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3 強制的に旅へ

 ザワザワとした人の声が聞こえる。だんだん大きくなってくるようだった。

(うるさいなぁ)

 薄ら目を開くと、白くフカフカの毛が目に入った。桜はうつ伏せたままその気持ちいい毛並みをそっと撫でた。こんな絨毯ウチにあったかな、寝ぼけながらぼんやり周りに目をやると、大勢の人に囲まれている事に気付き、ハッとした。ガバッと勢いよく起き上がると、周りがどよめく。

「おお、生きてたぞ」

「何故こんなところに狛馬が」

「なんだ、あの格好は」

 部屋は大通りに面していたため、通りを行く大勢の人が足を止めて桜を見ていた。狛馬、と言われて自分が座っているものをあらためて見る。そこには見覚えのある生き物がいた。その白い毛並みを撫でながら、桜は静かに話しかけた。

白斗(はくと)、あなたが助けてくれたの?」

「白斗の名まで知ってるのか」

 声がして顔を上げると、側に由羅が立っていた。

「話は後で聞く。先に町から出ろ。白斗にしがみついていろ」

 主の意を察し、桜が何か聞き返す前に白斗が駆け出した。振り返ると、宿の入り口から宿主が何事が叫びながら転げ出て来るのが目に入った。桜は何となく事情を察し、前を向いた。

「ねえ、どこに行くの!」

 白斗からの返答ほもちろんなく、加速していく獣に、振り落とされないようにただしがみついているしか出来なかった。

 ◆◇◆

「誰か、あの娘を捕まえてくれー!」

 宿主が叫んだ時には、桜は既にかなり遠ざかっていた。

「すまない、取り逃してしまった。何か壊されたか?」

 由羅が話しかけると、宿主は勢いよく頷きながら、

「護符が盗まれた。二〇〇年もの間宿を守り続けた護符が。しかもあの娘、椅子を壊した上に、祭壇まで叩き割っていった」

「なんだと、それはけしからんな」

 後から宿を出てきた雷太が宿主に歩み寄った。

「俺たちが捕まえて役所につき出してやる」

「おお、ありがとうございます。可能な限りの謝礼は用意しますので、何卒あの護符を取り返してください」

 宿主は深く頭を下げた。

「いや、礼には及ばない。とりあえず宿代は支払っておく。あの娘を見つけ次第また連絡する」

「よろしくお願いいたします。しかしあのはしたない格好は間違いなく遊女でしょうに、狛馬持ちとはどういう事でしょう。もう遠くへ行ってしまいましたが、どのように探されるのですか?」

「捕物も俺たちの仕事だ。あてはあるから大丈夫、まかせときな」

 雷太が宿主の肩をポンと叩いて言った。

「あの護符はそれほど大切な物だったのか?」

 由羅の問いに、店主は何度も頷く。

「はい、先程も申しました通り、あれは二〇〇年ほど前、秦王即位の折に尽力されました天彾様が、我が宿にお立ち寄りの際に書かれたものです。この宿で最も貴重な書でございます」

 だったら無防備に飾ってるなよ、と小さく呟く雷太を膝で小突いて、

「わかった、なんとかしよう」

 由羅は慇懃に答えた。

 すがるような宿主に罪悪感を感じるが、もうこの宿に戻るつもりはない。桜のせいでかなり目立ってしまった。大勢の旅人が行き交う街だ。紛れるにはいいが、一度注目を浴び記憶に残ってしまえば、どんな危険に繋がるかわからない。

「行こうか」

 由羅が促すと、雷太はもう一度宿主の肩をたたき、気配を絶って一言も発しなかった千寿がそっと宿代を店主に握らせた。大男が側に立っていた事に初めて気付き、店主はびくりとしながらお代を受け取った。

 拝むように見送る宿主を、歩き出した一同は、誰も決して振り返らなかった。

 ◆◇◆

 門を出ると、足早に街に駆け込む人々の姿があった。

「急がないと、気味悪い獣の鳴き声が聞こえたからね」

 日が傾き始め、そろそろ閉門の時間だ。門が閉まれば野宿になる。

 入り口付近の道は整備されているが、その両端には鬱蒼と木々が茂り、分け入って少し歩けば険しい峠道となる。

 三人は道を逸れて茂みの中へ足を踏み入れた。街道をいく人々は門をくぐる事に必死で、こちらに目を向ける事は無かった。暫く行くと、白い獣が見えた。

「白斗」

 由羅が声をかけると、暗い森でもそうとわかる白くて大きな獣がのそりと近づいてきた。背中にだらりとうつ伏せている人影を見て、雷太が足を止めて窺うように呟く。

「死んでるのか」

 由羅は何も言わず白斗に近づいていった。白斗の気負いのない様子から、騎乗した人物に異常があるとは思えなかった。

「どうした、何かあったのか」

 静かに問う由羅に、桜は白斗に顔を突っ伏したまま手を伸ばした。手には護符が握られていた。木枠はどこかへ落としたのか。

「この護符がどうした?」

「……」

 由羅の問いに、白斗に突っ伏したまま何事か呟いたが、くぐもって、しかもひどい鼻声で全く聞き取れなかった。

「おい、顔上げてハッキリ喋れ!」

 襟首を掴んで引っ張った雷太は、桜と目が合うとぎゃあっと言って後ずさって由羅の後ろに隠れた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔に髪が張り付き、その隙間から桜の虚な目がじっとりと雷太を見上げていた。

「…帰れないって」

「帰れない?」

 静かに、由羅が聞き返す。

「帰れないって書いてあった…」

 言うと、桜はしゃくり上げ始めた。

「この世界から帰れないって書いてある!」

 そう叫ぶと、大声で泣き始めた。その声はまるで獣の咆哮のように、暗い森にこだました。

 

「少し落ち着いたか」

 湯の入った木の茶碗を差し出しながら、由羅が言った。こくんと頷いて桜はそれを受け取った。

 パチパチと爆ぜる焚火を囲むように四人は座っていた。ふうっと湯気を飛ばし一口含むと、喉から胃へ温かいものが流れ込んだ。

 その様子を雷太はイライラしながら見ていた。道中も、白斗の背でだらりと四肢を投げ出し無気力に運ばれる桜を怒鳴りつけようとしては、千寿に肩をポンポン叩かれていた。

「名前は桜。自分がどこから来たのかわからない」

 由羅の言葉に、桜はこくりと頷く。

 護符を差し出しながら、

「読めるんだな」

 由羅が聞くと、隣で雷太がケッと吐き捨てた。

「あんなインチキ札」

 雷太はそもそもあの護符自体気に食わないようだった。曰く、インチキ臭い物をありがたがって崇めているだけだと。

「雷太、ちょっと黙ってろ。話が進まない」

 低く静かに千寿に諭され、雷太は口を噤む。

「なんと書いてある?」

 由羅がもう一度聞いた。

「表の一行目には、この世界がずっと平和でありますように。二行目には、もしこの文字が読めてしまう人は、裏を見てって」

 言われて由羅は札を裏返した。

「それで、裏には?」

 桜は涙が溢れそうになり、唇をぐっと噛んだ。雷太が頭から湯気が出そうな顔でこちらを睨んでいたので、これ以上泣くわけにはいかなかった。

「あなたは…、残念ながら…、元の世界へは帰れない…グスッ、この世界で、生きて行く覚悟を。この、世界、が…あなたを必要、と、グスッ、しているは、ず…」

 桜の胸ぐらの代わりにぐっと自分の膝のあたりを掴む雷太を見て、慌てて涙を拭った。

「ケッ。よくそんな出鱈目並べられるな。聞いてて反吐が出そうだ」

「なんで、信じてくれないの?」

 涙ながらに訴える桜に、侮蔑も顕な顔で、

「やめろ、女はそうやって泣いてれば何でも許されると思ってる。そうやって平気で嘘をつく」

 その言葉に、桜は雷太に何を言っても無駄だと理解した。女性に対する偏見の塊だ。

「龍星!」

 雷太が呼ぶと、茶色い獣が現れた。雷太の狛馬だ。雷太は側にしゃがんだ龍星に背を預けると、ふてくされたように目を閉じた。

「白斗を知っていたそうだな」

 ゆっくり茶を啜っていた千寿が、焚き火の方を見やりながらふと口にした。

(質問、だろうか?)

 独り言と区別し難いところだったが、桜はとりあえずうなずいた。暫く沈黙を置いて、千寿がまたポツリと言った。

「俺の狛馬の名はわかるか?」

 今度はハッキリ疑問形だったので桜は答えようとして、はたと思い至った。

「灰色のですか?それとも黒い方?」

 千寿は静かに瞠目して桜を見た。何かまずい事を言っただろうか?しかしこれでようやく目が合ったと思った。

「黒いのは利暗でしょう?何度かあなたが呼びかけてる夢を見たことがあるから。灰色のは…わからないです」

 どの夢だっただろう?前の狛馬は灰色の山猫のようだったと話していたようないなかったような。こんなに夢が関係するのであれば、ちゃんと夢日記を書いておけば良かったと桜は今更ながら後悔した。

「時雨の事も知っているのか」

 また独り言のような呟きだったので、桜は返答出来なかった。

「あれは利暗の前の狛馬だ。まだ国王軍に所属していた頃の話だ。脱走の最中に失った」

 静かな呟きの中に悲しい響きがあった。独り言のように、自分の湯呑みを見つめながら千寿はさらに続ける。

「正直私はお前の事をどう扱えばいいのか迷っている。害意があるとはとても思えないが、我々の事を知り過ぎている。お前の知らぬ間に我々を危険に陥れる可能性がある」

「私は…」

 そんなつもりは無い、と言いかけてやめる。事実、宿ではかなり迷惑をかけた。

 桜はずっと考えていたことを、思い切って口にした。

「私のこと、殺さないんですか?」

 僅かに声が震えた。それが彼らの憂いをなくすのに一番の方法である事は桜も気づいている。

「チッ、それが出来れば苦労しねーよ。勝手に死んでしまう分には知らねーが、俺達で手をかけたりはしない」

 一番敵意を剥き出しにしている雷太がそう言うなら、突然切り捨てられる事はないだろう。少し安堵したせいか、思ったまま、弱音が口をついた。

「じゃあ私、これからどうしたらいいですか?もう家には…、帰れないみたいですから」

 雷太が見ているので、奥歯をぐっと噛み締めて涙を堪えた。由羅が桜の頭をポンと叩いた。

「桜の知っている事、思い出したことを俺たちに教えて欲しい。そして、桜はここでの常識を学ぶ事だ。そうする事で、お互い危険を遠ざける事が出来る」

 桜は頷くと、軽く目眩がした。今何時頃だろうか?疲れているからか、それともいつもの就寝時間をとっくに過ぎているからなのかわからないが、猛烈な眠気に襲われた。欠伸を噛み殺していることに気づいたのか、由羅が

「今日はもう休め」

 そう言ってござのような物を桜に差し出した。もう限界近かった桜は、ノロノロとござを広げるとそこに寝そべり、白斗、と小さく呼んだ。

 すると白斗は何処からともなく現れ、桜を包むように傍に座った。もうわずかに瞼を動かすのも無理だったが、その時桜が少しでも目を開ける事ができたなら、由羅と千寿と雷太の驚く顔が見えただろう。

 

 間を置かずして、桜はすうすうと寝息を立て始めた。

「驚いたな。白斗が由羅以外の者の指示に従っている」

 またいつもの老成した表情に戻り、千寿が言った。

「今日宿に白斗を呼んだのは由羅か?」

 難しい顔で雷太が聞いた。

「いや、俺は呼んでない。白斗自らの意思で現れたようだった」

 沈黙が降りる。

「不思議な娘だ」

 寝息をたてる桜を眺めながら由羅が呟くと、雷太がすかさず

「気味の悪い女だ」

 嫌な物を思い出したように顔をしかめて言った。

 千寿は静かに茶をすすった。

「何故我々の元に現れたのだろうな」

 強み始めた風にかき消されそうな声で千寿が呟いた。 

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