13 加護を負う者
屋敷に戻ると、夏陽が慌てて陽也を抱きかかえて寝室へ運んだ。夏陽の心底陽也を心配する様子に、桜はホッとした。
途中で飛び出してしまったが、あの後千寿に殴り殺される事は無かったようだ。
『桜さんの思ってるのとは違う』
部屋で一人になった桜は、楽次の言葉を思い出していた。
雪代の渾身の舞いに桜は目を奪われた。
(綺麗だったな)
王都行きを回避するなら、もっと適当に舞っても良かった筈だ。
夏陽と同様、雪代も明史を浄化しようと戦っていたのかもしれない。
◆◇◆
夜になって、雪代と楽次が桜の部屋を訪れた。
雪代は憔悴した様子だったが、部屋に入ると顔を上げキッパリと桜に言った。
「楽次さんから聞いたわ。あなたは全て知っていると」
憔悴しているが、落ち着いている。
「夢で見ただけで確信は無かったんです。でも、楽次さんに聞いて、やっぱりって思いました。楽次さんは、あなたが陽也を憎んでるわけじゃないって言ってました。でも助けられたとき、陽也は泣いてたんです」
雪代の境遇を思うと、彼女を責めきれない。
しかし、陽也を突き落とした事を変に言い訳されるのは嫌だった。
雪代は冷静な目でじっと桜見ていた。楽次は横で俯いている。
「沢山の娘が泣いたの」
雪代がポツリと言った。
「この数年で、沢山の娘とその家族が涙を流した。私の母も、姉達が連れて行かれる度に泣いた。そして、今回今までで一番泣いていた」
「だから陽也を…」
「陽也も泣いていたの」
雪代の言葉に、桜は言葉が出ない。
「陽也もあの崖で泣いていた」
雪代の目に、見る間に涙が溜まり、ポロリと流れ落ちた。
「みんなの前では元気に振る舞っている陽也が、とても悲しい声で、逃げ出したいって言いながら泣いてた」
ここに居たくないと言った陽也のか細い声を、雪代も聞いていたのだ。
「もう終わらせようと思ったの。信じて貰えないと思うけど、母は思いやりがあって人のために自分を犠牲にするのを厭わない性分だった。それなのに、今回こんな酷い真似をして…」
雪代は一旦袖で涙を拭うと、また顔を上げた。
「陽也がいなくなれば解決すると考える人は多くいた。でも誰も実際に手は出せなかった。だって、陽也は、天帝からこの地に授かった奇跡の子だったから」
「それで、雪代さんが?」
「陽也を天帝にお返ししようと思って…、でもダメだった。天帝の加護を受けた子の運命を、わたしなんかが勝手にどうこう出来るわけなかったのよ」
しばしの沈黙の後、桜は口を開いた。
「陽也は、ここから逃げ出したいって言ってました」
上手く言葉が見つからなかった。何が正しいのか、桜にはわからなかった。
自分の小さな手を見つめながら、考えをまとめて少しずつ話した。
「由羅達は、もう少ししたらこの村を出るつもりです。私も、多分一緒に行く事になります。もし陽也が望めば…」
一緒に行けるのだろうか?桜が決める事では無かったが、今回の件で、由羅達が怒っているのは間違いなかった。
きっと陽也の味方をしてくれる。
「陽也は、出て行くだろうね」
言ったのは楽次だった。
「そして、止める者はいない」
「誰も?」
悲しげに問う桜に、楽次は静かに頷く。
「村の人達は安堵するだろうね。私や雪代、そして夏陽様は、陽也の事を思うからこそ止められない。理由は様々だけど、きっと、誰も強くは止めない」
再び沈黙が降りた。
冷静になってみれば、雪代も楽次も疲労が色濃く見えた。
(当たり前か)
もうすぐ結婚という時に引き離される。そして恐らく二度と会えない。
「ちょっと、桜さんと二人にしてくれる?」
不意に雪代が言った。
「?」
いいのだろうか、と桜は思った。残り少ない時間、楽次と少しでも一緒にいた方がいいのでは。
「わかったよ」
最初に見た時の、弱々しい、どこか頼りない感じで返事すると、楽次はその場を去った。
「あの人、頼りない感じでしょう?」
雪代が自嘲気味に笑った。
「えっと…」
「いいの、その通りだから。でもそんなところも含めて好きだったの」
雪代の声が微かに震えた。
「あんなだけど、真面目で仕事はとっても出来るの。ちょっと空気の読めないところがあるけど、仕事となるとまるで別人みたいに真剣な顔つきになるの」
桜は崖での様子を思い浮かべて頷いた。
「でも、押しに弱いと言うか、ハッキリ言えなくて…、今回の事も、母に押し切らてしまったの。そう言うところが、ほんとダメで…」
そう言いながらも、雪代からは楽次への想いが伝わってくる。
「楽次さんは、桜さんが選ばれるわけがないと思ってたから、それで母の気が済むならって。でも他の人は違う。期待してしまったんだと思う。桜さん、覚えがいいし、所作もとっても綺麗だったから、今回は村の娘を連れて行かれずに済むんじゃないかって」
酷い話だが、その心情は理解できた。
「誰も、こんな事やめようって言わなかった。だからこそ、陽也の落胆は大きかった。この村を見限ってしまおうと思うくらい」
雪代はそっと桜の手を取った。
「あなたが現れて、陽也が初めて自分の願いを口にした。今まで言いたくて言えなかったことを」
「それは、私がこの村に何の責任もないから…」
雪代は首を振った。
「陽也の周りで起こることは、全て天帝の御心なの。このまま村を出る事になったら、それも抗えない運命と言うこと」
何となく、桜は悟った。雪代にさほど取り乱した様子がないのは、運命だと受け入れているからだ。
雪代の手に力がこもった。
「どうか、陽也をお願いね」
◆◇◆
陽也は、傍に佇む人外の友達を見た。銀色の毛並みが輝いて見える。
(どうしてそんな悲しそうな顔をしてるの?)
恐らく、その獣を見て表情を読み取れる者はいない。でも、陽也には彼の感情が手に取るようにわかる。
(銀河のせいじゃないよ)
彼の背を撫で、首元に顔を埋めた。
(初めて桜を見た時から、僕は彼女について行こうと決めてたんだ。だって、とっても綺麗で、目が離せなかった)
(お前が後悔しないなら、それでいい)
ぶっきらぼうな口調に、陽也は微笑む。
(銀河もそのうちわかるよ。きっと桜を放っておけなくなる)
(…俺には、まだわからない)
(わかるよ、きっと…)
ふと目を覚ますと、今度は側に、悲しそうな顔をした桜がいた。
陽也はふふっと笑った。
◆◇◆
「どうして笑ったの?」
不思議そうに問う桜に、陽也は笑い返した。
「友達と似たような顔をしてたから」
「?」
桜は首を傾げて陽也を見た。寝ぼけているのかもしれない。
「陽也、足はどう?」
「もう痛くないよ」
雪代の言葉に背中を押されるようにこの部屋を訪れたが、当然ながら陽也は眠っていた。
ボンヤリと寝顔を眺めていると陽也がうっすら目を開いた。そして急に笑い、何事かを呟いた。
目覚めた陽也に、桜はかける言葉を見つけられないでいた。
「陽也、あの…、これからどうしたい?」
「桜の側に居させて欲しい」
「側にいて欲しいじゃなくて?」
「だって桜は、この村に留まっていられないから。これからたくさんの人と世界に出会う運命だから」
陽也の予言めいた物言いに桜は戸惑う。
科学の進歩した世界からやってきた桜にとって、理解出来ない不思議を全て神の仕業としてきたのは、過去の歴史での事だ。
「私は、運命って自分で切り開くもので、天に決められるものじゃないと思ってる」
「僕は、半分ずつじゃないかと思ってる。目に見えない天帝の理がこの世界に存在する事を、僕は知っている」
この世界で何もかも天帝の思し召と言われても納得出来ない。
しかし陽也の言葉には、迷信だと一蹴出来ない響きがあった。
白華人と言う特殊な人にしか見えない何かがあるのかもしれない。
「僕がこの村を出て行くのは、天帝の意思かもしれない。でも、桜と一緒に居たいと思う気持ちは、僕のものだ」
陽也が手を伸ばしたので、桜はその手を握った。陽也は憑き物が落ちたような、スッキリした顔をしていた。
◆◇◆
陽也の足は二週間ほどで治った。楽次の見立て通りだった。派手に見えた出血も、額が切れただけでそれ程酷いものでは無かった。頭を切るとたくさん血が出る事を桜は知っている。
まず、雪代が旅立った。
「必ず迎えに行くよ」
楽次の言葉に、雪代が瞠目した。
「迎えにって…、何を言ってるの?」
「いや、具体的な方法はまだ全然なんだけど。でも、国王は雪代を害するわけじゃないし、元気でいてくれたら、何年後か、何十年後か、きっと機会があるよ」
今生の別れと思っていたのは雪代だけだったようだ。楽次が落ち着いていたのは、雪代とはまた別の納得の仕方をしていたからのようだ。
後で聞いたことだが、楽次は喉を潰す薬に見当をつけていて、雪代に解毒剤を渡しているらしい。
「何十年って…、その間に、あなたは誰かと結婚して、いずれは夏陽様の右腕として…」
雪代の言葉に今度は楽次が面食らっていた。
「いやいや、まさか僕にそんな大役。それに、雪代以外の誰が私なんかと結婚を…。いや、雪代の方が愛想をつかしてしまったらしょうがないけど、もし待っててもらえるなら、長く待たせる事にはなると思うけど…」
「あなたと両思いになれるまで、私子供の頃からずっとずっと待ってたの。待つのは慣れてるから大丈夫」
雪代の泣き笑いに、楽次は申し訳なさそうな顔をした。
「まさか君が僕を慕ってくれているなんて、そんな図々しい事、想像も出来なかったから」
周りの男たちが数人頷いていた。
悲しく理不尽な別れには違いなかったが、二人の未来にほんの少し光を残した別れだった。
◆◇◆
陽也は着々と旅立ちの準備を整えた。楽次の言う通り、誰一人止める者は無かった。
「陽也の事をよろしく頼みます」
由羅の部屋で今後について話し合っていたところ、夏陽が訪れて頭を下げた。
「私は、村長の任を降りようと思う」
桜は驚いて思わず口を開いた。
「千寿が脅すから!」
「いや、私は脅してなど」
「確かにあの時は死んだかと思ったが、そうではない。君を巻き込んだ時、他の者を止める事が出来なかった。村長失格だ」
夏陽はまっすぐ桜を見て言った。
「失格かどうか決めるのはこの村の者達だろう?」
千寿が言った。
「そうかもしれないが、私自身、この失態を許せない。今すぐには無理だが、ゆくゆくは楽次に引き継いでいこうと思ってる」
夏陽の言葉に桜はポカンとして思わず聞き返した。
「楽次さんに?」
「あれは自分に自信がないだけで、なかなか出来る男だ。十分、この村の長たる資質を持っている。楽次なら皆納得してくれるだろう」
「いえ、能力を疑ってるわけじゃなくて、楽次さん私たちと一緒に行くって言ってます。そのまま王都に住むって。村長になる気はないんじゃないですか?」
桜の言葉に夏陽が一瞬固まる。
「なんだって?」
◆◇◆
「考え直さないか?」
夏陽の、幾度目かの問いだった。
「すみません、本当に。でも、ここで村長になったら動けないんで。雪代を迎えに行けない」
「楽次よ、諦めた方がいい。王から雪代を取り返すなど不可能だ。王城に近づくことさえ叶わんぞ」
村の男達も説得するが、楽次は全く意に解さない。
「取り返すなど…、お返し頂くんです」
みな、こいつは何を言ってるんだ、と言う顔つきだった。
「王様にとって必要無くなった時、返して頂くようお願いします。そのために、王都で雪代の様子を見守れる場所を探す必要があるんです」
男達は顔を見合わせ、ため息をついていた。
皆呆れ顔だが、桜は楽次のこの決断を格好いいと思った。
誰もが連れ去られた時点で受け入れた事実を、楽次は突っぱねたのだ。
「変なやつに騙されないようにするんだぞ。剣もろくに使えないのに、無茶するなよ」
「千寿さんさえ怒らせなければ、生きて王都に着けます。あの人が味方なら無敵です」
千寿を怒らせれば命はないと言っている。
「それに、旅に疲れた陽也をここに連れて帰ってくる人間が必要でしょう」
(…?)
桜は夏陽の表情が曇ったのに気づいた。
もしかして、陽也はどこか体が悪いのかもしれない。
「…そうだな、陽也を頼んだぞ」
桜は夏陽の言葉に、村長としてではなく純粋に子供を心配する父親を見た気がした。