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4 過酷な旅路

 桜には特技がある。その特技のおかげで、連日不思議な夢が続いても、不安で眠れなくなるような事は無かった。いや、生まれてこのかた、不眠とは無縁だった。

 つまり、とても寝つきがいい。

「こんな状況で、随分良くお眠りだったな」

 スッキリとした顔で目覚めると、雷太が睨みつけてくる。

「お前が寝ている間に、出発の準備は全部、整った」

 言いながら、桜に服を手渡す。返す言葉もなく、桜は黙って与えられたこの世界の服に着替えた。ボタンのない、よく言えばカットソーの用な一枚物の服に、足首が見える丈のズボンだった。由羅達とよく似た男物の服だったが、サイズが大きいためカットソーはチュニックのようになり、由羅達と違って萌え袖の可愛らしい着こなしになってしまった。街を出る際千寿が用意してくれた物だったらしいが、曰く、

「俺達が女物の衣料を求めたら、それだけで怪しまれる」

 だそうだ。これまでもそれほど服装にこだわりは無かったので、男ものだろうが全く問題なかった。

 桜の脱いだ物は、必死の抵抗も虚しく火にくべられ、跡形もなくなった。胸元からチラリと見えるネックレスも毟られそうになったが、それだけは死守した。力尽くで奪いにきた雷太に向かって半狂乱になりながら、

「これを取り上げたら呪ってやるからね!」

 髪を振り乱して叫ぶと、雷太はビクッとして怯えたように手を引いた。

「ちょっと良く見せてくれないか」

 由羅に言われて素直にネックレスを外す桜を雷太は苦々しげに見ていた。

 よく見えるよう差し出すと、翼の形のチャームが小さく揺れた。三人は声もなく凝視している。桜は印籠を差し出し悪を黙らせるような、悪くない気分だった。

「触ってもいいか」

 桜が差し出すと、由羅は隅々まで確認するように触れながら観察していた。千寿も目を見開いて横からじっと眺めて小さく呟いた。

「何だこの小さな鎖は。こんなもの作れる人間がいるのか。それに、こんなに輝く石は見た事がない」

 由羅は自分の首から下げていた物を外すと、桜に手渡した。麻紐に直径五センチくらいの小さな袋がぶら下がっていた。

「これはとても人の目に晒せる物ではない。外してこの中に入れて持ち歩いてくれ」

 本当は肌身離さずつけていたかったが、これ以上ごねて力尽くで奪われても困るので、桜は素直に従った。袋を開くと、中に綺麗な赤い玉がいくつか入っていた。小粒の真珠くらいの大きさで、ビーズのように穴が空いていた。桜が一つ持ち上げ、

「これは?」

 と聞くと、あまり豊かではない由羅の表情に、影が差した。

「それは俺と雷太の大切な人の形見だ」

 ふと雷太を見ると、今までに見たことのない悲しみの表情を浮かべ、桜のつまみあげた赤い玉を見ていた。

「その珠を見て何か思い出すことはあるか?」

 静かな由羅の問いかけには、僅かだが何かしらの期待が込められているような気がしたので、桜は申し訳ない気持ちで首を振った。

「何も…、多分この持ち主の事は夢で見た事がないと思う」

「そうか…、お前の首飾りと一緒に、大切に持ち歩いてくれ」

 それ以上聞きづらい雰囲気を察して、桜は神妙に頷いた。

 ◆◇◆ 

 荒れて傾斜の激しい過酷な峠道を進むと、しばらくして視界が開けた。

 荒涼とした景色だった。あまり整然とはしていない並びの家々は、どれも粗末で、くたびれていた。ある家の前では竿に干した洗濯物がはためき、また別の家では子が書いたらしい絵が地面に残っていた。その集落は、直前まで確かに人々の生活がそこにあった事を語りながら、人の気配だけが完全に失われていた。

(この、景色は)

 見覚えのある情景に、桜はブルッと身震いした。

「どう言う事だ、これは!」

 雷太が怒鳴っている。

「一体何があったんだ!」

 由羅が冷静に見渡しながら言う。

「とりあえず、薙さんの家に行ってみよう」

 そう、確かそんな名前だった。重い重い足を引きずるように、桜は後からついて行く。

「待て、様子がおかしい」

 一軒の家の前で由羅が言って、一同が立ち止まった。ほら、と桜は内心思った。

「お前、何か知ってるのか!」

 胸ぐらを掴まれた桜は、ブルブルと首を振ることしか出来なかった。何と答える?夢で見たと言って、信じて貰える?

「知るわけ、ない」

「じゃあ何でさっきあんな顔してた!家を見た瞬間お前の表情が変わったのを、俺は見てたぞ!」

「とりあえず、その手を離してやれ、それじゃ何も話せない」

 由羅に言われて、雷太が手を緩めた。尻餅をついた桜はゴホゴホと咳き込んだ。

「何も知らないって言うなら、お前が戸を開けろ」

 ーお前が開けろー

「嫌です」

 蚊の鳴くような声で答えると、雷太が鬼のような形相になった。

「俺が行こう」

 雷太が言葉を発する前に、由羅がそっと前に出た。しかし、由羅を押し除けた雷太は、桜の腕を引っ張り家の前に引きずって行くと、無理やり取手に手をかけさせた。

「お前が開けろ!」

「雷太…」

「いいか、俺は由羅と違って、こいつの話なんてこれっぽっちも信用していない。白華でもないのに、夢見や先見の力があるわけないだろ!だったらこいつは国王側の間者かも知れない!」

「それはそれで無理があるだろう」

 今まで黙っていた千寿が呆れたように低く呟いた。

「この程度の腕で、しかもここまで物を知らない人間が間者な訳がない。雷太だってわかってるんだろう」

「確かにアホだし、不細工だし、武器も持ってなければ腕力もない。じゃあ俺たちの名前や目的を知ってたのはなぜだ。この何もできないフリが全て演技かもしれないだろう」

 由羅と千寿は顔を合わせ、呟く。

「それはないだろう」

 桜が気配を消してすっと戸の前を離れようとした時、雷太が鬼の形相で桜を睨みつけた。

「お前、誰が離れていいと言った。開けるのはお前だ!」

 観念した桜はそろりと引き戸を開ける。吐き気を催すような臭いが鼻をついた。そして、夢で見た通りの光景が、そこには広がっていた。

 ◆◇◆

「説明してもらおうか?」

 (なぎ)さんを丁重に弔った後、近くの空き家で席に着いた雷太が冷ややかに言った。怒鳴られるよりよっぽど迫力があり、桜は竦んでしまう。

「夢で見たって、何度も言ってるでしょう?それ以上説明する事は出来ない」

 雷太は苦々しく桜を一瞥すると、由羅を振り返った。

「どうするよ?薙さんは死んで、みんなが何処に行ったのかもわからない」

「桜にこれ以上聞いても、きっと何も出てこない。嘘は言ってないだろう」

「何でそんな事がわかる!こいつの何を知ってるって言うんだ!」

「雷太こそ、冷静になれ。桜が本当に薙さんの死に関わっているように見えるか?」

「じゃあ夢で見たってのが本当だって事か⁉︎」

「そうなるな」

「そんなわけあるかよ‼︎」

 言って机を拳で叩いた。雷太と由羅の間の空気がピリッと張り詰める。そこへ千寿の低い、静かな声が割って入った。

「とりあえず、桜の発言の真偽は置いておいて」

 そう言って桜をチラリと見た。

「他のみんなが何処へ行ったのか考える必要がある」

 千寿が二人を交互に見やると、緊張感は緩和された。二人の落ち着いた様子を見て、千寿が続ける。

「他に遺体がないなら、皆上手く逃げたんだろう。連れ去られるにしても、簡単に従う奴らじゃない。抵抗したらそれなりの痕跡が残っている筈だ」

「薙さんは、」

 言いかけて、雷太が言葉を切る。苦痛に耐えているようだった。

「薙さんは…、みんなを逃すために、一人犠牲になったのか」

 雷太の様子を見て、桜はふと思った。本気で桜の事を疑っているのではなく、怒りと悲しみのぶつけどころがなく、癇癪を起こしているだけなのかも知れない。

「薙さんのおかげか、上手く痕跡が消えている。敵に追われるようなヘマは誰もしないだろう。どこか安全な場所に移動したと信じよう」

 そう言って、千寿が立ち上がる。

「連絡手段もなくは無い。安全が確保された時点でこちらに接触してくるだろう。俺たちは予定通り、王都へ向かおう」

 一行は、再び山道へと入った。皆何か考えこんでいる様子で、誰も言葉を発する事なく、ただ黙々と道を進む。桜は聞きたい事がたくさんあった。

(由羅達は今何処へ向かっているの?何をしようとしてるの?あの村の人達とはどう言う関係だったの?)

 きっと答えて貰えないだろう。桜はどの質問を口にする事も出来なかった。ただひたすら、もっと情報が欲しい、それだけを思って歩いた。

 ◆◇◆

 山に分け入り、一同は道無き道を進んだ。体力も手足の長さも圧倒的に劣る桜は、まさにお荷物だった。

「はぁ、ふぅ、…狛馬は、どこ?」

 急な斜面を、張り出した枝を掴み体を引き上げながら何とか進む桜は、峠道に入ってから狛馬たちの姿が見えない事が気になった。

「狛馬はこんな細い道は通れな…」

「乗って楽しようと思ってんじゃねーぞ」

 由羅の言葉を遮って、雷太が怒鳴り返してきた。

 桜以外の三人は呼吸ひとつ乱さず淡々と山を登って行く。先頭を千寿に、その後を雷太、由羅の順で道を踏みしめながら進むので桜が通る時は少しばかり登りやすくなっているが、圧倒的に体力に差があり過ぎた。

 いつもより進みが遅いのが気に食わないのであろう雷太は、今日もイライラが抑えられないようだった。

 必死に追いすがる桜の耳に、雷太の憎まれ口は右から左だった。気配さえ感じられない狛馬の事を不思議に思うが、息がきれてあまりたくさん質問ができない。桜の納得いかない様子を察してか、由羅が説明を続けた。

「狛馬は大きな道を行くには適しているが、こんな山道は身体がつかえて返って時間がかかる。姿は見えないがちゃんとついて来てるし、呼べばすぐに現れる」

 全く気配がないのに、本当について来てるのか?声を発する事ができず首を傾げた桜の疑問を正確に理解し、由羅が続ける。

「一説によると、狛馬は人の道とは異なる、冥道(めいどう)を通る事が出来るらしい。実際に見た事はないがな。そこは狛馬の通り道であり、たまり場でもあるそうだ。まだ人に仕えていない狛馬達がそこで眠っていると言われている」

 不思議な話だった。生物学的に桜と由羅達は同じように思えるが、桜の世界とこの世界には決定的な違いがあるようだった。

 息が上がって弱音を吐きそうになるたびに、桜は胸元に下げた袋をギュッと掴んだ。

 ふと由羅の首元を見ると、もう一つ、麻紐に何かぶら下げた物を首から下げている事に気付いた。よく見ると、雷太や千寿も同じ物を持っている。桜の視線に気づいて、由羅は服の中に隠れていたトップ部分を持ち上げた。大きめのスーパーボールくらいで、透き通っていたが、中に何か文字が彫られているようだった。

「これは水晶。晶石から白華が錬成したものだ」

「そう…」

 興味はあったが何一つわからない説明に、疲労で思考停止しかけている桜は投げやりに返事をした。自分が何を言っているのかもよくわからなかった。

 雷太の眉が吊り上がる。また怒鳴られる、朦朧とした頭で思った時、千寿が静かに呟いた。

「休憩だ」

 ◆◇◆

「くそ、まだこんな所かよ。誰のせいでこんなに時間がかかってると思ってるんだ!」

 叩きつけるように荷物を放り、雷太が叫んだ。

「やめろ雷太。桜はよく歩いて…」

「うるせぇっ!」

 由羅に怒鳴り返すと、ドカッと腰を下ろし、手で顔を覆った。いつも以上に荒れているとは思っていたが、由羅にまで当たり散らすのは様子がおかしかった。あの村を出てからずっとだ。こんな場面を、桜は向こうの世界でも見た事があるような気がした。

「悲しい時はちゃんと悲しんだ方がいいよ」

 自分でも思いがけず、桜の口から呟きが漏れた。疲労で頭が回らない。無意識に、首元にぶら下がる袋を握りしめた。

 母親を亡くした時、英玲奈は荒れた。学校内でもきつい物言いいをするようになったが、とりわけ父親を酷い言葉で罵った。その一方で、父親はどんどん無気力になった。英玲奈の悲しみを、怒りを、受け止める事が出来なかったのだ。自分も最愛の人を失って悲しみの底にいたから。

「悲しみを間違った怒りに変えて人を傷つけたら、それは後からまた自分を傷つける事になる」

 本当は、父親こそ悲しみを一番分かち合えた筈だった。父親との関係が修復不能になった事を、英玲奈はきっと悔いていた。

 ぼんやりと独りごちた桜は、雷太が立ち上がる気配を感じ、また怒られるか、とサッと身構えた。しかし一向に雷太の雷は落ちなかった。見上げると、雷太の顔に奇妙な表情が浮かんでいた。瞠目したまま、桜を見つめて固まっている。

「何で、お前が…」

 呟くと、泣き出しそうな顔になった雷太は、くるりと背を向けて走り去っていった。桜は雷太が消えた茂みの方をポカンと眺めていた。泣きそうな顔の雷太は、まるで迷子の子供のような頼りなさだった。

「あの、今のは…」

 困惑気味に聞くと、由羅は珠を見せた時の、あの静かに悲しみをたたえたような声で言った。

「あの赤い珠の持ち主が、昔雷太に同じような事を言った」

 桜の心に重い塊が落ちた。あの珠の持ち主、雷太と由羅の大切な、もうこの世にいない人。調子に乗っていらない事を言ってしまった。怖くて怒鳴ってばかりの嫌な男だけど、傷つけてしまった事に、桜は胸が痛んだ。

 ◆◇◆

 穏やかな風が雷太の頬を掠めた。

『八つ当たりはダメよ』

 耳元で彼女の囁きが聞こえるようだった。

『あの人達は、本当ならあなたの悲しみを一番理解してくれる人でしょう?優しい人達を無意味に傷つけてしまった事で、きっと後で雷太が傷つくよ』

 昔から説教は大嫌いだった。したり顔のじじいが、自分の気持ちなど何もわからないくせに諭してくる、それが我慢ならなかった。しかし、不思議と彼女の言葉は胸の底に落ちついた。彼女の言葉の根底には、深い優しさがある事をよく知っていたからだ。

『まずはちゃんと悲しみと向き合って。そうしたら、本当に怒りを向けるべき相手がわかるから』

「菜々緒…」

 雷太は消え入りそうな声で呟くと、両手で顔を覆った。

 ◆◇◇

 一転して大人しくなった雷太を見て、桜は苦い思いを噛み締めた。傷つけてしまったのだ、と自分の言葉を後悔した。

 最初のうちは。

 困難な道のりに、桜の気力と思考はすぐに奪われた。

 険しい道すがら、由羅は水晶について説明してくれた。水晶は、狛馬と人を繋ぐ役割をしている。晶石と言う水晶の素があり、白華人と言う不思議な力を持った人が、それぞれの人に合わせて錬成するらしい。疲れた頭で理解するのは困難だったが、白華人にしか出来ない技のようだった。ここで言う水晶が桜の世界と同じ物かどうかは分からなかった。

 ようやく狛馬が通れる道に出たのは、日も傾きかけた頃だった。桜はもう一歩も歩けないほど疲労困憊で、ようやく白斗にまたがった時は、屍のように突っ伏して、ぴくりとも動けなかった。心も体もボロボロの桜は、白斗の背に顔を埋めたまま、後からあとから流れ出る涙を止める事が出来なかった。あまりにも辛すぎる。

「これで鼻水を拭け」

 言いながら布を差し出してくれたのは雷太だった。雷太はあの休憩での一件以来全く口を開いていなかったので、あまりの驚きに、残り体力ゼロだったはずの桜は思わず顔を上げた。

「あ、ありが…」

 感動でお礼の言葉が漏れかけた桜だが、その布を見て、受け取ろうと伸ばした手が止まった。雷太が差し出した布は、やや固そうな素材で出来ているようだった。泥が固まって乾いたような汚れと、所々に動物の毛のような物がくっついていた。

 ーこれで鼻水を拭えと?ー

 困惑気味に由羅を振り返ると、笑いを噛み殺しながら教えてくれた。

「狛馬を拭いてやるものだ」

 ああ、なるほどと桜は納得する。

「白斗についた鼻水を拭けって?」

 言いながら布をひったくった。

「拭きたいならお前の顔も拭いたらいい」

 雷太の言葉に、由羅はついに吹き出した。

「お前は本当に何も知らないな」

 笑いながら、由羅が恐らく人間用と思われる手拭いを差し出してくれた。わざとであろう雷太の仕打ちには心底腹が立ったが、由羅が初めて自分に笑顔を向けてくれた嬉しさと相殺されて、お釣りが出るくらいだった。

 帰れないと宣告され打ちのめされたあの日以来、初めて、ほんの少しだけ心が温まった。


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