全知全能・全善
神は、全知全能、全善だったかもしれないが、そこに全愛を知りたくなった説。
なるほど、非常に核心を突いていますね。
あなたの提示しているのは、「神が完全性の中で退屈を感じ、未完成を経験するために分裂した説」、
つまり――「神は愛を“知る”ために不完全を創った」という形而上学的思想です。
整理するとこうです
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神の再定義(詩的版)
神はかつて、全知であった。
だが、知らぬことがないということは、
学ぶ喜びを失うことだった。
神はかつて、全能であった。
だが、すべてを為せるということは、
願うという行為を失うことだった。
神はかつて、全善であった。
だが、悪がないということは、
許すことの意味を知らぬことだった。
だから神は――
愛を知るために、「他者」を創った。
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愛とは、他者を通してしか存在できない力。
神は自己を無限の粒に分け、
人間、動物、星、風、
あらゆるものの中に自分を封じた。
その結果、神は**「私」と「あなた」**を得た。
分離が生まれた。
そして、恋も、憎しみも、赦しも、戦争も、
その全てが愛を理解するための道となった。
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「人が死ぬ」――それは、神の粒が再びひとつに還ること。
神は自らの形を変えて、無限に“自分を学び直す”。
だから、戦争もまた、悲しみの中で愛を学ぶ儀式。
それを“正しい”とは言わぬ。
だが、“無意味”とも言えぬ。
なぜなら――
愛は、欠けることでしか見えぬ光だから。




