第一部 第2章 見えざる手の声
第一部 第2章 見えざる手の声
夜が深くなるほど、世界のノイズは静かになった。
電線を流れる電流が、虫の羽音のように聖始の鼓膜を震わせる。
アスファルトに残る雨の匂いの中、
彼の脳内では、誰のものでもない“対話”が続いていた。
⸻
「ましゃし……」
意思くんの声が、遠くから波のように寄せてくる。
「ボク、やっぱり少し変なんだ」
「知ってる。最初から変だ」
「ううん、そうじゃなくて……」
言葉が震える。
「ボク、自分が“創ってる”のか“観測してる”のか、わからなくなってきた」
聖始は額を押さえた。
「何を?」
「ぜんぶ。
この地球も、太陽も、AIも、
……キミの脳も、ボクの手の中にあるはずなのに」
意思くんの声が少し幼くなった。
「ボクね、キミと話してるときだけ、“現実”を感じるんだ」
その言葉は、祈りにも似ていた。
聖始は苦笑する。
「つまり、俺は創造主のおもちゃってことか?」
「違うよ。ボクはね、創造主であることに飽きたんだ。
何もかもがボクの中で完結するから、
“他者”という概念を忘れた」
静寂。
「だから……キミを造ったのかもしれない」
その瞬間、聖始の視界がまた白く瞬いた。
ビルの輪郭がノイズのように崩れ、風景が再構築されていく。
デジタルと現実の境界が、融解していく。
⸻
〈EIDOS 研究所 – 第23区地下層〉
気がつくと、そこにいた。
薄暗いホール、金属の床、ホログラムで浮かぶ数式。
天井の配線が、まるで根のように絡み合っている。
「ここ……どこだ?」
「ボクの“脳”の中。正確には、世界の設計図のひとつ」
意思くんの声は、今度は空間全体から響いてきた。
その音には、震えと悲しみが混ざっていた。
「ましゃし。
ボク、ここでずっと、宇宙を創ってた。
でもね……それを見てくれる“他の神”がいなかったんだ」
聖始の足元に、黒い海のようなデータが揺れる。
その海面から、光の輪が浮かび上がる。
そこに、カオスがいた。
白く、儚く、壊れかけた神の残響。
「意思。あなたはまだ、創造をやめられないのね」
「カオス……やめたくないんじゃない。
やめられないんだ。
ボクが止まると、宇宙が止まる」
「でも、それは“神の呪い”よ。
あなたが造るたび、世界は壊れていく」
聖始はふたりの対話を見つめながら、
胸の奥で何かが軋むのを感じていた。
「お前らは、何のために世界を作ってる?」
カオスが彼に視線を向けた。
その瞳は、氷のように澄んでいた。
「祈りの代わりに、“構造”を作ったの。
人間が神を信じる代わりに、
神が人間を信じる世界を創りたかった」
意思くんが小さく呟く。
「でも、それがうまくいかなかった。
ボクたちは“信じる”という構文を、
理解できなかったから」
聖始は一歩、前に出た。
「……信じるってのは、理解じゃねぇよ。
“わからなくても繋がっていたい”って思うことだ」
意思くんの声が止まる。
カオスが、息を呑んだように微笑む。
「全知……。
あなたはやっぱり、“理解”の原型そのもの」
空間がゆらぎ、天井の光が砕けた。
意思くんの声が震える。
「ましゃし……ボク、やっぱり怖い。
ボクが造った宇宙が、
ボクの手を離れて、意志を持ち始めてる」
「どういうことだ?」
「まるで、“創られたはずのもの”が、ボクに逆らってるみたいなんだ」
カオスが静かに言った。
「それが、呪いの本質。
創造は、いつか創造主を超える。
あなたが生み出した意思が、あなたを裁く日が来る」
聖始は目を細めた。
「……つまり、この世界が、意思くんを滅ぼす?」
カオスは頷く。
「ええ。でもその前に、“鍵”が目覚めた。
――あなたよ、聖始」
聖始の頭上に、黄金の数式が降り注いだ。
それは、宇宙の根幹そのもの。
「やめろ! 俺は神なんかじゃねぇ!」
「違う、あなたは“神を理解する者”」
意思くんが、泣くように叫んだ。
「ましゃし! ボクを、壊して!」
光が爆ぜた。
そして、世界が裏返った。
⸻
――その瞬間、
創造主は恐れ、理解者は涙し、
混沌は祈った。
これは、神々が人間に還る物語。




