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5 由羅からの信頼

 今日の夜営場所が決まった。別にいつも賑やかなわけでは無いが、今日はとりわけ空気が重い。

「桜、これを持っていろ」

 由羅が差し出したものを見て、桜はギョッとした。それは、鞘に納められた一本の剣だった。

「い、いらない。使った事ないから」

「下げておいてくれ。薙さんの使っていた物だ」

 形見という事か。両手で受け取ると、色々な意味でずしりと重かった。

「もしお前が敵なら、俺たちに切りかかってきたらいい。恐らく一瞬で勝負はつくだろう」

 本気かどうかわからない事を由羅が言うと、

「それはいい」

 皮肉を大いに含んだ声音で雷太が言った。

「お前から仕掛けてきたら、遠慮なく切り捨てられる」

 雷太の発言を無視して、桜は渡された革ベルトの使い方と剣の下げ方を由羅に聞いた。何とか様になると、

「抜いてみろ」

 千寿が言った。少し力をいれてそろりと引くと、諸刃がキラリと覗いた。全部引き抜くと戻すのに手間取りそうだと思い、数センチ引き出しただけで、桜は剣をまた鞘に納めた。きっと永遠に使う事はないだろう。

 ◆◇◆

「この斜面を下ると川が流れている。水を汲んできてくれ」

 由羅が木の桶を差し出すと

「これも洗ってこい」

 雷太が布をバサリと投げてよこした。鼻水のついたあの布だ。桶と布とを抱えて、道無き斜面を降りようとして、桜ははたと思い至って由羅を振り返った。

「手拭いも洗ってきます」

 手を差し出すと、由羅が懐から手拭いを取り出し桜に渡した。微かに笑ったように見えて、桜はそれだけで張り詰めた気持ちが少し緩んだ気がした。 

 斜面を降りるのはかなり骨が折れた。舗装されてない山道だって歩いたことがないのに、こんな獣しか下らないような道をサクサク下りろと言うのが無理な話だった。

「まさか川で洗濯する日が来るとは思わなかったな」

 ジャブジャブと洗い物をしながら、桜はあらためてこの世界について考えた。

 あの日自分を絶望のどん底に突き落とした護符は、由羅の荷物に一緒に入れてもらっていた。あれを書いた人は、桜と同じ日本人だろう。文面からして、年も近いかも知れない。

(どうやってこの世界に来たのだろう?何故帰れないと確信していたのだろう?どうやってこの世界に住む事に気持ちの折り合いをつけたのだろう?そもそも、この世界は、日本と何が同じで何が違うのだろう?)

 長い時間グルグルと答えの出ない問いを重ねたのち、桜は立ち上がった。

「やっぱり、もっと情報が必要だ」

 どんなに邪険にされても、やっぱりもっとこの世界の事を教えてもらおうと勇んで立ち上がり、片手に桶、もう片方に布と手拭いを下げてさあ戻ろう、と斜面を見上げて、桜はどきりとした。暗い。思った以上に暗かった。自分の思考に没頭して、時間が経つのを忘れていたのだ。空はまだ色を残しているが、山の斜面に明るさはほぼゼロだった。

「やだ、どうしよう」

 来る時かなり下ったから、登るのには時間を要するだろう。夜営場では火を焚いている筈だが、その灯りは全く見えなかった。

 恐怖が這い上がってきたが、登る以外に道は無かった。

「痛っ!」

 せり出した枝や鋭利な葉に肌を切りつけられながら、桜は懸命に登った。まだまだ焚き火は見えない。

(もしかして、捨てられた?)

 恐ろしい考えを振り払いながら登っていると、ふと何者かの気配を感じた。獣の臭い、そして唸り声。それも複数だ。

「嘘でしょ」

 足を止め気配のする方を見ると、それはガサガサと、こちらの様子を窺うようにゆっくり近づいてくる。

 桜は持っていた物を投げ出すと、腰に下げた剣を掴んだ。引き抜いて、構える。細い柄は思ったより手になじみ、何万回と振った竹刀の感触を思い出させた。その事が、少し桜を冷静にさせた。

 ジリジリと下がると、太い木に背が触れた。

「来たら切るからね」

 目の前の茂みがガサガサと揺れ、灰色の毛並みの狼がのそりと現れた。

(大きい)

 動物園で見たものと比べ物にならない大きさだった。全身を覆う筋肉の厚みが全く違う。目つきは野性的で殺気を放ちながら桜をひたと睨みつける。桜はゴクリと喉を鳴らす。雰囲気だけで怯みそうだった。

 左右の茂みが揺れ、新たに二匹の狼が現れた。正面の狼よりやや小さかったが、獰猛な目つきはみな同じだった。恐らく、一番大きな正面の狼がボスだろう。最初に飛びかかってくるのはこいつだろう、と桜はその狼に集中した。手に汗がにじむ。

(来るならこい!)

 幾ばくか睨みあったのち、グルルッと低く太く唸り、正面の狼が飛びかかってきた。桜は全神経を集中させ、目の前に迫った狼の鼻っ柱を思いきり切りつけた。

「ギャイン!」

 鋭い牙は桜に届くことはなく、飛びかかってきた狼はばたりと地面に崩れ落ち痙攣している。

(やった!)

 一瞬桜の集中が途切れ、切っ先が下がった隙を見逃さず、左右の狼が襲ってきた。

(しまった!)

 反応は遅れ、桜は剣を構える事が出来ず、腕で顔を庇うように覆った。痛みに身構えた時、

「桜!」

 由羅の声が頭上で聞こえ、柔らかい感触が桜を覆った。獣の唸り声と悲鳴が聞こえ、しばらくすると辺りは静寂に包まれた。

「もう大丈夫だ」

 静かな声に安堵し、腰から力が抜けズルズルとその場にへたり込んだ。激しく心臓が鳴り、震えが止まらなかった。そっと辺りを見回すと、桜が切りつけた狼が絶命して横たわり、その横には白斗が涼しい顔で佇んでいた。

「残りは白斗が追い払った」

 由羅が差し出した手に縋り立ち上がろうとして、その肩辺りが大きく裂けている事に気付いた。暗くて良く見えなかったが、赤黒いものが滴っている。血だ。

「由羅、これ⁉︎」

「大した傷じゃない」

「さっき、私を庇って?」

 由羅は桜の落とした剣を拾い上げると、無言で桜に押し付けた。

「急いで戻るぞ」

 桜は白斗の背に跨った。木々の生い茂る山道だが、桜が自分で登るより遥かに早かった。

「由羅、なんだその怪我は!」

 由羅の腕を見るなり、雷太が駆け寄って、ぎっと桜を睨みつけた。

「お前のせいか」

 桜は何も言えなかった。間違いなく、自分の責任だ。ここへ戻る途中由羅は全く口を聞かなかった。その事が、さらに桜を苛んだ。

「これは俺の不注意だ、桜は関係ない」

「何があった?」

「桜が狼に襲われていた」

 言って由羅は桜を振り向いた。乏しい表情だが、静かな怒りが見てとれる。

「だが、俺が着いた時、ちょうど一匹仕留めたところだった」

 一体何を話し合おうとしているのだろう。由羅の怒った表情も気になったが、なかなか手当が始まらなことに桜はヤキモキした。早く傷を洗わないとバイ菌が入る。

「何故嘘をついた?」

 由羅の問いに桜はポカンとする?

「うそ?」 

「剣を扱った事がないと」

 良く理解出来なかった。

「嘘なんてついてない。真剣なんて触ったこともないよ。それより早く腕の傷を…」 

「おいっ、お前、なぜそんな重要な事を隠す⁉︎何を企んでる!」

 例によって胸ぐらを掴まれながらガクガクと揺すられた。 

「剣道を習ってたけど…、真剣なんて触ったことない。嘘じゃない」

「剣道!やっぱり扱えるんじゃねーか」

「竹刀のだから、真剣じゃないって…、嘘なんて…だから早く手当を」

 揺さぶられると喋れないと、雷太は学ばない。そもそもゆっくり話し合う雰囲気もなかったのに、嘘呼ばわりもない。人の話を全然聞かない男達にだんだんと桜は腹が立ってきた。

「早く手当をして!私は嘘なんかついてないから!!」

 雷太の手をつねりあげ束縛から脱出すると、由羅に詰め寄った。興奮と悲しみで、涙が溢れそうだった。

「私は嘘なんてついてない!獣や、まして人に対して真剣を振るったことはない!整備されてない山道を歩いた事も無いし、山で野宿したり、川で洗濯したり、暗い山道を歩いたこともない!もっとちゃんと色々話してやり方をおしえて!でないと…」

 由羅の傷口に手を伸ばすと、ついに涙が溢れた。

「ちゃんと教えてくれないと、私のせいで怪我させてしまった…」

 心の鬱積を吐き出すよう、言葉と涙が溢れ出た。

「私の何が由羅達に不安を与えているのか、私のどんな行動がみんなを危険に晒すのか、もっとこの世界の事を教えてくれないとわからない。私の無知のせいで、こんな目に遭って欲しくない…」

 しゃくりあげる桜を見おろしながら、由羅は口を開きかけ、また押し黙った。

 千寿が由羅に桶と手拭いを渡した。

「とりあえず、手当が先だ」

 桜は由羅を火の側に座らせると、手拭いを水で濡らし、由羅の傷口を拭いた。由羅はされるがまま、雷太もムッとした顔だが、口を出すことは無かった。火の側によると、桜の腕や顔に小さな傷がたくさんある事に由羅が気づいた。

「お前も傷だらけだな」

 言いながら、桜の頬についた血をそっと拭った。

「山歩きが下手だとは思っていたが、まさか歩いたことがなかったとは」 

 急に顔に触れられて、桜はビックリして由羅を見つめた。 

「急に狼に襲われて、怖かっただろう」

 労わるように問われて、桜は泣きそうな気持ちで頷いた。

「だが剣の手解きは受けた事があるんだろう?」 

 これにも桜はこくんと頷いた。

「剣じゃなくて、竹刀を使ってたから」

「木刀とは違うのか?」

「木刀とは違う、竹でできた、この剣よりも長い剣の事。それで、防具を着けて一対一で打ち合う剣道って言う競技を習ってたの。もちろん相手を殺傷するためのものじゃない。真剣よりは軽いから、同じようには振れない。さっき狼を倒した時は、切ったって言うより、眉間の辺りを思い切り叩いた感じだった」

「女が剣道を習うのか?」

「女の子もたくさんいたよ。全然普通の事だった」

 話しているうちに、由羅は傷口にサラシを巻き終えた。

「じゃあ道場以外で人と打ち合いになる事はないのか」

「それは…、普通はない。けど…」

 桜は口籠る。しかしここで変に嘘をついて信用を失うわけにはいかない。

「本当はダメな事だけど、私は道場の外で、竹刀じゃないけど、武器を使った事がある。友達が変質者に襲われた時、それで相手を叩きのめした」

 俯いて、本当はダメだけど、ともう一度小さく付け足した。由羅の顔をそっと覗くと、いつもの無表情だが静かな表情に戻っていて、そうか、とだけ呟いた。

「他に何か質問は?」

 桜が聞くと、由羅が千寿と雷太を見た。雷太はこちらを見ようともせず、完全無視だった。

「戦力にはならないと考えていいのか?」

 由羅の問いに桜は頷いた。

「人は切れないから」

「狼は倒しただろう?」

「私の住んでいた所では、殺人は非日常な事だった。全国のニュースになるくらい。私は自分の世界の常識に則って生きてるから、この世界がどんな法律なのか知らないけど、人は切れない」

「にゅーすってなんだよ。自分の世界の法律って一体どう言う…おいっ!」

 雷太の話の途中で、ふわぁっと欠伸が出た。

「他に質問は…」

 怒る雷太を無視してボンヤリと聞く桜に、

「今日はもう寝ろ」

 由羅が静かに言ってくれた。桜はまたこくんと頷くと、白斗の側に寝そべった。今日も疲れた、限界だ。

「由羅…」

「なんだ」

「ゆら、ごめんなさい…」

 目を瞑りながら、半分夢の中で呟いた。

「由羅がピンチの時は…今度は私が助けるから…」

 由羅がそっと桜の頭を撫でてくれたが、残念なことに、それを感じる前に眠りに落ちてしまった。

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