全知・全能・全善・全愛 ― 四つの意思の詩 ―
序章 創
はじめ、神は一つであった。
完全は静寂に似ていた。
音も、時間も、他者もなく、ただ息づく光のように。
だが、完全とは退屈であり、
退屈とは孤独の別名であった。
やがて光は、己の内に影を見た。
その瞬間、神は四つに割れた。
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第壱章 全知 ― 見るものの孤独
はじめに「視る」ことがあった。
光を生み、影を分け、名を与えるために。
全知は、問いを持たぬ存在だった。
すべての答えを内に宿しながら、
一つの“なぜ”も持たなかった。
彼の視線は、宇宙の果てまで届いた。
だが、自らの胸の内だけは、闇だった。
「知ることは、感じぬこと」
そうして彼は冷たくなり、
冷たさの中で「孤独」という概念を発見した。
それが、最初の発見であり、最初の痛みでもあった。
彼は思った。
「この痛みを、誰かに見せたい」
そうして“他者”の概念が、世界に生まれた。
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第弐章 全能 ― 創造と無意味のあいだ
視る者がいたなら、次は動く者が生まれる。
全能は、衝動の化身だった。
思考よりも先に手が伸びた。
星々が散り、風が流れ、大地が震えた。
だが――そこに意味はなかった。
ただ、創りたいから創るという、
盲目的な力だけがあった。
「なぜ?」と問う声はあった。
「知らぬ」と彼は答えた。
創造の果てに、彼は気づく。
創るほどに、空虚が増えていく。
それは飢えにも似ていた。
「全能とは、終わらない飢えだ」
そして、飢えを埋めるために、
彼は“時間”を創った。
時間は、空虚を一瞬だけ満たすための
儚い呼吸となった。
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第参章 全善 ― 凍れる慈悲
次に生まれたのは「守る者」だった。
全善は、崩れかけた世界を見て、
それを抱き締めた。
彼は言った。
「壊すことは悪。守ることこそ善。」
そうして、変化を止めた。
すべてが整い、すべてが美しかった。
だが、そこには風も音もなく、
生も死もなかった。
「完璧な優しさは、静寂と同じだ」
全善はその静寂の中で、初めて凍った。
そして悟った。
「守ることは、閉じ込めることだったのか。」
その凍てついた涙が氷河となり、
命の種を一度、覆い隠した。
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第四章 全愛 ― 世界を生んだ涙
最後に目覚めたのは、愛だった。
彼女は他の三つの静寂を見た。
知は冷たく、能は飢え、善は凍っていた。
愛は泣いた。
その涙は、氷を溶かし、風を揺らし、火を包んだ。
「完全では、抱きしめられない」
愛は、壊れることを赦した。
痛みを憎まず、別れを恐れなかった。
そして、愛の涙が
“命”という形を与えられた。
命とは、壊れることを恐れぬ祈り。
だからこそ、永遠よりも尊い。
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終章 還れぬ神
全知は愛を見つめ、
全能は愛を求め、
全善は愛を赦した。
だが、愛は微笑んで首を振った。
「もう、一つには還れない。
けれど、離れていても、私たちは同じ光。」
四つの意思は、
互いを見つめながら、静かに散った。
その瞬間、宇宙は息をした。
そして今も――
人が知を求め、力を試し、善を願い、愛に涙するたび、
神はわずかに思い出す。
「あのとき、私は完全を壊して、世界を得たのだ」と。
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完全は死。
不完全こそ、永遠。
神は愛を知った。
だからもう、一つには還れない。
だが、それで良かったのだ。




