフリをする。

……ハトは無視した。完全にスルーだ。

「くっ、僕の魅力が通じないとは……。鳥類にはまだ早いか……」

「貸すっす」  

川島がポケットから、さっき落とした(そしてラップに包んでおいた)あの大福を取り出した。

「本物のエサっす。俺の食料を犠牲にするっす……断腸の思いっす……」

川島は、大福をちぎり、床の隅、生徒の視角に入らない場所に置いた。ハトが反応した。首を傾げ、バサッと降りてくる。

「来た!」

ハトが大福をついばみ始めた。その隙に、空木が背後から忍び寄る。すり足。呼吸を殺す。手には、黒い布(暗幕の切れ端)を持っている。

(……いける。今の俺は風だ。気配を消せ……。俺は空気だ……)

受験生たちは、再び問題に集中している。今がチャンスだ。空木は、ハトの背後1メートルまで接近した。そして、ダイブ!

「ふんっ!」

空木が布を被せようと飛びかかった。しかし。ハトは野生の勘で殺気を察知し、クルッと身を翻して飛び立った。

バサッ!

空木は、誰もいない床にヘッドスライディングを決めた。  

ズザザザ……ッ。  

摩擦音が響く。受験生数名が振り返る。そこには、床に這いつくばって苦悶の表情を浮かべる試験監督(空木)の姿があった。

(……やばい。変な人だと思われた。不審者として通報される)

空木は咄嗟に、床に落ちていた消しゴムのカスを指差して、

「ゴミを……拾いました。環境美化です」

というジェスチャーをした。生徒たちは「???」という顔をして、再び試験に戻った。

「ボス、どんくさいっす!もっと腰を入れるっす!」  

川島が小声で叱る。ハトは再び梁の上に止まり、あざ笑うように「クルックー」と鳴いた。

「くそっ……。持久戦か……」

試験時間は残り二十分。このままでは、次のリスニング試験(英語)の邪魔になる。それまでに何とかしなければ。その時、海田からの通信が入った。

『空木先生。論理的に考えました。ハトは明るい方へ向かう習性があります。全てのカーテンを閉め、出口の一箇所だけを開けて、外の光を入れるのです。光の道を作るのです』

『なるほど!それだ!』

三人は手分けして、音を立てないようにゆっくりと暗幕を閉めていった。会場が少しずつ薄暗くなる。受験生たちが「ん?」と顔を上げるが、手元の照度は確保されている。そして、非常口の扉を少しだけ開けた。外の光が、一筋の道のように差し込む。レーザービームのように。ハトが気づいた。  光の方へ首を向ける。

「行け……!頼む、行ってくれ……!自由の空へ!」  

空木が心の中で祈る。

バサッ。  

ハトが飛び立った。光の道筋に沿って、一直線に出口へと向かう。そして。スルリと、外へ飛び去っていった。

「やった……!」  

三人は音もなくガッツポーズをした。川島が大福の残りを回収し(まだ食べる気か)、羽上が髪を直し、空木が扉を静かに閉めた。完全犯罪成立。受験生たちは、誰もハトの脱出劇に気づいていない。ただ、集中して鉛筆を走らせている。空木は、額の汗を拭った。  (守ったぞ……。お前たちの集中力を……。俺たちのボーナスを……)

        

 【フェーズ4:採点地獄 〜赤いインクと深夜の幻覚〜】

 午後四時。全ての試験が終了し、受験生たちが帰宅した後の職員室。ここからが、教師たちの本当の戦いだった。『採点業務』。  数百枚、数千枚の答案用紙を、その日のうちに採点し、集計し、合否判定会議にかける。ミスは絶対に許されない。一点の違いが、合否を分けるからだ。窓の外はすっかり暗くなっている。職員室は、再び「戦場」と化した。外部からの電話も遮断され、外界から隔絶された空間。

「1番、マル。2番、マル。3番、バツ……」  

空木が、機械のような速さで赤ペンを動かす。国語の記述問題は、キーワードが入っているかどうかを目視で確認しなければならない。AIには任せられない領域だ。

「読めん……。この字は『犬』か? 『太』か?それとも『大』か?文脈からすると『犬』だが……」  

空木が目をこする。老眼ではない。疲れ目だ。文字がゲシュタルト崩壊を起こしている。隣のデスクでは、海田が二台のパソコンを操り、エクセルにデータを打ち込んでいた。

「入力完了。ダブルチェック、スタート。……エラーなし。次」  

彼のタイピング速度は音速を超えていた。指が見えない。しかし、よく見ると彼の手元には、空になった栄養ドリンクの瓶が五本並んでいる。彼の瞳孔は少し開いている。

「うおおお!計算!計算!」  

川島は数学の採点チームだ。彼は糖分補給のために、羊羹を一本丸かじりしながら採点していた。

「答えは合ってる……。でも途中式が汚ねえ……。暗号解読班を呼べ!」

羽上は、単純な記号問題の採点を担当していた。

「A、B、C、A……。ふう。僕の美しい指が、赤インクで汚れていく……。これは聖痕スティグマだ……。僕の血だ……」  

彼は時々鏡を見て、自分のやつれ具合を確認しては

「儚げで美しい。まるで悲劇の王子だ」

と自己肯定していた。時刻は午後十時を回った。職員室の空気が淀んでくる。疲労と睡眠不足が、正常な判断力を奪っていく。

「……あれ?空木先生」  

川島がぼんやりした声で言った。

「この答案用紙、名前の欄に『徳川家康』って書いてあるっす」

「……川島。それはお前が歴史の教科書を枕にして寝てた時の夢だ。しっかりしろ」  

空木が冷たく返す。

「あ、僕のところには『ピカソ』がいますよ」  

羽上が言う。

「回答欄の枠外に、すごい芸術的な落書きがあります。これ、加点してもいいですか?未来の巨匠かもしれません」

「ダメだ。むしろ減点だ。心を鬼にしろ」

海田が突然、パソコンに向かって笑い出した。

「フフッ……フフフッ……」

「ど、どうした海田!壊れたか!?」

「いえ……。このデータ配列、美しい……。フィボナッチ数列に見えてきました……。宇宙の真理がここに……」

「重症だ!誰か海田に水をかけろ!再起動させるんだ!」

極限状態の中、彼らを支えていたのは「夜食」だった。教頭先生が差し入れてくれた、高級仕出し弁当と、大量のドーナツ。

「食うぞ!脳にブドウ糖を送れ!カロリーは正義だ!」  

午前零時。四人は休憩スペースで、獣のようにドーナツを貪った。

「甘い……。甘さが染みる……」  

空木がポン・デ・リングを噛みしめる。

「俺、この採点終わったら、温泉に行くんだ……。露天風呂で日本酒を飲むんだ……」  

死亡フラグのようなことを言う。

「ボス、俺、もう文字が見えないっす。数字がダンスしてるっす。3が8に見えるっす」  

川島が虚ろな目をする。

「あと少しだ。あと三百枚。……これを乗り越えれば、春が来る」  

空木が自分に言い聞かせるように言った。

「そういえば」  

羽上がドーナツの粉を口につけたまま言った。

「僕たち、出会ってから四年ですよね。こうやって修羅場をくぐるのも、何度目ですかね」

「数えきれないな」  

空木が笑った。

「嵐の中ウサギを捕まえたり、プールで黄金の海パンを探したり、雪山で遭難しかけたり」

「全部いい思い出っすね」  

川島が笑う。

「非効率なことばかりでしたが、不思議と後悔はありません」  

海田も眼鏡を拭きながら微笑む。四人は顔を見合わせた。目の下にクマを作り、髪はボサボサで、服もヨレヨレ。かっこ悪いけれど、最高にかっこいい仲間たち。

「よし! ラストスパートだ! 終わらせて、朝日を見るぞ!」

        

 【フェーズ5:夜明けの判定会議とサクラサク】

 午前四時。すべての採点と集計が終了した。職員室に、静寂が戻ってきた。教頭先生が、集計結果のプリントアウトを手に取った。その手が震えている。

「……ご苦労様でした。ミスもなく、完璧な仕事でした。……君たちを誇りに思います」

その言葉を聞いた瞬間、四人はその場に崩れ落ちた。糸が切れた操り人形のように。

「お、終わった……」

「生きてる……」

窓の外が白み始めていた。美しい朝焼けだ。徹夜明けの目に、太陽が眩しい。

「……合格発表、今日の正午ですね」  

海田がコーヒー(本日十杯目)を飲みながら言った。

「ああ。……あいつら、喜ぶかな」  

空木が伸びをする。今日、頑張って受験した子供たち。ハトに邪魔されそうになっても、寒さに震えながらも、一生懸命に鉛筆を走らせていた彼ら。その努力の結晶である答案用紙には、それぞれのドラマが詰まっていた。

「記述問題、いい答えが多かったですよ」  

空木が笑った。

「拙いけど、自分の言葉で一生懸命書いてた。……あの子たちに会うのが楽しみだな」

「数学も、面白い解き方してる子がいたっす!」  

川島が目を輝かせる。

「計算は間違ってるけど、発想がユニークなんすよ。俺、あいつ育てたいっす!」

「面接で、『僕の髪型かっこいいですね』って言ってきた子がいました」  

羽上が嬉しそうに言う。

「見込みがあります。僕の弟子にしましょう。美意識の高い生徒は歓迎です」

疲れ切っているはずなのに、彼らの顔は晴れやかだった。

新しい季節への期待。  

教師という仕事の醍醐味が、そこにあった。

        

 【フェーズ6:エピローグ 〜春の予感と別れの危機?〜】

 正午。合格発表。今はネット発表が主流だが、校内掲示板にも番号が張り出される。親子連れが掲示板の前で歓声を上げたり、抱き合ったりしている。四人は、職員室の窓からその光景を眺めていた。

「よかったですね」  

海田が言う。

「ああ。……春だな」  

空木が呟く。その時、校庭の隅で、一人の男の子が泣いているのが見えた。番号がなかったのだろうか。肩を落として、母親に励まされている。

「……」  

川島が、無言で職員室を出て行った。

「おい、どこ行くんだ?」

数分後。川島は、その男の子の前に立っていた。そして、ポケットから何かを取り出して渡した。昨日、落として拾った(けど食べなかった)あの大福……ではなく、新品のチョコレートだった。川島が何かを話し、男の子の頭をポンと叩いた。男の子が顔を上げ、涙を拭いて、小さくお辞儀をした。そして、少しだけ笑顔になって帰っていった。戻ってきた川島に、空木が聞いた。

「なんて言ったんだ?」

「……『人生は長い。メシ食って寝れば、明日はいい日になるぞ』って言ったっす」  

川島が照れくさそうに頭をかく。

「お前らしいな」  

空木が笑って、川島の背中を叩いた。

「でも、チョコ渡しちゃったから、俺の糖分が足りないっす!ボス、カツ丼奢ってください!」

「またかよ!……まあ、今日は特別だ。徹夜手当も出るしな」

「やったー!特盛二杯!」

その時、教頭先生が四人を呼んだ。

「ちょっといいですか」

四人が振り返る。教頭の顔が、少し寂しそうだ。

「……実は、来年度の人事について話があります」

ドキッ。  

四人の心臓が跳ね上がる。まさか。異動か?ついにこの四人がバラバラになる時が来たのか?

「空木先生。……君には、来年度から『学年主任』を任せたいと思います」

「えっ……?」

「そして、海田先生、川島先生、羽上先生。君たちも同じ学年の担任団として、空木先生を支えてください」

「……えええええ!?」  

四人が絶叫した。

「い、異動じゃないんですか?」

「バラバラにならないんですか?」

「何を言ってるんですか。君たちのような『トラブルメーカー四重奏』を受け入れてくれる学校なんて、他にありませんよ」  

教頭がニヤリと笑った。

「これからも、この学校で暴れてください。……ただし、私の胃薬の量は増えそうですが」

四人は顔を見合わせた。そして、爆笑した。

「やったー!また一緒っすね!」

「腐れ縁ですねえ」

「僕の美しさを独り占めできてよかったですね」

空木は、大きく息を吸い込んだ。窓の外には、梅の花が咲き始めている。もうすぐ、桜の季節がやってくる。

「よし!みんな、行くぞ!」  

空木が叫んだ。

「どこへ?」

「決まってるだろ!カツ丼だ!そして温泉だ!俺たちの勝利の宴だ!」

「「「オーッ!!」」」

四人は笑い合いながら、職員室を後にした。彼らの背中は、徹夜明けとは思えないほど輝いていた。

新しい生徒たちがやってくる。  

新しいトラブルも、きっとやってくる。  

でも、大丈夫。  

この四人がいれば、どんなことだって乗り越えられる。  

いや、笑い話に変えられる。


 職員室の四銃士。  

彼らの物語は、ここで一旦幕を閉じる。  

しかし、彼らの騒がしく、面倒くさく、そして最高に愛おしい日々は、これからもずっと続いていくのだ。

春の風に乗って、彼らの笑い声が聞こえてくるようだった。


(職員室の四銃士・完)

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