14 分岐点
桜は会場を飛び出し、目の前の光景に言葉を失う。
「……」
見た事もない巨大な炎が視界いいっぱいに広がっていた。
炎の音を、こんなに間近に聞いたのは初めてだった。それに混じる、泣き叫ぶ人々の声。
火元まではまだ距離があるのに、風が吹くたび熱風がブワリと押し寄せる。
しばらく呆然とその光景を見つめていた桜は、口を引き結び、駆け出した。
(柳楽さん!)
会場が設置されているのは、王城近くの東側の広場だった。そこから南北を貫く大通りに出ると、そこも人で溢れかえっていた。人の波に逆らって、桜は夢中で走った。
「火が大通りを越えるぞー!」
あちこちで怒号が飛び交う。舞い散る火の粉や燃える木片が風に乗り、大通りを超えて西側にも振り注いでいる。
まるで意思を持っているかのように吹き荒れる風は、王都を焼き払うように北西に向きをかえた。
このままでは、西側に飛び火するのも時間の問題だ。
(王都は、終わりだ)
滅びゆく王都を横目に、桜は大通りを駆け続けた。
中通りに着く頃には、桜の足は動かなくなった。激しく呼吸し過ぎたせいで、喉が痛い。立ち止まると頭がくらりとしたので、膝に手をつき呼吸を整えた。
「今更ここに、来たって……」
頭ではわかっていた。
火はとっくに建物全体に回っている。中にいる人がいても無事であるはずがない。
柳楽はきっと、琢磨達に連れて行かれただろう。生きていたとしても、反乱軍のリーダーは首を晒されると言っていた。
(もう、助けられない)
ゆっくり顔を上げると、滴る汗を袖で拭った。
あちこちから泣き声や呻き声が聞こえた。
大通り程ではないが、中通りもかなりの幅がある。火は中通りを超えてはいなかったので、焼け出された人々が、南側の道路脇にたくさんうずくまっていた。
その中に知った顔を見つけて、桜は近づいた。
「あなたは、西の朱源郷の護衛じゃ……」
以前朱源郷の前で桜達を追い返した護衛だった。見たところ大きな怪我はないように見えた。
男は虚な目で桜をチラリと見ると、また視線を落とした。
「今日は事情があってこっちだったんだよ」
疲れ切った声で言いながら、男が顎で目の前の建物を指した。あれが東の朱源郷なのだろう。
「中の人は?柳楽さんはどうなったか分かりますか?」
桜の問いに、男がハッとしたように顔を上げた。
「お前、今日ここで何があったか知ってるのか?」
それはとても皮肉な質問だった。
「知って……いました」
何もかも知っていた。
「……連れて行かれたよ。きっと拷問ののちに処刑だ」
男は手で顔を覆った。
「俺のせいだ……。柳楽さんに、警邏の奴らが見えたらすぐ言うように、言われてたのに。ほんのちょっと、離れた隙に……」
男の手の隙間から嗚咽が漏れる。
桜は男に対して罪悪感が沸いた。
「あなたは何も悪くないです」
—全部私のせいだから—
桜はフラフラと男の指した建物に近づいた。
とても熱い。こんな炎に焼かれ、どれほど苦痛な時間を味わったのか。
よく見れば、黒い何かが、入り口と思われる辺りにたくさん転がっていた。
「うっ……」
揺らぐ炎に覆われているおかげで、その輪郭がハッキリとわからなかったのが救いだった。
桜は込み上げるものをなんとか堪えた。
パチッパチッと木の爆ぜる音がする。
(私が…殺した……)
「危ない!」
突然強い力で後ろへ引かれ、ガクンと腰から倒れた。
次の瞬間、支えを失い重みに耐えられなくなった燃える梁が、バキバキと激しく音を立てながら桜の足元に崩れ落ちた。
盛大に火の粉が巻き上がる。バクバクと心臓が跳ね呆然とするしかない桜を、由羅が引っ張って立たせた。
「由羅、私、この光景を知っていたのに」
「お前のせいじゃない!ここにいるのは危険だ、行くぞ!」
「火を、消さないと…」
そんな事は無駄だとわかっている。ここに駆けつけたところで、桜にできる事は何もない。しかし王都が焼けさらに人が死のを、じっと耐える事が出来なかった。
振り解こうとした腕を、由羅は強い力で引き戻した。
「無理だ。じきに街全体に火が広がる。そうなったら逃げられない」
そう言って、彼は強く腕を引き桜を連れて走り出した。
大通りを駆けていると、比較的火の回りが遅い建物から、風体の悪い男達が飛び出して来た。
「お貴族さん!命が惜しけりゃ金目のもん全部置いていきな!」。
火事場泥棒の声は弾んでいる。
善良な市民が焼かれ、こんな奴らが生き延びるのだ。桜はやり切れない思いだった。
武器を振りかぶって襲いかかる敵を由羅は事もなげになぎ払い、真っ直ぐに走り続ける。由羅が手を引いていなければ、桜はその場に崩れ落ちそうだった。
(これが夢ならいいのに)
町の横手に広がる雑木林に逃げ込み、激しい息切れを抑えながら、桜は待っていた白い生き物に抱きついた。虎のような、猫のような大きなその生き物は、労わるように桜に顔を擦り寄せた。
「白斗…」
フカフカな毛並みと体温を感じながら、桜は急激な睡魔に襲われた。
桜は白斗に縋るようにずるずるとその場に膝をついた。
「桜、さくら!」
煙を大量に吸ってしまったのかもしれない。
意識が朦朧とし、由羅の声が遠のく。
(もう、このまま眠りたいな)
そうしたら元の世界で目覚めて、何もかも夢だったと思えるかもしれない。
睡魔に抗う事をやめようとした時、頭の中で声が響いた。
「桜、頑張って。逃げたらダメだよ」
懐かしい声に、桜は弾かれたように顔を上げる。
(まさか)
こんな所にいる筈がない。でも、その声を桜が聞き間違えることは絶対にない。水晶を見るたびに、何度も思い出していた声。
気づけば桜はあの薄緑の空間にいた。そこに、ずっと会いたいと願っていた人物がいた。
「陽也!」
涙が溢れ、視界がぼやける。
駆け寄り抱きしめると、ちゃんと温かかった。
「桜、辛いけど戻って。ぼくの友達が助けてくれるから。門を開けて、橋の上の人たちを助けてあげて」
「陽也、無理だよ。私、絶対間違えたらいけないところで、間違えて…」
陽也は優しく桜の背を撫でた。
「桜、泣かないで。自分を責めないで。ねぇ、悪いのはだれ?」
「悪いのは…」
柳楽を憎々しげに睨む、夢で見た琢磨の顔が浮かぶ。
「桜、さぁ行って。その手で助けられる範囲でいい。まだ残っている命を、助けてあげて」
桜の体がフワリと浮く。いや、沈んでいるのか。陽也が遠のいていく。
「待って陽也!一緒に来て!」
伸ばした手が陽也に届く事はない。
陽也は、いつもの優しい笑顔を桜に向けていた。
「桜、いつも見守っているから……」
かくんと体が傾いて目覚めると、心配そうに覗き込む由羅の顔があった。
「由羅、私行かないと」
立ち上がりかけた桜の腕を由羅が掴む。
「まて、どこへ行くつもりだ」
由羅の声がいつも通り落ち着いていたので、桜の頭が冷える。
「桜、お前はすばしっこくて足が速い。その上小さいから、何度見失いかけたか。追いかける方の身にもなってみろ」
呆れた声で言われ、桜は正座して謝った。
「ごめんなさい」
自暴自棄になり突然駆け出した桜を、由羅は見失わず追いかけてきてくれたのだ。
もう無茶はしないと、あれほど誓ったのに。
「桜、どうしたいのかちゃんと説明してくれ」
改めて問われると、説明するのが躊躇われた。冷静になってみれば、門を開けるなど簡単な事ではない。
「さっき気絶した時、陽也に会ったの」
「陽也に?陽也の夢を見たのか?」
「いつもの夢とは違う。あれは、冥道じゃないかと思う」
由羅は僅かに考える素振りを見せたあと、頷いて桜に続きを促した。
「……それで、陽也は何と言ってたんだ?」
「門を開けてって言われた。でも……、やっぱり先に一人で行ってみるよ。門を開けて何が起こるかわからないから」
冷静になった桜は、城門をこじ開ける事がどう言う事か少しは頭が回るようになった。
情に訴えて何とかなるような相手なら、とっくに門を開いてくれている筈だ。
あちら側の人間は、門を開けて平民が城内に入るのを許さないだろう。
「いや、俺も行く。桜が何かする時は、必ず一緒に行って手助けするよう言われているからな」
「誰に?」
「千寿や雷太、隊長、それに柳楽さんだ」
その言葉に、桜は驚いた。
「手助けしろって言ってたの?止めるんじゃなくて?」
「止められるような事をしている自覚があるんだな」
由羅は笑いながら桜の手を引いて立たせた。
「みんな、桜の語った世界を見てみたいんだ。王族がいなくて、身分も無くみんなが自由に暮らす世の中を。俺達には想像すらできないが、桜にはその未来が見えているんだろ?」
もちろん見えている。桜が暮らしていた世界がそうなのだから。
「でも、未来は見えていても、そこまでの道のりが、わからなくて……」
ゴールはわかっている。それが実現可能だと知っている。だがそこに辿り着くまでの具体的な手段がわからなかった。
桜が生まれた時は、もう平和な世界が完成していたのだから。
「そのために俺がいる。桜を見張って……、見守って、何かしたい事があれば手助けする。その役割を果たすよう、満場一致で俺が選ばれた。今日飛び出した桜を捕まえた時、俺で正解だったと思ったよ」
「……押し付けられたんだね」
「選ばれて光栄だ。桜は何かする前に必ず相談して、俺と一緒に作戦を立てるんだ。そしたら失敗した時、俺も共犯だ」
それはつまり、一緒に背負ってくれるという事だ。
由羅は少し冗談混じりに言った。
「次は何をやらかす気だ?」
胸が熱くて、喉がつかえたように喋りにくかった。
「あのね、あの……」
由羅が大きな手で、頭を撫でてくれる。
「陽也が、橋の上の人達を助けてって」
「わかった。だから門を開けたいんだな」
桜は頷いた。
「なら、中から開けないとな。城内に入る必要がある」
由羅が難しい顔をする。
「陽也が、銀河が協力してくれるって言ってた」
木々の向こうから、ふわりと獣の匂がした。目をやれば、鮮やかな銀色の毛並みが風になびいくのが見えた。
陽也を背に去っていったのを最後に、目にすることのなかった狛馬。
「銀河!」
桜と由羅は、銀河に駆け寄った。




