決戦のオープンキャンパスと迷走する人虎伝
九月上旬。夏休みの気配がまだ色濃く残る、残暑厳しいある日の午後。星ヶ丘中高一貫校の職員室に、教頭先生の非常招集ラッパ(比喩ではなく、実際に防災訓練用のメガホンを使ったサイレン音)が鳴り響いた。
「総員、第一会議室へ集結せよ!これは訓練ではない!繰り返す、これは訓練ではない!」
空木、海田、川島、そして羽上。通称「職員室の四銃士」の四人は、食べかけの弁当や採点中の答案を放り出し、会議室へと走った。
会議室の扉を開けると、そこにはホワイトボードの前に仁王立ちする教頭先生と、沈痛な面持ちで座る校長先生の姿があった。ホワイトボードには、赤い太字でデカデカとこう書かれていた。
『緊急事態!受験者数を倍増せよ!〜オペレーション・オープンキャンパス〜』
「……また面倒な予感がするな」
空木が小声で呟く。
「諸君!」
教頭が指示棒でホワイトボードを叩いた。
「知っての通り、来週は本校の『オープンキャンパス(学校説明会)』である。少子化の波が押し寄せる今、ここでどれだけの中学生とその保護者の心を掴めるかが、来年度の学校経営、ひいては我々のボーナスにかかっているのだ!」
『ボーナス』という単語が出た瞬間、四人の目の色が変わった。特に川島は、目が¥マーク(あるいは肉マーク)になった。
「そこでだ。今年から新たな試みとして、若手教員による『名物パフォーマンス』を導入することにした」
「め、名物パフォーマンス……?」
嫌な予感が確信に変わる。
「そうだ。君たち四人には、それぞれの持ち場において『伝説』を残してもらう。来場者が『この先生に習いたい!』『この学校に入れば人生バラ色だ!』と錯覚……いや、確信するような、魂のプレゼンテーションをしてくれたまえ!」
教頭が四人を指差した。
「空木先生!君は国語の『模擬授業』だ。ただし、ただの授業ではない。感動と衝撃を与えるエンターテインメント授業だ!」
「エ、エンタメ授業!?」
「海田先生!君は『学校紹介プレゼン』だ。最新データを駆使し、保護者の不安を消し去る完璧なロジックを展開せよ!」
「了解です。洗脳……いえ、説得はお任せを」
「羽上先生!君は『校内キャンパスツアー』のガイドだ。その無駄に整った顔面とトーク力で、女子中学生とお母様方をメロメロにしろ!」
「任せてください。僕自身が観光名所になります」
「そして川島先生!君は『学食体験コーナー』だ。本校の学食がいかに美味で、かつボリューミーであるかを、君自身の食べっぷりで証明せよ!」
「マジっすか!食べるだけでいいんすか!天職っす!」
「失敗は許されない。もし来場者アンケートの満足度が低かった場合……君たちの席を、職員室ではなく屋上の給水塔の横に移動させる!」
「ひいいい!それだけは!」
こうして、学校の命運と自分たちの居場所をかけた、過酷な一週間が始まった。
準備期間。放課後の職員室。 四人はそれぞれの課題に取り組んでいたが、進捗は芳しくなかった。
まずはリーダーの空木。 彼は模擬授業の題材選びで迷走していた。
「感動と衝撃……。やはり『走れメロス』か?いや、あれはこの前ICTで失敗したしな……」
空木が頭を抱える。
「ここは一つ、高校国語の定番にして最高難易度の『山月記』で行くか!」
『山月記』。エリートだった男・李徴が、プライドの高さゆえに虎になってしまうという、中島敦の名作である。
「よし、俺が李徴になりきるんだ!『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』……。これこそ俺の三十五年の人生そのものではないか!」
妙なところで共感してしまった。
「海田、羽上、川島!手伝ってくれ!俺が虎になるための演出が必要だ!」
「虎ですか……」
海田がパソコンから顔を上げる。
「論理的に考えて、ただ朗読するだけではインパクトに欠けますね。プロジェクションマッピングでも使いますか?」
「予算がない!アナログで勝負だ!」
「じゃあ、僕がメイクしましょうか?」
羽上が化粧ポーチを取り出す。
「劇団四季の『キャッツ』みたいなメイクならできますよ。僕の顔で練習済みですから」
「お前、夜な夜な何やってるんだ……」
「ボス!俺、虎の着ぐるみならドンキで見たことあるっすよ!」
川島が提案する。
「いや、着ぐるみは暑いし動きにくい。……そうだ!小道具だ!草むらとか、岩とかを作って、教室をジャングルにするんだ!」
方向性がどんどんズレていく中、空木の熱意だけは空回りしつつ加速していった。一方、海田のプレゼン準備も難航していた。
「……ダメだ。データが正直すぎる」
海田がモニターを睨む。グラフには『生徒の遅刻率上昇』『学食のカロリー過多』『教員の未婚率(主に四銃士)』などのネガティブデータが並んでいる。
「これをどうやって『自由な校風』『充実した食生活』『情熱的な独身教師』と言い換えるか……。レトリックの魔術が必要ですね」
羽上は、ツアーコースの下見をしていたが、最大の敵は「鏡」だった。
「あ、ここの踊り場、自然光がいい感じ。自撮りチャンス!」
五メートル進むごとに自撮りをするため、所要時間が通常の三倍かかっていた。
「当日はスマホ没収だな」
と海田に釘を刺される。そして川島。彼は家庭科室で、試食用の『星ヶ丘特製カレー』の試作をしていた。
「味はいい……。でも、何かが足りない……。インパクトだ!」
彼は、隠し味にプロテイン、トッピングに唐揚げ、ハンバーグ、エビフライ、そしてなぜか大福を乗せた『わんぱく全部乗せカレー』を開発してしまった。
「これなら中学生男子のハートを鷲掴みっす!」
「胃袋を破壊する気か!」
と空木に却下された。
そして迎えた、オープンキャンパス当日。快晴。気温三十度超え。正門には『ようこそ星ヶ丘へ!』のアーチがかかり、朝から多くの中学生と保護者が詰めかけていた。職員室では、四人が円陣を組んでいた。
「いいか、お前たち!今日が勝負だ!屋上の給水塔横に行きたくなければ、死ぬ気でやれ!」
空木が檄を飛ばす。
「了解です。僕の完璧なプレゼンで、保護者の財布の紐を緩めてみせます」
海田が眼鏡を光らせる。
「僕の美しさで、女子中学生を入学予約させてみせますよ」
羽上が髪をかき上げる。
「俺の食いっぷりで、学食の在庫を空にしてみせるっす!」
川島が鼻息を荒くする。
「よし、散れ!健闘を祈る!」
四人はそれぞれの戦場へと向かった。
【戦場1:視聴覚室 〜海田のデータ・マジック〜】
数百人の保護者で埋め尽くされた視聴覚室。 海田はステージの中央に立ち、レーザーポインターを構えた。スクリーンには、複雑怪奇なグラフが投影されている。
「えー、本校の偏差値推移ですが、ご覧の通り、一見すると横ばいに見えます。しかし!」
海田がポインターを振る。
「このグラフを対数変換し、さらに三次元回転させると……なんと、右肩上がりに見える角度が存在するのです!」
会場がざわつく。
「え?どういうこと?」
「騙されてない?」
「さらに、本校の進学実績。東大合格者はゼロですが、その代わり、『東京に行きたいと願う生徒』の割合は100%です!志の高さは日本一と言えるでしょう!」
詭弁だ。完全なる詭弁だ。 しかし、海田の自信満々な態度と、無駄にイケメンなビジュアルに、保護者たちは
「な、なるほど……」
と頷き始めていた。
【戦場2:校内通路 〜羽上のハーメルン・ツアー〜】
「さあ、可愛い子猫ちゃんたち、僕についておいで!」
羽上が旗を振ると、女子中学生の集団が「キャーッ!」と歓声を上げてついていく。その後ろを、不安そうな男子生徒と保護者がトボトボと歩く。
「ここが図書室です。窓際で読書をすれば、まるでドラマの主人公。……ちなみに、僕のおすすめポーズはこれです」
羽上が窓枠に肘をついてキメ顔をする。
パシャパシャ!
中学生たちがスマホで撮影会を始める。
「先生、図書館の本の蔵書数は?」
真面目な保護者が質問する。
「え?数? ……星の数ほどありますよ。ロマンチックでしょう?」
「適当すぎるわ!」
羽上は施設の解説をほとんどせず、自分の映えスポット紹介に終始していたが、なぜかアンケート評価は高かった。
『先生がイケメンだった』
という理由だけで。
【戦場3:学生食堂 〜川島のフードファイト〜】
食堂は戦場と化していた。試食コーナーには長蛇の列。そしてその中心に、川島がいた。
「はい、カレーお待ち!大盛りサービスっす!」
川島が、洗面器のような皿にご飯を山盛りにし、
その上からカレールーをダム決壊の如く注ぐ。
「ひえっ……。こんなに食べられないよ……」
小柄な中学一年生が怯える。
「大丈夫っす!男ならこれくらいペロリっす!俺を見てろ!」
川島は自分の分の「特大カレー(総重量2キロ)」をスプーンで掬い、一口で飲み込んだ。
ゴクンッ。
「す、すげえ……!噛んでない!」
中学生たちが目を輝かせる。
「食べることは生きることっす!この学校に入れば、君も俺みたいなボディになれるっすよ!」
「それはちょっと……」
と保護者が引く。しかし、川島の豪快な食べっぷりは一種のショーとして成立しており、食堂は異常な盛り上がりを見せていた。
◇
そして、メインイベント。
【戦場4:特別教室 〜空木の山月記・オン・ステージ〜】
教室は満員だった。 五十人ほどの中学生と保護者が、固唾を飲んで待っている。
キーンコーンカーンコーン……。
チャイムが鳴った。
ガラッ!
教室の扉が勢いよく開いた。
「我は……李徴なりぃぃぃ!!」
飛び込んできたのは、空木だった。しかし、その姿は異様だった。顔には、羽上にメイクされた『劇団四季風・リアル猫メイク』。 体には、川島がドンキで買ってきた『虎柄の全身タイツ(ピチピチ)』。そして手には、段ボールで作った『爪』。教室が静まり返った。恐怖ではない。ドン引きによる静寂だ。
「えー、あー、コホン」
空木が咳払いをする。
「これより、模擬授業『山月記』を始める。……笑うなよ。笑ったら噛みつくぞ」
空木は教卓に飛び乗った。
ドンッ!
教卓がミシッと悲鳴を上げる。
「その声は、我が友、李徴子ではないか……?」
空木が朗読を始める。声は良かった。さすが国語教師、抑揚のつけ方はプロだ。しかし、見た目が完全に「関西のオバチャン」か「売れない芸人」なのだ。最前列に座っていた男子生徒が、我慢できずにプッと吹き出した。
「誰だ!今笑ったのは!」
空木が虎の動きで生徒に近づく。
「貴様か!……いい度胸だ。貴様には、袁傪役をやってもらおう!」
「えっ?俺?」
「そうだ!この草むら(緑色のビニール紐の束)の向こうから、俺に話しかけるんだ!」
巻き込み型授業だ。空木は教室中を走り回り、生徒たちを次々と物語の世界(という名のコント)に引き込んでいった。
「そこで吠える!ガオオオ!」
「君は月だ!椅子の上に立って照らせ!」
「お母さん、あなたは草むらの虫の声をお願いします!リーンリーン!」
最初は戸惑っていた参加者たちも、空木の必死すぎる、そして汗だくの熱演に、次第に心を動かされ(あるいは毒され)ていった。
クライマックス。
李徴が虎になって山へ帰っていくシーン。
「……己の珠に非ざることを悟れるが故に……!」
空木が窓際に立つ。ここからが最大の見せ場だ。窓枠に足をかけ、月に向かって吠える。
「我は、虎になるのだぁぁぁぁ!!」
空木がジャンプした。その瞬間。
ビリッ!!
不吉な音が響いた。全身タイツの股の部分が、限界を迎えて裂けたのだ。
「あ……」
空木が空中で固まる。 着地。
ドスン。
教室の中央で、虎(空木)が四つん這いになっていた。お尻の部分から、白いパンツ(勝負下着)がコンニチハしている。
シーン……。
三秒後。
ドッカァァァァン!!
教室中が爆笑の渦に包まれた。
「パンツ!虎のパンツ!」
「先生、虎柄じゃないんかい!」
「最高!この先生、面白すぎる!」
空木は顔を真っ赤にしてうずくまった。(終わった……。俺の教師生命、また終わった……)しかし、拍手が起きた。最初はパラパラと。やがて、割れんばかりの大拍手に変わった。
「先生、感動したよ!」
「体張ってるねえ!」
「この学校に入ったら、毎日楽しそう!」
空木は顔を上げた。恥ずかしさで涙目になっていたが、生徒たちの笑顔を見て、開き直った。
「……そうだ!これが星ヶ丘だ!失敗を恐れず、パンツを見せてでも伝えたい情熱があるんだ!待ってるぞ、若者たちよ!」
最後はスタンディングオベーションだった。 空木は破れたタイツを手で隠しながら、深々と一礼した。
夕方。全てのプログラムが終了し、来場者が帰った後の職員室。四銃士は、ボロ雑巾のようになって集結していた。
「……燃え尽きた……。真っ白な灰になった……」
空木がデスクに突っ伏している。タイツはジャージに着替えたが、顔の猫メイクはそのままだ。
「僕もです……。喉が枯れました。説明しすぎて酸欠です」
海田がのど飴を舐めている。
「足が棒っす……。立ちっぱなしでカレーをよそい続けたっす……」
川島が腕をさする。腱鞘炎になりそうだ。
「顔の筋肉が痛いです……。笑顔を作りすぎて痙攣してます」
羽上が顔をマッサージしている。そこへ、教頭先生が入ってきた。手には、集計されたアンケートの束を持っている。表情は……読めない。
「……諸君。お疲れ様でした」
四人がビクッとして立ち上がる。屋上行きか、残留か。運命の審判だ。
「アンケートの結果が出ました」
教頭がアンケート用紙を一枚ずつ読み上げる。
『説明が論理的すぎて逆に怪しかったが、熱意は伝わった(海田先生)』
『ガイドの先生がナルシストすぎて引いたが、面白かった(羽上先生)』
『カレーの人が凄かった。フードファイター養成校かと思った(川島先生)』
「……そして、空木先生」
教頭が空木を見る。
『パンツは見たくなかったが、一番心に残った。あの先生に国語を習いたい』 『山月記があんなに面白い話だとは思わなかった』
『先生の一生懸命な姿に、勇気をもらいました』
教頭が眼鏡を外した。
「……総合評価、Aランクです。昨年比、来場者の満足度120%アップ。受験希望者数、過去最高」
「おおおおっ!!」
四人が歓声を上げる。
「やった!屋上回避だ!」
「ボーナス査定アップっすか!?」
教頭がニッコリと笑った……ように見えたが、すぐに鬼の形相に戻った。
「ただし!空木先生の『公然わいせつ未遂(パンツ露出)』については、始末書を提出すること!それと、川島先生!君が余らせたカレー百人前、どうするつもりですか!」
「えっ……。責任を持って、俺が食べるっす!」
「食費として給料から天引きします!」
その夜。四人は家庭科室で、余ったカレー百人前の処理班として活動していた。
「くっそー……。なんで俺たちばっかり……」
空木がスプーンを動かす。
「でも、成功してよかったじゃないですか」
海田がサラダを食べながら言う。
「そうっすね!俺たちの伝説、また一つ増えたっす!」
川島は幸せそうにカレーを飲んでいる。
「僕のファンも増えたし、結果オーライですね」
羽上がスマホで『星ヶ丘のイケメン先生』というハッシュタグを検索してニヤついている。
空木は、窓の外を見た。 夜空に月が出ている。今日の授業で吠えた月だ。
「……なあ、みんな」
「なんですか?」
「俺たち、いいチームだな」
「今更なに言ってるんですか。気持ち悪い」
「照れ隠しっすか?」
「でも、まあ、否定はしませんよ」
笑い声が夜の校舎に響く。来年の春、今日のオープンキャンパスに来た生徒たちが、この校門をくぐる日が楽しみだ。その時まで、彼らはまた、この騒がしい職員室で戦い続けるのだろう。空木は、破れたタイツを縫いながら思った。
「次はもっと丈夫な生地を買おう」
と。
懲りない男たちである。
(エピソード18・完)




