16 桜と陽也の葛藤
次の日、数刻進んで一回目の休憩の場で、桜は膝を抱えて座っていた。全く同じ姿勢で陽也も隣に座っている。
「あいつらは何をやってるんだ」
雷太の問いに、楽次が答える。
「道中ずっとあんな感じです。そっとしておきましょう」
「そうだな、あれじゃ使い物にならん」
明らかに不穏な空気を桜と陽也が発していた。
桜は目を閉じて、昨夜大男と対峙した場面を何度も思い返していた。
陽也を助けなければ、そう思った時。
(最初、自分の剣を抜こうとしなかった?)
自分の腰に差した剣に触れ、何とか昨晩の感覚を思い出そうとした。
自信を持って、迷う事なく鞘を取ったとは言えない。
(このままだと、いつか怒りに任せて…)
だって、自分より強い相手が殺しにきているのだから。
腰の剣を少し引くと、綺麗な刀身が日の光を受けてキラリと輝いた。一つ身震いすると、また鞘に納めた。
(でも、あんな奴が生きていると、他に犠牲者が出るだけだ。なら私が殺してしまったとしても、正当防衛じゃ…)
そこまで考え、頭をブンブンと振る。
(だめ、ぜったいに!)
桜は膝に顔を埋めた。
「黙ってるのにうるせーな」
桜が顔をあげたり埋めたりをを繰り返すのを見て、雷太が呆れたように言った。
そんな雷太をよそに、桜は今度は剣を鞘ごと腰から抜いた。。
鞘には、後ろ姿の可愛らしいうさぎが、月見団子とススキと共に描かれていた。持ち主の絵師だった薙さんが描いたものだと言う。
人を殺すための道具に描く絵とはとても思えない。
(薙さんも、人を斬りたくなかったじゃないかな)
あの日見た、ポッカリと空いた虚な目に魂が宿り、薙さんと言う人物の輪郭がハッキリ見えてくるようだった。
眺めていると、恐ろしさよりも悲しみが胸に広がった。
(この可愛い剣で人を斬るのか)
昨夜のような事がまた起これば、いつかこの剣で人を殺める日が来るのではないか。それを思うと、桜の心は澱に呑まれていくようだった。
◆◇◆
陽也もまた、昨夜の一件を思い出していた。
『禁忌を恐れて泣き寝入りか』
ギリっと歯噛みする。
(何も知らないくせに!)
陽也には珍しく、年相応の感情だった。
幼い頃から天に仕えるとはどういう事かを説かれてきた。
自分の手を血に染める事は儀式を穢すこととされ、自分を守るために楽次や近しい者が傷つくのを何とも言えない惨めな気持ちで受け入れてきた。
(僕だって、由羅達のように強くなって、桜を守りたい)
しかし、生まれた土地を離れても、幼い頃からの教えは呪いのように陽也を縛った。
複雑な思考に慣れていない桜、怒る事に慣れていない陽也は、やがて疲れて二人同時に深い深い溜息を漏らした。
そんな二人のため息に、雷太は眉間に皺を寄せながら振り返った。
「あの二人には昼餉はやらん」
そう言って、火の側に座ってご飯を食べ始めた。
桜は頭を一振りすると、すっくと立ち上がった。
「素振り、しようかな」
向こうの世界では、頭が痒くなるような事があればまず素振りだった。疲れてヘトヘトになる頃には頭がスッキリした。
剣を鞘ごと構えると、普段の素振りを思い出して深呼吸した。
かなり重いが、振れる。むしろこの重みに集中する事で、雑念が払われるようだった。
精神を集中して、剣を振り上げた。
「…⁉︎桜、何してるの⁉︎」
陽也の悲鳴のような声が聞こえたが、間に合わなかった。
桜の剣は鋭く振り下ろされ、ビュッと空気を裂いた。
その瞬間、
「…!」
すっぽり抜けた鞘は千寿の顔めがけて飛んでいき、千寿が直前でそれをサッと躱すと、すぐ隣にいた雷太の頬にささった。
◆◇◆
雷太にすごく怒られた。
「昼餉の準備もしねーで何遊んでやがる!」
頭をさすりなが、桜は小さくなっていた。
「ちょっと素振りを…」
「何で素振りで鞘が飛ぶんだよ!斬新な攻撃だなおいっ!」
桜が生きてきた世界では、だいたい蓋はカチッと閉まる物だった。まさか鞘がスッポリ抜けるとは思わなかった。
「千寿は避けたのに…」
「あんな直前で避けられて、俺にどうにか出来る訳ないだろう!」
「修行が足らんな」
千寿がぽつりとこぼすと、雷太の怒りは頂点に達した。
「だいたいなんだ!二人で陰気な空気出しやがって!何かあるなら言え!言わないなら大人しくしてろ!そして、昼餉の準備を、サボるんじゃねー!」
肩で息をする雷太の横で、千寿は手元の湯呑みから一口啜った。
「二人とも昨日の事で、何か気に病む事があるのか」
千寿の冷静な問いに、桜と陽也はチラッと目線を合わした後俯いた。
「わたし、昨日は必死だったからちゃんと覚えてないけど、最初、鞘じゃなくて、自分の剣を使おうとした気がする。絶対に人を斬りたくないのに…でも、あんな事が何度もあると、いつか自分がこの剣を振るって人を殺してしまいそうで怖い…」
雷太は信じられないというように頭を振った。
「そんな事で昼餉の準備ができないくらい悩んでたのか…。あんなやつ殺されて当然だろうが。お前が生きてた場所じゃ悪党も許されるのか」
「許されないけど、裁くのは私じゃなくて法律だから」
「法律が裁いてくれるなら、あんな奴らが跋扈してるわけねえだろうが」
雷太は納得いかない顔だ。
「桜、剣を貸してみろ」
千寿に言われるがまま、剣を差し出した。
千寿は自分の髪紐を解くと、鞘と剣を結んだ。
「これで鞘が吹っ飛ぶ事はない。解こうと思えばいつでも解ける」
桜に剣を返しながら言った。
「私も剣は嫌いだ。剣術は習った事がない」
「あんなに強いのに?」
「私のは体術だよ」
千寿はまた焚き火に目を向けてしまった。
千寿の言わんとすることは、その剣捌きを真似てみると何となくわかる。
殴るように、蹴り上げるように、相手を斬るのだ。
「体格にも能力にも恵まれて、陽也くらいの歳には大人も含めて村で敵なしだった。一対一なら、素手でも剣を持った相手にだって負けなかった」
しばし沈黙が流れる。
十歳の子供が、素手で?
「だが、脆くて大切な物を守るためには、剣が必要だった。私のは体術の延長だよ。体術の動作のまま、殴る変わりに剣を振り、刀を仕込んだ靴で蹴り上げる。そうすることで、守る力が増した」
そして霊長類最強の生き物が誕生した。素手でも負けない人間が、武器を手にしたのだ。
「人を殺したのは剣を握ってからだ。私も桜と同じ、一度殺してしまうと元の自分に戻れないようで怖かった…。だから相手をボコボコにした事はあっても、殴り殺した事などない」
まるで物語を読むような口調で、とんでもない内容を語る。
「だが、大切な人を失いかけた時、あっさり相手を切った。素手では守れなかった。その時剣を握っていた事を、私は天帝に感謝したよ」
桜は千寿の髪紐が巻かれた自身の剣を見た。
この世界で生きている限り、この紐が解かれる時は必ずくる。
これを解くのが先か、自分が元の世界に帰るのが先か。
「人は誰でも、己一人を守るのは割と簡単だ。だが誰かを守りたいなら、強い力が必要になる。力が足りないと思った時、その髪紐を解いたらいい」
「ありがとう、千寿」
桜の人を斬りたくない気持ちを理解してもらえて嬉しかった。
千寿は僅かに笑んだ。
雷太はため息をついた。
「これで一匹片付いたな。それでそっちの子猿は何を悩んでるんだ」
「子猿じゃない」
「昨日の野盗が言っていた事を気にしてるのかい?」
楽次が頭を撫で陽也が俯く。まるで兄弟のようだった。
「僕は…僕も、剣を持ってみんなと戦いたい」
では私が教えよう、と身を乗り出しかけた千寿を制して、楽次はしゃがんで陽也の顔を覗き込む。
「なぜそう思ったんだい?」
「だって…、楽次兄さんや桜が僕のために危ない目に遭うのはもう嫌だ」
「陽也は剣を待つ事は出来ない。わかるだろう」
「持たしてやりゃいーじゃねえか。男だったら守られてばっかりは嫌だって思うのは当然だ」
物言いはアレだが、桜も雷太に同意なので頷いた。
「皆さんにはピンとこないかもしれませんが、陽也は特殊な能力を授かる代わりに、様々な制約をうけます」
「もう百華はやめただろうが。だいたい勝手に背負わせておいて義務を果たせなんて、聞く義理ねえんだよ」
途中からは雷太自身の愚痴にも聞こえたが、桜も同意なのでウンウンと頷いた。
「陽也がいる事で、村は様々な加護を受けます。例えば、晶石は百華のいる村でしか見つかりません。百華はその村の土と空気で育つと言われています。だから土地は非常に豊かで、気候に恵まれ植物がよく育ちます」
「そんなん偶然だろうが」
陽也は首を振る。
「どうしても抗えない力が、確かにあるんだよ。村にも僕自身にも」
「だが村でも、昨日だって、天帝は陽也を助けてくれようとはしなかったじゃねーか」
桜は雷太に大いに同意したので、激しくウンウンと頷いた。
「桜、お前はちょっと黙ってろ」
一言も喋っていないのに、雷太に怒られた。
「僕は、人を傷つけたらダメなんだ。誰かに戦うよう命令してもダメ」
陽也はそう言いながら、いつの間にか首から下げていた晶石に触れた。
桜は時々、陽也の口から『銀河』と言う名を聞いた。おそらく陽也の狛馬だろうと思っていたが、そういった事情で陽也を助ける事がなかったのだろうか。
「陽也は、村を出た時点で加護を半分失っています。これ以上戒めを破るのは怖いんですよ。私達にはわからないものを、陽也は感じているんだと思います」
この世界に神はいない。人々は天帝に祈るのだ。
桜の知る神々は、完全に偶像で、いるかいないかわからない、ハッキリしない存在だ。
しかしこの世界の天帝は、もう少しはっきりした輪郭を持っている気がする。
加護なんてないと、完全に否定出来ない何かがある。
しかし、桜は言わずにはいられない。
「でも、好きに生きるために村を出たんでしょう?」
剣を持つ事を推奨はしないが、村を出てまで制約を受けるのは納得いかない。
「そうだ、好きに生きるんだろうが。加護を失って何か影響があるなら、俺たちで受ければいい。陽也を連れ出したみんなが共犯だ」
滅多にない事だが、桜は雷太がかっこ良く見えた。
桜はウンウンと同意を示した。
千寿はようやく出番がきたというように前に出て、陽也に短剣を渡した。
「では、陽也にこれを。大きな村につけば、もっと陽也にあった剣を探そう。何なら私が稽古をつけてもいい」
「陽也、でも無理しなくていいんだよ」
剣を受け取る陽也の手が震えたのを見て、桜は言った。
◆◇◆
同じ馬に揺られながら、桜は陽也に、桜がこの世界へ転がり込んできた時の話をした。
今振り返って思う。あの空間は冥道だったのではないかと。あの時見たたくさんの目は、主を待つ狛馬たちだったのではないかと。
「そうか、桜はちゃんと覚えていたんだね。でも、詳しい事は話せないんだ」
陽也があそこから助けてくれたんでしょう?そう問いかけた桜に、陽也は困ったように笑った。
「銀河は陽也の狛馬なの?襲撃を教えてくれたのは銀河?」
桜はあの頭に直接響く、不思議な声を思い出して言った。
「銀河は友達なんだ、僕に従属してるわけではないんだ」
「陽也も晶石を持ってるのに?」
陽也は首に下げた晶石に触れた。
「これは、お守りみたいな物だよ」
そして腰に下げた剣にも触れた。
「これはお守りじゃない。桜を守るために使う」
桜は、かつて英玲奈がナイフを隠していると言っていたのを思い出した。
あの時、桜が守れなければ、英玲奈はそのナイフを使ったのだろう。
(陽也に剣は使わせたくないな)
自分自身もまだ、迷う。何とかこの剣を使わずにいたい。でも、陽也に使わせるくらいなら…。
桜は腰に下げた剣の柄を、ギュッと握った。