15 組織を統べる力ー頭領ー
いつもの通り、白斗に包まって眠っていた桜は、聞き覚えのない声に起こされた。
(起きろ。囲まれているぞ)
頭に直接響く、不思議な声だった。
薄く目を開くと、いつもは誰かが番をしているはずの焚き火の周りに人気がない。
「誰も…」
いないの?と問う桜の声は、口元を覆う手に遮られた。
「静かに」
やや緊張感を含んだその声は由羅のものだった。
「楽次さん、二人を連れて、身を隠してください」
「わかりました」
キリッとした楽次の声音が、ただごとではない状況を表しているようだった。
ヒュッと風を割く音とともに、一本の矢が焚き火の側に刺さった。
「夜襲は失敗か、やはり一筋縄ではいかないな」
「こちらの護衛が三人とも狛馬持ちと知っての襲撃か」
答えているのは、千寿だ。
「もちろん知っている。そこらの雑魚盗賊と一緒にしてもらったら困るな」
「悪いが、狛馬は手加減できない」
いつも通りの平坦な口調で千寿が答える。
「くっ、大した自信だな。身なりは質素にしているが、あんたらが相当な手練れなのは見てすぐわかった。証録にはかなり価値があると見た」
(ショウロク)
聞き慣れない言葉だったが、もちろんこの状況で聞くことは出来ない。
より影の濃い場所に陽也と共に身を潜めながら、震えそうな手を合わせて成り行きを見守った。
山賊には何度か出会した事がある。
でも今回は、いつもと様子が違う。
「こちらもかなりの被害は受けるだろうが、それでも採算が取れると踏んでいる」
千寿が焚き火のそばに立った。
(あれじゃ狙い撃ちにされる)
心拍数が一気に上がった時、千寿が指で何かサインのようなものを出した。
(目を閉じてろ)
またあの不思議な声が聞こえた。チラリと陽也を見やると、顔を伏せていた。
わけがわからないままま桜は目を閉じた。瞬間、瞼越しに見えていた明かりが消えた。そっと目を開けると、焚き火が消えていた。
「チッ、くそっ!」
舌打ちする声がしたかと思うと、突然辺りがガサガサと騒がしくなった。
「ぐえっ!」
「ぎゃああっ!」
暗いながらも、狛馬達が山賊に襲いかかっている様子が見えた。
急に明かりが消え、目が慣れる前に襲われた賊は慌てふためくばかりだった。
「怯むなっ!狛馬を狙え!」
恐らく木の上に待機している敵から、狛馬に向かって何かが放たれた。
(弓?違う、ボーガン!)
かなりの速度で放たれたそれは、白斗に一直線、向かって行った。
「白斗!」
思わず叫んだ。
白斗を狙った矢は、白斗を掠めることなく地面に刺さった。 ホッとしたのも束の間、
「みーつけた」
背後で男の掠れた声が弾むように言った。
振り返ると、暗闇に浮かぶ白い目が、楽しそうに笑っていた。
背筋がゾクリとする。
「どっちのガキも可愛い顔してるなぁ、グヘヘ」
傍の楽次は剣を抜いてきっ先を相手に向けていた。
「楽次さん、剣使えるの?」
「陽也を狙う不届者は一定数いたので、そいつらを追い払う程度には。しかし、由羅さん達には遠く及びません」
視線を相手から外さず、落ち着いた口調で言った。
「がはは、そんなヒョロイ腕で剣が振れるのか」
男がその体躯に見合った大きな剣を振り上げた。まさに振り下ろされようとする瞬間、
「おい、勝手なことするな変態野郎」
静かな声が割って入った。
男はギロリと声の主を睨むと、一声吠えた。
「うるせえっ巳霧、頭の腰巾着がっ!あっち行ってろ!」
静かな声の主はまだ若かった。
顔に布を巻いていて目元しか見えなかったため、暗がりではどんな表情を浮かべているのか全くわからなかった。
「あちらが苦戦している。早く戻れ」
「俺に命令するな!ぶち殺すぞ!」
目を剥いて喚く男に冷ややかな一瞥を向けると、男はくるりと背を向けた。
「さっさと仕留めて戻れ」
呟くように一言言うと、音もなく去って行った。
再び楽次に目を向けた男は、異様に殺気立っていた。
「逃げてくださ…」
楽次が言い終わる前に男の剣が振り下ろされた。
見かけによらずキレのある一振りを、楽次はかろうじて受け止めたかに見えたが、そのまま後ろに吹っ飛ばされた。
「逃がすわけねぇだろう」
起き上がる前に、楽次の肩口に剣が突き立てられた。
「ぐああっ!」
「楽次さん!」
桜は悲鳴を上げたが、身悶えする楽次を震えながら見ている事しか出来なかった。
「逃げると、こいつは楽に死ねねぇぞ」
陽也は桜の手を握った。
月明かりに、唇をキュッと引き結んだ表情が浮かんだ。
「順番を決めておけ」
男が言った。発言が理解できず、桜は震える声で呟いた。
「順番…」
男の耳には届いたようだ。また暗がりにあのニタリとした気味の悪い笑顔が浮かんだ。
「どっちが先に俺を楽しませるか決めておけ。なぁに、ちょっと痛い思いはするが、死にはしないさ」
「僕がお相手します。なんでも言うことを聞きます。だから、二人を助けてください」
陽也は桜に微笑みかけその手をキュッと握ると、男に向き直った。
「陽也?」
陽也の瞳は不思議な色をたたえ、男はその美しい顔にしばし見惚れた。
「いいだろう、こっちに来い」
男は進み出た陽也の肩を抱いて、茂みの方へ進み出した。
桜の胸がざわりと波立った。
向こうの世界で、同じような変質者に会った時だ。
全身を焼くような怒りの炎とは裏腹に、頭の芯は急激に冷えていく。
桜は倒れた楽次の腰から鞘を抜き取った。
「桜さん?」
大剣で地面に縫い留められた楽次は、なす術なく見守っていた。
「陽也を離せ」
桜の低く響く声は、男の足を止めた。
「ああっ?」
振り返った男は、鞘を手にした桜の姿を見て笑い出した。
「げっへへへ、その手に持ってるのはなんだ!それでどうしようってんだ」
「陽也の肩を掴んでいるその汚い手を離せ」
「ぐっふふふ、いいぜぇ、お前も一緒に遊んでやるよ。俺はガキには優しいからなぁ」
桜は鞘を構えた。ずしりと重みがあるが、充分振れる。それを確信して、桜は男を煽った。
「馬鹿だな、お前の剣はここに刺さったままだ。戦場で武器を手放すとは、馬鹿を通り越して病気だな」
「なんだとぉ」
男は目を剥いて桜を睨む。
相手が怒るほどに、桜の頭は冷えていく。
「さっきここに来た男は、冷静で、隙が無かった。お前とは大違いだ」
「きっ、貴様ぁ!」
「勝てないから、あんなに吠えてたんだ?まさに負け犬の遠吠えだな」
「◎※%&$¥〜!!!」
理解不能な何事かを叫びながら、男が桜めがけて突進してきた。鞘を掴もうとした男の手をヒョイと引いて交わすと、今度は思い切り懐めがけて踏み込んだ。
(ビビるな、いけ!)
思い切り突き出した鞘の先が男の喉元に食い込んだ。
「ぐへっ」
カエルのような呻き声をあげると、男は白目を剥いて後頭部から落ちた。
胸のあたりが上下しているから、死んではいないだろう。
「桜!」
陽也が駆けてきて、ひしと桜を抱きしめた。
「桜、無茶しないで!」
震える陽也を、桜もギュッと抱きしめた。
この世界は理不尽だと、強く思った。戦えなければ、大切な物を奪われる。
人を殺す事は出来ない。だから剣ではなく鞘を使った。けれど、きっとこのままでは大切なものを守れなくなる。戦わない自分は、この世界では奪われ続けるだけだ。
「陽也、私もっと強くなるから、こんな自分を犠牲にするやり方、もうしないで」
桜の目から涙が溢れた。
本当は、最初から剣を抜いて、楽次に加勢しなければいけなかった。
剣を使わなければ、相手を切らなければ。頭の隅ではわかっている。でも、やりたくないのだ。
「私が弱いから、ごめんなさい…」
抱き合ってお互い涙を流す二人に、楽次が申し訳なさそうに割って入る。
「いや、一番不甲斐ないのは私です。剣…、抜いてもらえますか?」
情けない声に、慌てて桜と陽也は楽次の元へかけた。
◆◇◆
「剣が刺さったままで出血はあまりないし、指先も動きます。グリグリせずに、一気にお願いします」
桜は剣の柄を両手で握った。
傷口をすぐに塞ぐため、陽也は手拭いを持って傷口近くに当てていた。
楽次は敢えて軽い口調だが、奥歯をぐっと噛み締めて、痛みに構えているのがわかる。
(怖い)
桜の手に汗が滲む。
「いちにのさんで一気に行こう。大丈夫だよ」
陽也が優しく声をかけてくれた。いつも通りの口調が、桜の緊張を少し和らげてくれた。
迷っていても仕方がない。桜はこっくりと頷いた。
「いくよ、いち、にの…」
(さんっ!)
数えた瞬間、桜の手を別の大きな手が覆って、スッと剣を引き抜いてくれた。
「…っ!!」
楽次は痛みに身悶えしていたが、なんとか陽也が傷口を押さえていた。
「桜、よくやっ…」
言いかけた陽也の顔が凍りつく。目は桜の頭の上を凝視していた。
振り返ると、先程の若い男が立っていた。
桜はビクッとしてサッと飛び退った。
「そんなに警戒しなくていい。もう撤退だ。俺は無駄な労力を使わない主義だ」
そんな事を言われて、はいそうですかと納得出来ない。
桜は陽也と楽次を背後に庇い、剣の柄に手をかけながら聞いた。
「いま、剣を抜くのを手伝ってくれたの?」
「あいつを締めてくれた礼だよ。なんなら殺してくれても良かったのに」
顎を向け、のびたままの大男を示す。
「…、あなたの仲間じゃないの?」
「今はな。だが戦闘にも加わらねーし、別にいなくても俺は構わないんだが。それより、あんたらのところに化け物がいるな。あれは何者だ?」
未だ混沌の戦場を見やると、千寿が敵を次々と倒していくところが見えた。
「あれだけ戦いに集中してるのに、俺の矢は全部躱しやがった。せっかくいい武器手に入れたのに」
男は手にボーガンのような物を持っていた。
「千寿に下手な攻撃は当たらないよ」
桜は男を警戒しつつ、千寿の動きを目で追いながら言った。
「下手なって…、まぁ一発も当てられなかったからな。なるほどあれが戦鬼か。確かに常人とは思えない強さで、舞ってるみたいな美しい動きだな。まさかこんなところで会えるとは思わなかった」
男も千寿を見やりながら言った。
「センキ?あれは千寿だよ」
「千寿って、表向き休養中の、実際は行方不明の禁軍の大将だろ。戦鬼。千騎。戦場の鬼、一騎当千の意味をこめた通り名だ」
桜は話が見えず、楽次を見た。否定しないところを見ると、事実なのだろう。
「俺にとっては色々と収穫のある戦いだったよ。証録には興味ないが、いい情報が手に入った」
言いながら、寝そべったままの大男に近寄り、髪をむんずと掴む。
「あの、あなたはあちらの方ですよね?」
「もうすぐ撤退だ。俺たちの初陣は惨敗だ」
「初陣」
「俺たちは、と言うか頭が護衛になりたいんだ。所帯が大きいから、大きな仕事が必要だ。だから証録が欲しかった」
桜は倒れている男をチラリと見た。
「その人が護衛なんて、冗談でしょう」
「俺も宗さんに言ったよ。でもあの人、誰も見捨てられないから」
宗さん、頭の人だろうか。
「だから殺してくれたら良かったのに。俺たちの間で殺し合いはご法度だから」
そう言って大男の髪を掴んだまま引きずる。
「嬢ちゃん、腰に獲物ぶら下げてるのに、何で鞘でやったんだ?まさか殺したくないからなんて理由なら、この先生きていけないぞ。それからそっちのガキ、お前なりの守り方だろうが、さっきみたいに自分が犠牲になるならせめて剣を使えばどうだ?あんな助け方されて、残った方はたまったもんじゃない」
珍しく陽也の目に怒気が浮かんで見えた。
「ずいぶん好き勝手によく喋るね。あんた達の殺し合いがご法度なら、僕が剣を握るのは禁忌だよ」
「俺が今その嬢ちゃんに手をかけたらどうする?俺はこいつみたいに変態でも馬鹿でもない。油断はしない。禁忌を犯すことを恐れて泣き寝入りか?」
「その時は…、僕の友達がお前の喉笛を食いちぎる」
(友達?)
桜は内心首を傾げる。陽也に狛馬がいる気配はない。
愛らしい顔に怒気を込め凄む陽也に、男は肩をすくめた。
「そりゃ怖い」
イマイチ掴み所のない男だった。
「重いんだよ。やられた風を装って殺してしまおうかな」
毒付きながらも大男を引きずっていった。
何か考え込む陽也の肩を楽次が軽くたたいた。
「行こう、みんなと合流しないと」
焚き火跡の辺りへ戻ると、思った以上の惨状に息を呑んだ。
「白斗、怪我したの⁉︎」
白斗だけではなかった。狛馬がみな血まみれだ。
「あっちにも狛馬がいた。なかなかの手練れだった。単なる盗賊とは思えんな」
桜に答えてくれたのか独り言か不明だが、千寿が呟いた。
「初陣だって言ってた。証録を手に入れて護衛になりたいんだって」
「なんだそりゃっ!」
怒鳴る雷太が跨った龍星も、小さくは無さそうな怪我がいくつかあった。
「桜、楽次さんのその怪我は何だ。何があった」
静かに問いかける由羅も、いつもと違って疲労の色が見られた。
「とりあえず、手当しながら話そう」
千寿が促し、みな消えた焚き火の周りに座った。
◆◇◆
千寿が再び火を起こした。呼吸も乱れていなければ、全くの無傷だった。
不安げにあたりを見回した桜に、ぽつりと呟いた。
「死体も怪我人も一緒に引き上げたようだ」
桜はホッとした。
もともと由羅達は相手をあまり仕留めない。戦意を削ぐ程度に切って、撤退させる。死体の処理がめんどうだから、と雷太は言っていたが、恐らく無駄な殺生を避けてのことだった。
しかし、狛馬を前面に出すとそうはいかない。いくら聡いと言っても、所詮は獣だ。手加減などできない。
「恐らく、桜の見たその武器で狙われたんだろう。狛馬をこんなに傷つけられたのは初めてだ」
桜達に起こったことを、楽次は簡潔に説明した。
ホッとしたのと真夜中過ぎているのとで、桜はうつらうつらしてきた。
「桜、陽也も、眠るといい」
見ると陽也も疲れた顔でぼんやりしていた。
ゴザに転がると、白斗が寄ってきた。
「白斗、痛いでしょう?私はいいから、傷を癒やして」
狛馬は、冥道に入ると傷の治りが早い筈だ。何故自分はそんな事知ってるんだっけ…、瞼が下りた桜を、白斗は優しく包んだ。
「主人に似て、優しいねぇ」
寝ぼけた桜の言葉に、由羅がクスリと笑った。
その寝顔に向かって静かに呟いた。
「桜、無事で本当に良かった」
◆◇◆
「桜さんて、何者ですか?」
焚き火を眺めながら、楽次が言った。
「剣を扱えるんでしょう?なかなかの腕前に見えました。普段は剣を握ることすら恐れているように見えるのに」
楽次は、普段とは別人のような桜の姿を思い出していた。
「さっきまで震えていたのに、急に人が変わったようになって…、なんで剣じゃなく鞘だったんでしょう?剣なら確実に殺せてました」
楽次の問いに、焚き火を見つめたまま千寿が答える。
「真剣を使った事がないと言っていた。人を切る事のない剣術を習っていたらしい」
「なんのためにです?所作から、ある程度恵まれた家できちんと育ったように見えます。知識があって頭の回転も早い。かと思えば常識を知らない。彼女はどこから来たんですか?」
雷太が龍星に背を預け、目を閉じたまま言った。
「俺はもうどうでもいいよ。あいつが命懸けで由羅を助けたその事だけで、俺は信用すると決めた」
「白斗のあの懐き方も不思議です。主人でもないのに言う事聞くなんて…もちろん為人を疑いはしないですが、何か隠してる事があるんじゃないかと思ってしまいます」
焚き火を見つめながらつぶやく声は、楽次にしては珍しく、何の感情もこもっていないようだった。疲労と痛みでぼんやりしている。
「隠してる訳ではないだろう」
例によって、独り言のように千寿が呟いた。
「皆が不思議がることを、桜は当たり前にできる。当たり前にできることを何故出来るかと聞かれても、答えられない」
再び沈黙が降りる。
「順番に休みましょうか」
楽次の一言で、長い夜は終息を迎えた。