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職員室の四銃士  作者: 花曇り


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19/22

合唱コンクールの乱と奇跡の四重奏(カルテット)

 十月。神無月。空が高くなり、校庭の木々が色づき始めるこの季節。星ヶ丘中高一貫校は、一年で最も「騒がしい」時期を迎えていた。どこからともなく聞こえてくるピアノの音色。廊下で響く発声練習の声。そして、教室から漏れ聞こえる怒号と悲鳴。そう、『合唱コンクール』のシーズンである。午後六時。放課後の職員室。空木は、教頭先生の目の前の「監視席」で、深いため息をついていた。

「……はあ。胃が痛い。喉も痛い。耳も痛い」

空木の手元には、のど飴の袋と、胃薬の箱が並んでいる。担任を持つ2年B組が、今、崩壊の危機に瀕していたのだ。

『緊急通信。ボスのライフポイントが低下中。救援求む』  

パソコンのチャット画面に、海田からのメッセージが表示された。

『了解。こちら、甘味補給部隊。シュークリームを確保したっす』  

川島からのレス。

『僕は今、パック中なので顔が出せませんが、心の中で応援しています』  

羽上からのレス。四人は業務終了後、いつものように(こっそりと)家庭科室に集結した。ここは彼らの秘密基地であり、愚痴のこぼし場所である。

「聞いてくれよ、みんな……」  

空木がシュークリームを頬張りながら、悲痛な声で訴える。

「うちのクラス、全然まとまらないんだ。『男子が真面目に歌わない問題』が深刻化しててさ。今日なんて、指揮者の女子が指揮棒をへし折って泣き出しちゃって……」

「あるあるですね」  

海田がコーヒーを淹れながら頷く。

「合唱コンクールにおける『女子のヒステリー』と『男子の無気力』の衝突は、通過儀礼のようなものです。論理的に解決するのは不可能です」

「俺のクラス(1年D組)は平和っすよ」  

川島が自慢げに言う。

「『優勝したら焼肉おごってやる』って言ったら、全員がオペラ歌手みたいに歌い出したっす」

「お前、それは賄賂だぞ。あとで破産するぞ」  

空木がツッコむ。

「僕のクラス(3年C組)は、選曲が完璧ですからね」  

羽上が手鏡を見ながら言う。

「曲目は『愛の賛歌』。僕が指揮をして、愛を語る。完璧です」

「生徒が主役だろ!」

「とにかく、空木先生」  

海田が真面目な顔に戻る。

「クラスの問題も山積みですが……もっと重大な問題があるのを忘れていませんか?」

「……え? なんだ?」

「教頭先生からの『特命』ですよ」

その言葉を聞いた瞬間、空木の顔色が青ざめた。そうだった。一週間前の職員会議で、教頭先生が高らかに宣言したのだ。

『今年の合唱コンクールでは、生徒へのサプライズとして、若手教員による特別合唱を披露します!メンバーは……職員室の四銃士、君たちだ!』

「……忘れたかった。記憶から消去していたのに……」  

空木が頭を抱える。

「しかも、曲目はアカペラで『翼をください』。……難易度高すぎます」  

海田が楽譜(教頭の手書きコピー)を広げた。

「俺たち四人でハモるなんて、奇跡が起きない限り無理っすよ」  

川島が嘆く。

「俺の声量、マイクいらないレベルっすから、みんなの声を消しちゃうっす」

「僕はソロなら自信ありますが、ハモリはちょっと……。主役以外やりたくないですし」  

羽上が我儘を言う。

「そして何より……」  

海田が空木を見た。

「リーダーである空木先生が、致命的な『音痴』であるという事実」

「言うなァァァ!俺だって悩んでるんだ!」  

空木が絶叫した。そう、空木は熱血教師だが、音楽の才能だけは神様から与えられなかった男なのだ。彼の歌声は「ジャイアンのリサイタル」と形容されるほど破壊力がある。

「とにかく、練習するしかありません。本番は三日後です。生徒の前で恥をかくわけにはいきませんよ」

こうして、クラスの指導と、自分たちの練習という二重苦の日々が始まった。

        

 【戦場1:2年B組教室 〜男子 vs 女子の冷戦〜】

 翌日の放課後。2年B組の教室は、氷河期のような冷たさに包まれていた。黒板の前には、腕を組んで仁王立ちする女子生徒たち。指揮者の委員長、佐藤さん(鬼軍曹)を筆頭に、怒りのオーラが立ち上っている。対する窓際の後ろ席には、だらけた姿勢で座る男子生徒たち。その中心には、あのお調子者の田中がいる。

「ねえ、田中。口パクはやめてって言ったよね?」  

佐藤さんの声が低い。

「えー?歌ってるよー。心のなかで」  

田中がヘラヘラと答える。

「心で歌われても聞こえないの!本番まであと二日しかないんだよ!やる気ないなら帰って!」

「おー、帰っていいの? ラッキー。帰ろうぜみんな」  

男子たちが立ち上がろうとする。

ガラッ!  教

室のドアが勢いよく開いた。

「待てェェェイ!!」

飛び込んできたのは、担任の空木だった。 汗だくで、ネクタイが曲がっている。

「先生……」  

佐藤さんが泣きそうな顔で見る。

「田中!お前たち、また女子を困らせているのか!」  

空木が教卓をバンと叩く。

「だってさー先生、合唱とかダサいし。俺らロックしか聞かないし」  

田中が悪びれもせずに言う。

「ダサいだと……?」  

空木が田中の前に歩み寄る。

「いいか田中。合唱というのはな、一人ではできないんだ。隣の奴の声を聴き、自分の声を重ね、一つのハーモニーを作る。それは……『信頼』なんだよ!」

「信頼……?」

「そうだ!お前がバスケでパスを出す時、仲間を信じるだろう?それと同じだ!声を出すというのは、自分をさらけ出すことだ。恥ずかしがっているというのは、仲間を信じていない証拠だ!」

空木の熱弁。しかし、男子たちの反応は薄い。

「へー。でも俺、バスケ部じゃないし」

「ぐぬぬ……」  

空木が言葉に詰まる。正論だけでは、思春期の男子の心は動かない。

「……分かった。じゃあ、俺が手本を見せてやる」  

空木が決意の表情で言った。

「え? 先生が?」

「そうだ。俺たち教員も、今度合唱をする。……今日の放課後、音楽室で練習するから、お前ら見に来い。大人の本気を見せてやる!」

売り言葉に買い言葉。空木は自らハードルを上げてしまった。

        ◇

 【戦場2:音楽室 〜地獄のカルテット〜】

 その日の夜。音楽室。2年B組の男子数名(田中含む)が、こっそりと覗きに来ていた。中では、四銃士が練習を始めていた。

「いいですか、テイク1です。いきますよ」  

海田が指揮棒を振る。

「せーの!」

♪ いま〜 わたし〜の ねがい〜ごとが〜

……カオスだった。まず、川島の声がデカすぎる。  

「ゴォォォォォ!」

という轟音のような低音が、メロディを塗りつぶしていく。羽上は、無駄にビブラートを効かせすぎて、演歌のようになっている。  海田は正確だが、抑揚がゼロで、音声合成ソフトが歌っているようだ。

そして、空木。  

彼は一生懸命だった。顔を真っ赤にして、首に青筋を立てて歌っている。しかし。音程が、半音どころか、異次元へ旅立っていた。

♪ かな〜うなら〜ば〜(ズレてる) つばさ〜が〜ほしい〜(さらにズレる)

廊下で聞いていた田中たちが、腹を抱えて笑いをこらえている。

「ぶっ……!先生、やべえ!」

「ジャイアンだ!リアル・ジャイアンだ!」

「川島先生の声、工事現場かよ!」

曲が終わった。 音楽室に、不協和音の余韻が残る。

「……ひどいですね」  

海田が冷静に言った。

「これでは、感動どころか放送事故です。生徒の鼓膜を破壊します」

「ボス……俺、自分の声で耳がキーンとするっす……」  

川島が耳を押さえる。

「空木さん、あなたフリーダムすぎますよ。どこへ飛んでいくんですか」  

羽上が呆れる。空木は、膝から崩れ落ちた。

「……ダメだ。俺には無理だ。生徒に偉そうなこと言っておいて、このザマか……」

その時。  

ガラッ!  

後ろのドアが開いた。

「先生たち!ヘタクソすぎるよ!」

田中たちが入ってきた。 ニヤニヤ笑っているが、その目は楽しそうだ。

「田中……!お前ら、見てたのか!」

「見てたよ。腹痛い。……でもさ」  

田中が、少しだけ真面目な顔になった。

「あんなに下手なのに、なんか……楽しそうじゃん」

「え?」

「一生懸命なのは伝わったよ。空木先生の顔、必死すぎてウケるけど」

他の男子生徒も頷く。

「俺らもさ、ちょっと練習してみようかなって気になったわ」

「先生よりはマシに歌える自信あるし」

空木が立ち上がった。

「……そうか。お前ら、やってくれるか」

「おう。その代わり、先生たちももっと練習しろよな!本番、楽しみにしてるから!」

生徒たちが帰っていく。空木は、拳を握りしめた。

「……聞いたか、みんな。生徒に励まされちまったぞ」

「ですね。……これは、負けられません」  

海田が眼鏡を光らせる。

「論理的な分析はやめます。ここからは『魂』の領域です」

「俺、腹から声出すのやめるっす!心から出すっす!」  

川島が吠える。

「僕も、ビブラート封印します。ストレートな愛を届けます」  

羽上が髪をかき上げる。

「よし!特訓だ!朝までやるぞ!」

そこから、地獄の猛特訓が始まった。音楽の先生(厳しいおばあちゃん先生)を叩き起こして指導を仰ぎ、喉が枯れるまで歌い続けた。

        

 【決戦の日:合唱コンクール本番】

 体育館は熱気に包まれていた。保護者席も満員。各クラスの発表が進んでいく。1年生の元気な歌声。3年生の完成されたハーモニー。羽上のクラス(3年C組)は、羽上の指揮が無駄に派手すぎて笑いが起きたが、歌自体は素晴らしかった。川島のクラス(1年D組)は、全員が焼肉パワーで絶叫に近い声量を見せつけ、審査員を圧倒した。そして、2年B組の出番。空木のクラスだ。ステージに上がる生徒たち。男子も、女子も、緊張した面持ちで並ぶ。指揮者の佐藤さんが、空木の方を見た。空木は、舞台袖から大きく親指を立てた。

ピアノのイントロが始まる。曲は『COSMOS』。

♪ 夏の草木が 茂るように……

歌声が響く。女子の透き通るようなソプラノ。そして、男子の低音。田中が、口を大きく開けて歌っている。他の男子たちも、真剣な表情だ。決して上手くはないかもしれない。音程が外れる箇所もある。でも、声が一つになっている。

サビの部分。  

♪ 君も 星だよ みんな 生きる……

男子の声が、女子の声を支えるように力強く響いた。佐藤さんの指揮棒が、涙で滲んで見える。舞台袖の空木も、すでに号泣していた。

「……あいつら、やりやがった……」

歌が終わり、会場から大きな拍手が送られた。田中が照れ臭そうに鼻をこすりながら降りてくる。

        

 そして、プログラムの最後。『教員有志による特別合唱』のアナウンスが流れた。会場がざわつく。幕が上がり、四人の男たちがステージ中央に立っていた。お揃いの白いシャツ(川島だけサイズがなくてピチピチ)に、黒いスボン。

「えー、生徒の皆さん」  

空木がマイクを持って一歩前に出た。

「君たちの素晴らしい歌声に、心から感動しました。……大人は、君たちに負けていられません。不器用な大人たちの、本気の叫びを聞いてください」

クスクスという笑い声が起きるが、空気は温かい。

「曲は、『翼をください』」

海田が合図を出す。伴奏なし。完全アカペラだ。

せーの。

♪ いま〜 わたし〜の ねがい〜ごとが〜

……奇跡が起きた。川島の爆音は、他の三人を包み込むベース音となり、心地よい重低音を響かせている。羽上のビブラートは、ソロパートでのアクセントとなり、哀愁を誘う。海田の正確な音程が、全体のガイド役となり、崩壊を防いでいる。そして、空木。 彼の声は、相変わらず少しズレていた。しかし、その「ズレ」が、不思議なことに、三人の完璧すぎる和音に「人間味」というスパイスを加えていたのだ。必死で、泥臭くて、真っ直ぐな声。

♪ この〜 おおぞら〜に つばさ〜をひろ〜げ〜

サビで四人の声が重なる。美しい……とは言えないかもしれない。でも、熱い。魂が震えるような、男たちの合唱。最前列で見ていた田中が、目を見開いていた。  

「すげえ……。先生たち、マジだ……」

♪ とんで〜 ゆき〜たい〜よ〜

最後のロングトーン。空木の声が裏返りそうになったが、隣の海田と羽上がさりげなくフォローし、川島が音量でカバーした。四人の絆が見えた瞬間だった。歌が終わった。一瞬の静寂。

そして。  

ワアアアアアアアッ!!  

割れんばかりの拍手と歓声。

「先生ー!最高ー!」

「アンコール!アンコール!」

「川島先生、ボタン弾けそう!」

空木は肩で息をしながら、会場を見渡した。生徒たちが笑っている。拍手をしてくれている。

「……やったな」  

空木が呟く。

「ええ。計算以上のハーモニーでした」  

海田が満足げに眼鏡を直す。

「ボス、俺、腹減って倒れそうっす……」  

川島がフラフラする。

「僕の高音、天使みたいでしたよね?」  

羽上がドヤ顔をする。

        

 結果発表。2年B組は、見事『金賞』を受賞した。佐藤さんが泣き崩れ、田中たちが

「よっしゃー!」

と抱き合っている。空木は、クラスの生徒たちの輪に入っていった。

「先生!やったよ!」

「俺ら、金賞だよ!」

「ああ……。お前ら、最高にかっこよかったぞ!」  

空木が生徒たちの頭をくしゃくしゃに撫でる。

「先生たちの歌も、まあまあだったよ」  

田中がニカっと笑う。

「音程ヤバかったけど、なんか感動したわ」

「うるさい!あれが味なんだよ!」

        ◇

 その夜。四人は焼肉屋にいた。打ち上げだ。

「かんぱーい!!」

ジョッキがぶつかる音。網の上では、川島のための特盛カルビが焼かれている。

「いやあ、終わりましたねえ」  

空木がビールを飲み干す。

「一時はどうなるかと思ったけど」

「ですね。でも、空木先生のあの音痴が、逆に良い味を出してましたよ」  

海田が肉を焼きながら言う。

「『不協和音の奇跡』と名付けましょう」

「褒めてるのか貶してるのかどっちだ」

「ボス、俺、来年もやりたいっす!今度は『第九』とかどうっすか?」  

川島が肉を口いっぱいに頬張る。

「ドイツ語かよ!無理だろ!」

「僕はミュージカルがいいですね。『レ・ミゼラブル』とか」  

羽上が夢を語る。

笑い声が響く。喉は痛いし、身体はクタクタだが、心は晴れやかだった。空木は思った。学校って、やっぱいいな。生徒と一緒に成長して、仲間と一緒にバカやって。

「……よし、食うぞ‼︎明日は声が出なくてもいい!今日は祭りだ!」

「「「オーッ!!」」」

四銃士の夜は更けていく。彼らの歌声は、きっと生徒たちの心にも、そしてこの星ヶ丘の空にも、長く残ることだろう。ただし、翌日の授業で四人とも声がガスガスになっていて、生徒に爆笑されたのは言うまでもない。


(エピソード19・完)

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