未来へのバトンと涙の牛タン弁当(修学旅行下見編・完)
修学旅行の下見(実地踏査)三日目。最終日。 岩手県遠野の山奥にある古民家で、四人の男たちは目覚めた。
チュンチュン……。
小鳥のさえずりと、清らかな川のせせらぎ。都会の喧騒とは無縁の、穏やかな朝……のはずだった。
「……痛い。腰が砕けそうだ」
空木が、煎餅布団の上で呻いた。昨日の薪割りで痛めた腰が、朝の冷気で悲鳴を上げている。
「僕もです……。首筋に何かの虫刺されが三箇所……。痒い……」
羽上が、手鏡を見ながら絶望している。
「腹減ったっす……。昨日のひっつみ汁、もう消化されたっす……」
川島が、ゾンビのように起き上がる。
「皆さん、時間は厳守ですよ。今日は移動距離が長いですから」
海田だけが、すでに身支度を整え、完璧な状態でパソコンを開いていた。お世話になったトメさんが、朝食に特大のおにぎり(味噌焼き)を持たせてくれた。
「んだば、気をつけてな。生徒さんたち連れて、また来てけろ」
シワくちゃの笑顔で見送られ、四人は遠野を後にした。
今日の目的地は、宮城県の沿岸部。南三陸町と、石巻市。 東日本大震災の被災地であり、復興の歩みを続ける場所だ。今回の修学旅行の最大のテーマである「震災学習(命の授業)」のルート確認である。車内は、いつになく静かだった。昨日までの「わんこそばバトル」や「カッパ騒動」の浮かれた空気は、少しずつ鳴りを潜めていた。
「……海田。今日の語り部さんとの待ち合わせは?」
空木が助手席で地図を見ながら尋ねる。
「南三陸さんさん商店街に、十時三十分です。予定通りです」
「そうか。……しっかり話を聞かないとな」
空木が背筋を伸ばす。ただの観光ではない。生徒たちに何を伝え、何を感じてもらうか。教師としての手腕が問われる一日だ。
車は山を下り、海沿いの道へと出た。車窓からの景色が変わる。美しく整備された新しい道路。高く盛土された造成地。そして、その向こうに広がる穏やかな青い海。
「……綺麗ですね」
羽上がぽつりと呟いた。
「海、すごくキラキラしてます」
「ああ。……でも、ここは十年以上前、あんなことがあった場所なんだよな」
空木が海を見つめる。南三陸町に到着した。まずは『南三陸さんさん商店街』へ。復興のシンボルとして作られた、活気あふれる商店街だ。
「おおっ!賑わってるっすね!」
川島の嗅覚が反応した。
「海鮮丼の匂いがするっす!『キラキラ丼』っすよボス!」
「川島、今は我慢だ。まずは語り部の方に会うぞ」
待ち合わせ場所にいたのは、地元の語り部、佐藤さん(六十代男性)だった。柔和な笑顔で四人を迎えてくれた。
「ようこそ、南三陸へ。遠いところご苦労様です」
挨拶もそこそこに、佐藤さんの案内で『震災復興祈念公園』へと向かった。小高い丘の上から、町を一望する。かつて住宅地だった場所は、今は広大な公園や祈りの場となっていた。
「あそこに見えるのが、かつての防災対策庁舎です」
佐藤さんが指差した先には、鉄骨だけが残った赤い建物があった。四人は言葉を失った。テレビや写真では何度も見ていた。しかし、実物を前にすると、その圧倒的な存在感と、無言の訴えかけに胸が押し潰されそうになる。
「あの日、私はあそこの近くにいました」
佐藤さんが静かに語り始めた。津波が来た時のこと。寒かった夜のこと。そして、そこからどうやって立ち上がってきたかということ。淡々とした語り口だった。涙を誘うような演出はない。ただ、事実を、ありのままに。
「生徒さんたちにはね、悲しい話だけを伝えたいんじゃないんです」
佐藤さんが四人を見渡して言った。
「『人間は強いんだ』ってことを伝えたいんです。どんなに辛いことがあっても、手を取り合えば、またこうして笑って暮らせる街を作れるんだって」
空木は、ハンカチを握りしめていた。横を見ると、いつもは冷静な海田が、眼鏡を外して目頭を押さえていた。羽上も、サングラスを外して、真剣な眼差しで廃墟を見つめていた。そして川島は、大粒の涙を流して、鼻水を垂らしていた。
「うう……っ。佐藤さん……。俺、俺……」
川島が言葉にならずに嗚咽する。
「ご飯が美味しいって、生きてるって、すごいことなんですね……」
佐藤さんが優しく微笑んだ。
「そうですよ。だから、美味しいものをたくさん食べて、笑ってください。それが一番の供養であり、復興支援ですから」
「はいっ!俺、今日の昼飯、五杯食います!」
「それは食べ過ぎだ」
空木が涙声でツッコんだ。
昼食は、さんさん商店街で名物の『南三陸キラキラ丼』をいただいた。器からはみ出るほどの新鮮な海鮮。イクラ、ウニ、マグロ。宝石箱のような丼だ。
「いただきます!」
四人は、一口一口を噛み締めて食べた。ただの「美味しい」だけではない。海への畏敬と、感謝の味がした。
「うまい……。本当にうまいっす……」
川島が泣きながらイクラを食べている。
「命をいただいてる味がするっす……」
「僕の肌も喜んでますけど、それ以上に心が満たされますね」
羽上が珍しくまともなことを言った。
「この味、生徒たちにも絶対に食べさせたいですね」
海田が完食した丼を見て言った。
「アレルギー対応表、もう一度入念にチェックします」
食後、空木は商店街のお土産屋で、小さなマスコットを買った。南三陸のキャラクター『オクトパス君』だ。「置くと(試験に)パスする」という縁起物。
「お前らも買えよ。来年の受験生たちのために」
「いいですね。クラス全員分買っていきましょう」
午後。一行は車を走らせ、石巻市の大川小学校跡地へ向かった。北上川の河口近くにある、かつての小学校。多くの児童と教職員が犠牲になった場所だ。到着すると、そこにはコンクリートの校舎が、津波の爪痕を残したまま保存されていた。ひしゃげた渡り廊下。泥をかぶった教室。風が強く吹いていた。空木は校舎の前に立ち、深く一礼した。三人もそれに続く。誰も喋らなかった。冗談を言う雰囲気ではなかったし、何か言おうとすると涙声になりそうだったからだ。彼らは教師だ。同じ「学校」という場所で起きた悲劇。もし、自分がその場にいたら。もし、自分の生徒たちがそこにいたら。想像するだけで、足が震えた。
「……空木先生」
しばらくして、海田が口を開いた。声が少し震えている。
「僕たちの使命って、何でしょうね」
空木は校舎を見上げたまま答えた。
「……教えること、だな」
「何をですか?歴史ですか?方程式ですか?」
「それも大事だ。でも、一番は……『生きて帰すこと』だ」
空木が三人の方を振り返った。その目は赤くなっていたが、力強かった。
「勉強ができなくてもいい。運動ができなくてもいい。……ただ、命を守れる大人になってほしい。自分の命も、大切な人の命も」
川島が鼻をすすった。
「ボス……。俺、自信ないっす。いざという時、生徒を守れるか……」
「俺だってないさ」
空木が苦笑する。
「俺はビビリだし、パニックになるし、頼りない。……でもな」
空木は三人の顔を順に見た。
「一人じゃ無理でも、俺たち四人なら、なんとかなる気がしないか?」
冷静な判断ができる海田。体張って生徒を守れる川島。生徒の不安を和らげる明るさを持つ羽上。そして、先頭に立って泥をかぶる空木。
「……そうですね」
羽上がサングラスを外した。
「僕の美しさで津波は止められませんけど、生徒の手を引いて走ることくらいはできます」
「計算上、四人が連携すれば生存率は飛躍的に向上します」
海田が眼鏡を拭いた。
「俺、生徒をおんぶして走るっす!三人くらいなら余裕っす!」
川島が力こぶを作った。空木は頷いた。
「よし。……来年の修学旅行、絶対に成功させるぞ。ただの観光旅行じゃない。生徒たちの心に、一生残る『何か』を植え付ける旅にするんだ」
四人は、大川小学校の校舎に向かって、もう一度深く頭を下げた。風が止み、雲の切れ間から光が差した。校舎の脇に咲いていた黄色いタンポポが、揺れていた。
全ての日程を終え、四人は仙台駅に戻ってきた。レンタカーを返却し、新幹線のホームへ。時刻は午後六時過ぎ。東京行きの『はやぶさ』が滑り込んでくる。
「……疲れたな」
空木が座席に深く沈み込む。体力的には限界だった。腰は痛いし、足は棒のようだ。でも、心の中は不思議と満たされていた。
「夕飯、どうします?」
海田が尋ねる。
「駅弁、買ってきましたよ。……全員分」
海田が取り出したのは、仙台名物『網焼き牛タン弁当(紐を引くと温まるタイプ)』だった。
「おおっ!さすが海田!気が利く!」
「さっきの売店で、ラス4(ラスト四個)だったんです。運命を感じて買い占めました」
「やったー!温かい弁当っす!」
川島が紐を引く。シューッという音と共に、湯気が立ち上る。
「匂いがテロですね。周りの乗客に申し訳ない」
羽上が言いながらも、一番最初に箸を割った。
「いただきます!」
四人は、新幹線の車内で牛タン弁当を頬張った。一日目の店で食べた高級牛タンも美味しかったが、この駅弁の味はまた格別だった。 旅の終わりの味。仲間と共有した時間の味。
「うまい……。染みる……」
空木が噛み締める。
「ボス」
川島が口の周りに米粒をつけたまま言った。
「今回の旅、楽しかったっすね。……色々あったけど」
「ああ。わんこそばで死にかけたし、カッパにもなったしな」
空木が笑う。
「でも、最後の場所……行ってよかったです」
川島の表情が真面目になった。
「俺、教師になってよかったっす。来年、生徒たちを連れて行くのが楽しみっす」
「そうだな」
「あ、そうだ」
羽上がスマホを取り出した。
「最後に一枚、記念撮影しましょうよ。四銃士の『東北遠征・完結編』ってことで」
「また自撮りかよ」
「いいじゃないですか。ほら、集まって!」
四人は狭い座席で顔を寄せ合った。背景には、流れる夜の景色。
「はい、チーズ! ……あ、ボス、半目になってます」
「撮り直せ!」
「海田先生、眼鏡が光って反射してます」
「角度調整します」
「川島、顔がデカすぎて画面の半分埋まってるぞ!」
「遠近法を使って下がるっす!」
パシャッ。
画面の中には、疲れ切っているけれど、最高にいい笑顔の四人の男たちが写っていた。
東京駅。人混みの中、四人は解散の時を迎えた。
「お疲れ様でした。明日は通常出勤ですからね。遅刻しないように」
海田が釘を刺す。
「分かってるよ。……報告書、手伝ってくれよな」
空木が頼む。
「トイチで請け負います」
「ボス、俺、腹減ったっす。ラーメン食べて帰っていいっすか?」
川島がまだ食欲を見せる。
「お前は底なしか! ……まあ、気をつけて帰れよ」
「僕はこれからエステに行って、旅のダメージをリセットしてきます」
羽上がタクシー乗り場へ向かう。
「優雅だな。お休み」
三人がそれぞれの方向へ去っていく。空木は一人、改札の前で立ち止まり、スマホの写真フォルダを開いた。カッパになった川島。 ずんだシェイクで髭を作った自分。大川小学校で祈る四人の後ろ姿。そして、最後の笑顔の集合写真。
空木はふっと笑った。
「……よし。帰るか」
リュックサックを背負い直す。その中には、トメさんがくれた優しさと、佐藤さんが託してくれた想いと、そして未来の生徒たちへの「バトン」が詰まっていた。
星ヶ丘中高一貫校、職員室の四銃士。彼らの修学旅行下見編は、これにて幕を閉じる。しかし、本当の旅はこれからだ。来年、二百名の生徒たちと共に、再びこの地を訪れるその日まで。彼らの騒がしくも熱い日々は、まだまだ続いていく。
(エピソード14・完)




