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職員室の四銃士  作者: 花曇り


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21/22

特別番外編 〜はじまりの春と、嵐の中の結成前夜〜

 【現在:十二月三十一日 午後十時】

 大晦日。世間が紅白歌合戦やカウントダウンイベントで盛り上がる中、星ヶ丘中高一貫校の職員室には、四人の男たちの姿があった。宿直当番ではない。ただ、「家で一人で年を越すのが寂しい」という理由だけで自主的に集まった、独身男たちのささやかな年越し会である。

「……あーあ。今年も終わりますねえ」

羽上が、みかんの皮を剥きながらコタツ(誰かが勝手に持ち込んだ私物)に入って言った。

「僕の美貌も、また一つ歳を重ねて円熟味を増してしまった」

「円熟味というか、目尻の小ジワが増えただけだろう」

空木が、年越しそば(カップ麺)にお湯を注ぎながら突っ込む。

「今年の汚れ、今年のうちにっす!俺、唐揚げもう一個食べていいっすか?」  

川島が、オードブルの山に箸を伸ばす。

「川島先生、カロリーの繰り越しはやめてください。来年度予算がパンクします」  

海田が、紅白を見ながら冷静に制する。外は静かな雪が降っていた。暖房の効いた職員室で、他愛のない会話を交わす四人。ふと、空木が天井を見上げた。

「……早いもんだな。俺たちが出会ってから、もう四年か」

その言葉に、三人の手が止まった。

「四年……。ですね。僕たちが新任で入ってきたのが、四年前の春でした」  

海田が眼鏡を外して拭く。

「あの頃のボス、今よりちょっとだけ髪が多かった気がするっす」

「うるさい!気にしてるんだぞ!」

「僕も、あの頃はまだ『原石』でしたね。今はダイヤモンドですけど」  

羽上がふふっと笑う。

「……覚えてるか?俺たちが初めて出会った日のこと」  

空木が遠い目をする。

「忘れるわけないっすよ。あの『嵐の夜』のことっすよね?」

「ああ。……あの日がなければ、俺たちはただの同僚で終わっていたかもしれないな」

湯気の中に、四年前の記憶が蘇る。  

まだ「四銃士」なんて呼ばれていなかった、春の日の記憶が。

        

 【過去:四年前 四月一日】

 桜が満開を迎えた、新年度の初日。三十歳の空木は、緊張で胃を痛めていた。

「……はあ。今日からか。新任指導係……」

空木は今年、初めて「指導教官」を任されたのだ。しかも、同時に三人の新人を一人で見ろという、教頭先生からの無茶振りだった。

『空木先生。君のその熱苦しい……いえ、情熱的な指導力で、彼らを一人前の教師に育て上げてください。期待していますよ』

教頭の言葉がプレッシャーとなってのしかかる。どんな新人が来るんだろうか。真面目で、素直で、俺のことを「先輩!」って慕ってくれるような可愛い後輩だといいな。そんな淡い期待を抱いて、空木は職員室の扉を開けた。

「おはようございます!」

そこには、すでに三人の新人が並んで待っていた。一人目は、背が高く、モデルのように整った顔立ちの男。二人目は、これまた背が高く、眼鏡をかけたインテリ風の男。三人目は、横幅がすごく広く、柔道着を着たような体型の男。

「お、おはよう。俺が指導担当の空木だ。よろしく頼む」  

空木が努めて明るく声をかける。まず、インテリ眼鏡が一歩前に出た。

「初めまして。社会科の海田です。……空木先生、一つ質問があります」

「お、おう。なんだ?」

「この学校の業務フローチャートと、リスク管理マニュアルはどこにありますか?今のうちに暗記しておきたいので」

「えっ……マニュアル?いや、そんなの特にないけど……体で覚える感じで……」

「……そうですか。非効率ですね」  

海田は冷ややかな目でメモを取った。 (……なんだこいつ。可愛くない!)次に、モデル風の男が髪をかき上げた。

「国語科の羽上です。よろしくお願いします。……ところで空木さん、この学校、全身鏡が少ないですね。僕の輝きを確認できないと、生徒への教育効果が半減してしまいますよ」

「は? 輝き?」

「ええ。美は力なり、ですから」  

羽上はウインクを飛ばした。 (……なんだこいつ。変な奴だ!)最後に、巨漢の男が腹をさすりながら近づいてきた。

「ういーッス!数学科の川島っす!母校に帰ってこれて嬉しいっす!先輩、学食って何時からっすか?俺、朝飯食べてなくて死にそうっす!」

「まだ八時だぞ!挨拶より先に飯か!」

「腹が減っては授業ができぬっす!」 (……なんだこいつ。食いしん坊か!)

空木は天を仰いだ。生意気なインテリ、ナルシスト、食いしん坊。 クセが強すぎる。強烈な三連星だ。前途多難な一年が、こうして幕を開けた。

        

 案の定、四月の一ヶ月間は地獄だった。海田は、ことあるごとに空木の指導方針に論理的なツッコミを入れてきた。

「先生、その精神論はエビデンスがありません」

「今の会議、メール一本で済む内容でしたね」  

正論すぎて反論できない空木は、ストレスで胃薬が手放せなくなった。羽上は、仕事よりも自分の見え方を気にしていた。黒板に字を書くときも、ポーズを決めてから書くので時間がかかる。

「羽上、もっと速く書け!」

「美しさには時間が必要なんですよ、先輩」

川島は、物理的な被害をもたらした。備品の椅子を座っただけで破壊し、給食の残りをめぐって生徒と本気でジャンケンをし、廊下を走って転んで壁に穴を開けた。

「すんません!身体が止まらなかったっす!」

空木は毎日、彼らの尻拭いに追われていた。始末書を書き、教頭に頭を下げ、彼らを説教する。しかし、彼らはどこか他人事で、空木との距離は縮まらないままだった。

「……俺、指導係向いてないのかな」

四月下旬。ゴールデンウィーク直前の放課後。空木は一人、屋上の手すりにもたれて夕日を眺めていた。孤独だった。先輩らしい威厳も見せられず、ただ怒鳴ってばかりの自分。彼らはきっと、俺のことを「うるさい小男」くらいにしか思っていないだろう。

        

 そして、運命の日がやってきた。五月二日。大型連休の谷間。天気予報は、季節外れの「春の嵐」を告げていた。午後から雨脚が強まり、夕方には暴風雨となった。電車が止まる可能性があったため、生徒たちは早めに下校させられた。教師たちも、管理職を残して帰宅の途についた。しかし、空木は残っていた。終わらない書類仕事と、新人の日誌のチェックがあったからだ。

「……あいつら、ちゃんと帰ったかな」

空木が窓の外を見ると、世界は雨に煙っていた。風が窓ガラスをガタガタと揺らしている。その時。職員室のドアが開いた。

「……あー、濡れた。最悪です」  

羽上が入ってきた。びしょ濡れだ。

「あれ?羽上?帰ったんじゃなかったのか?」

「駅まで行ったんですけど、電車が止まってて。タクシーも拾えないし、戻ってきたんです」

続いて、海田と川島も戻ってきた。二人ともずぶ濡れだ。

「バスも運休です。論理的に考えて、学校に避難するのが最善策と判断しました」

「腹減ったっす……。コンビニのおにぎりも売り切れだったっす……」

結局、四人は職員室に取り残された。他の先生はすでに帰宅しており、残っているのは警備員さんだけだ。

「……参ったな。今夜はここで明かすしかないか」  

空木がタオルを渡す。

「風邪引くなよ。とりあえず、乾いたジャージに着替えろ」

四人は無言で着替えた。気まずい沈黙が流れる。普段からギスギスしている四人が、嵐の夜に閉じ込められる。最悪のシチュエーションだ。その時。内線電話が鳴った。  

ジリリリリ!

空木が受話器を取る。

「はい、職員室」

『あ、空木先生ですか?警備員です』  

電話の向こうから、焦った声が聞こえてきた。

『大変です!裏庭の飼育小屋が!風で屋根が飛んで、ウサギたちが逃げ出したみたいなんです!』

「な、なんだって!?」

星ヶ丘学園には、名物のウサギ小屋がある。そこには、校長先生が溺愛している白ウサギ『ユキちゃん』をはじめ、五羽のウサギが飼われていた。

『私一人じゃ捕まえきれません!この嵐の中、外に出て行ってしまったら……』

「わ、分かりました!すぐ行きます!」

空木は電話を切ると、三人に叫んだ。

「緊急事態だ!ウサギが脱走した!全員で捕獲するぞ!」

「はあ? ウサギですか?」  

羽上が嫌そうな顔をする。

「こんな嵐の中、外に出るんですか?服が汚れますよ」

「論理的に考えて、この暴風雨の中で小動物を探すのは困難です。二次災害のリスクもあります」  

海田も動こうとしない。

「ウサギ……。食べたら美味いっすかね?」  

川島だけが違うベクトルで興味を示す。

空木の中で、何かが切れた。

「お前ら……!」  

空木が机をバンと叩いた。

「服が汚れる?リスクがある?そんなこと言ってる場合か!ユキちゃんたちは、生徒たちが大事に育ててきた命なんだぞ! 校長先生が毎日キャベツをあげて可愛がってる家族なんだぞ!それを……見捨てるのか!」

空木の怒号が、雷鳴のように響いた。三人がビクッとする。普段は頼りなくて、言い返せばすぐに黙る空木が、初めて見せた本気の怒り。

「俺は行く!お前らはここで震えてろ!」

空木は懐中電灯を掴み、一人で飛び出していった。

        

 外は、立っていられないほどの暴風雨だった。雨粒が弾丸のように顔を打つ。

「ユキちゃーん!どこだー!」

空木は泥だらけになりながら、裏庭を走り回った。飼育小屋は半壊していた。中には一羽もいない。茂みの中。校舎の裏。必死に探す。しかし、見つからない。

「くそっ……!どこ行ったんだ……!」

寒さで指の感覚がなくなってくる。視界も悪い。不安と焦りで、泣きそうになる。

(やっぱり、俺一人じゃ無理か……。指導係としてもダメ、ウサギ一匹救えない……。俺はなんて無力なんだ……)

空木が泥の中に膝をつきかけた、その時。

バシャバシャバシャ!  

背後から、水しぶきを上げる音がした。

「先輩!あっちの植え込みに一匹いたっす!」

振り返ると、ずぶ濡れになった川島が立っていた。その手には、茶色いウサギが抱えられている。

「川島……!」

「こいつ、すばしっこくて捕まえるの大変だったっす!でも、俺のタックルで確保したっす!」

「タックルするな!……でも、ありがとう!」

「こっちにもいましたよ。……全く、世話が焼ける子猫ちゃんたちだ」

反対側から、羽上が現れた。彼は自分の高級そうなストールで、二羽のウサギを包んでいた。

「僕のストールが泥だらけです。後でクリーニング代請求しますからね」  

文句を言いながらも、その手つきは優しかった。

「残り二羽……。計算通りなら、風を避けるために室外機の裏にいるはずです」

海田が、冷静な声で言った。彼の手には、校内図面とコンパスが握られている。

「風向きと、ウサギの習性を分析しました。……あそこです!」

海田が指差した先。体育館の裏の、狭い隙間に、白い影が身を寄せ合っていた。ユキちゃんだ。

「いた!」  

空木が駆け寄る。しかし、そこは側溝のすぐそばだった。雨水が濁流となって側溝を流れている。ウサギたちは、恐怖でパニックになり、側溝の方へ後ずさりしている。

「あぶない!」

一羽が足を滑らせた。濁流に飲み込まれそうになる。

「!!」

空木は、何も考えずに飛び込んだ。泥水の中に身を投げ出し、手を伸ばす。

「届けぇぇぇ!」

ガシッ。  

空木の指が、ウサギの耳……ではなく、体を掴んだ。しかし、勢い余って空木自身の体が流されそうになる。

「うわっ!」

その時。  

ガシィッ!  

強い力で、空木の腕が掴まれた。

「離さないっすよボス!」  

川島だ。彼が空木の腕を掴み、仁王立ちで踏ん張っている。

「僕も手伝います!」  

羽上が川島の腰を支える。

「海田!そっちはどうだ!」

「確保しました!もう一羽も無事です!」  

海田がもう一羽のウサギを抱きかかえている。

「引き上げるっす!せーの、フンッ!」

川島の怪力で、空木は泥水から引きずり出された。腕の中には、震える白いウサギがしっかりと抱かれていた。

「……はあ、はあ……」

四人は、泥まみれになって地面に転がった。雨は降り続いているが、もはや冷たくはなかった。

「……全員、無事か?」  

空木が空を見上げて聞く。

「ウサギは五羽とも確保しました。……僕たちの服は全滅ですが」  

海田が眼鏡(泥で前が見えない)を拭く。

「俺、腹減ったっす……。ウサギ見たら余計に……」  

川島が不穏なことを言う。

「僕のヘアセットが……。もう鏡見たくない……」  

羽上が髪をかき上げる。空木は、起き上がって三人の顔を見た。泥だらけで、髪もボサボサで、情けない顔。でも、今まで見た中で一番、頼もしい顔だった。

「……お前ら、最高だ」

空木がニカっと笑った。三人も、顔を見合わせて笑った。

「先輩が無茶するからですよ」

「ボスが流された時、カッパかと思ったっす」

「泥パックだと思えば、肌にいいかも」

雨音にかき消されないくらいの、大きな笑い声が響いた。これが、「四銃士」が誕生した瞬間だった。

        

 【その後:職員室にて】

 ウサギたちを安全な用務員室に預け、四人は職員室に戻った。着替えはないので、ジャージの上に毛布をかぶって震えている。

「……寒いな」

「寒いっす」

空木が給湯室へ行き、何かを持って戻ってきた。ヤカンと、四つのカップ麺だ。空木の私物の『激辛タンタンメン』。

「これしかないけど、食うか?」

「食うっす!生き返るっす!」

「……まあ、栄養バランスは最悪ですが、カロリーは必要ですね」

「辛いのは発汗作用があって美肌にいいですしね」

お湯を注ぎ、三分待つ。その三分間が、妙に温かかった。

「いただきます!」

四人で啜るカップ麺。 安っぽい味だが、高級レストランのフルコースよりも美味かった。

「……空木先生」  

海田が麺を啜りながら言った。

「さっきの、『命を守る』って言葉……。非論理的でしたが、響きましたよ」

「え?」

「僕たち教師の仕事は、教科書を教えるだけじゃない。……そういうことですよね」

「……まあ、そうだな」  

空木が照れくさそうに鼻をすする。

「ボス、俺、ボスのこと見直したっす!ただの口うるさいチビじゃなかったんすね!」

「一言多いぞ川島!」

「僕も、空木さんの泥だらけの背中、ちょっとだけかっこいいと思いましたよ。僕の次くらいに」

「お前もか!」

空木は、カップ麺のスープを飲み干した。胃の中から、熱いものが広がっていく。

「……俺も、お前らのこと誤解してたよ」  

空木が言った。

「生意気で、自分勝手で、手のかかる後輩だと思ってたけど……。いざという時は、頼りになる仲間だな」

「仲間……ですか」  

海田が少し嬉しそうに呟く。

「そうだよ。……これから先、もっと大変なことがあるかもしれない。生徒のことで悩んだり、失敗したり。……でも、この四人なら、なんか乗り越えられる気がする」

空木が右手を差し出した。

「これからもよろしくな、お前ら」

少しの間があって。川島が大きな手を重ねた。

「もちろんです、ボス!」

羽上がしなやかな手を重ねた。

「仕方ないですね。僕が華を添えてあげますよ」

最後に、海田が手を重ねた。

「……非効率なチームですが、悪くありませんね」

四つの手が重なる。外の嵐はまだ続いていたが、職員室の中は、確かな絆の熱で満たされていた。

        

 【現在:十二月三十一日 午後十一時五十分】

「……そんなこともあったな」  

空木がカップそばのスープを飲み干して言った。

「懐かしいっすねー。あの時のカップ麺の味、今でも覚えてるっす」  

川島が空のオードブル容器を眺める。

「あの後、校長先生から金一封(図書カード)をもらいましたよね。『ユキちゃんを救ってくれてありがとう』って」  

海田が笑う。

「僕のストールはダメになりましたけどね。まあ、名誉の負傷です」  

羽上が髪をいじる。

時計の針が、十二時を指そうとしていた。除夜の鐘の音が、遠くから聞こえてくる。

ゴォォォォォン……。

「……あけましておめでとう」  

空木が言った。

「「「おめでとうございます!」」」

「今年もよろしくな。……相変わらず手のかかる後輩たちだけど」

「何言ってるんですか。手のかかるリーダーを支えてるのは僕たちですよ」  

海田が即答する。

「ボス、今年はもっと美味いもん食いに行くっすよ!」

「僕の美しさも、さらにアップデートされますからね」

空木は笑った。四年前の春、バラバラだった四つのピースは、今では一つの絵になっていた。凸凹で、歪だけど、最強のチーム。

「よし!初詣行くぞ!」  

空木が立ち上がった。

「近くの神社まで競争だ!負けた奴が甘酒奢りな!」

「えーっ!寒いですよー!」

「走るの嫌っすー!」

「非論理的です!」

文句を言いながらも、三人は立ち上がり、コートを羽織った。四人は雪の降る外へと飛び出した。白い息を吐きながら、並んで歩く四つの背中。その足跡は、新雪の上にしっかりと刻まれていく。過去から現在、そして未来へと続く、四人の軌跡。

職員室の四銃士。彼らの物語は、まだ終わらない。新しい年も、きっと騒がしく、面倒くさく、そして最高に楽しい日々が待っているだろう。


(エピソード21・特別番外編・完)

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