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8 八葉村と陽也

 八葉村に来て一週間が過ぎた。

 最初にサラシの下の惨状を目にしたとき、桜はうわぁと声が漏れた。手綱をキツく巻き付けていたせいで、掌だけでなく手の甲や手首の辺りまで皮がめくれ、皮膚の内側が覗いていた。

 テレビならモザイクがかかる絵面だ。

『あと二日もすれば新しい皮膚ができてくるから、そしたら痺れのない膏薬に変えよう』

 陽也がそう説明してくれた。そこから毎日、軟膏を塗りサラシを替え、今日まで治療を続けてくれた。

 桜も由羅も順調に回復し、今日は村を案内してもらえる事になった。

「陽也って何歳?」

 歩きながら桜が聞いた。

「十一だよ」

 桜は目を見張った。

「そうなんだ。落ち着いてるし、しっかりしてるからもっと上かと思った」

「白華人は年齢や性別が判じにくいのが特徴だよ」

 陽也は微笑みながら言った。確かに、何処か浮世離れした容姿が年齢の推定を困難にさせる。

 しかしそれだけではない。包み込むような優しさで、桜を励ましながら根気強く治療してくれる様子は、とても年下とは思えなかった。

「見た目だけじゃなくて、その落ち着きとか、男気とか。尊敬するよ」

 雷太に言い返すあの様は、とても男らしかった。素直に桜がほめると、陽也ははにかんだように笑った。

 ◆◇◆

「あれが戴狛の礼を行う神殿だよ」

 陽也が指差す方向を見ると、数十メートル先に立派な建物が見えた。寺院のような建物に、バルコニーのように張り出した部分があった。

「あの舞台で御神楽を奉奏するんだよ」

 先日桜の腹の音で閉会してしまった会議ののち、戴狛の礼について説明を受けた。簡単に言えば、狛馬を呼び寄せるために必要な玉を授ける儀式だった。

 たしかに、由羅も雷太も千寿も、首から透明な玉を提げていた。以前由羅が水晶と呼んでいた。

 曰く、狛馬とは冥道に眠る動物達の霊魂が、水晶の輝きに惹かれ、現世に呼び戻されたものらしい。

 姿形は動物に似ているが、知能が高く、桜の知る動物に比べてかなり大きい。

 陽也は、その水晶を授ける能力を持つのだと、歩きながら説明してくれた。

 神殿までの道のりは、様々な店が並んでいて賑やかだった。

「お店がたくさんあるね」

「八葉村は人の出入りが多いからね。物が出入りして、出入りする人のための宿や店が増えて、情報が集まって、だんだんと栄えてきたんだ。もともと気候がいいから農作物は良く育つし、薬草なんかも多いから医術師や薬師も良く来るよ」

 桜は自分の手をじっと見た。そして由羅のすっかり色の戻った顔を見た。

「この村だったから助かったんだね」

 由羅は頷く。

「その通りだ」

 由羅は真っ直ぐ桜を見て言った。

「あんなに傷だらけになってここへ運び込んでくれた桜には、いくら感謝しても足りないくらいだ」

 桜は目を瞠った。

「そもそも私が狼に襲われたり寝坊したせいなのに、感謝なんておかしいよ」

 由羅は静かに首を振った。

「本当ならあんな狼なんて簡単に仕留められたんだ。だが桜が対峙してるのを見て、ほんの一瞬助けるのを躊躇してしまった」

 由羅の声音に後悔が滲んでいた。

「狼に私を始末させようと思ったの?」

「そんなわけないだろう。ただ、怯む事なく狼と対峙して見事な一振りを見せた桜を見て、ああ、やっぱり剣が使えるんだ、嘘をついてたんだと、失望したんだ」

 由羅の乏しい表情に、申し訳なさが浮かぶ。

「だが一匹仕留めてあからさまに隙を見せた桜を見て、しまったと思った。自業自得だよ」

「でもそれなら、由羅が倒れそうになっても守ろうとしてくれてる時に、私は剣を抜く事すらしなかったのに…」

 桜の頭を大きな手が優しく撫でた。

「あの時、怖い思いをして助けようとしてくれたんだろう」

 桜が顔を上げると、今度はサラシを巻いた桜の両手を取った。

「誰かにあんな風に守られたのは子供の時以来だ。逃げずに俺を庇ってくれたことに、胸を打たれた。こんなに辛い思いをして助けてくれたのに、なぜ感謝せずにいられると思う?」

 由羅の言葉に喉の奥が詰まった。この優しい人を失わずに済んだ事に、心から感謝した。

「元気そうだな」

 頭に手が乗せられた。そして掴まれた。桜はゆっくりと顔を上げ、じっとりとした目を雷太に向けた。

「随分楽しそうだな?」 

「今この瞬間まで楽しかったんだけど」

「そうか、俺も混ぜてくれ」

 陽也と由羅との穏やかな散歩が終了した。

「桜、少し行ったらお茶屋さんがあるよ。甘い団子でも食べよう」

 元気付けようとしてくれた陽也の提案に涙が出そうだった。

 宿屋に本屋、鍛冶屋、食事処、たくさんお店が並んで、お祭りのようだった。

「ここは機織り。この村では上質の麻が取れるんだ。王都の商人が買いに来たりもする。王都は荒麻も良く売れる」

「アラマ?」

「狛馬の手入れをする粗く編んだ固い布だよ」

 そう言って手に取って見せてくれた荒麻に、桜は見覚えがあった。いつか雷太に差し出された、あれだ。

「これ、知ってるよ。人間の顔拭いたらダメなやつね」

 桜が言うと、背後でブッと吹き出す声が聞こえた。桜は雷太をひと睨みしておいた。

 道すがら陽也がしてくれる説明にいちいちはしゃいでいる桜の後ろを、由羅と雷太は何やら難しい話をしながらついてきた。

「神殿はすぐそこだよ」

 陽也が前方を指さして言った。

 記憶を辿り、中学時代に修学旅行で行った清水寺のようだと思い至った。バルコニーのように突き出た場所の形が良く似ていた。

「あそこで神楽を舞うんだ。本堂と繋がっていて、中には祭壇がある」

 祭壇、と言う単語に由羅と雷太が反応し、微妙な空気が流れた。

「祭壇を見たことはある?」

 陽也はそんな空気に気づかず無邪気に聞く。

「祭壇って、なんかこう、丸いのが書いてあって、魔法陣みたいな…」

「ああ、見たことあるんだね」

「見たことあるって言うか…」

 叩き割ったことがあるって言うか…。

 桜が返答に困っていると、由羅と雷太がほぼ同時に吹き出した。

「ふっ、ふふ」

「くっ、くくく」

 口元を覆っていた手は、今度は文字通り腹を抱えて、

「あっはははっ」

 二人で大笑いしていた。その様子を陽也がキョトンとして見ていた。桜も二人の様子に面食らった。二人がこんなに楽しそうに笑っているのを初めて見た。いつもよりずっと子供じみていて、屈託なく笑う表情は普段より幼く見えた。

「勘弁してくれ、桜」

 笑いがひと段落し、ふうっと呼吸をととのると、由羅が言った。

「陽也、大事な祭壇に桜を近づけたらダメだ。壊すかもしれないから」

「しかも頭でた。その後ありがたいお札を引き剥がして椅子を破壊して逃亡するぞ」

 また二人は笑った。

 ◆◇◆

 陽也が案内してくれたお茶房に入ると千寿が一人でお茶を啜っていたので、同じ卓に腰掛けた。注文した品が出てくるまでの間、桜は事の顛末を説明した。同じように笑われるかと思ったが、陽也は真剣な顔で話を聞いていた。

「そこに、お札があったの?天彾様の?」

「天彾って言うのがイマイチわからないけど、宿屋の人がありがたがってるお札だったよ。偉い人なの?」

「偽モンだよ。こいつが読めるってのも怪しいもんだ」

 桜は雷太を睨んだ。

「私一つも嘘ついてないのに、雷太が全然信じてくれないの。みんなの名前も、夢で見たから知ってたって言ってるのに、何を疑ってるのか知らないけど…」

「夢で、見たの?」

「な、信じられないだろ?百華でもないのにこいつにそんな力あるわけないだろ」

 雷太の言葉を無視して、陽也は何事か考えている様子だった。

「陽也は神殿で水晶を作る人って聞いたよ。どんなのか全然想像できないけど、なんだかすごいね。見てみたいな」

 桜が問いかけると、陽也はハッとしたように顔を上げた。

「神殿には十四才以上の女の人しか入れないんだ」

「じゃあ私入れるね、十五だもん」

 それまで気配を絶っていた千寿が、ゴフッとお茶を噴いた。

「じゅう…ご…だと?桜が?」

「んなわけねーだろ、祭事を見たいからって、ウソついてんじゃねーよ」

「嘘じゃないよ。嘘ついた事ないって言ってるでしょう。十五だよ」

 雷太が目を剥く。

「まさか、そんなバカな」

 ここでもか、と桜は思う。実年齢に見えないのは承知している。この世界では身分を証明するものがないのが歯痒かった。

「桜の年齢を聞いてるんだぞ。桜が十五なのか?」

 いつもの静かな口調だが、動揺を隠せない様子で由羅が聞いた。この流れで自分以外の年齢を答えるわけがない。

「本当だよ。高校生だもん。十五だよ」

「こうこうせい…って言うのがわからないけど、桜は僕より四つも年上って事?」

「そうだよ、四つ上の十五だよ!」

 あまりにしつこいので、少し声が尖る。

「君は十五才なのか」

 背後からも声が割って入った。桜はガタッと大きな音を立てて椅子から立ち上がると、後ろを振り返った。

「だからそうだって言ってるでしょう!」

 言った後、皆がしんとした。立っていたのは夏陽だった。その隣に知らない若者もいた。優しげな面差しで何処か頼りない印象の若者は、怯えたような顔でこちらを見ていた。

 怒鳴りつける相手を間違えてしまったと桜は慌てたが、夏陽の次の言葉に思考が停止した。

「いや、すまない。陽也より下か同じくらいかと思っていた」

(陽也と同じ…)

 桜は千寿達に向き直った。

「まさか…、みんな十才くらいに見えてたってこと?」

 みなコックリと頷く様子を見て、桜は机に両手をつき、ガックリと項垂れた。

「中学生には良く間違えられたけど、十才って…小学生…」

 一同がしんとする中、陽也だけは何とか慰めの言葉を探そうとしていた。

「……、……っ」

 しかし全く言葉の出ない陽也が、逆に哀れになった。

「無理しなくていいから陽也。それよりお父さん何か用があったんじゃないの」

 困っていた陽也は、すぐその話題に飛びついた。

「あっ、そうだね。父さん、どうしてこんな所に」

「儀式の日付けが早まった。別件の依頼が入った。明日には到着するそうだ。禊を済ませて本殿に入ってくれるか」

「明日⁉︎」

「先触れがきた。雪代はもう準備に入っている」

 雪代と言う名を告げた時、陽也の顔が強張った。夏陽の隣に立った若者も、痛みに耐えるような表情を浮かべた。

「雪代姉さん…」

 陽也は呟くと、明らかに落ち込んだ様子でスッと立ち上がった。

(陽也、大丈夫?)

 桜は事情を聞きたかったが、とてもそんな雰囲気では無かった。

「陽也、行こう」

 弱々しく告げた若者が陽也の背に手をかけ、促すように軽く押した。その様子を見て、桜の心がざわついた。

(あの手…)

 若者の手に、チラリと腕飾りが見えた。指先程の大きさの赤い石が揺れていた。たまらず桜は声をかけた。

「陽也!」

 桜自身思ったより大きな声が出て、陽也だけでなくその場にいた人達の注目を浴びてしまった。

「陽也、あの…」

 呼び止めたものの、桜は言葉が出ない。今から神事を行うのに、不吉な夢の光景を伝えるのは憚られた。言葉を選びかねて黙っていると、陽也は軽く頷いた。

「桜、僕は大丈夫だよ。桜は決して神殿に近づかないで」

 しょんぼりとした様子だったが、キッパリと言った。桜は夢の事を何も言えないまま、陽也の背中を見送った。

 桜は後々、この瞬間を何度も思い出すことになる。陽也の運命が八葉村と分たれたのは、きっとこの時だった。

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