5 護衛の心得
桜はその光景を前に目を丸くした。
想像以上の豪邸だった。
「こ、ここが、柳楽さんの家ですか?」
「はい。広くて歴史があるだけの古びた家なんで、そろそろ本格的に改装が必要だと思っています」
謙遜ではなく本気で言っているところが返って嫌味に聞こえる。陽也の屋敷も広かったが、ここはさらに数倍の敷地だ。しかも、景観を整えるのにかなり力を入れている。
門を入って池や枯山水を見ながらしばらく歩き、ようやく目的の建物に着いた。
「こちらの離れで暮らして頂きます」
本邸を通り抜けた先に趣のある立派な建物があった。
「鐘がなったら使用人や店の従業員は支度を始めます。護衛の者は朝稽古開始です」
かなり早朝に鐘がなると予想出来たが、きっと起きられるだろう。桜の世界よりもずっと灯りの乏しいこの世界に来てから、就寝は早い。
「少し実力を測らせてもらいます。すぐ使えるとなったら、明日から店に出て貰えますか?」
「もちろんです。柳楽さんは雇い主ですから、指示に従います」
柳楽について行くと、品がいい屈強な体躯の男がいた。
「若旦那、お帰りなさい」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
「桜さん、彼は護衛頭の豪さんです。豪さん、この子を試着部屋の護衛にしようと思うんですが、実力を見てもらえますか?」
「この子供のですか?」
純粋な疑問のようだった。侮蔑の色は見られなかった。
顎に手を当て桜を上から下まで観察する。
「キチンと鍛錬しているようですね。では、少し手合わせしてみましょう」
そう言って手渡された木刀で、いくらか打ち合いをした。
「ふむ、悪くないですね。若旦那、よくこんな子見つけて来ましたね」
言いながら、桜の頭を撫でてくれた。
「こんな小さなうちから身を立てる術が護衛とは、苦労したんだな」
いつもならそんなに小さくないと反論するところだが、心地よさに桜は撫でられるがままでいた。柳楽の言う人の痛みのわかる人たちに、この人も入っているのだろうと思った。
◆◇◆
家の規模から想像できたが、柳楽の呉服屋はかなりの高級店だった。
「菊さんの家で絡んできた衛士は、五郎と三瓶と言います。あれらも貴族ですが、店のお客様であれらを嫌っている方々がいらっしゃるので、ここらで見かける事はないでしょう。しかし店を離れれば、貴族に片足を突っ込むだけの私ではあれらに何も言えないんです」
敷地内の店舗までの道すがら、柳楽が色々と説明してくれる。
確かに、店舗が面する大通りには、高級そうな店が並ぶ。身分の低い者は近づけないだろう。
「それなりの身分の方は、自前の護衛や従者を連れています。ですから桜さんが店先で暴漢とやり合う事はないでしょう。どちらかと言えば、粗相のないよう対応する術を学ぶ方が重要です」
「それなりの身分と言うと、貴族の方達ですか?黄位以上の?」
以前楽次に叩き込まれた身分の階位を思い出す。
黒羽以下は平民扱いだった筈だ。黒羽、白坊には職人や農民が多い。商人は一部のお金持ちが黄位の位を持っている。
「そうです。黄位の中でも羽振りのいい方達ですね」
「柳楽さんはどの位ですか?」
「ウチは茶位の階位を賜っています。前王ご存命の折りに王族御用達に召し上げて頂きまして、王城に上がるならそれなりの身分が必要だと」
「じゃあ絡んできた衛士達に反撃しても許されるんじゃないですか?」
柳楽は足を止めて、真剣な顔を向ける。
「ああ見えて、彼らの実家はうちより上位の貴族です。桜さん、そう言った先入観は危険です。お客様の中には、そうと見えずともかなりの身分の方もいらっしゃいます。簡単に自分の首が飛ぶ、そう言う心構えで勤めてください」
◆◇◆
屋敷に来た次の日から、豪に剣を学ぶ傍ら、貴族への対応などを学びはじめた。
何となく物足りなくて、石を投げて欲しいと言うと変な顔をされた。今までの修行の様子を話すと、豪は目頭を抑えて
「苦労したんだな」
と呟いた。
やはりあれは一般的な修行では無かったのだろう。
桜が八葉村で貰った身分証は、木の板に名前が書かれていて、下の方が黒く塗られている。首から下げた麻袋に入れて持ち歩いている。隷属は主人の名が書かれた身分証を持ち、身分証が無いのは非人だけだ。
「試着部屋の客人をまじまじと見てはダメだ。目を合わさず、しかし常に視界の端にとらえて何かあればいつでも動けるようにしておかなければならない」
豪さんの言葉に桜は頷く。確かにあんまり見つめられると、何見てるんだと言いたくなる気持ちはわかる。
「来客された際、お客様に挨拶する必要もない。頭を下げた時に護衛対象から目を離すのは危険だからな」
これにも桜は頷く。たしかに、護衛が頭を下げたら危険だろう。
「…と言うのは建前で、護衛如きが貴人に挨拶など不要だと言う事だ。護衛は剣や盾と一緒だからな。桜、お前は不満が顔に出過ぎだ」
「危険と隣り合わせで自分を守ってくれる人に敬意を示さないなんて」
「尊いお命を守らせて貰ってるんだ、命を賭けるのは当然の事だ。我々なんて、剣の腕がなければ道端の雑草と一緒だ。些細な事で不興を買ってあっさり切り捨てられる」
そう言って、桜の頭に手をのせた。
「いいか、その不満顔だけで首が跳ねられる。お前だけでなく、この店にまで危険が及ぶんだ。命が惜しいならもっと表情を取り繕う事を覚えろ」
「…そんなに不満そうな顔してましたか?」
「誰の目にも明らかだ。お前の素直さは普段なら好ましいところだが、仕事中はダメだ。給金貰うんだから、ちゃんとやれ」
桜は頷いた。柳楽に迷惑をかけるわけにはいかない。
「身分証は、高貴な人であるほど人目にさらさない。逆に白黒や護衛は見えるところに下げないといけない。護衛の中にはたまに色付きの次男坊以下もいるが、みな腰に身分証をぶら下げるのが慣例だ。客商売である若君は、すぐ見せる事ができるよう首から下げている」
桜はふと思いついて疑問を口にする。
「もし身分証を失ったらどうするんですか?」
豪は少し呆れた顔をしたが、
「そうだな、こんな小さいうちに親元を離れたら、常識を教わる事も無かったんだろうな」
納得顔で説明したしてくれた。
「まず、自分より上位の者の身分証を傷つけた場合、重罪となる。牢に入れられて、一生出てこれない」
「傷つけただけで?わざとじゃなくても?」
「お前は平和な頭をしているな。わざとがどうかで罪の重さが変わるわけないだろ」
言ってため息をつく。
「そして、万が一盗んだりした場合、これはもちろん死刑だ」
(もちろんって…)
桜にしたらそんな事ぐらいで死刑になってたまるかと思うところだが、ここではそれが常識なのだ。
「…、じゃあ下位の人の身分証を盗んだ場合は?」
「返却されれば無罪だ。借りただけ、間違えただけ、この場合はわざとじゃないと言う言い分が通用する」
「なんと」
「もし返却されなくても、罪に問うのは難しい。もし盗んだ事が明白であれば、死罪まではいかないが、こちらも重罪だ。だが、証明するのはかなり難しいと思った方がいい」
「じゃあもし紛失してしまった場合には?」
「かなりの金を積んで再発行だな。払えなければ借金という形で、少しずつ返済することになる。おそらく一生かけて」
「もし再発行するお金があったら、自分の持ってる物を誰かに譲る人とか出てくるんしゃないんですか?例えば、自分の家族が落土に落とされたりしたら…」
「さくら」
急に声音の変わった豪を見上げると、冷ややかな空気を纏った瞳と目が合った。
「それ以上口にするな。お前が落土の少年の代わりに丈罰を受けた話は聞いた。見上げた根性だと思うが、その勇敢さをお前の仲間は讃えてくれたか?」
桜は無言で首を振る。
「きっと相当肝が冷えた筈だ。身分の詐称は死罪だが、落土の人間に肩入れすると、楽には死ねない。お前も、それに関わった者全てだ」
桜は何も言えず項垂れた。その頭を大きな手が撫でる。
「桜の価値観はきっと平和な世の中なら正しかったんだろう。俺だって、誰かが理不尽に痛めつけられたら辛い。でもいちいち胸を痛めていたら生きていけない。お前みたいな考えだと、とても生きづらいだろう。…そんな顔するな」
しょぼくれた桜を見て、豪が困った顔になる。
「私の浅慮が周りの人達を危険に晒すから、私には正しい知識が必要です。なのでみんながこの世界の現実を教えてくれる事に感謝しかありません。でも…」
一旦口を閉じ、どう言えば伝わるのか考える。
「人と人との間に上下なんて無いんです。私はそれを知っています。今のこの世の中が正しく無い事を知っています。これから長い年月をかけて、人々は自分の権利を獲得して、今よりもっと自由に生きられる、そんな歴史を知ってます。でも、自由を獲得するためには戦わないといけないし、戦うためには現状に疑問を持って、もっと怒って、それを力に変えなきゃいけないんです」
何もかも受け入れ、諦め、無気力になってはダメなのだ。あの王城を前にしても揺るがないほどの怒りが必要なのだ。
「怒りならある。誰よりもな」
豪の目には、柳楽に似た光が宿っていた。
「現状に納得などしていない」
そこでふっと力が抜ける。
「だが、それをやるのは大人だ。お前じゃ無い。お前はもうちょっと賢く生きろ。命を無駄にするなよ」
そう言ってまた桜の頭を撫でた。
「そんなに子供じゃないんですけど」
「いや、お前は十歳の子供だ。何かあっても何も知らないフリして逃げ切るんだ」
「その設定なんですけど、さすがに十歳は無理が…」
言いかけて、桜と豪は同時に顔を上げる。視線の先に、柳楽と見たことのない男がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。桜と豪は近づいて行って挨拶する。
「おはようございます、若旦那、琢磨様」
「おはようございます」
桜も豪に続いて挨拶した。
「おはようございます。豪さんはともかく、桜さん、随分遠くから気付きましたね。物音はほとんど立ててないと思うんですが」
「豪さんと内緒話してたんで、人の気配を警戒してました」
「内緒話の自覚はあったんだな」
豪が苦笑した。
「何の話をしていたのか気になりますが、豪さんからしっかり学んでください。こちらは私の友人の琢磨です。琢磨、こちらが最近護衛として雇った桜さん」
そう言って柳楽が琢磨に桜を紹介した。桜は凝視しない程度に挨拶をした。
「琢磨様、初めまして。護衛として雇われました、桜と申します」
琢磨は無感情に桜を見下ろした。侮蔑の色が顕だった。
「柳楽、正気か?」
「桜さんは、こう見えて腕が立つんだよ。豪さんのお墨付きだ。それに算術も得意らしいから、これから帳簿の仕事なんかも手伝って貰えたらと思ってる」
「こんな得体の知れないのに帳簿まで見せるのか」
初対面でなぜそんな敵意を剥き出しにされるのか、桜はわからなかった。
「少し向こう見ずなところはあるけど、善良で優秀な人材だよ。何か悪さするなんて考えてないけど、読み書きがあまり得意じゃないから悪用しようもない」
「計算は得意なのに文字が不得意だと。随分都合が良すぎるんじゃないか」
琢磨は目を細め、疑わしそうに桜を見下ろす。
そんな顔をされても事実なのだが。
文字は目下勉強中で自由に使いこなすにはまだまだ時間が必要そうだが、数字は桜の知ってるものとほぼ同じだった。
きっと旅華が広げたものではないかと桜は考えている。
漢数字は大きな数を計算するのに使い勝手が悪い。そこへこの新し数字というものが登場し、扱いやすさから広まったのではないか。
琢磨の視線を遮るように、さりげなく豪が桜の前に入ってくれた。
「それでは私どもはこれで…」
「いや、桜さんは一緒に来てください」
何か企んでいるようないい笑顔の柳楽の隣で、琢磨が露骨に嫌な顔をした。




