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職員室の四銃士  作者: 花曇り


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16/22

地獄のプール掃除と失われた黄金の海パン

 六月下旬。  梅雨の晴れ間が広がり、気温が急上昇したある日のこと。星ヶ丘中高一貫校の職員室は、期末テスト前のピリピリとした空気……ではなく、どんよりとした湿気に包まれていた。原因は、教頭先生からの「特命」である。午後一時。昼休み。教頭先生のデスク前に、四人の男たちが呼び出されていた。空木、海田、川島、そして羽上。いつものメンツ、通称「職員室の四銃士」である。

「……君たち。単刀直入に言います」  

教頭先生が、分厚い眼鏡の奥から鋭い光を放った。

「今年のプール掃除ですが、業者への委託予算が削減されました」

「はあ……」  

空木が嫌な予感を察知して、曖昧な返事をする。

「そこで、君たち四人に『プール清掃特別実行部隊』を命じます。放課後から作業を開始し、今日中に水を張れる状態にしてください」

「えええええっ!?」  

四人の絶叫がハモった。

「今日中!?無理ですよ教頭!あのプール、一年間放置されてて、今は緑色の魔界になってるんですよ!」  

空木が抗議する。

「知っています。だからこそ、体力と根性と、そして何より『日頃の償い』が必要な君たちを選んだのです」  

教頭がニヤリと笑った。

「三月の卒業式予行での発砲事件、四月の泥だらけ事件……。数々の不祥事を、このプール掃除で水に流そうという、私の慈悲深い提案ですが?」

「……ぐうの音も出ません」  

空木が項垂れる。こうして、四銃士による過酷なミッション『オペレーション・グリーン・スライム』が幕を開けた。

        

 午後三時三十分。生徒たちが部活動へ向かう中、四人はプールサイドに集結していた。目の前に広がるのは、教頭の言葉通りの地獄絵図だった。50メートルプール。その底には、深緑色のヘドロが堆積し、謎の藻が繁茂し、アメンボがスイスイと泳いでいる。  水深は膝下くらいまで残っており、その濁った水は、何が潜んでいるか分からない不気味さを漂わせていた。

「……これ、プールっすか?アマゾンの湿地帯じゃないっすか?」  

川島がげっそりとした顔で呟く。

「ワニとかピラニアがいそうっすよ……」

「生物学的多様性の観点からは貴重なビオトープですね」  

海田が冷静に分析する。

「プランクトン、水生昆虫、そしておそらくカエルの楽園でしょう。掃除するというより、生態系を破壊する行為に近いです」

「嫌だぁぁぁ!僕は帰る!こんな汚いところに入ったら、僕の美肌が腐る!」  

羽上が悲鳴を上げて後ずさりする。

「逃げるな羽上!連帯責任だ!」  

空木が羽上の襟首を掴む。

「まずは着替えだ。各自、最強の装備で挑むぞ!」

        

 十分後。更衣室から出てきた四人の姿は、異様そのものだった。まず、リーダーの空木。彼は学校指定のジャージの裾をまくり上げ、頭にはタオルをねじり鉢巻にし、足元は長靴。手にはデッキブラシ。昭和の土木作業員スタイルだ。一番まともである。次に、海田。彼は白い防護服(理科室から借りてきた実験用)に身を包み、ゴーグルとマスクを装着。手には高圧洗浄機『ケルヒャー』のガンを構えている。完全に『未知のウイルスと戦う研究員』だ。そして、羽上。彼は全身黒尽くめだった。UVカットパーカーのフードを深く被り、サングラス、フェイスカバー、手袋。肌の露出面積はゼロ。不審者というより、もはや『黒幕』である。最後に、川島。彼が出てきた瞬間、全員が言葉を失った。

ピチッ……パツッ……。

彼は、黒いウェットスーツを着ていた。しかも、サイズが明らかに合っていない。全身の肉が圧縮され、ハムのように締め上げられている。お腹の部分ははち切れそうで、ファスナーが悲鳴を上げている。

「……川島。それはなんだ」  

空木が震える声で聞く。

「ウェットスーツっす!親戚のダイバーから借りてきたっす!」  

川島が得意げに言うが、その姿は『打ち上げられた巨大なトド』あるいは『黒光りするミシュランマン』にしか見えない。

「お前、それで動けるのか?」

「大丈夫っす!保温性抜群で、ヘドロも怖くないっす!ただ……」

「ただ?」

「股擦れが痛いっす」

「知らんわ!」

        

 いよいよ入水である。まずは排水バルブを開け、残った水を抜きながら、底に溜まったヘドロをブラシで中央に集めていく作戦だ。

「行くぞ!突撃ぃ!」  

空木が先陣を切ってプールに入った。

ズブブッ……。  

長靴がヘドロに沈む感触。立ち上るドブのような臭気。

「うっ……!くさい! 一年前の生徒たちの汗と涙が発酵した匂いがする!」  

空木が鼻をつまむ。

「ひいいい!ヌルヌルするぅぅ!」  

羽上がつま先立ちで入ってくる。

「あ!何か踏んだ!柔らかい!生きてる!?」

「ただの藻だ!騒ぐな!」

「ふんっ、ふんっ!」  

川島がデッキブラシで猛然とこすり始めた。彼のパワーは凄まじい。一掻きで大量のヘドロが吹き飛ぶ。

「どけどけぇ! 俺は人間ブルドーザーだ!」

ビチャッ!  

川島の跳ね上げたヘドロが、羽上の顔面(フェイスカバーの上)に直撃した。

「ぎゃあああ!僕の顔が!汚物が!」

「あ、ごめんっす。羽上先生、保護色で見えなかったっす」

一方、海田は高圧洗浄機を起動させた。  

ブオオオオオオオン!  

強烈な水圧が壁面の汚れを削ぎ落としていく。

「ふふふ……。快感ですね。汚れが消滅していく……。論理的解決です」  

海田が不敵な笑みを浮かべながら、壁にへばりついたヤゴ(トンボの幼虫)ごと吹き飛ばしていく。

「海田、ヤゴは救出してやれ!命だぞ!」  

空木が叫ぶ。

作業は過酷だった。直射日光が照りつけ、湿度はマックス。川島のウェットスーツの中は、すでにサウナ状態になっているはずだ。

「暑い……。死ぬ……。誰か、氷を……」  

川島がフラフラし始めた。

「おい川島!大丈夫か!倒れるなよ、お前が倒れたら引き上げるのにクレーン車が必要になる!」

「ボス……。腹減ったっす……。ヘドロが抹茶ムースに見えてきたっす……」

「末期症状だ!休憩!一旦休憩だ!」

        

 プールサイドで水分補給タイム。四人はボロ雑巾のように座り込んでいた。

「まだ半分も終わってないぞ……。このペースだと、夜中までかかる」  

空木がスポーツドリンクを飲みながら絶望する。

「効率化が必要です」  

海田が眼鏡を拭きながら提案する。

「今までは各個撃破でしたが、これからは連携プレイで行きましょう。川島先生がブラシで大まかな汚れを削り、僕が高圧洗浄で仕上げ、空木先生と羽上先生がヘドロをバケツリレーで外へ出す」

「バケツリレー!?一番キツイやつじゃないか!」  

羽上が抗議する。

「文句を言ってる暇はありません。……それに、皆さん。このプールには『ある噂』があるのを知っていますか?」  

海田が声を潜めた。

「噂?」

「ええ。三十年前、当時の水泳部員が、全国大会出場の記念に貰った『純金のネックレス』を、掃除中に落としてしまったという伝説です」  

海田がもっともらしく言う。

「そのネックレスは、ヘドロの底に沈んだまま、今も見つかっていないとか……」

「じゅ、純金!?」  

川島の目が、お金のマークに変わった。

「マジっすか!それ見つけたら、焼肉食べ放題っすか!?」

「まあ、時価数十万はするでしょうね」

「やるっす!俺、やるっす!ヘドロの海を泳いででも見つけるっす!」  

川島が復活した。単純な男だ。

「僕も探します!金は美の象徴ですからね!」  

羽上も立ち上がった。

「お前ら……。まあ、やる気が出るならいいか」  

空木も苦笑いしながら立ち上がる。

        

 作業再開。今度は目の色が違っていた。特に川島は、デッキブラシを捨て、四つん這いになって手でヘドロをかき分け始めた。

「金……金……。どこだ……」  

その姿は、完全に『川の主』か『泥遊びをする巨大な幼児』だ。

「あ!何かあった!」  

川島が叫び、泥の中から何かを引っ張り出した。

「これっすか!?」

それは……錆びた十円玉だった。

「チッ、銅貨かよ」  

川島がポイッと投げる。

「捨てちゃダメだ!校費に入れろ!」

続いて羽上が叫んだ。

「ありました!キラキラ光るものが!」  

彼が摘み上げたのは……銀色のコンタクトレンズの片割れだった。

「ゴミですね」

そんな宝探しのような掃除が続く中、プールの底の方から、カチッという硬い音がした。

「ん?なんだ?」  

空木がデッキブラシを止める。足元を探ると、泥の中に、四角い金属製の箱が埋まっていた。大きさはクッキー缶くらい。錆びているが、厳重に封がされている。

「お、おい!みんな!これを見ろ!」

三人が集まってくる。

「こ、これは……!宝箱っすか!?」

「タイムカプセル……のようですね」  

海田が泥を拭き取る。蓋には、マジックで消えかけた文字が書いてあった。  

『昭和××年度 水泳部 未来の俺たちへ』

「タイムカプセルだ!すごいぞ!三十年前の遺産だ!」  

空木が興奮する。

「開けましょうよボス!中に金貨が入ってるかもしれないっす!」

「いや、勝手に開けるのはマズイだろ……。でも、中身が気になるな」

「開けちゃいましょう。どうせ埋もれていたゴミ同然のものです」  

海田が工具箱からマイナスドライバーを取り出した。

ゴクリ……。  

四人が固唾を飲んで見守る中、海田が蓋をこじ開ける。  

パカッ。

中に入っていたのは、金貨ではなかった。数冊のノートと、写真。そして……一枚の、黄金色に輝く布だった。

「なんだこれ?風呂敷か?」  

空木がその布を広げてみる。それは、競泳用の水着だった。しかも、ビキニタイプの。さらに言えば、眩いばかりのゴールドカラーの。お尻の部分には、刺繍で『俺がルールだ』と書いてある。

「……」

「……」

「ダサっ!!」  

全員が叫んだ。

「なんすかこれ!成金趣味の変態パンツっすか!」  

川島が爆笑する。

「待ってください」

海田が一緒に入っていた写真を取り上げた。そこには、この金色の海パンを履いて、ボディビルダーのようなポーズを決めている、髪の毛がフサフサの美少年の姿が写っていた。そして、その写真の裏にはこう書かれていた。

『キャプテン・権田原ごんだわら 十七歳の夏』

「ご、権田原……?」  

空木が記憶を検索する。権田原。この学校の卒業生であり、現在は教育委員会の指導主事。以前、空木の研究授業を視察に来て、デスメタル事件(エピソード4参照)で空木を震え上がらせた、あの『鬼の権田原』だ。

「嘘だろ……。あのスキンヘッドの厳格な権田原先生が……昔はフサフサの美少年で……しかも金色のビキニ!?」

「黒歴史ですね」  

海田が断言した。

「これは、決して触れてはならないパンドラの箱です。この海パンが見つかったことがバレたら、我々は消されますよ」

「ひいいい!埋めろ!今すぐ埋め直せ!」  

空木がパニックになる。

その時。  

カツカツカツ……!  

プールサイドに、革靴の足音が響いた。

「君たち、進み具合はどうですか?」

現れたのは、教頭先生だった。そして、その隣には……。視察に来ていた、権田原指導主事(本人)がいた。

「!!!」  

四人は石化した。

「おや、掃除中かね。懐かしいな。私も高校時代、ここの水泳部だったんだ」  

権田原が、あの鋭い眼光でプールを見渡す。そして、空木の手元にある「金色の物体」に目が止まった。

「……ん?空木先生。君が持っているそれは……なんだね?」

絶体絶命。  

空木の脳内で警報が鳴り響く。これを見られたら終わりだ。権田原の威厳が崩壊し、その怒りの矛先は発見者である自分たちに向けられる。  

『お前たち、見たな……』

と言って、プールに沈められるかもしれない!

「あ、いや!これは!その!」  

空木は海パンを背中に隠した。

「隠すと余計に怪しいぞ。見せなさい」  

権田原が近づいてくる。

「だ、ダメです! これは……危険物です!」

「危険物?」

「そうです!新種の……巨大クラゲです!猛毒を持っています!」  

苦し紛れすぎる嘘。

「プールにクラゲがいるわけないだろう。貸しなさい」  

権田原の手が伸びる。

その時、川島が動いた。

「ボス! 逃げるっす!」

川島は、空木の手から海パンをひったくり、プールの中を走り出した。  

ドスドスドス!  

トドのような巨体が、ヘドロを蹴散らして爆走する。

「待て!何をしている!」  

教頭が叫ぶ。

「海田!援護しろ!」  

空木が叫ぶ。

海田は、咄嗟に高圧洗浄機のノズルを構えた。しかし、焦ったせいで手元が狂い、水流のスイッチを最大にしてしまった。  

ブオオオオオオオン!

「うわあああ!制御不能!」  

暴れるホース。高圧の水流が、あろうことかプールサイドの権田原と教頭に向かって放たれた。

バシャーーーーッ!!

「ぐわああああ!」

「冷たぁぁぁい!」

スーツ姿の二人が、頭から水を被り、ずぶ濡れになった。権田原のスキンヘッドが、水を受けてピカピカに輝く。

「……き、貴様らぁぁぁ!!」  

教頭が鬼の形相で叫ぶ。その隙に、川島はプールの排水溝の蓋を開け、金色の海パンを奥深くへと押し込んだ。

「証拠隠滅完了っす!」

        

 一時間後。職員室での説教タイム。四人は泥だらけのまま、正座させられていた。目の前には、ジャージに着替えた権田原と教頭が、仁王立ちしている。

「……プール掃除を命じたら、水遊びをした挙句、来賓に水をかける。……君たちの辞書に『反省』という言葉はないのですか?」  

教頭の声が震えている。

「申し訳ありませんでした……」  

四人は床に額を擦り付けた。

「しかし……」  

権田原が、タオルで頭を拭きながら口を開いた。

「あのプール、懐かしかったな。……実は、現役時代に大切なものを埋めた記憶があったのだが……」

空木たちの心臓が跳ね上がる。

「まあ、過去のことは忘れるべきか。……それにしても、君たちのあの連携プレー。無駄に息が合っていたな」  

権田原がフッと笑った。

「泥だらけになって走り回る教師。……最近は見ない光景だ。生徒たちにも見せてやりたいくらいだ」

「は、はい!精進します!」

「今回は不問にしよう。ただし!プールは今日中にピカピカにすること。私が泳げるレベルまでな」

「イエス・サー!!」

        

 午後八時。あたりはすっかり暗くなっていた。プールの照明に照らされながら、四人は最後の仕上げをしていた。ヘドロは全て除去され、床面はブラシで磨き上げられ、青い塗装が蘇っていた。注水バルブを開けると、勢いよく水が流れ込み始めた。

「……終わった……」  

空木がプールサイドに大の字に寝転がった。

「死ぬかと思った……」

「ボス、俺、もう一歩も動けないっす……。ウェットスーツが皮膚と一体化して脱げないっす……」  

川島が干からびたアザラシのように転がっている。

「僕の肌が……。紫外線と泥のダブルパンチでボロボロです。エステ代請求しますよ」  

羽上が力なく呟く。

「でも、綺麗になりましたね」  

海田が、水を張られていくプールを見つめた。水面に月が映っている。

「……なあ」  

空木が言った。

「あの海パン、どうした?」

「排水溝の奥の、パイプの隙間に押し込みました」  

川島が答える。

「永久に封印っす」

「そうか。……まあ、権田原先生の青春は、プールの底で眠り続けるのが一番だな」

四人は笑った。身体中が痛くて、泥臭くて、お腹も減っていたけれど、達成感だけはあった。

「ボス、腹減りました。焼肉行きましょう」

「またかよ!……まあ、今日は特別だ。行ってやるか」

「やったー!俺、タン塩五十人前食うっす!」

「お前の胃袋はどうなってるんだ!」

四人は立ち上がり、夜のプールを後にした。翌日、生徒たちが

「うわー!プールめっちゃ綺麗!」

と喜んで泳ぐ姿を見て、空木たちが筋肉痛に耐えながらニヤニヤしていたのは言うまでもない。ただし、水泳部の部員が

「なんか排水溝のあたりから、金色の光が見える気がする」

という怪談を話し始めたのは、また別の話である。


(エピソード16・完)

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