2 旅華と天彾
劇団の一行と、護衛のあり方についてもっと話し合いたいと名残惜しそうにする隊長と別れ、桜、由羅、雷太は城門を潜った。
検問は厳しいと聞いていたが、信じられない事に、門番は昼間から酒を煽りほろ酔い状態だった。
この検問だけで、この国の状態が知れるようだった。
「んん?なんだこの汚ねぇガキは。こんなちっこい弱っちいのが護衛なんて怪しすぎるな」
もう一人の門番に目配せする。
「こりゃ怪しいな」
桜を睨めつけるように頭から足先まで視線を動かす。
桜は驚きで目を見開きながら二人のやりとりを見ていた。
雷太は冷静に身分証と証録を見せた。
「この通り、三人とも護衛で間違いない」
桜の身分証は八葉村で用意して貰った。身分は由羅達と同じ黒羽。
最初からなかった物を作って貰っただけで、決して偽造ではない。
「ふん」
差し出された身分証を一瞥した男は、つまらなさそうにつぶやいた。
「じゃあ小僧、そこで三回まわってワンって言ってみろ」
桜はさらに目を見開いて男を見た。
「身分は問題なかった筈だ。何のためにそんな事をする」
あからさまに怒気を含んだ声で由羅が一歩前に出て圧をかけた。
「な、なんだお前。この俺にそんな態度とっていいと思ってるのか?」
男は怯みながらも言い返す。どの俺かは知らないが、逆らったら面倒な相手なのだろう。
桜はそっと由羅の手に触れた。
「由羅、大丈夫だよ。私犬飼ってたから得意だよ」
由羅が困惑したように見つめるので、桜は力強く頷き返した。
そして、目を閉じる。
「得意ってなんだよ。なんで瞑想し始めてるんだよ。何をやらかす気だおい」
雷太を無視して、桜は瞼の裏に、子犬が尾追いをする様子を思い描いた。それを見て、キャッキャと喜ぶ弟の可愛い姿も一緒に浮かんだ。
(ダメだ、涙が出そう)
目を閉じた桜は、検問所に集まった衆人が様子のおかしな桜を息を呑んで見ている事に気づかない。
おもむろに四つん這いになると、かつての飼い犬ロキを真似てワンワン言いながらぐるぐる回った。
周囲から、犬憑きだ、とざわめきが起こる。
(湊も小さい頃これでよく笑ってくれたなぁ)
周りの慄きも知らず、幼い弟の姿を思い出し、グルグルしながらしんみりした気持ちになった。
ふと視線を感じて顔を上げると、周囲の人が呆気に取られたように桜を見ていた。
「これでいいですか」
桜は何事も無かったようにスッと立ち上がると、検問の男に聞いた。男はハッと我にかえると、桜を指さしてゲラゲラ笑い出した。
「ぎゃっはは、お前矜持はないのか!そこまで思い切りよくやったやつは初めて見たぞ!お前の捨て身の芸に免じて通してやろう!」
「ありがとうございます」
そのまま男たちに切り掛かりそうな由羅と雷太の背を押しながら、桜は検問所を通過した。
「桜、笑い物にされたのに、よく耐えた」
雷太はそう言って桜の頭をガシガシと撫でた。
しかし雷太自身は耐えがたかったようで、撫でた手でそのまま桜の頭を掴むと、クソが、と言いながらギリギリと締める。
(いたたたた)
「雷太、落ち着いてよく考えて。笑い物にされたんじゃ無くて、私が笑わせたんだよ」
「なんだって?」
「あれは私の持ちネタなの。昔ね、私がやると飼い犬のロキも真似してグルグル回って。そしたらまだ赤ちゃんだった湊が大笑いしたの」
由羅と雷太は顔を見合わせた。
「二人が落ち込んだ時もやってあげるよ」
「お前はすげーやつだよ」
雷太の手がポンっと一つ叩いて桜の頭から離れた。
飼い犬や弟の事を楽しそうに語る桜を見て、由羅と雷太も笑った。
桜は振り返って巨大な城壁を見上げた。
王都は根っこの先から腐り始めているのか。それとも根本から腐って末端に到達した光景があれなのか。
それならば、
(この国はもう終わりだな)
病巣は王都全体に蔓延しているのだから。
◆◇◆
「ねぇ、王都の検問所って、凄く重要な場所でしょ?あんなんでいいの?」
その日の宿の食堂での食事中、小さな声で聞いた。賑わっているとはいえ、誰が聞いているかわからない。
「いいわけねぇだろうが。ここ数年で王都は無法地帯だ。上がかなり入れ替わったからな。碌でもない奴が碌でもないやつを雇うんだ。末端まで碌でもなくなる」
やはり、上から腐り始めているのだ。
「じゃあ、王都全体で治安はあんまり良くないの?」
雷太は由羅と顔を見合わせたあと、ため息まじりに言った。
「桜、あんまり良くないなんてもんじゃない。最悪だ。特に女にとっては少しの油断が命取りになる。もうちょっと危機意識を持ってくれ。そして俺たちからは絶対に離れるな。絶対だぞ」
桜は指を落としたり火傷を負った劇団の人達を思った。
献上される事が無くても、危険は付き纏うのだ。当たり前に安全が確保されていた日本が恋しくなった。そんなところがあるのかと、心底不思議そうな隊長の顔が思い浮かぶ。
今の暮らしに慣れている人達に、こんな理不尽はおかしいとわかってもらえないのが歯痒い。
「お待たせしました。当店のお勧めです」
運ばれてきた料理のどこか懐かしい香りに、桜の歯痒い思いは全てかき消された。
桜は信じられない思いでその料理を見た。もう二度と食べる事が出来ないと思っていたのだ。
これはカレーだ。ナンのようなものが添えられていた。
「これは何だ?」
雷太の発言に桜は吹いた。しかし桜も気になっていたので、持ってきてくれた女給の人に聞く。
「この料理は何と言うんですか?
「これはナンです。そちらはカレーです」
何だと?と横で呟く雷太を無視して、女性に聞く。
「この料理の名前がカレーとナンと言うんですか?」
女性がにこりと笑って答える。
「そうナンです」
「…」
桜は気を取り直す。
「あの、この料理を考えた人って、旅華の方ですか?」
「はい、ウチの祖父が八葉村で旅華の方に教えて頂いたそうです。試行錯誤してより理想に近い香辛料を生み出したそうです」
感謝しかない。よくぞ、ここまでの形に。
「その旅華の方は今はどこにいますか?」
この世界は日本より短命だ。祖父が当たり前に生きている桜の世界とは違う。あまり期待せずに問う。
「今は、もう親交はないんでわからないですが、亡くなられていると思いますよ。祖父が若い頃に、その店の店主をされていた方ですから」
意気消沈した桜に、由羅が聞いた。
「旅華の事が気になるか?」
桜は頷く。
「私、この料理知ってるの。由羅は違うって言ったけど、私はやっぱり旅華の人達は同郷の人だと思う」
「自分も旅華だと?」
「うん。私は特技なんてないけど、隊長や今の話を聞いたら…」
「旅華なのか?天彾では無く?」
「「へ?」」
雷太と揃って間の抜けた声が出た。
「もちろん桜が天帝から遣わされたなんて思ってない。ただ、桜は、護符が読めるんだろ。記憶も失っていない。それらの条件に合うのは、旅華では無く天彾だ」
(ああ、そう言う意味か)
なるほどと、桜は納得した。 記憶を失ってしまった人を旅華、失わなかった人を天彾と呼ぶなら、分類上桜は天彾だ。
「確かに、より境遇が近いのは天彾だね。でもそれで私を天彾と言ってしまったら、ちょっと語弊があるよ」
旅華ともう一つ、何か分類上の名前が必要だ。
「そういえば、天彾様ってなんて名前だったんだろ?」
「天彾だろうが」
雷太が呆れたように言う。
「天・彾さんってこと?じゃあ日本人じゃなかったのかな」
「違う、天彾とは天から遣わされた唯一の者の意だ。本当の名前は新山詩織だ」
由羅が天彾について詳しい事に驚く。
雷太は訝しげな顔で聞いた。
「名前なんて天彾記で出て来ないだろ?何でそんな事知ってるんだ」
由羅が周りをチラッと見て、卓の中央に顔を寄せる。つられて桜と雷太も顔を寄せた。
「養父が、昔王城に勤めていた。皇太后の逆鱗に触れて丈罰の後平民として追放されたが、現王の教育係を勤めていた」
(王城に勤めて、現王の教育係)
なかなか理解できず、3回ほど頭で繰り返す。
「ええっ⁉︎王様の教育がっ、むぐっ」
雷太がバシッと桜の口を塞ぎ、何か思い出したように顔を顰める。
「あのじーさん、やっぱり只者じゃなかった」
「その養父が王城に勤めている間、王宮図書館の出入りが認められていた。そこで、天彾の日記を見たと言っていた。本当は固く禁じられていたが、養父はそれを書写して、自分で翻訳した」
桜の口を塞ぐ雷太の手に力が入る。
(いたたたた)
「バレたら斬首刑じゃねーか!とんでもないじじいだ」
「本当に、自分の好奇心を満たすために養父は時々無茶をする。それでその日記の訳本がうちに置いてあった」
「読んだのか?」
「ああ、読んだ。内容は、少女らしい言葉で書かれたありふれた日常だった」
桜は雷太の手を引き剥がし、小声で聞いた。
「その日記には、なんて?」
「養父が書き写したのは詩織がこの国に来て暫く経った頃の物だった。やっと馴染んでこの世界を楽しみ始めた事。日々の食事の事や気になる異性の事、残してきた家族に対する思いなど、とても少女らしいものだった」
聞いていると、天彾がより身近な女の子に変わるようだった。
「詩織ちゃんは最初はどこで発見されたの?」
「王城の天鏡の間だ」
「王城…。最初から天彾とした扱われてたって事?」
「そうだ」
それでは桜とは条件が違う。
「じゃあ私は旅華と天彾の間くらいの存在だね」
「旅華ではないが、天彾でないとは言い切れないだろう」
そう言われると困ってしまう。天彾である事は天彾になれば証明出来るが、そうじゃない事を証明するのは不可能だ。
「でも、私は普通の女子高生で、世界を変える力なんてないよ」
「以前、桜が酔っ払った時…」
「うわああ、その節は本当にご迷惑をー!」
突然黒歴史を抉られ、桜はめり込むぼとの力で顔を覆う。
「うるせえ!」
急に大声を出した桜に、雷太はビクッとして反射的に頭を叩いた。
「あの時、大演説をぶっただろう?あの後楽次さんに、桜が天彾だと思うかどうか聞かれた」
「あの醜態の後に、なぜ?」
楽次に対しては狂気じみた怒りが向けられていた筈だ。
「桜の語った未来があまりにも壮大過ぎたからだ」
「あれは、知っている歴史というか…。詩織ちゃんも、記憶を無くして無かったら旅華の人達も、同じような事を考えてたと思うよ」
「あれを確実な未来だと考えられ、そこに導こうとする、それこそが天彾の役割じゃないかと思っている」
桜は由羅との間に微妙な距離を感じた。
「…じゃあ、由羅はその、私が酔っ払いながら演説した時から私が天彾じゃないかと思ってたの?」
「…もっと前、護符が読めると聞いた時だ。それに、こちらに来た経緯を話す時、天鏡の間の召喚の儀式が鏡に映っていたとも言ってただろう」
女の人が祈っていた映像。あれが召喚の儀式だったのか。
「そんなに前から…」
しかし思い返してみれば、最初から由羅は桜を無碍には扱わなかった。
それどころか…、
「だから自分の身を挺して狼から守ったのか」
雷太が、合点がいったと言うように頷いた。
そう、あんなに大怪我をしてまで桜を救ってくれた。それだけではない。青斎からも守ろうとしてくれた。
あれは桜ではなく、天彾を守っていたのだ。
「いや、それは違う」
由羅は即座に否定した。
「違わないだろ。確かにお前の性分なら、目の前で危険な目に遭っている者がいれば助けに入るだろう。だが、天彾だとも何とも思っていないやつを、自分を犠牲にしてまで助けたか?俺たちにはやらなきゃいけない事があるのに」
雷太の言い分に、由羅の顔が強張る。
桜は息苦しさを感じた。
「そんなのどっちでもいいよ。結局助けて貰って今生きてるんだから、どんな理由で助けられても感謝しかないよ」
「桜、俺は…」
「その通りだ。由羅の盛大な勘違いのお陰で今生きてるんだから、桜にとっては奇跡だ」
雷太一人がスッキリとした様子で、夕食は終了した。
◆◇◆
その日の夜、桜は言葉に出来ない思いを抱えたまま布団に入った。
(なんだか、自分が特別だと勘違いしてたみたいで、恥ずかしいな)
目を閉じると、優しくほほえみかけてくれる由羅の顔が浮かぶ。いつもはほわッと心が温かくなるその笑顔が、今夜は桜の胸を締めつけた。
(もし英玲奈だったら、天彾なんかじゃなくても大切にされたんだろうな)
自分でも不思議と、突如そんな考えが浮かんだ。
桜の傷ついた手を包みながら向けてくれた優しい笑顔を思い出す。
あれは天彾に向けられたものだったのだ。
「全部、天彾だから…」
心臓のあたりが痛い。
桜の瞳から涙一筋溢れる。
桜は枕に顔を埋め、そのまま眠りに落ちた。




