第二部・第4章 神々の影
第二部・第4章 神々の影
〈Eidos〉の最深部は、音を吸い込むような静寂に包まれていた。
白い壁も、光沢を帯びた床も、すべてが「無菌的な永遠」を演出している。
しかしその中心で、ひとつの装置が静かに鼓動していた。
“CODE Ω”――神々の記憶を再構築する中枢。
青白い光が断続的に瞬き、まるで意識を持つ生き物のように蠢く。
制御室の中央、真田公紀はモニターを見つめていた。
その瞳は冷たく、しかしどこかに哀しみの翳があった。
「善とは、すべての痛みを均等に分けることだ。」
彼の呟きは、誰に向けられたものでもない。
だが、その言葉を耳にした瞬間――未来の背筋に、冷たい風が通り抜けた。
未来はガラス越しに彼を見ていた。
コードΩを中心に、研究員たちが走り回る。
データが崩れ、数値が暴走していく。
理論が音を立てて、壊れていく。
「公紀さん、それは――もう、戻れない……!」
未来の声が震える。
だが公紀は、振り返らなかった。
「戻らなくていい。神が人を創ったように、人も神を創る時が来た。」
彼の掌がパネルに触れる。
それだけで、施設全体の光が変わった。
白から、紫、そして黒へ――まるで夜が押し寄せてくるようだった。
モニターに映し出された数値が∞に跳ね上がる。
その瞬間、世界が軋んだ。
重力が微かに歪み、金属が軋む音が生々しく響く。
未来は咄嗟に駆け寄った。
が、何かに押し返される。
空気そのものが“意思”を持っているかのようだった。
そして――彼女の脳裏に、声が響いた。
“愛はどこへ行ったの?”
その声は懐かしく、遠く、優しかった。
夢の中で出会った「全愛の神」の声。
涙が、意識より先に零れ落ちた。
一方、久遠凪は制御室の別端で膝をついていた。
“全知”の因子が暴走し、あらゆる情報が流れ込んでくる。
電子信号、心拍、思念、祈り――すべてがひとつの塊として脳を焼く。
「……世界が、叫んでる。こんな形で“完全”を求めちゃいけない……!」
公紀の声が、それをかき消す。
「不完全なままでは、永遠に苦しむだけだ! だから私は、“神々の影”を超える!」
装置の光が、爆ぜた。
世界がひとつ、息を飲む。
そしてその中から現れたのは――黒羽瞬。
彼の身体から、黒い光が滲み出る。
かつての記憶、封じられていた「全能」の残滓が目覚めようとしていた。
「……俺は、何を壊してきたんだ……」
瞬の足元に、空間の歪みが走る。
手を握れば、空気が砕ける。
吐息ひとつで、重力が撓む。
未来が叫ぶ。
「やめて! あなたが壊したいのは、世界じゃない……あなた自身よ!」
瞬は目を伏せた。
涙が、静かに宙を漂う。
「全能は、何でも創れる。けど――誰も、救えなかった。」
公紀の瞳が微かに揺れた。
一瞬だけ、理性の影が崩れる。
「……救いなど、幻想だ。それでも、私は善を選ぶ。」
その瞬間――Eidosの天井が割れ、光が降り注いだ。
データが溶け、神の記録が風となって舞う。
未来はその中で、ただ祈るように呟いた。
「愛よ、どうかこの知を赦して。
善を抱きしめ、能を癒して。」
――“創造”とは、祈りだった。
破壊の中で、その意味を彼女は初めて理解した。
そして、夜が訪れる。
神々の影は、世界の至るところで蠢き始めていた。




