奥の細道・爆食街道(修学旅行下見編・その1)
五月の風が薫る季節。星ヶ丘中高一貫校の職員室では、ある重大なプロジェクトが動き出そうとしていた。来年度の修学旅行である。行き先は『東北』。歴史、自然、そして震災学習。学びの要素が詰まった素晴らしい土地だ。しかし、二百名近い生徒を引率するためには、事前の綿密な下見(実地踏査)が不可欠である。誰が行くのか。その白羽の矢が立ったのが、次期修学旅行担当学年である彼ら、「職員室の四銃士」だった。
「いいか、お前たち!これはただの旅行ではない!ミッションだ!」
東京駅、東北新幹線ホーム。空木が、鼻息荒く宣言した。彼はリュックサックを背負い、首からはしおり(自作)を下げ、手には「引率」と書かれた旗を持っていた。完全に浮いている。
「分かってますよ、空木先生。生徒の安全確保、アレルギー対応の確認、移動時間の計測。やることは山積みです」
海田が、キャリーケースのハンドルを握りながら冷静に答える。彼の手には、分厚いバインダーとストップウォッチが握られている。
「ボス!俺も気合十分っす!東北のグルメ……じゃなくて、食文化を徹底的にリサーチするっす!」
川島が叫ぶ。彼の荷物は異常だった。海外旅行用の特大スーツケースが二つ。中身の八割が「移動中のおやつ」と「胃薬」であることは明白だ。
「ふあ〜。朝早いですねえ。僕の美肌ゴールデンタイムが削られちゃいましたよ」
羽上が、サングラスをずらして欠伸をする。彼の服装は「視察」というより「パリコレ」だった。イタリア製のトレンチコートに、無駄に長いマフラー。新幹線ホームがランウェイに見えてくる。
「羽上、その格好はなんだ。東北の山道を歩くんだぞ」
「ノンノン、空木さん。伊達政宗公に会いに行くんですから、これくらい伊達な格好じゃないと失礼でしょう?」
「うまいこと言ったつもりか!」
午前八時二十四分。四人を乗せた「はやぶさ」は、杜の都・仙台を目指して出発した。これが、二泊三日にわたる伝説の下見旅行の幕開けだった。
車内。座席を回転させ、四人は向かい合って座っていた。これから始まる旅への期待(と不安)に胸を膨らませながら。
「まずはスケジュールの確認です」
海田が資料を広げる。
「一日目は宮城。仙台市内で班別研修のルート確認、その後、松島へ移動して遊覧船の安全確認。宿泊は南三陸のホテルです」
「了解だ。仙台といえば、やはり伊達政宗像だな。あそこは記念撮影の必須スポットだ」
空木がメモを取る。
「ボス、牛タンは?牛タンは何時に食べるんすか?あと、ずんだ餅と、笹かまぼこと、萩の月は?」
川島が前のめりになる。新幹線が発車してまだ十分だが、彼はすでに駅弁(『極厚牛タン弁当』)を開封していた。
「川島、早すぎるだろ!まだ上野も過ぎてないぞ!」
「朝飯抜いてきたんすよ!エネルギーチャージっす!」
「川島先生。今回の目的の一つに『生徒が利用するレストランの選定』があります。つまり、昼食までお腹を空かせておかないと、正確な味のジャッジができませんよ」
海田が冷たく指摘する。
「えっ?マジっすか?……じゃあ、この弁当は前菜ってことにします」
「カロリー計算どうなってるんだ」
羽上は窓の外を流れる景色を見ながら、自撮りをしていた。
「『北へ向かう僕。憂いを帯びた横顔』……送信っと。あ、空木さん、映り込まないでくださいよ。背景が散らかります」
「俺は背景か!」
一時間半後。あっという間に仙台駅に到着した。ホームに降り立った瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
「おお……涼しいな」
「空気が美味しいっす!牛タンの匂いがするっす!」
「気のせいです」
四人はレンタカーを借り、最初の目的地である『青葉城址(仙台城跡)』へと向かった。ハンドルを握るのは海田。助手席にはナビゲーターの空木。後部座席には重量級の川島と、優雅な羽上。
「海田、安全運転で頼むぞ。生徒のバス移動を想定してな」
「任せてください。僕のドライビングテクニックはAI並みに正確です」
車は順調に進み、山道を登っていく。やがて、眼下に仙台の街並みが広がり、頂上の駐車場に到着した。
青葉城址。そこには、あの有名な『伊達政宗騎馬像』が、眼下の街を見下ろすように堂々と立っていた。
「うおおお!かっこいい!独眼竜!」
空木が少年のようにはしゃぐ。
「さて、仕事です。ここの写真スポットで、クラス集合写真がスムーズに撮れるか検証します」
海田が三脚を立てる。
「よし、俺が政宗公の横に立つから、画角を確認してくれ!」
空木が像の前に走っていった。彼は政宗公と同じポーズを取ろうとして、右手を腰に、左手で手綱を持つふりをした。
「どうだ海田!威厳があるだろう!」
「……空木先生。サイズ感が違いすぎて、政宗公のペットの猿みたいに見えます」
「誰が猿だ!」
「僕が代わりましょう」
羽上がコートを翻して前に出た。
「ほら、現代の独眼竜とは僕のこと……あ痛っ!」
羽上がキメ顔をした瞬間、突風が吹き、彼の長いマフラーが顔に巻き付いた。
「むぐぐ! 前が見えない!独眼竜っていうか、全盲竜!」
「羽上、それはただの不審者だ」
そんな中、川島は売店の方をじっと見つめていた。
「ボス……。『ずんだシェイク』があるっす……」
「今は仕事中だ!……と言いたいところだが、生徒が買い食いする可能性もある。味のチェックが必要だな」
空木も喉が乾いていた。
「ですよね!行ってくるっす!」
川島はマッハの速度で売店へ走り、両手にずんだシェイクを持って戻ってきた。
「はい、ボスの分!」 「おお、気が利くな」
四人は政宗公の像の前で、ずんだシェイクを啜った。枝豆の香りと、ミルクの甘さが絶妙にマッチしている。
「うまい……!豆のつぶつぶ感がたまらん!」
「これは生徒にも人気が出そうですね。アレルギー情報の確認リストに入れておきましょう」
海田が真面目にメモを取る。
「あ、川島先生。口の周りが緑色になってますよ。シュレックみたいです」
「うるさいっすよ羽上!お前もマフラーにずんだ垂れてるぞ」
「ひいい!イタリア製が!」
ひとしきり騒いだ後、彼らは次のミッションへ向かった。『昼食場所の選定』である。
仙台市内にある、団体客受け入れ可能な牛タン専門店。広々とした座敷に通された四人。
「今回の予算は、生徒一人当たり二千円以内。この範囲で満足できる定食があるかどうかが鍵です」
海田がメニュー表を睨む。
「二千円か……。牛タン定食、ギリギリだな」
空木も腕組みをする。
「すみませーん!『極上厚切り牛タン定食・肉1.5倍』四つ!」
川島が勝手に注文した。
「おい川島!それは三千五百円だぞ!予算オーバーだ!」
「えっ?でも下見っすよ?経費で落ちるんじゃないっすか?」
「落ちるか!差額は自腹だぞ!」
届いた牛タンは、分厚く、炭火の香ばしい匂いが漂っていた。麦飯、テールスープ、そして南蛮味噌。完璧な布陣だ。
「いただきます!」
川島が一口食べた瞬間、白目を剥いた。
「んぐぐぐ……!柔らかい!噛み切れる!俺の知ってるゴムみたいなタンとは違う!」
「表現が貧困だな。……でも、確かに美味い」
空木も舌鼓を打つ。
「生徒たちには贅沢すぎませんか?もっと安い『切り落とし丼』とかでいいのでは」
海田がコスト計算を始める。
「ノンノン、海田っち。本物を知ることも教育だよ」
羽上が優雅にテールスープを啜る。
「このスープ、僕の肌にコラーゲンを補給してくれている……。感じる、牛の魂を……」
その時、空木が悲鳴を上げた。
「ああっ!やっちまった!」
「どうしましたボス?」
「南蛮味噌……。これ、青唐辛子だろ?一気に食べたら、口の中が火事だ!水!水をくれ!」
空木が涙目で水をあおる。
「辛い!でも美味い!でも辛い!」
「空木先生、生徒への注意喚起事項に追加ですね。『南蛮味噌の一気食い禁止』と」
海田が冷静に記録した。
腹ごしらえを終えた四人は、午後の目的地『松島』へと移動した。日本三景の一つ。風光明媚な湾内に、無数の島々が浮かぶ絶景スポットだ。ここでのミッションは、『遊覧船の乗船体験と安全確認』。
「うわあ、海だ!島だ!松だ!」
空木がデッキではしゃぐ。
「松島や、ああ松島や、松島や。……芭蕉も一句詠めなかったという絶景だな」
「それ、実は芭蕉が詠んだ句じゃないらしいですよ。後世の狂歌師の作だとか」
海田が水を差す豆知識を披露する。
「夢を壊すな海田!ロマンだろ!」
遊覧船が出航した。ウミネコたちが、船を追いかけて飛んでくる。
「見てください!ウミネコですよ!」
羽上がスマホを構える。
「僕とウミネコのツーショット。タイトルは『白い翼と白い肌』……」
バサッ!
一羽のウミネコが急降下し、羽上の手から「かっぱえびせん」を奪い取った。ついでに、彼のセットした髪の毛を足で鷲掴みにしていった。
「ぎゃあああ!僕のヘアセットが!鳥の巣みたいになった!」
「お前がエサを持ってるからだろ!……っていうか、いつの間にえびせん買ったんだ」
一方、川島は船酔いと戦っていた。
「うぷ……。牛タンが……牛タンが喉元まで逆流してきてるっす……」
「我慢しろ川島!ここで吐いたら、松島の海が汚染される!」
「ボス、背中さすってください……。あと、ずんだシェイクも上がってきてるっす……」
「緑色のゲロは絶対ダメだ!」
海田は一人、船内の非常口と救命胴衣の数を確認していた。
「定員三百名に対し、救命胴衣は三百五十着。AED設置あり。避難経路確保。よし、問題なし」
彼は楽しむことよりも、リスク管理に命を懸けていた。やがて船は港に戻った。川島は顔面蒼白で下船し、羽上は髪がボサボサ。空木は海田に「先生、はしゃぎすぎて手すりから身を乗り出さないでください」と怒られていた。
一日目の視察を終え、四人は宿泊先である南三陸のホテルに到着した。太平洋を一望できる、露天風呂が自慢の宿だ。チェックインを済ませ、部屋に入る。四人一部屋の和室だ。
「おおーっ!広い!オーシャンビュー!」
空木が窓を開けて叫ぶ。
「磯の香りがするな。……さて、夕食まで時間がある。まずは大浴場の視察だ!」
「視察という名の入浴ですね。了解です」
海田がタオルを持つ。大浴場は、素晴らしい眺めだった。夕暮れの海を見下ろす露天風呂。
「極楽、極楽……」
空木がお湯に浸かり、大きく息を吐く。
「一日運転お疲れ、海田。お前の運転、揺れなくて快適だったぞ」
「ありがとうございます。……でも空木先生、助手席で口を開けて爆睡してましたよね。ナビの役目を放棄して」
「い、いや、あれは瞑想だ!」
ザブーン!
巨大な水しぶきと共に、川島が入ってきた。お湯の水位が目に見えて上昇する。
「あー!生き返るっす!船酔いも治ったっす!」
「川島、お前が入ると『アルキメデスの原理』を体感できるな。お湯が溢れ出てるぞ」
羽上は、顔に泥パックを塗りながら入ってきた。
「日焼けは大敵ですからね。東北の日差しを侮ってはいけません」
「誰だお前!スケキヨか!」
四人は並んで海を眺めた。裸の付き合い。これぞ修学旅行(の下見)の醍醐味だ。
「……なあ、お前たち」
空木がぽつりと言った。
「こうして四人で風呂に入るのも、なんか久しぶりだな」
「そうですね。三月の異動騒動以来、席も離れちゃいましたし」
海田が眼鏡(風呂用)を曇らせながら言う。
「でも、離れてても俺たちは最強っすよ!今日の牛タン、四人で食べたから四倍美味かったっす!」
川島が単純かつ真理を突くことを言う。
「ふふっ。まあ、僕という華がいるからこそ、この絵面も持ってるんですけどね」
羽上が泥パック顔でウインクする。空木は笑った。
「明日も早いぞ。明日は岩手県へ移動だ。中尊寺金色堂と、農家民泊の体験学習が待っている」
「農家民泊……。田舎料理……じゅるり」
川島の目が光る。
「僕は、義経公の悲劇に思いを馳せて、一句詠むつもりです」
羽上がロマンチストぶる。
「スケジュールはタイトですよ。五時起きでお願いします」
海田が釘を刺す。四人はのぼせる寸前まで語り合い、そして上がった。夕食は、三陸の海の幸づくし。アワビ、ウニ、フカヒレ。 川島が
「ここは竜宮城か!」
と叫んで仲居さんを笑わせ、空木がアワビの踊り焼きを見て
「熱そう!かわいそう!」
と言いながら完食し、羽上がカニを剥くのが下手で海田に全部やってもらうという、いつもの光景が繰り広げられた。
夜。布団に入っても、彼らの会話は止まらなかった。修枕投げ……はさすがに三十代なのでしなかったが、生徒の部屋割りの悩みや、進路指導の話など、真面目な話も少しだけした。
「……よし、寝るぞ。明日に備えて」
空木が電気を消す。
「おやすみなさい、ボス」
「おやすみ」
「Zzz……」
消灯から五秒後。川島の爆音が響き渡った。
「ゴオオオオオオオオ……!ブガアアアアア……!」
「……うるさい!」
空木が枕を投げた。
「川島! いびきが地響きレベルだ!」
「むにゃ……牛タン……もう食えないっす……」
「寝言でも食ってるのか!」
海田が耳栓を装着し、羽上がアイマスクをする。空木だけが、川島のいびきと格闘しながら、長い夜を過ごすことになった。こうして、修学旅行下見の一日目は、無事(?)に終了した。しかし、彼らはまだ知らなかった。翌日、岩手の地で待ち受ける「カッパ伝説」と「わんこそばの悲劇」を。四銃士の旅は、まだ始まったばかりである。
(エピソード12・完) (続く)




