白銀の監獄(プリズン)と真冬の闇鍋サバイバル
十二月下旬。冬至が過ぎ、街がクリスマスと年末の浮足立った空気に包まれる頃。天気予報は、数日前から不穏な警告を発していた。
『十年年に一度の最強寒波、到来』。
その予報は、最悪の形で的中した。午後三時。星ヶ丘中高一貫校の窓の外は、すでに白一色に染まっていた。牡丹雪なんて生易しいものではない。空から白いペンキをぶちまけたような、視界ゼロの猛吹雪である。職員室では、教師たちがざわめき始めていた。
「電車、止まったみたいですよ」
「バスも全線運休ですって」
「高速道路も通行止めだ」
午後四時。校長先生が校内放送で「生徒の完全下校」と「明日の臨時休校」を宣言した。生徒たちは歓声を上げながら(あるいは親の迎えを待ちながら)、なんとか帰宅していった。しかし。生徒を全員帰し、校内の戸締り確認を終えた頃には、時計の針は午後七時を回っていた。外は、膝上まで積もる豪雪。タクシー会社に電話しても繋がらない。
職員室に残されたのは、いつもの四人。空木、海田、川島、羽上。そして、管理職として残っていた教頭先生だった。
「……詰んだな」
空木が窓の外の白い闇を見つめて呟いた。彼のデスク(教頭の目の前)には、採点中の期末テストの山があるが、今はそれどころではない。
「論理的に分析して、帰宅は不可能です」
海田がスマホの画面を見せる。
「主要交通機関は全滅。徒歩での帰宅は遭難のリスクがあります。……空木先生の短い足では、雪に埋もれて春まで発見されないでしょう」
「誰が短足だ!ラッセル車のように突き進むわ!」
「えーっ!帰れないんですか!?」
羽上が手鏡を取り落とした。
「嫌ですよ!僕の家の加湿器が!高級羽毛布団が!学校に泊まるなんて、肌の乾燥でミイラになっちゃいます!」
「ボス……俺も嫌っす……」
川島が腹を押さえる。
「晩飯……俺の晩飯が……。今日の夕飯、実家から送られてきた『松阪牛のすき焼き』だったんすよ……」
「それは悔しいな。同情するよ」
教頭先生が、重々しく口を開いた。
「……皆さん。覚悟を決めましょう」
教頭の眼鏡がキラリと光る。
「今夜は、学校に泊まり込みです。災害時のマニュアルに従い、『職員室籠城作戦』を決行します!」
「「「イエス・サー……」」」
こうして、四銃士+教頭先生による、長く寒い夜が始まった。
【フェーズ1:拠点の確保と暖房の危機】
まずは寝床の確保だ。幸い、保健室には災害用の毛布や寝袋が備蓄されている。
「川島先生、羽上先生。保健室から毛布を運んでください」
「了解っす!」
「重いのは嫌だなあ……」
二人が戻ってくると、職員室の床に毛布を敷き詰めた。暖房は効いているが、広い職員室全体を温めるには出力が心許ない。窓ガラスからは冷気が津波のように押し寄せてくる。
「寒い……。設定温度30度にしてるのに、体感温度は5度くらいだ」
空木がコートを着込んだまま震える。
「隙間風ですね。校舎が古いですから」
海田が養生テープを持ってきて、窓の隙間を目張りしていく。
「これで多少はマシになります。……が、燃料の問題があります」
「燃料?」
「この学校の暖房は灯油式です。タンクの残量は……あと五時間分。朝までは持ちません」
「な、なんだと!?」
空木が絶叫する。
「夜中に暖房が切れたら凍死するぞ!ここは八甲田山か!」
「節約しましょう。設定温度を下げ、全員が一箇所に固まって体温を分け合うのです」
「嫌だ!川島と密着したら暑苦しいし、羽上の香水が臭い!」
「僕だって嫌ですよ!おじさんたちの加齢臭に包まれて寝るなんて!」
結局、机を寄せてバリケードを作り、その内側に「巣」を作ることで合意した。
【フェーズ2:食料調達と闇鍋の開幕】
時刻は午後八時。寒さよりも深刻な問題が、彼らを襲っていた。空腹である。
グゥゥゥゥゥゥ……。
地鳴りのような音が響く。川島の腹だ。
「ボス……。限界っす……。自分の指がフランクフルトに見えてきたっす……」
川島が空木の指を甘噛みしようとする。
「やめろ!共食いは最終手段だ!」
「教頭先生、備蓄食料はないんですか?」
羽上が尋ねる。
「ありますよ。乾パンと、水が」
「乾パン……。水分を持って行かれるやつですね……」
「贅沢は言えません。……が、私も空腹です」
教頭が腹をさする。
「実は……家庭科室に、今日の調理実習で余った食材があるという情報を掴んでいます」
「!!!」
四人の目が光った。
「教頭!それは本当ですか!?」
「ええ。2年B組が『鍋パーティー』の練習をして、野菜や肉が余っているはずです」
「2年B組……俺のクラスじゃないか!」
空木が叫ぶ。
「あいつら、俺に内緒で鍋パなんかしてたのか!……でかした!褒めてやる!」
「よし、突撃だ!『オペレーション・ハングリー・タイガー』発動!」
五人は暗い校舎を移動し、家庭科室へ向かった。冷蔵庫を開けると、そこは宝の山だった。白菜、ネギ、豆腐、豚肉、肉団子、そしてうどん。
「神よ……!」
川島が白菜を抱きしめて泣いている。
「よし、作るぞ!今夜は無礼講だ!『男だらけの極寒鍋パーティー』だ!」
調理開始。川島が包丁を握る。彼の手際はこの世のものとは思えない速さだ。
ダダダダダダ!
野菜が一瞬で一口サイズに解体されていく。
「味付けはどうします?醤油?味噌?」
海田が調味料棚を漁る。
「全部入れましょう。身体が温まるように、キムチの素と、生姜チューブ一本分、あとカレー粉も!」
川島の提案は常にカロリーと刺激重視だ。
「隠し味に、僕のデスクにあった『高級コラーゲンボール』を入れますね」
羽上がプルプルの物体を投入する。
「お前、なんでそんなもの常備してるんだ」
「あ、私も……」
教頭がポケットから何かを取り出した。
「校長室の冷蔵庫にあった『贈答用のカニ缶』を持ってきました」
「「「教頭ォォォォ!!アンタ最高だ!!」」」
四銃士が教頭を胴上げしそうな勢いで歓喜する。
グツグツグツ……。
土鍋から、湯気と暴力的なまでに美味そうな匂いが立ち上る。カニと豚肉とカレーとキムチの混ざった、カオスだが食欲をそそる香り。
「完成だ……!名付けて『星ヶ丘サバイバル・スペシャル・闇鍋』!」
「いただきまーす!!」
ハフッ、ハフッ!
熱々の具材を口に放り込む。
「うめえええええ!」
川島が絶叫する。
「五臓六腑に染み渡るっす!カニの出汁が効いてるっす!」
「辛い!でも箸が止まらない!」
空木も汗だくになって食べる。
「外は氷点下、中は灼熱。この温度差がたまらないな!」
「論理的に破綻した味付けですが、不思議と調和しています」
海田も眼鏡を曇らせてガツガツ食べる。
「コラーゲンのおかげで、明日のお肌はプルプルですよ」
羽上も満足げだ。教頭先生も、ネクタイを緩めて食べていた。
「ふう……。学校でこんな食事をするのは、新任教師の頃以来ですねえ」
「教頭にも若い頃があったんですね」
「失礼な。私だって昔は『職員室の暴れ馬』と呼ばれていたんですよ」
「マジっすか!?」
鍋を囲んで、意外な教頭の過去話(校長先生の盆栽を誤って剪定した話など)で盛り上がった。食後の締めは、うどん。スープの一滴まで残さず平らげた。
【フェーズ3:停電と真夜中の校内巡回】
腹も満たされ、職員室に戻った一行。時刻は午後十時。外の風雪はさらに強まっている。
その時。
フッ……。
職員室の照明が消えた。暖房の音も止まった。パソコンの画面もブラックアウトした。
「……え?」
完全な闇。そして静寂。
「て、停電だぁぁぁぁ!」
空木がパニックになって叫ぶ。
「雪の重みで送電線が切れたのか!?」
「落ち着いてください。非常灯がつきます」
海田の声。直後、緑色の非常誘導灯がぼんやりと灯った。薄気味悪い光だ。
「暖房も……止まったっすね」
川島が震える。
「やばいっす。急速に冷えてきたっす」
「ブレーカーを確認しに行きましょう。単なる安全装置の作動かもしれません」
教頭が懐中電灯を取り出す。
「誰が行くんですか……?この真っ暗な校舎を……」
羽上が毛布にくるまって怯える。
「全員で行くに決まってるだろ!一人で残る方が怖い!」
空木が即答する。こうして、五人は懐中電灯を片手に、深夜の校内巡回(という名の肝試し)に出発した。廊下は冷蔵庫のように寒い。 窓の外では、吹雪が窓ガラスを叩きつけている。
「ヒュ〜……ガタガタ……」
風の音が、人のうめき声のように聞こえる。
「ひいっ!今、理科室の方から音が!」
羽上が空木の背中にしがみつく。
「やめろ羽上!後ろを見るな!人体模型が追いかけてくるぞ!」
「ボス、脅かさないでくださいよぉぉ!」
川島は教頭先生にしがみついている。配電盤のある用務員室は、一階の奥だ。階段を降りる途中、踊り場の鏡に懐中電灯の光が反射した。
「うわあああ!白い顔が!」
空木が腰を抜かす。
「先生、自分の顔ですよ。ビビリすぎです」
海田が冷静にツッコむ。用務員室に到着。教頭が配電盤を開ける。
「ふむ……。やはり、メインブレーカーが落ちていますね。落雷か何かで過電流が流れたのでしょう」
教頭がレバーを上げる。
バチッ。
ブォォォォン……。
校舎の電源が回復した。廊下の電気が一斉につき、暖房のモーター音が響く。
「つ、ついたぁぁぁ!」
「助かった……! 文明の利器万歳!」
安堵して職員室に戻ろうとした時、空木がふと立ち止まった。
「……なあ。せっかくだから、3年の教室、見ていかないか?」
「え?なんでですか?」
「いや……。あいつら、明日から冬休みだろ?受験前の最後の追い込みで、なんかメッセージでも残してやろうかなって」
空木の提案に、三人は顔を見合わせた。そして、ニヤリと笑った。
「いいですね。やりましょう」
【フェーズ4:黒板ジャックと未来へのエール】
3年生の教室。暖房が切れていたため、教室内は極寒だった。しかし、四人の教師(と教頭)の熱気は高かった。
「よし、手分けして書くぞ!黒板ジャックだ!」
空木がチョークを握る。黒板の中央に、大きく力強い文字で書き始めた。
『冬来たりなば、春遠からじ』
その横に、羽上が得意のイラストを描き添える。桜の花びらと、ダルマの絵。
「合格祈願!君たちは美しい!」
海田は、端っこの方に数学の公式と歴史の年号をビッシリと書いた。
「最後の確認用です。ここ、テストに出ますよ」
「嫌がらせか!」
川島は、なぜかカツ丼の絵を描いた。
「試験にカツ!腹が減っては戦はできぬ!」
そして、教頭先生も筆をとった。達筆な文字で、一言。 『克己』。
「己に克つ。……受験は自分との戦いですからね」
五人は、全ての3年生のクラスを回り、それぞれの黒板にメッセージを残していった。チョークの粉で手が真っ白になり、服も汚れたが、誰も気にしなかった。
「……あいつら、明日の朝(というか休み明け)、これ見て驚くかな」
空木が満足げに黒板を見上げる。
「引くんじゃないですか?『先生たち、夜中に何やってんの』って」
海田が笑う。
「でも、きっと伝わるっすよ。俺たちの熱いパッションが!」
川島が鼻息を荒くする。
【フェーズ5:深夜の座談会と四銃士の誓い】
職員室に戻ったのは、午前一時を回っていた。暖房も効き始め、ようやく人心地ついた。五人は毛布にくるまり、温かいお茶(給湯室にあった来客用の高級玉露)を啜った。外の吹雪は、少し弱まっていた。
「……長い夜だな」
空木がポツリと言う。
「そうですね。でも、悪くない夜です」
海田が眼鏡を外して目をこする。教頭先生が、しみじみと言った。
「君たち四人は……本当に仲が良いですね。見ていて呆れるくらいに」
「呆れるって……」
空木が苦笑する。
「でも、羨ましくもありますよ」
教頭が目を細める。
「私が若い頃は、もっと殺伐としていましたからね。……君たちのように、背中を預けられる仲間がいるというのは、教師にとって最大の財産です」
「財産……」
空木は、三人の顔を見た。すき焼きを食べ損ねてふて寝しかけている川島。パックをしてまた美容に励んでいる羽上。明日の仕事の段取りを考えている海田。こいつらがいなかったら、俺はとっくに潰れていたかもしれない。三十五歳。中堅教師としてのプレッシャー。生徒指導の悩み。保護者対応。全部、こいつらが笑い飛ばしてくれたから、乗り越えてこられた。
「……おい、お前ら」
空木が改まって言った。
「なんすかボス? 改まって」
「遺言ですか?」
「ちげーよ!……来年も、再来年も、こうやってバカやろうなって話だ」
三人がキョトンとし、そして吹き出した。
「当たり前じゃないですか。ボスが定年退職してボケるまで、面倒見ますよ」
海田が憎まれ口を叩く。
「俺、ボスが入れ歯になっても、カツ丼をミキサーにかけて食べさせてあげるっす!」
川島の優しさが重い。
「僕がハゲても、カツラをプレゼントしてくださいね」
羽上が自分の髪を心配する。
「お前らなぁ……」
空木は笑いながら、涙が出そうになった。外は極寒の冬だが、ここには春のような温かさがあった。
【フェーズ6:夜明けと新たな伝説】
午前六時。空が白み始めた。雪は止んでいた。窓の外には、一面の銀世界が広がっている。朝日に照らされて、ダイヤモンドダストがキラキラと舞っていた。
「……綺麗だな」
寝不足の目で、五人は窓の外を見ていた。
「さて、現実に帰りましょう」
海田が言った。
「雪かきです。生徒が来る前に、通学路を確保しなければなりません」
「ええーっ!ここから肉体労働っすか!?」
「僕の腰が死にます!」
「文句を言うな!鍋のカロリーを消費するんだ!」
教頭が号令をかける。五人はスコップを持って外へ出た。キーンと冷えた空気が、肺を浄化していくようだ。
ザッ、ザッ、ザッ。
雪をかく音が響く。
「あ、そうだ」
空木が手を止めた。
「せっかくだから、雪だるま作らないか?」
「は? 何言ってるんですか小学生みたいに」
「いいじゃないか!巨大なやつを!校門の前に!」
結局、四人は雪かきそっちのけで、巨大雪だるま制作に没頭した。教頭先生も
「バランスが大事です」
と言いながら参戦した。完成したのは、身長3メートル級の巨大雪だるま『スノー・ギガント・ティーチャー』だった。目には空木のサングラス、鼻には川島のみかん、口には羽上のリップクリーム、手には海田の指示棒を持たせた。
「傑作だ……」
「芸術っすね……」
その時。
校門の方から、人の声がした。部活の朝練に来た生徒たちだ(休校連絡を見ていなかったらしい)。
「うわっ!なんだあれ!」
「雪だるまデカッ!」
「あ、先生たちが埋まってる!」
生徒たちが駆け寄ってくる。空木たちは、雪まみれ、汗まみれ、そして寝不足の顔で、ニカっと笑った。
「よう!おはよう!今日は休みだぞ!」
「えーっ!マジで!?」
「でも、先生たち楽しそうじゃん!」
「混ぜてよ!」
結局、生徒たちも加わって、雪合戦が始まった。教頭先生も背中に雪玉を食らって
「無礼者ォォ!」
と叫びながら応戦した。職員室の四銃士。 彼らの冬は、熱く、騒がしく、そして最高に楽しい思い出と共に幕を閉じた。後日、黒板のメッセージを見た3年生たちが感動して泣き、雪だるまが溶けた後に残されたサングラスを誰が片付けるかで揉めたのは、また別の話である。
彼らの青春(中年)は、まだまだ終わらない。次は春、新入生を迎える季節がやってくる。
(エピソード20・完)




